知りたくないわけじゃないけど
「ほんまに仕事来ぉへんのな」
「だから来ないって言ってるじゃないですか」
「ボクそろそろ黄龍が恋しいわ」
「別に帰ってくれても構いませんけど」
「……雅美ちゃんだんだん厳しなってへん?」
私は「気のせいですよ」と返してカウンターから立ち上がった。ひとつファイルの整理が終わったから、次のファイルを取りに行くことにする。相変わらず隣で邪魔をする神原さんを押しのけてカウンターから出る。本棚の真ん中あたりの段に持っていたファイルを片付けた。
「だんだんキレイになってきましたね」
「ボク最近来たばっかしやからそんな変化わからんわ」
私は神原さんの返事を無視して本棚を見上げた。どうせ私の独り言だったし。こうして見てみると、ファイル整理を始めた頃よりだいぶ整頓されているような気がする。まぁ、まだまだ一部分だけだけど。この本棚に埋まるファイルを、いつか全部整理するのが今の私のささやかな夢です。なんちゃって。
「でも毎日毎日ファイル整理て……ほんまに暇やなーこの店」
神原さんは大きなあくびをしつつ言った。最近神原さんが隣にいるのに慣れてしまっているような気がする。そりゃ相変わらず鬱陶しいのは鬱陶しいけど。今日は店長はいないし……。本来なら神原さんは店長についていくべきなんじゃないの?私の見張り係じゃあるまいし。
「そういえば、店長はんどこ行かはったん?」
「知りませんよ。でも神原さんが来てから勝手にどっか行くなんて初めてですよね」
店長も神原さんの呪縛にたえられなくなったのかな。もともとあんまり店にいない人だったし、そろそろ我慢の限界だったのかも。でも、もしこんな時にお客さんでも来たりしたら……。私が若干不安になった時、店の引き戸が控えめに開いた。
「すみません……依頼があって来たんですけど……」
引き戸を開けたのは二十代前半くらいの女の人。髪をサイドでまとめて、ピッタリしたスーツを着ている。
「い、いらっしゃいませ」
ど、どうしよう、こんな肝心な時に限って店長がいない!まさに今考えた不安が、こんなに早く的中してしまうだなんて!とりあえず女性をソファーに案内して、お茶を淹れるべく台所へ飛び込んだ。片手で手早くお茶を淹れながら、もう片方の手で店長に電話をかける。数回コールした後、店長が電話に出た。
《もしもし?》
「店長!どこで何やってるんですか!お客さん来ちゃったんですけど!」
紅茶のティーバックを流しに投げ捨てる。スマホで電話しながらお盆を用意して、ティーカップと砂糖を乗せた。
《それってどんなお客さん?》
「二十代くらいの女の人です。ちょっと茶髪で、スーツを着てます」
《その人、槙島紗耶香って人じゃない?》
「名前はまだ聞いてませんけど……」
まさかまた仕事関係の人?でもさっき依頼があるって言ってたし……。そして店長は、とてつもなく店長らしい事をさらりと言ってのけた。
《その人僕が呼んだの。いい加減依頼人来ないと閻魔が帰ってくれないからさ》
それはそうだけども。確かに私も、早く神原さん帰らないかな~と思ってたけども。まさかお客さんを偽造するだなんて。じゃああの女の人は店長の知り合い……ということでいいのか……。
「雅美ちゃん、お客さん待ってはんで?」
「ぎゃあ!」
突然現れた神原さんに、変な悲鳴を上げて飛び上がる私。振り返ると、神原さんが首だけ出してこちらを覗いていた。スマホの向こう側から《どうしたの?》という声が聞こえる。
「す、すぐ行きますからっ」
私は神原さんを店の方へ押し返し、次にスマホに「とにかく早く帰ってきてくださいよ!」と言って通話終了ボタンを押した。スマホをポケットにしまって代わりにお盆を持つ。店に戻ると、お客さんの女性はキレイな姿勢でソファーに座ったまま待っていた。
「すみません、遅くなってしまって」
私は女性の前にティーカップと砂糖の入った小ビンを置く。女性は「ありがとうございます」と微笑んだ。さて、店長が来るまで私が話を聞かなければならない。神原さんは本気で何もするつもりが無いようだし。私はカウンターからこちらを覗いている神原さんを一睨みして、女性に向き直った。
「それで、ご依頼というのはどういうものなんですか?」
「あ、はい、あの……」
女性は一度口を閉じて、それから確かめるように言った。
「ここって、ホントに何でもしてくれるんですか?」
「ええまぁ。現実的に不可能な事じゃなければ」
こういう質問はたまにされる。まぁ、ものすごく不確定要素が多いしね。私の答えを聞いて女性は多少は安心したようだ。今度こそ本題に入ろうと口を開いたとき、ガラガラと音を立てて引き戸が開いた。
「ごめんごめん、ちょっとにぃぽんの所行ってて」
そう言って店に入ってきたのは、右手に白い紙袋を提げた店長だった。カウンターの神原さんを無視してこちらに近づいてくる。
「早かったですね」
私は店長の分のお茶を淹れるために立ち上がった。結局女性に詳しく話を聞く前に、店長が帰って来ちゃったな。
「まぁね。雅美ちゃんこれ、中にお菓子入ってるからお茶と一緒に持ってきて」
私は「はい」と返事をして、店長が差し出した白い紙袋を受け取った。そのまま台所へ向かい、お盆の上にティーカップを一つ用意する。それから紙袋の中を覗いて、私は「あれっ?」と間抜けな声をもらしてしまった。紙袋の中にはお菓子などなく、クリアファイルと数枚の紙が入っていた。
私は迷ったが、紙袋の中からファイルを出して中を見てみた。店長が私にこれをわたしたということは、別に私に見られてもいいものなんだと思う。それにあのタイミングでわたしたって事は、むしろ見ろという事なのではないか?
クリアファイルの中に入っていた数枚の資料を読んで、私は自分の考えは正しかったと思った。資料には、さっきの女の人の写真と槙島紗耶香という名前、それから依頼内容が書かれていた。というか、この写真明らか隠し撮りされたものなんだけど……。この場所は、白虎店の出入口かな?まさかあそこに監視カメラがあるとか……?
「ん?」
私は資料の右下に視線を落とした。そこには、あからさまに「極秘」というハンコが押されていた。
「…………」
これ、ホントに私が見てもよかったのかな。資料は二、三枚しかない上、たいした量も書かれていない。私は店長のお茶を放置して資料を読み進めることにした。
資料によると、槙島さんの依頼は自分の勤める会社の社長に、社内に落とした指輪を取られてしまったらしい。どうしてそのような状況になってしまったのかは書かれていないが、拾われた相手が社長なので「返して」とも言えないようだ。社長も落とし物として扱うつもりは全くないらしく、まるで自分のもののように持っているらしい。指輪には高価な宝石がついているためだろう。私はファイルの中に入っていた、青い宝石のついた指輪を確認した。
しかし何ていう社長だ。そりゃ誰が落としたかなんてわからないけど、自分の物にしてしまうのは絶対にいけない。普通に泥棒じゃないか。
私は資料を紙袋に戻し、ティーカップに紅茶を淹れて戸棚から適当なお菓子を取った。紙袋をどこに置こうか迷ったが、戸棚に突っ込んでおくことにした。これをあのタイミングでわたしたってことは、たぶん神原さんに見られたくなかったからだろうし。それに今来たばかりのお客さんの依頼内容が書かれているっていうのは明らかにおかしい。店長はさっきお兄さんの所に行っていたって言ってたから、多分白虎店から譲ってもらった仕事なんだろう。
「あっ」
戸棚に紙袋を詰め込んでいたが、紙袋の中からペラリと紙が落ちてしまった。そういえば、クリアファイルの他にもう一枚紙が入っていたな。私は床に落ちた紙を広い上げた。
【蓮太郎へ。槙島さんにはもう一度始めから説明するよう頼んでおいた。神原には気をつけて】
誰から、とは書いてないけど、たぶんお兄さんからなんだろうなぁ。几帳面さが滲み出る端正な字が並んでいる。それにしても【神原には気をつけて】か。お兄さんも神原さんのこと好きじゃないのかな。私は拾った紙も紙袋に突っ込んで戸棚を閉めた。私だって好きじゃないけどね。
店に戻ると、店長は相変わらずの態度て槙島さんから話を聞いていた。
「店長、お茶です」
「遅かったね」
そりゃそうですとも。資料をじっくり読んでましたからね。顔を上げると、カウンターの神原さんと目が合った。
「にっしーから電話がありまして。別に店長だからいいかな、と思ってちょっと話してました」
そう答えて、神原さんに背中を向けるようにさりげなく座る。まぁ、この席はもともと私がよく座っている席だしね。違和感はないと思う。私の出現に話を止めた槙島さんに、店長は「続きをどうぞ」と先を促した。
「はい……、それで、あわててエレベーターの前に戻ったら、もう社長が指輪を拾っていて……。秘書の方とか沢山いたし、私のですって言い出せなかったんです……。宝石なんてどうでもいいんです、ただ、あれは母の形見だから……」
言葉の最後には少し涙目になる槙島さん。母の形見か……。でも、落としたのが宝石付きの指輪なだけに、今さら「私の指輪です」とは言えない雰囲気らしい。聞いていると、社長は相当がめつい人みたいだし、「そんな嘘が通じるか」と言われたら槙島さんの立場の方が危うくなる。なんとか助けてあげたいな……。
「了解、じゃあここに槙島さんの名前と住所、あと会社の名前とその住所も書いて」
槙島さんは店長が差し出した紙とペンを受け取って、綺麗な字をサラサラと書き始めた。
株式会社「ロミオ」か……。聞いたことのない会社だけど、さっき読んだ資料によると、パソコンを開発する小さな会社らしい。会社の売上は、この不況時にボーナスが出るくらいだからそこそこは良いんだろう。
そんな会社を、社長の自己中で槙島さんがクビになったりしたら可哀相だ。聞いている感じ、「そんな嘘をつく社員はクビだ」とか普通に言いそうな社長さんだもんね。
その後しばらく話をして、槙島さんは帰って行った。槙島さんの話をまとめると、一ヶ月ほど前にエレベーターを降りた時、社長にぶつかってしまったそうだ。そこで肌身離さず持っているお母さんの形見の指輪を落としてしまったらしい。すぐに気づいたものの、時すでに遅く、指輪は社長に拾われて、社長も返すつもりはさらさら無いらしい。
その後社長は、槙島さんの指輪を社長室で他の会社の人と交渉するときなどに指にはめているらしい。これは槙島さん本人が見たわけではなく、他の人からの情報だそうだ。形見の指輪についている宝石はかなり高価な物で、社長も他の会社から来た人などに自慢しているそうだ。
「槙島さんの話だと、指輪は十中八九社長室にあるらしい。というか、社長は社長室の金庫に宝石類をしまってるんだって」
「じゃあ社長室に忍び込んで指輪を取り返せばいいんですね」
「そういうこと。ただ、指輪だけ取ったら槙島さんの仕業だってバレちゃうかもしれないから、他の宝石も取ってきてね」
私は「そうですか」と返そうとして、口を閉じた。危うく聞き流すところだったが、それってつまり、
「つまり私が忍び込むって事ですか」
「当たり前じゃん。他に誰が行くっていうの」
私の身の安全だけ確保してくれれば、もう何も言いませんよ。ただ警察に連行とかは絶対にイヤですからね。
店長は「また明日リッ君と三人で話し合おう」と言って、さっさと店の裏へ引っ込んで行った。仕方ないからティーカップを片付けた後カウンターに戻ると、神原さんが「待ってました」とばかりに微笑んだ。言っておきますけど貴方は仲間に入れてあげませんからね。
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