四神集結




「ねぇ雅美さん」

「なに?」

「押してダメだから引いてみようかと思うんですが、どう思います?」

今日は一月二十四日。ちなみに土曜日。場所は相変わらず何でも屋朱雀店のカウンター。何故ここでこんな話をしているのかと言うと、それはもちろん花音ちゃんが居て店長が居ないからだ。

「うん……、あのさ、それって誰から聞いたの?」

猪突猛進形の花音ちゃんが自分でそこに辿り着いたとは思えない。誰だ、花音ちゃんにそんな店長が喜ぶようなことを吹き込んだのは。

「来夢ですわ」

「それって、確か妹さん?」

花音ちゃんはコクリと頷いた。ふわふわにパーマをあてた茶髪がかすかに揺れる。

「前から気になってたんだけど、妹さんっていくつ?」

「高一ですわ」

高校一年生ということは、花音ちゃんの二つ年下だ。花音ちゃんの妹って、どんな子なんだろう。そう考えた直後、でも花音ちゃんの妹だしなぁと思い直す。いや、陸男さんに似てる可能性もあるか。

「来夢は頭がいいんですの。それに物静かな文学少女ですわ。絵を描くのも得意ですし。なぜ私達の妹なのかわからないくらい私達に似ていませんの」

物静かな文学少女?花音ちゃんの口から聞かされるとちょっと信じられない。でも自分で似てないと言うくらいだから、相当似ていないのだろうな。

「来夢の事はどうでもいいんですの。今は押してダメなら引いてみようの話ですわ」

「ああ、うん」

生返事をしつつ私は考えた。花音ちゃんの為には正直に言ってあげたた方がいいだろうか。店長からしたら残念な事だけれど、いつもと変わらない生活が待っているだけだし。

「うーんと、花音ちゃんは今のままの方がいいんじゃないかな。地道に頑張れば……」

もしかしたらもしかしなくもなくもないかもしれなくもなくもなかったりするかもしれなくもなくもない。自分でも言っててどっちかわからなくなった。

「それにそろそろ陸男さんが迎えに来る頃じゃない?」

私は時計を見た。何度も経験しているからわかる。そろそろ陸男さんが引き戸を開けて「花音帰ってこい」と怒鳴る頃合だ。

私がそう言ったとき、ちょうど店の引き戸が開いた。

「あ、ほら……」

私はそこに陸男さんがいるのを想像して目を向けたが、立っていたのは中学生くらいの女の子だった。少しだけ茶色がかった髪を肩上で切りそろえて、制服であろうオレンジ味の強いブレザーとプリーツスカートを着用している。

「あっ、いらっしゃいませ……」

しまった、お客さんだった。私は慌てて身体を女の子の方に向け直そうとしたが、隣で花音ちゃんが驚いたようにこう言ったので思わず動きを止めた。

「えっ、どうして来夢が来るんですの?」

私は驚いて、つい女の子の顔を凝視する。似てない。いや、目元のキツさは少し似ているかも?

「お姉がサボるから店長手が離せない」

ガン見する私に構わず、妹の来夢ちゃんはそう答えた。

なるほど、陸男さんが忙しいから代わりに妹さんが呼び戻しに来たというわけか。それにしても実の兄のことを「店長」と呼ぶのか。きっと彼女も玄武店で仕事をしているのだろうし、案外そういうものなのだろうか。

「それは悪かったですわね、すぐに帰りますわ」

店長がいない時の花音ちゃんは、実に素直に玄武店へ帰る。花音ちゃんはさっさと荷物をまとめると立ち上がった。

「では雅美さん、私今日はこれで帰りますわね」

「うん、また」

花音ちゃんはしとやかに手を振って店を出て行った。私も手を振り返しながら、引き戸が閉まるまで見送る。

「…………」

「…………」

「……あれ?」

何でこの子まだいるの?私の目の前には、来夢ちゃんが来た時のままの表情、姿勢で立っていた。

「あのー……、お姉さん帰ったよ?」

いや、そもそも何故花音ちゃんは一人で帰った?妹を置き忘れてるってどういうことだろうか。

心の中でツッコミを入れていると、来夢ちゃんはスッと視線を店の奥へと動かした。つられて私も振り返る。

「…………」

「…………」

何を見ているのだろうか。まるで何もないところを凝視する猫みたいだ。私は少しビビりながら、しばらく彼女の視線の先を見てみたが、特に何も起きない。き、聞いてみよう……かな……。

来夢ちゃんの方に向き直り、口を開こうとしたその時、

「何でばれるかなぁー。来夢って超能力でも持ってるんじゃない?」

家族以外では一番聞いてるんじゃないかというその声と共に、店の奥からなんと店長が出てきた。私は思わず椅子から立ち上がる。

「店長!帰ってたんですか?」

いつの間に帰っていたのだろう。車の音も全然しなかった。いや、歩いて出掛けていたのか。

「うん、まぁ。あとさ雅美ちゃん、ダメじゃん。引いてみようって言われたら全力で引けってアドバイスしないと」

しまった、そこも聞かれてたか。花音ちゃんに味方したことがバレて、私はばつの悪さを表情に出した。店長はたぶんそんなことちっとも気にしていなくて、それ以上特に責もせず、私と来夢ちゃんの方に歩み寄ってきた。

「久しぶり」

まだ同じ場所に突っ立ったままの来夢ちゃんに挨拶をする店長だったが、来夢ちゃんはペコリと小さく頭を下げただけだった。その顔には何の表情も浮かんでいない。表情筋の使用頻度の低さに、私は瀬川君の顔を思い浮かべた。彼と兄妹だと言われたほうがしっくりくるかもしれない。

「あとありがとう」

続けて、何故かお礼を言う店長。来夢ちゃんは高校一年生にしては酷く落ち着いた声で「別に」と呟いた。

「お姉のせいで困ってるみたいだったから手を貸しただけ。……まぁ、そこのお姉さんのせいで台なしになったけれど」

そこでようやく、チラリとだが私に視線を向ける来夢ちゃん。そういう事だったのか。私は先ほどよりも一層ばつが悪く目を泳がせた。

来夢ちゃんは、花音ちゃんを店長から引き離そうと思って、わざと「押してダメなら引いてみろ」なんてアドバイスをしたのだ。彼女の言葉の通り、私がそれを台無しにした。それにしても、彼女は姉の味方ではないらしい。

「まぁしょうがないよ。だって雅美ちゃんだもん」

「どういう意味ですか!」

店長に全力で言い返した所で、来夢ちゃんが呟いた。

「来た」

何が?と聞こうとして、店長に「ごめんどいて!」と言われて反射で身を引く。見ると、店長はカウンターの下に滑り込んで身を隠したところだった。と、そこに、バタバタと騒々しい足音と、引き戸が開く音が耳に飛び込んでくる。

「来夢を忘れていましたわッ!」

出ていく時とは裏腹に、スパンと思い切り引き戸を開けた彼女ちゃんが、息を切らして立っていた。本当に忘れてたんだ……。おしとやかさを気取ることに夢中で気付かなかったのだろうか。

来夢ちゃんは相変わらず温度のない瞳で花音ちゃんを見ている。やっぱり瀬川君並の無表情だ。並べたら面白いだろう。

花音ちゃんは店に一歩踏み込むなり、ハッと目を開き固まった。

「れ、蓮太郎さんの気配がしますわ……!」

その反応に私は薄っすらと腕に鳥肌が立つのを感じた。いやいや怖すぎるだろう、気配とか察知しちゃうの。とにかく、店長は隠れているし否定しなければ。これでさっきの台無しはチャラにしてくださいね!

「でも店長まだ帰ってきてないよ?」

シレッと言ってみる。花音ちゃんは「本当ですの?」と言って来夢ちゃんに視線を向けた。来夢ちゃんも私の大根演技に合わせてコクリと頷く。しかし花音ちゃんは、自分の店長感知センサーに絶対の自信を持っているようで、さらに来夢ちゃんを問い詰めた。

「本当に本当ですの?」

「お姉、わたしがお姉に嘘ついたことある?」

来夢ちゃんはバッチリと花音ちゃんの目を見てそう言った。瞬きひとつしない。

「ないですわっ」

花音ちゃんはあっさりと来夢ちゃんの嘘を信じ、自分の店長感知センサーの性能を嘆いた。

「私、もっと蓮太郎さんを好きにならなければならないようですわね……」

いや、もう十分だと思いますよ。私がそれを口に出せないうちに、花音ちゃんは「愛が足りませんわ……愛が」と呟いてくるりと背中を向けた。

花音ちゃんは今度こそ来夢ちゃんを連れて帰って店を出ていった。来夢ちゃんも来夢ちゃんで、引き戸を閉める際にペコリと小さく頭を下げただけだった。先ほど店長にしたのと同じように。

「……行きましたよ」

カウンターに向かってそう言うと、隠れていた店長が顔を出した。その長身では、カウンターの下はさぞかし居心地が悪かっただろう。

「ていうか何なんですかあの子。めちゃくちゃ予想外なんですけど」

「あれが陸男が溺愛してる妹だよ」

膝を払いながら言う店長の言葉に、私は何とも言えない気持ちになって、ただ眉を寄せた。



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