どうして私なんだろう4
「これだよ」
「顔はわからないね」
救急車のベッドの上で、瀬川君は膝に乗せたパソコンを私の方に動かした。ディスプレイには黒いパーカーにジーンズ姿の人物が写っている。
「荒木さんがいない事に気付いたから、僕が店に出たんだ。そしたらいきなり刃物を」
「ポケットから出して?」
「何で知ってるの?」
「あ、」
しまった。私は心の中で呟いた。しかし瀬川君は表情を変えずに言う。
「ああ、それで書庫に行ってたのか。何か見つかった?」
私は首を横に振った。私は瀬川君に鳥山さんの事を話した。さすがの瀬川君も少し驚いたようだった。
「それで次は朱雀店に来たのかな。でもよかったね。書庫に行ってなかったら荒木さん刺されてたよ」
それには何も答えられなかった。瀬川君は悪意を持って言ったわけじゃないんだろうけど、私が書庫に行かなければ瀬川君は刺されなかったんだ。そう思うと、罪悪感でいっぱいになった。
「そういえば、店長はどこに行ったんだろうね。臨時休業の貼り紙はしておいたけど」
「どうせその辺でぶらぶらしてるに決まってるよ」
瀬川君、案外店長に冷たい。そういえば、こんなに大きな怪我をしてしまって、親に何て説明するんだろう。もしかしたら「バイトを辞めろ」とか言われるかもしれない。
「とりあえず病院着いたら一回店長に連絡してみて。会社の判断次第だけど、僕はもしかしたら入院かもしれないから」
瀬川君が冷静すぎて忘れそうになるけど、今も左腕からは血が溢れ続けてるんだよね。救急隊員の人が止血はしてくれてるけど、普通の人なら「痛い痛い」とわめき立てる程の怪我だ。なんでこんなに涼しい顔をしていられるんだろう。
病院に着いて、瀬川君はそのまま治療室に運ばれて行った。きっと何針か縫うことになるだろう。私はいったん病院の外に出て、つけっぱなしのエプロンからスマホを取り出した。電話をかけると、数回のコールのあとに店長は出た。
《もしもし?なんか店すごい事になってるんだけど》
「帰ってきたんですか!?」
今更帰って来られても、もう瀬川君は刺された後だ。
《たった今ね。何かあった?》
「瀬川君が刺されたんですよ!今病院に居ます!隣町の、野洲病院!!お金持ってすぐ来て下さい!」
《りょーかい。リッ君は?治療ちゅ》
「君、さっきの子の仲間?」
「へ?」
突然割り込んできた声に、反射的に振り向く。そこには、パーカーのフードを目深に被ってポケットに手を突っ込んでいる人がいた。フードの中に、ピンクの髪が少し見える。
「轟木さん……?」
いや、違う。轟木さんはもっと背が低いし、何より雰囲気が違う。なんだろう、これ。轟木さんの復讐に燃える怒りじゃなくて、全てに絶望したようなけだるさ。私が固まっているうちに、目の前の人物は口を開いた。電話口から聞こえ続ける店長の声ももう耳に入らない。
「さっき、救急車から一緒に降りてただろう?君は、あの男の子の仲間なのかい?」
「え、あの……」
言葉につまる。だって、黒いパーカー、くたくたのジーンズ。この人が、瀬川君を、鳥山さんを。
「大丈夫だよ。さすがにここで騒げばすぐバレる。ボクは捕まるわけにはいかないからね」
ボク。男の子なのだろうか。男の子にしては低めの身長、声も高い。鳥山さんの言う通り、たしかに中性的だ。
「でも、もし君があの男の子の仲間なら、君の顔も覚えておこうと思って」
「あ、あなたは何!?」
左手でポケットの中のスパナを握った。ようやく動くようになった足で、傷の人物から一歩さがる。相手は、確実に刃物を持っているんだ。
「あはは、誰じゃなくて何なんだね。ボクは人間だよ。それ以外に的確な答えがあるかい?」
なんだか馬鹿にされているような気がする。「自分は人間だ」なんて当たり前じゃないか。
「じゃあ、ボクは帰るよ。お友達、お大事にね」
「待って!」
帰ろうとする傷の人を咄嗟に引き止めた。傷の人は少し驚いた顔をして振り向いた。引き止めた事には、私自身も驚いていた。声を絞り出す。
「ま、待って。ください」
でも、もう少し引き止めておければ、店長が来るはずなんだ。二人がかりで目の前の犯人を捕まえて、そしたらこの事件は終わる。
「あなたの目的は何なんですか?」
なんとか引き止めないと。私の姿は、目の前の犯人の目には、焦っていて一生懸命でひどく滑稽に見えたかもしれない。傷の人はちょっと首を傾げて答えた。その姿が少し可愛らしくて、この場にそぐわないと思った。
「目的?そんなこと教えるわけないじゃないか。でも大丈夫。君にだってわかる、すごく簡単な事だから」
そう言って再び歩き出そうとする傷の人。ダメだ、何か他の質問を。
「あ、あなたは誰なんですか!?どうして私達を狙うんですか!?」
「あっはっは。それ、さっさとあんまり変わってないよ」
振り向いた傷の人は、今度は止まることなく、後ろ向きにゆっくり歩きながら言った。
「君達を狙う動機は簡単で、単純で、誰でも……そう、君でも持ち合わせているような、ありきたりな感情だよ」
そう言ってフードの下でニッコリ笑う傷の人。口許のホクロが動いて、「もう質問はないかな?」と言った。そして私が次の言葉を言う前にさっさと歩いて行ってしまう。
しばらくその場所に突っ立って、右手ににぎりしめたままのスマホに気がついた。慌てて耳にあてる。
「もっ、もしもし!?」
《まさか放置されるとは思わなかったよ。何かあった?》
「はい……」
私は店長にさっきの事を細かく説明した。そこで未だに左手がスパナを握っていた事に気付く。そっと離すと、手には汗が滲んでいた。
《雅美ちゃんよく生きてたね。とりあえずもうすぐ着くから待ってて》
スマホをポケットにしまってその辺をうろうろして時間を潰していると、しばらくして店長がやって来た。
「店長!どこ行ってたんですか!こんなときに!」
「ごめんごめん。で、リッ君は?」
「たぶんまだ治療室です」
さっきの人の事、瀬川君にも話さないとな。私は傷の人が去って行った方を見つめた。
「で、雅美ちゃんの言う傷の人は?」
「あっちに行きました。ナイフとか出したりはしませんでしたけど、私達を狙ってるのは確かみたいです」
店長は「ふ━━ん」と言ってしばらく考え込んだ。
「それってさっき探してるって言ってた人じゃない?」
「え゛っ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。店長の言っていることは、確かに合っている。でも私はそれを友達が探してるって嘘ついて聞いたんだ。今さら「実はそうなんです」と言ってもいいものだろうか。
私が悩んでいると、店長はポケットから無造作に折られた紙を取り出しながらこう言った。
「実はさ、雅美ちゃんに聞かれた時にそうじゃないかと思ったから、資料抜いといたんだ。この人じゃない?」
店長は折られた紙を開いて私に見せた。そこには一枚の写真が張られていて、黒いストレートの髪で、首の根もとに大きな傷がある女の子が写っていた。
「えっと……」
正直顔なんて見てないし、傷の人はピンクでクルンとカールしている髪をしていた。一目見ただけでは、別人に見える。しかし私は二人が同一人物だと確信できた。
「そうです、この人です。口の下にホクロが二つ並んでましたから」
そう答えると、店長は「やっぱり」と言って微妙な顔をした。口には出していないが、表情が「あちゃー」と言っている。
「何なんですか?この人」
「うん、この人は……」
そして一瞬黙ったあと、店長はこう言った。
「何でも屋がすっごく嫌いな人だよ」
「面倒臭がらず話して下さいよ」
そんなことくらい何となく想像はつく。私は店長から受け取った紙を眺めた。名前は花木冴(はなきさえ)。当時十二歳。という事は、今は十七歳か。
「大丈夫、重要参考人を呼んであるから。そいつに話を聞こう」
「重要参考人?」
店長の声に顔を上げ、辺りを見回す。しかし私と店長の他には、車椅子の患者さんと看護師、それから五、六歳くらいの女の子がいるだけだった。
「……で、その人はどこに居るんですか?」
「いやー、呼んだは呼んだけど、来るかどうかはわからない」
「ダメじゃないですか」
思わずため息をつく。私は紙を店長に返した。
「とりあえず瀬川君のところに行きましょう。治療室の前までですけど」
女の子の名前は花木冴。歳は十七。早くに両親を亡くし、姉と共に親戚とも呼べないような人達の元で育った。たぶん、血が繋がっているのも微妙な親戚の家じゃ、邪魔物扱いされていたんだろうな。そんな彼女の姉は五年前に亡くなった。それは、誰かが彼女を「殺してほしい」と願ったから。
私は、店長の言っていた重要参考人は神原さんだと思った。店長は何となく嫌そうな顔をしていたし、名前を出さなかったのもきっと神原さんの事が好きじゃないからだろう。
彼女の姉は五年前に亡くなった。それは、誰かが彼女を「殺してほしい」と願ったから。その人の望み通り、彼女は殺された。最も無惨な方法で。とても綺麗な最期を遂げた。
正直私も神原さんは好きじゃない。別に苦手意識があるわけじゃない。普通に会話もできる。何だろう、「みんなが嫌いだから私も嫌い」。たぶんそんな感じ。
彼女は殺された。最も無惨な方法で。とても綺麗な最期を遂げた。願ったのは彼女にとって顔も見たことないような女。殺したのは。
こんなに印象の変わる人も珍しい。「あんまりいい人じゃない」と言われた。そうなんだと思った。関わらないと決めた。でも結局、その方法がわからないままに何となくの仲良しを続けていた。
願ったのは彼女にとって顔も見たことないような女。殺したのは、神原閻魔。
神原さんの事が、本気でわからなくなった。
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