四百四病の外
「本当に、どうしたら蓮太郎さんに振り向いてもらえるのでしょう。蓮太郎さんの前では素直でおしとやかな女の子でいるはずですのに」
「そうだね……」
「いったい何が足りないというのでしょうか。子供に見られないよう大人っぽい言動に気をつけてもいますのに」
「そうだね……」
今の状況を簡潔に説明しよう。
私は荒木雅美。今日は二月七日土曜日。時刻は午後一時半。場所は何でも屋朱雀店。なぜこんな話をしているのかというと、それは花音ちゃんがいて店長がいないからだ。
神原さんが黄龍に帰って三日、ようやく普段の朱雀店の雰囲気に戻ったところに、突然花音ちゃんが押しかけてきた。どうやら片付かない仕事にストレスを爆発させ、引き止める陸男さんを振り切って店長に会いに逃げて来たらしい。
「そりゃあ家では兄弟喧嘩なんかもしますし、力がちょっと強いのも自覚してはいますけど、蓮太郎さんの前では控えめでいじらしい女でいるつもりですわよ」
「そうだね……」
「外見だって、清潔感を第一に、化粧も控えめにして、芋くさくならないように流行りのファッションだって心得ているつもりですわ」
「そうだね……」
「もしかすると、蓮太郎さんの好みが違うのでしょうか。もっと活発で、粗野な女性の方が好みなのでしょうか」
「そうだね……」
「"深夜さん"」
「そうだ……っへ?」
「雅美さん、貴女深夜さんという女性をご存知ですか?」
「深夜さんって……あの深夜さん?」
川の流れのようにとめどない花音ちゃんの言葉を「そうだね」で聞き流していたら、意外な名前が出てきて意識を引き戻される。花音ちゃんは大きな目で私をじっと見つめている。
「やっぱり知ってらしたんですのね。私も最近お兄様から聞きまして。私がどんなにアプローチしても見向きもしてくださらないのは、その女性のことが好きだからなのではありませんの!?」
「いやぁ……あの二人はそういうんじゃないと思うけど……」
「聞けばお二人はとでも仲がよいらしいじゃありませんの。本当に付き合ってはいませんの?」
「うん……たぶん……」
花音ちゃんに詰め寄られて、答えが尻窄まりになる。だがそんなことを聞かれても、実際どうなのか私にわかるはずもない。私なんかより、陸男さんを問い詰めた方が早いのではないだろうか。
訝しげな表情を浮かべて、スッと元の姿勢に戻る花音ちゃん。どうやらまだ完全に信じてはいないようだが、落ち着きは取り戻してくれたみたいだ。花音ちゃんは紅茶を一口飲んでから再び口を開いた。
「まぁ、その深夜さんという方のことはそういう事にしておくにしても、蓮太郎さんの女性のタイプが深夜さんのような方だという考えはいかがです?」
「と、いうと?」
「聞くところによると、深夜さんは私と正反対で、髪は黒のストレート、長身でスタイルが良く、大声で笑うような粗野な性格の女性だそうじゃありませんか」
「うん、まぁ……」
馬鹿力なところは花音ちゃんと同じだけどね、と私は心の中でこっそりと呟いた。
「つまり、元々私のような女が好みではないから私に振り向いてくださらないんですわよ!」
「そうかなぁ?」
「そうですわよ、絶対に!事実、深夜さんという女性には楽しげに話し、仲睦まじいらしいではありませんの!」
「それは十年来の友情とかで……」
再び花音ちゃんが身を乗り出して詰め寄ってくる。私はたじたじになりながら何とかひとつひとつ言葉を返した。
「私だって蓮太郎さんを好きになってもう九年ですわ!」
「え、そうなの!?あの、でも、年齢が近いっていうのもあるし……」
「わ、わたくしだって……蓮太郎さんを好きになってもう九年なのに……」
「か、花音ちゃん……?」
「もう、九年もずっと好きなのに……」
花音ちゃんの声が震え出したと思ったら、みるみるうちにその瞳に涙が溜まっていって、ついには瞳からポロリとこぼれ落ちた。
「ちょ、ちょっと泣かないで、ホラ、ティッシュあるから拭いて」
私は慌ててカウンターの上のティッシュを数枚引き抜くと、椅子の上でうずくまってしまった花音ちゃんの手に捩込んだ。花音ちゃんはそのティッシュで涙を拭くと、ついでにチーンと鼻水をかんだ。
「……マスカラが落ちてしまいましたわ……」
黒いマスカラがついたティッシュを見て花音ちゃんが呟いた。少し顔を上げた花音ちゃんの目元は、マスカラとアイシャドウでぐちゃぐちゃになっている。
「大丈夫?」
「情けない姿をお見せしてしまいましたわね。もう大丈夫ですわ」
まだ鼻の先が赤い花音ちゃんをなるべく見てあげないように、背を向けてカウンター横のごみ箱を手に取る。花音ちゃんにごみ箱の口を向けると、彼女は丸めたティッシュをそこに捨てた。
正直、泣くとは思っていなくてビックリしたけれど、よく考えたら花音ちゃんは私達の前ではずっと気を張って、何も考えていないふりをしていたんだと思う。もしかしたら自分の部屋で一人でいるときにこっそり涙を流したりしていたのかもしれない。
「ちょっと化粧を直してきますわ。お手洗いをお借りしてもよろしいですの?」
「あ、もちろん。場所はわかるよね?」
私がトイレの方を指さしながら答えると、花音ちゃんは少し下を向いたままお礼を言って歩いていった。カウンターには私一人だけが残される。
「はぁ……ぴゃっ!?」
ため息をついた瞬間、目の前の引き戸が開いたので変な声を出してしまった。引き戸を開けた張本人である瀬川君は私の反応を見て不思議そうな顔をする。
「あ、瀬川君おかえり。部屋にいるのかと思ってたよ」
「仕事で隣町まで行ってきたんだ」
そう答えながら瀬川君は引き戸を閉め、カウンターの横をすり抜けて行った。おそらく花音ちゃんが来ているのに気づいて、普段私に一言言ってから出かけるところを、裏口から無言で出て行ったのだろう。私が来たときには瀬川君は確かにいたし、それに今スマホを確認すると瀬川君からメッセージが来ていた。
瀬川君はそのまま真っ直ぐ進み、観葉植物の鉢の前を通り、テレビとソファーの前を通り、店の裏へと続く通路にかかったのれんをパッとめくったところで、
「ぎゃっ」
「ぶっ」
奥から出てきた花音ちゃんと激しく正面衝突した。どうやらお互い俯き気味で歩いていたらしく、目の前に人がいたことに気づかなかったらしい。
「だ、大丈夫?二人とも」
慌てて二人の方に駆け寄ると、瀬川君は鼻を押さえて突っ立っていて、花音ちゃんは尻餅をついていた。たぶん花音ちゃんの頭が瀬川君の鼻に直撃したのだろう。鼻血が出ていなくてよかった。
「花音ちゃん大丈夫?」
まだ床に座ったままの花音ちゃんに尋ねる。瀬川君は花音ちゃんがどかないと通れないので、まだその場に突っ立っていた。
「大丈夫ですわ……」
そう呟くと、花音ちゃんは勢いよく立ち上がってビシッと瀬川君に人差し指を突き付けた。
「ちょっと瀬川さん!?前から女性が来ているのですから道を空けたらいかがですの!?レディーファーストがなってませんわ!紳士の風上にもおけませんわね!」
「ちょっと花音ちゃん落ち着いて」
「もう帰ったんだと思ってたんだよ。仮にも副店長補佐の人間がこんなところで何時間も油売ってるとは思えないからね」
瀬川君がため息をつきながら冷静に言う。無表情もあいまって、刺のある言葉に聞こえる。というか、普段より刺のあるように思うのは私の気のせいだろうか。
「まっ!言い訳を並べるだなんてっ!一言くらい謝罪の言葉があってもいいんじゃありませんの!?」
「花音ちゃん、そろそろ陸男さんが迎えにくるんじゃない?今日はもう帰った方がいいよ」
「自分だって謝ってないくせによくそんな上から目線で物が言えるね。その神経の図太さ羨ましいよ」
花音ちゃんの腕をぐいぐい引っ張ってその場から動かそうとするが、さすが自他ともに認める怪力娘。全体重を乗せてもびくともしなかった。
瀬川君は瀬川君でいつになく機嫌が悪くて話しかけにくいし、とりあえず花音ちゃんに帰ってもらって瀬川君には自分の部屋に引きこもってもらうのがベストだろう。
「ホンっっっトに嫌味な方ですわね!私前から思ってたんですが、貴方のことあまり好きではありませんでしたわ!」
「花音ちゃんもう帰ろう?ね?ほら」
「こっちだって仕事を他の人に押し付けてふらふら遊びあるいてるような人に好かれたくないよ。君が仕事をしないせいで他の人がどれだけ大変な思いをしてるかわかってるの?」
「な、失礼ですわね!私はちゃんと出かける了承を得てからきてますわ!他の方々はそんな嫌味は言わずに快く送り出してくださいますわよ?」
「花音ちゃん……あの……」
「それは君の立場だから言えるんだよ。誰だって本家の人間には逆らわないでしょ。そんなこともわからないの?」
「うちでは本家も本家じゃない方も何も関係ありませんわ!そんな差別してませんの他所と違って!」
「あの……えと……」
「差別がないなんてありえるわけないでしょ馬鹿じゃないの。神経図太い上に空気も読めないんだね」
「空気読めないとか貴方にだけは言われたくありませんわ!いっつもいっつも面白くなさそうな顔なさって!ちょっとはマシな顔なさったらいかがですの!?」
「あの……二人とも……」
「元々こういう顔なんだよ。人の容姿に文句つけないでもらえるかな」
「最低限の愛想くらい持てと言っておりますの!そんなんじゃ話している方も嫌になりますわ!」
「…………」
「こっちだっていちいち上から目線でキレられたらたまったもんじゃないけどね」
「なんですって!?私が怒っているのは貴方がふざけた態度を取るからですわ!」
「…………」
「僕がいつふざけた態度を取ったの?逆ギレしてきたのはそっちでしょ」
「逆ギレって何ですの!?貴方が一言謝れば済むことだったじゃありませんか!」
「あれを逆ギレ以外に何て言えばいいのか僕にはわからないな。それにそっちだって謝らないくせに僕が謝る義理はないよ」
「女性とぶつかって先に謝るのは紳士の務めですわ!」
「紳士紳士って、ようするに自分が謝りたくないだけでしょ」
「貴方が謝ったら私だって謝ってやりますわよ!」
「僕だって君が謝ったら謝ってあげるよ」
二人はどんどんヒートアップしていって、ついには私なんていないものとなってしまった。最初こそ二人を止めようと割って入って行ったが、まるで効き目がなくそのうち完全にログアウトさせられてしまった。
あたふたと二人の喧嘩を見守っていたのも始めのうちだけで、今では冷静に花音ちゃんよく口が回るなぁとか、こんなに喋ってる瀬川君初めて見たなぁとか思いながら横に突っ立っている。
いつ終わるのかなこれなどと考えながら二人の喧嘩を見ていると、思わぬところで私に火の粉が飛んできた。二人の喧嘩はどちらが悪いかという問題で停滞しており、ついにガバッと私の方に振り返ってこう言ってきたのだ。
「雅美さんどう思います?瀬川さんが悪いに決まってますわよね?」
「どう考えたって花音さんが悪いでしょ」
「え!?いや、あの……」
「雅美さん、見てたならバシッと言ってやっていただけませんこと!?」
「荒木さん無理して花音さんの言うこと聞かなくていいから」
「いやぁ……その……」
この状況どうすればいいの!?二人は「相手の方が悪いだろ」と言いながら私の答えを待っている。ここで「喧嘩両成敗☆」とか言おうものなら確実に二人にどつかれるだろう。ああ誰か助けに来てください!神様!
「おーい花音、そろそろ帰るぞ」
その時、突然店の引き戸が開いて陸男さんが顔を出した。陸男さんの登場に途端に冷静になる花音ちゃんと瀬川君。二人は突然開いた引き戸の方を見たまま固まっていた。
誰の返事もなくカウンターも無人なことを不思議に思ったのか、陸男さんが店に入ってこちらに近づいてくる。壁際に突っ立っている私達三人を見つけて、不思議そうな顔をした。
「何してんだ?三人で」
「ああ神よ!」
「は?」
「あらお兄様遅かったですわね」
「お前のせいで仕事が山積みなんだよ!」
陸男さんは唐突の私の叫びに若干後ずさり、花音ちゃんの心ない言葉に不満を言う。陸男さんがもう一度花音ちゃんに「帰るぞ」と言うと、花音ちゃんは私と瀬川君の間をすり抜けて陸男さんの横に立った。
「それでは私は帰りますわね。雅美さん、今日はありがとうございました」
いつもと同じ言葉を言って私に微笑んだかと思うと、隣の瀬川君をキッと睨んだ。その視線を瀬川君は涼しげな顔で受け止めている。
花音ちゃんと陸男さんは自分の店へ返ってゆき、朱雀店はまた静かになった。なんとなく居心地が悪くてちらっと瀬川君を見てみると、タイミングの悪いことにバッチリと目が合ってしまった。
「瀬川君あのー……」
目が合ってしまったのだからしかたがない。何か話しかけようと思ったが、普段からほとんど会話のない私と瀬川君だ。上手い感じの言葉が出てこない。私が口ごもっていると、先に瀬川君の方が口を開いた。
「ごめんね、荒木さん。ついムキになっちゃって」
「いや、いいんだけど……」
全然よくないけど!ホントはよそでやって欲しかったけど!という本音は飲み込んで言葉を続ける。
「でも瀬川君も怒ったりするんだね。私ビックリしちゃったよ」
「ああ……うん……」
「…………」
「…………」
はい、会話終了!どうしてこうなの私達って!でもだって「ああ……うん……」しか言われなかったんだよ!?何て返したらいいの私!?
私が心の中でぶつぶつと呟いていると、またもや瀬川君が口を開いた。
「……怖かった?」
「へ?……あ、いや、別に大丈夫だよ、うん」
突然の問いにしどろもどろになってしまう。これではまるでごまかしてるみたいな態度じゃないか。不安になってこっそり瀬川君の表情を伺ってみるが、普段通りの無表情なので何も読み取れなかった。
相変わらず重たい空気に私がついため息をついてしまいそうになった時、再び店の引き戸がガラガラと開いた。振り返ると、コンビニ袋を手にぶら下げた店長がこちらに近づいてくるところだった。
「あれ?リッ君もいるじゃん。何してんの二人で」
何をするでもなく突っ立っている私達を見て、店長が不思議そうな顔をする。瀬川君の目の前であれを説明するのも気が進まないので、私は「いえ……まぁ……」と言葉を濁した。
店長の興味はすでに逸れているようで、彼は私にコンビニ袋を渡すとソファーに座ってテレビをつけた。コンビニ袋の中を覗くとほかほかのおでんが入っていた。温かいうちにいただくとしよう。
私がコンビニ袋の中身を確認している間に、瀬川君は店長に軽く今日の仕事の報告をしていた。帰っきた時に隣町に行っていたと言っていたから、たぶんその話だろう。
瀬川君はもの三十秒で報告を終え、店長の「うん、ありがと。お疲れ」という言葉を聞くや自分の部屋へ戻って行った。これから報告書でも書くのだろうか。
私は一人掛けのソファーに座って、袋に入っていた割り箸を割ながら店長に話しかけた。
「そういえば今日花音ちゃんが来ましたよ」
「うん、知ってる」
やっぱりか、と思いながら私は熱々の大根を口に運んだ。いつもいつも花音ちゃんが来るのを予知しているかのような神タイミングで出かけるから、大方陸男さんあたりから情報を得ているんだと思っていたが。
「たまには花音ちゃんの相手してあげて下さいよ。いつも私がどんなに大変かわかってるんですか?」
「どうせ"そうだね"で流してるくせに」
「なんで知ってるんですか……」
途端にまずくなった大根を飲み込みながら反論する。
「でも花音ちゃんかわいそうじゃないですか。いつもいつもそんな冷たくされたら」
「何、雅美ちゃん花音の肩持つの?」
「そういうわけじゃないですけど、私じゃなくても応援したくなりますよ」
「いいんだよ花音にはあれで」
その投げやりな言い方に少しムッとする。花音ちゃんの乙女心をいったい何だと思ってるんだ。私は口の中でモサモサしていた卵の黄身をお茶で流し込んで言う。
「よくないですよ。あーあ、花音ちゃんがかわいそうだなぁー。あんなに一生懸命なのになぁー」
「いいの。花音のあれは刷り込みみたいなものなんだから」
「刷り込みってなんですか?」
「インプリンティング」
「知ってますよそんなことは!」
あんな涙を見せられたら花音ちゃんの味方をせざるを得ない。今日は真剣な話をしようかと思っていたのに、茶化されるとついつい全力でツッコミを入れてしまった。私が「しまった!」と思っているうちに店長は立ち上がってさっさと店の裏に消えようとしていた。
「ちょっとどこ行くんですか!」
「トイレ」
話はまだ終わっていないとばかりに引き留めようとするが、店長は話の続きなどお構いなしに店の裏へ去ってしまった。あとには私とつけっぱなしのテレビ、そして冷めはじめたおでんだけが残された。
私は表面だけ冷たくなったちくわに噛み付くと、心の中で愚痴り始めた。まったく、腐った大人は危なくなるとすぐ逃げる!だいたい店長はいっつも真面目に話しないし、たいてい説明不足だし!私が真面目に話し合おうとしているのが馬鹿らしいじゃないか!
おでんを掻き込んでお茶で流し込み、バチンと叩きつけるように箸を置く。ふとテレビを見ると国会議員が不正をしたか何かで記者達に平謝りしていて、私は「これだからダメな大人は!」と唾を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます