そして芽生えるもの




「店長……!」

勢いのままに戸を開け放つ。そして私はその光景に思わず一瞬動きを止めた。

「……花音ちゃん達が兄弟喧嘩でもしたんですか?」

そうじゃないとわかりながら口にした。店内は見事なまでに荒らされている。

「いやー、暴れる暴れる。まさかこんなに暴れるなんて」

店の中央に突っ立っていた店長は、そう言いながら倒れていたソファーを立て直した。そして、何事もなかったような顔を作ってそこに座る。私は無意識のうちにぎゅっと手を握った。

「どうしたんですか、これ」

改めて店内を見回すと、これはかなり酷い有様だと思った。花音ちゃんと陸男さんの喧嘩より酷いのではないか。私は散らばったファイルや倒れた観葉植物を避けながら店長に近づいた。

「うーん、まぁいろいろあってさ」

「いろいろって何ですか?」

「いろいろはいろいろ」

あくまで私達には教えてくれないらしい。この状態で、こんな店内を見せて、そんな顔しといて、教えてくれないってどういう事?

「いい加減に教えてくださいよ」

全て口から出たあとで、自分の声が低くなっている事に気がついた。と同時に自分が怒っている事に気がつく。そして、間違いなく店長も気がついてる。

「いやだ。何で教えなくちゃいけないの?」

「それは。……私もここの店員だからですよ。当たり前じゃないですか」

「雅美ちゃんには関係ないことだし」

「あります。だって店長この前からおかしい。私達みたいなただのアルバイトには話せませんか」

そう言うと、店長は黙って自分のつま先を見た。店長の靴の先に触れて、ボールペンがコロリと半回転する。もちろん、そんな物を見ているわけではないだろうが。

自然と言葉が出てくる。勝手に口が動いた。思った事が、感情が、己の意思に反して声になり口から吐き出されていく。

「ただのアルバイトじゃ頼りになりませんか?今までだって大事な事は全部教えてくれませんでしたね。私が仕事できないからですか?どうせ言っても無駄だから、だから何も教えてくれないんですか?」

諦めて身を任せて、何も考えずに喋った。今はその方がいいと感じた。不思議な事に、店長は何も言わずに遮らずにそれを聞いていた。今まで無意識のうちに心の奥の方に隠し込んでいたものに、ようやく気づいた。やっと気づいた。気づいてしまった。

もう気づかないふりはできなかった。

「やっぱり……、力不足ですか?」

そうだ。知っていた。知っていて気づかないふりをしていた。私は凡人だ。この仕事で私がやるべき事なんて、本当は何一つない。私じゃなくてもできる事ばっかり。

例えば私が店長の隠し事を聞いたとして、それで私に何ができるというのだろうか。どうせ何もできない。劣等感。周りの人の非凡さを、ただ羨ましがっているだけ。そんな存在に、何も打ち明ける事なんてない。

「そういう訳じゃないけど……」

店長は珍しく言い淀んだ。私にも目の前の完璧超人を困らせる事ができたらしい。こんな言い方でしかできないけれど。

「まぁ……とりあえず座れば?」

店長はこの店内で唯一と言っても過言でないでたろう、倒れていないソファーを指差した。私がいつも座っているソファーだ。言われた通り、無言でそれに座った。

「えーっと、まずさ、僕前に言ったよね?危ない事に首突っ込まないでねって」 

「?」

そんなことを言われた記憶はない。いつの話だろうか。それともこの場を誤魔化すための店長の嘘か?いや、この人は隠し事はするけれど嘘はそんなにつかないはずだ。

「いやいや「?」じゃないよ。ほら、ハロウィンの日に」

「そんな昔のことの覚えてるわけ無いじゃないですかッ!」

そう言われてみたら、確かにそんなやり取りがあったような気がする。だがそうだとして、普通は覚えているものだろうか?もう何ヶ月前の出来事である。

「あ、いつもの雅美ちゃんに戻った。雅美ちゃんが怒ったのなんて初めてだからさー。僕ちょっと焦っちゃった」

この上なく怒っていたはずなのに、一瞬で引き戻された。私はそれが悔しくて、精一杯不機嫌な表情を作る。

「いいから話してくださいよ」

多分店長はこれから私に話をしてくれる。店長が隠し事を話す時の雰囲気を、私は知っている。いくつも隠し事をされてきたから。

でも、結局教えてくれるって事も、きっと私は知っていたのだろう。

「いいけど……いいの?」

「何が良くて何が良くないんですか?」

店長は一度口を閉じて、ほんの少しだけ考えてから言った。

「もしかしたら死ぬかもよ?」

「え゛っ」

何がどうなってそうなるのだろうか。飛躍しすぎた話に、私は思わず濁点付きで「えっ」と叫んだ。

「わかりやすく言うと、その依頼人は正体を隠したがってて、その人の言葉をそのまま伝えると、“誰かにばらしたりしたらその人殺しに行くんで~”らしい。んだけど……聞く?」

「……マジですか」

「じゃなかったら最初から言ってると思わない?いつも二人に任せてる仕事全部僕がやったんだよ?情報収集とか、街中駆けずり回ったりとか、そんな面倒臭くて疲れること」

「いいじゃないですか、たまには働けて」

自分の事を話したら殺しに行くとは、なんて物騒な依頼人だろう。店長もそう言われたなら断ってほしい。依然に殺人の依頼もあったし、私の関わらない所で物騒な仕事もしているだろうし、何でも屋には今までにもこういうお客さんが来たりしていたのだろうか。

「で、今ならまだ知らないふりできるけど、聞く?」

殺されるのは怖いに決まっている。怖いなんてものじゃない、命を狙われているとわかったらもう外も呑気に歩けないだろう。

これを聞いたら、毎日そんな事を考えて恐怖に耐えて過ごすのだろうか。警察にも家族にも相談できず、その依頼人が納得して諦めるまで、いつ自分を殺しに来るかと怯えながら暮らすのだろうか。でも、

「……聞きます」

だって知らないふりは、もう疲れちゃった。



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