知りたくないわけじゃないけど4
「ありがとうございます、本当にありがとうございますっ」
その日の昼過ぎ、再び出勤した私は槙島さんのそんな言葉を、カウンターに座って聞いていた。槙島さんは何度もお礼を言って帰って行った。
「さて、槙島さんも帰ったし、閻魔も黄龍に帰ったら?」
相変わらずソファーに座っている店長は、槙島さんが帰るなり振り返ってそう言った。振り返っても壁に隠れてカウンターは見えないのだが、おそらく店長は、今日も私の隣に座っている神原さんを見ているのだろう。神原さんは口だけ笑って答えた。
「そないに邪険にせんでもええやないですか。上から指示もらったらすぐ帰りますやん」
店長から神原さんが見えないということは、もちろん神原さんからも店長は見えない。神原さんは店長の答えを待っているようだ。手持ち無沙汰に自分の渋い赤色の髪の先を指で弄っていた。
「もう僕を見張る必要もないでしょ。人口密度高いと鬱陶しいから昼ご飯でも買って来てよ」
神原さんの髪を弄る手が止まった。一瞬の沈黙の後、「何を買うてこればええんですか」と呟いた。そしておそらく笑みを浮かべているであろう店長は、もちろんこう言った。
「近江牛コロッケ弁当。隣町のね」
内心「やっぱり」と思いつつ、神原さんの反応を盗み見る。そこには先程の笑みはなく、何の表情も浮かんでいなかった。神原さんは自分の傷んだ毛先を眺めていたが、やがて「仕方あらへんなぁ」と言って立ち上がった。
「本当にそのコロッケ弁当が好きみたいですので、しゃあなしボクが買うてきますわ」
それから私の方を見て、「雅美ちゃんは何がええ?」と尋ねる神原さん。私は一瞬何の事を聞かれているのかわからなかったが、すぐに昼ご飯のことだと気づいて「店長と同じので」と答えておいた。
「ほな行って来ますわ」
「そのまま帰って来なくていいよ」
「御冗談を」と言いながら引き戸の向こうに消える神原さん。壁にかかった時計を見たら、もう一時半だった。
「さて雅美ちゃん」
店長がソファーから立ち上がったのが気配でわかる。私が来客用のソファーの方を覗き込むのと同時に、店長がこちらを振り返った。
「何が食べたい?」
「……今神原さんがコロッケ弁当買いに行った所なんですけど」
一応そう言うと、店長は当たり前のように「だって今から作らないと昼の時間に間に合わないじゃん」と答えた。いや、コロッケ弁当を買いに行かせといて食べないのなんて、もうわかりきっていたけどさ。この二人の関係って、本当にわからない。
「リッ君にも聞いて来ようか」
「何でもいいって言うに決まってますよ。それより神原さんが買いに行ったコロッケ弁当はどうするんですか?」
すると店長は驚きと呆れの混じった声で答えた。
「雅美ちゃん、それ食べるつもりだったの?一日トイレから出れなくなるよ」
「どういう意味ですか?」
「閻魔のことだから腹いせに下剤くらい盛るでしょ。まぁ、トイレとお友達になりたいって言うんだったら、それでもいいと思うけど」
買ってきた弁当に下剤を盛る神原さんも神原さんだが、まだ決まった訳じゃないそれを疑わない店長も店長だ。私は店長が再度繰り返した問いに「中華丼が食べたいです」と答え、台所に向かう店長を見届けた。
食事中に聞いた話だが、店舗間で依頼のやり取りをするのは、本当は正当な手順を踏まなければならないそうだ。お兄さんは真面目だから全然そんな不正を行いそうにないのだが、さすがブラコn……弟想いのお兄さんですこと。店長の為なら何でもできるらしい。
何かしらの依頼を熟して、仕事をしている姿を見てもらわないと、神原さんは帰ってくれない。そのため、白虎店に掛け合って手頃な依頼を譲ってもらったらしい。
「だから他の人にその事言わないでね」と釘を刺されながら、うずらの卵ぬきの中華丼を咀嚼していた。
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