生きる喜びとは主役を演じることを意味しない




「おっそ」

「…………」

「おッッそ」

「遅くはないだろう。まだ五時半だ」

「僕は朝からどこにも行かずに待ってたんだけど」

その会話を、私、荒木雅美(あらきみやこ)は相変わらずカウンターで聞いていた。だから店長今日どこにも行かなかったんだ。というか、紛いなりにも店長ならたまには一日中店にいてみろ。

今日は一月十六日。ちなみに金曜日。珍しくお客さんが来ている。が、依頼に来たわけではなく、店長と何か話をしに来たらしい。白衣を着た二十代の男性は、「遅い」と愚痴る店長に不満げな声を上げた。

それよりも、店長はお客さんの目の前だというのに脚を組んでソファーに踏ん反り返るその姿勢を改め……。

「はっくしゅ!」

しまった、くしゃみが出た。私はカウンターの上のティッシュを数枚取って鼻をかんだ。どうせお客さんからは壁に隠れて見えない。

「はい」

「む」

そしてこちらからもお客さんは見えない。多分、店長がお客さんに何か手渡したのだろう。何を渡したのかが気になって壁から頭を出してみたが、お客さんはもう渡された物を鞄に仕舞った所だった。 

「どうせ玲那ちゃんの所に寄ってから来たんでしょ。ストーカー並に付きまとってるって聞いたし」

「誰からだ!?」

「秘密ー」

あの男性、やはりメルキオール研究所の人のようだ。白衣を着ているからそうじゃないかと思ってたけれど、玲那ちゃんという名前でそれは確信に変わった。あの名前、結構珍しいもんね。

それにしても、ストーカー並に付きまとってるって、本当なんだろうか。そんな風には見えないけれど……。あの男の人━━シフォン・マフィンさんというらしいけど、外見や雰囲気からは冷静でクールなイメージを受ける。実際に話した事のない私が言うんだから、本当にただのイメージなのだけれど。

「それにストーカーなどではない。俺は北野様に認められて、北野様のお側にお仕え……」

「マジでキモいね」

「そろそろ殴ってもいいか?」

客に向かってキモいはないと思うけど、本当にキモい発言だったのだから仕方ない。実際、私も少しキモいと思ってしまった。北野さんって自由奔放に生きてるイメージだったけど、結構大変なんだね。

店長はさっそくマフィンさんをおちょくり始める。

「ちょっとキツく言ったらすぐ暴力で片付けようとするー。全く、最近の若者は」

「俺の方が年上なんだが」

「まぁね。キモいって言った事は謝るよ。ごめんね、キモ男君」

店長の言葉に危うく吹き出しかけたのを何とかこらえた。相手を客だと思っていないのだろうけれど、煽り過ぎである。

「謝られている気が全くしないんだが」

そりゃあそうだ。実際謝ってなどいない。

「気のせい気のせい」

気分を悪くしたのか、マフィンさんは「そろそろ帰る」と言って荷物をまとめ始めた。店長は「あれ、怒っちゃった?」とそれさえもおちょくる。全く、この人は。マフィンさんは無言でソファーから立ち上がった。

「また何かあったらうちに来ていいよ」

「おそらくもう二度と来ないだろうがな」

手を振る店長に冷たく返すマフィンさん。本当に怒っちゃったのだろうか。真面目そうな人だし、十分あり得る。

「なら街中で見かけたら話しかける」

「結構だ。俺は北野様以外に貶されるのが嫌いなんだ」

「なるほど、つまり玲那ちゃんに貶されると嬉しいと。特殊な性癖を持ってるんだね」

そこまで北野さんのことが好きなのか、と私が引き気味に少し驚いていると、マフィンさんはさっさと私の前まで歩いて来て戸を開けた。彼は語調荒く「失礼するッ」と口にすると店を出て行った。ピシャリと引き戸が閉まる。

「怒っちゃいましたかね、あのお客さん」

閉められた引き戸を見ながらそう呟くと、店長は「大丈夫でしょ」と言った。なんて悠長な。マフィンさんが帰って、店長はさっそく立ち上がった。今日は朝からずっと店にいたから、さぞかし外に出たくてうずうずしていた事だろう。

「どっか行くんですか」

「まぁねー」

そして私も、店長が早くどこか行かないかとうずうずしていた。「私が帰るまでに戻ってきてくださいね」と言うと、訝しげな顔で「どうしたの雅美ちゃん」と返ってきた。確かに、普段の私だったら「真面目に仕事してください」とか言うところだ。店長はスマホと車の鍵を手にしただけのラフな格好で店を出て行った。

そのまま十分ほどカウンターに座り続ける。店長が引き返してくる様子がないことを確認して、私はカウンターから立ち上がった。店の奥へと向う。

トントンと瀬川君の部屋のドアをノックする。中からドアが開いて、瀬川君が顔を出した。

「どうしたの?」

「ちょっと青龍の人の事で聞きたい事があるんだけど……」

私は昨日会った兵藤唯我(ひょうどうゆいが)さんとその弟のどー君の話をした。

「ああ……その二人なら会ったことあるよ」

「そうなの?」

「あの二人は、わかりやすく言えば伝令係みたいなものだから。昨日もうちに来たし」

やっぱり、あの二人は昨日朱雀店に来たようだ。瀬川君はあの二人が来たことは知っていたけれど、いつも通り自分の部屋に引っ込んでいたとのこと。

「弟の方が怒鳴り出してすごかったよ。店長が余計な事言うから……」

なんか想像つくなぁ。その隣で、唯我さんはフワフワと微笑んでいた事だろう。少し天然そうな雰囲気の人だったし。

「私、昨日弟の方に姉ちゃんに近づくなって言われたんだけど、何でだかわかる?」

私は昨日一番気になっていて、一番腹が立ったことを尋ねてみた。本当にムカつく態度の弟だった。いい年こいて実の姉にどー君なんてあだ名で呼ばれてるくせに。

「ああそれは……」

そこまで言って、瀬川君は一度口を閉じた。言うか言うまいか悩んでいるみたいだ。一体どんな深刻な理由が出てくるのだろうか。

「それは、弟の方がお姉さんの事を大好きだからだと思う」

「……シスコンってこと?」

「一言で言えば」

へ、へぇ~~そうなんだ。私は思わず緩む頬に何とか力を込めた。しかし広角の辺りがピクピクと動いてしまっている。

「お、お姉さん可愛いい人だったもんね、ぶっ……」

「荒木さん、笑ったら可哀相だよ。お姉さん以外の人にどー君って呼ばれるとめちゃくちゃ怒るくらいなんだから」

何とか笑いを堪えながら瀬川君の話を聞く。そんなことで怒り出すなんて、本当にお姉さんのことが好きなんだなぁ。私には偉そうに上から目線で物申してきたくせに。

「昨日だって店長がわざわざどー君って呼ぶから、ものすごくキレちゃって……」

「うわー、絶対そういう事するよね、店長」

多分どー君のシスコンぶりをおちょくって遊んでいたんだろうなぁ。私は瀬川君に「ありがとう」とお礼を言って店の方に戻った。あんまり店をほったらかしにするのもいけない。まぁ、お客さんなんて滅多に来ないんだけどね。

本棚から適当にファイルを取り、ペラペラ捲って読んでみたりして時間を潰す。相変わらず暇な店である。白虎店や玄武店はあんなに忙しそうにしているのに、なんでうちはこんなに暇なのだろう。いったい何が違うというのか。……店のキレイさだろうか。

でもそれは仕様がないことである。だってうちは古臭さの滲み出る木造建築だ。白虎店はビルの中にあっていかにもオフィスらしくピカピカしている。でもこの時代、木造の店なんて古すぎるよ。リフォームしたりしないのかな。

そんなことを考えながら、唯一の話し相手である店長が帰ってくるのを待った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る