生きる喜びとは主役を演じることを意味しない2




翌日。今日は休日で大学も休みなので、私は朝からバイトへ向かっていた。しかし、バイトに行く途中の道でまさかの人に出くわす。

「…………」

「…………」

相手も私に気がついて、バッチリ目が合ってしまった。それからあからさまに目を逸らす、どー君こと兵藤弟。朱雀店まであと五分歩けば到着するという所で、私は一昨日会った兵藤姉弟の弟に再び出くわしてしまった。

というより、何故まだこの街にいるんだろう。何でも屋は店毎に担当地区が決められており、その範囲外へ赴く時は理由があるはずだと認識しているが。しかも今日は彼一人である。

彼に倣って私も目を逸らし、お互い素知らぬふりですれ違おうとした瞬間、

カツン、ころころころころ、こんっ。

私の靴のつま先に、兵藤弟の落としたスマートフォンが当たった。

「…………」

「…………」

どうやら私とすれ違う時、視線を私へ向けないようにするのに使おうとして、ポケットからスマホを取り出したらしい。それを落としてしまって、少し坂になっているこの道をスルリと滑って私のつま先に当たったようだ。私達の間に沈黙が流れる。

「…………」

私は黙ってスマホを拾い上げた。躊躇いながら近づいてきた兵藤弟にそれを差し出す。

「……どうも」

「いえ……」

何だか気まずくなって、私は一生懸命言葉を探した。そして出てきた言葉がこれだ。

「きょ、今日は、お姉さんは……?」

しかし私はこの言葉は失敗だったとすぐに気がついた。兵藤弟は「は?」と言って、明らかに機嫌悪く私を睨みつける。

「何でお前に姉ちゃんの事言わなきゃなんねーんだよ」

「いやー、どうしてるかなー、と」

「姉ちゃんはな、純粋で素直でかわいいから、お前みたいな不真面目な奴にも優しくしちまうんだよ!お前は姉ちゃんに近づくな!姉ちゃんが汚れる!」

「は?」

今度は私がその一文字を口にする番だった。何か今、聞き捨てならない事をおっしゃりましたね。

「私のどこが不真面目に見えるの!?店長じゃあるまいし!」

「不真面目だろうが!店員少ねーのに自分だけさっさと家に帰るとか!姉ちゃんに悪影響なんだよ!」

「あ、あれは用事があったから!普段は一日中店にいるし!」

「用事のわりには暇ッそーに歩いてたじゃねーか!」

「もう済ませて帰ろうとしてた所なの!」

「どっちにしろ不真面目な奴は姉ちゃんに近づくな!」

「だから不真面目じゃないって!ていうか、髪なんか染めてそっちこそ不真面目なんじゃないの!?」

「こ、これは姉ちゃんが似合うって言うから……」

そこで頬を赤らめる兵藤弟。ホンットにお姉さん大好きなんだな!

「じゃあ唯我さんに死ねって言われたら死ぬの?」

「姉ちゃんは絶対そんなこと言わねぇ!……が、そう言われたんなら死ぬしかねぇ」

「頭大丈夫?」

「だから姉ちゃんはそんなこと絶対言わねーんだって!誰かさんと違ってな!」

「誰かさんって誰?名前言ってくれないとわからないから」

「お前の名前なんて知るかよ!」

そう言われれば、私も兵藤弟の名前を知らない。唯我さんからどー君って呼ばれてる事は知っているけれど。

「そういえば、君名前何て言うの?」

「何でお前に教えなくちゃなんねーんだよ!」

「同業者でしょっ!」

「不真面目な奴とは同業者じゃねぇ!」

「まだ言う!?どう考えてもそっちの方が不真面目じゃん!見た目からして!」

「見た目で人間決めんじゃねぇ!」

「そっちこそ一言話しただけで人間決め付けてるじゃん!」

肩で息をして口喧嘩する私達。幸い、寒いためか通行人はほとんどいなかった。

「だいたい、年上に向かって敬語も使えないのは不真面目の証拠なんじゃないの!?」

「お前に敬語を使う価値がないだけだ!俺は不真面目には敬語なんて使わねぇ!」

「だから不真面目じゃないって!何回言えばわかるの!?それって不真面目だから理解できないんじゃないの!?」

「ああ!?お前こそ不真面目のくせに不真面目じゃないとか、不真面目だから自分の言ってる事理解できてねーんじゃねぇのか!?」

「ややこし!もうちょっと分かりやすく喋ろうよ!」

寒空の下で睨み合う私達。この、小生意気なクソガキめ~、私のどこをどう見たら不真面目だと思えるのだろうか。再びバトルをおっ始めようと、私が口を開きかけたその時、

「こんな所で何やってんの?」

第三者の声が私達の間に割り込んできた。見ると、ブラウンの優しい色のダッフルコートを着込んでマフラーをぐるぐるに巻いた、金髪の男の子が立っていた。身長は瀬川君より五センチほど低いくらいだろうか。年は高校生くらいだ。クリっとした瞳に、少し大きめの上着も相まって、可愛らしい雰囲気である。

だか何にせよ、全く知らない赤の他人だ。私は兵藤弟に視線を向けた。

知り合い?とアイコンタクトを投げ付けると、お前の知り合いじゃねーのかよ、と返ってくる。

私は知らないよ。あなたのじゃないの?と返事をする。が、彼は、俺も知らねー、と言った。

一瞬にして目と目で会話する私達。どちらの知り合いでもないと分かると、兵藤弟は男の子に向き直ってこう言った。

「つか、あんた誰?」

遠慮も何もない言葉遣いである。やっぱり君、敬語使えないでしょう。そして不躾に何者かと問われた男の子は、特に表情を変えずにこう答えた。

「いや、馬鹿みたいに言い合いしてる二人がいたから、どれくらい馬鹿なのかなーと思って声かけてみたんだけど」

何なんだこの店長を小さくしたようなムカつくボーイは。

「何なんだこのお前んとこの店長を小さくしたようなムカつくガキは」

「ははは……」

兵藤弟と全く同じ事を考えてしまった。兵藤弟はこっそりと私に耳打ちしたつもりたが、目の前の男の子にも聞こえていただろう。しかし男の子の表情が変わることはなかった。

「それで、実際二人はどれくらい馬鹿なの?どっちの方が馬鹿なの?」

「馬鹿じゃねぇし!馬鹿っつった方が馬鹿なんだよ、小学生のとき先生に教わんなかったのか!」

「あのね、冗談でも人に馬鹿なんて言っちゃダメなんだよ」

当たり前のように突っ掛かる兵藤弟と、こめかみをピクピクいわせながらなるべく優しく諭す私。しかしやはり、男の子の表情は変わらなかった。

「う〜ん。まずそっちの君の方だけど、君教師の言ったこと全部鵜呑みにしてるの?大人なんてみんな綺麗事言ってるに決まってるじゃん。それから、そっちの君に聞くけど、じゃぁ君は今までの人生の中で一度も人に馬鹿って言った事ないの?もしあるんだったら、君に僕を注意する資格はないと思うよ」

私は反射的に隣の顔を見た。そこには、何こいつすっげームカつくんだけど!と書いてあった。全くの同感である。

こんな道で声をかけられただけの関係でここまで馬鹿にされて、私だってちょっとキレかけなのである。大人だからキレないだけで、もちろん腹は立っている。何故私の周りには小生意気な高校生がこんなに湧いているのか。

「あと……」

「「まだ何か!?」」

男の子はここでようやく表情を変えた。少し不満そうだ。

「多分この場で僕が一番年上だと思うんだけど、子供扱いは止めてくれないかな」

私達は一度男の子を頭のてっぺんからつま先まで凝視し、顔を見合わせた。それからもう一度男の子を見て尋ねる。

「……いくつ?」

「二十一」

一年前まで高校生だった私でもちゃんと大学生に見られることの方が多いのに。この子……、いや、この人もう二十一歳だったのか。低身長と童顔のせいで完全に年しただと思っていた。そうやって男の子を観察していると、今度は女の子の声が割り込んできた。

「ちょっとチョコレート!あんた何してんのよ!」

坂の向こうから駆け寄ってきた女の子は、男の子の隣に並ぶと息を切らしながら彼を睨みつけた。手には大量の買物袋をぶら下げている。

「なんかこの二人が困ってたみたいだったから」

そう言って私達を指差す男の子。女の子は「そうなの?」とこちらに目を向けた。

「違ぇよ!こいつが勝手に絡んできたんだ!」

兵藤弟も負けじと指を突き付け返す。女の子は今度は男の子に「そうなの?」と聞いた。男の子はあっさりと「うん」と答える。女の子はため息をついた。

「この馬鹿が迷惑かけてごめんね。もう連れて帰るから」

「えー、せっかくだからどっか寄ってから帰ろうよ」

「私の両手を見たら分かるでしょ!?少しは荷物持つとかしたらどうなのよ!」

買物袋をガサガサ鳴らしてキレる女の子。「帰るわよ!」と怒鳴るとさっさと歩き出した。男の子は一度私達の方を振り返って、「そこの家の人がずっと観察してたよ」と指差して女の子について行った。すぐそばの家の二階の窓を見上げると、シャッとカーテンが閉まった所だった。

どうやら私と兵藤弟は、つい外の様子を見てしまう程かなりうるさく喧嘩をしていたようだ。それに気付いて、サッと頬が熱くなったのがわかる。隣を見ると、彼の顔も赤くなっていた。



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