友達の友達って微妙な距離感
八月一日、金曜日。夏休みに入った私は平日でも朝からバイトに来ている。店は相変わらず暇で静かだ。私はいつもの掃除も終えてしまって、本当に何もすることがなかった。
高校生である瀬川君もすでに夏休みに突入しているので、彼は午前中からバイトに来ている。瀬川君は毎日忙しそうにパソコンに向かっているが、私は違う。お客さんが来てくれないとやることがなくて暇なのだ。
思い切って床の水拭きでもしようかなぁ。クイックルワイパーならいつもかけてるけれど、やっぱり定期的に水拭きをした方がいいだろう。前にやったのは十日ほど前だったか。この店は土足で上がるので床がすぐに汚れてしまうのだ。よし、今から水拭きをしてしまおう。
そうと決まればすぐに行動だ。私がカウンターのイスから立ち上がったその時、突然電話のコール音が鳴り響いた。
私は一瞬、それがどこの電話のコール音かわからなくて、自分のケータイを見てしまった。それから音がすぐ近くで鳴っていることに気づいて辺りを見回す。そして私の目に、カウンターの上にひっそりと乗っている電話が映った。
み、店の電話が鳴っている!三ヶ月……いや、四ヶ月ぶりだ!いや、もっとか!?
超久々に聞くコール音にうち震えていたが、ハッと我に返る。私は慌てて受話器を取った。
「お、お電話ありがとうございます、何でも屋すざ……」
《会長!あんたいつになったら来るんですか!》
「……へ?」
受話器の向こう側から知らない男の人の怒声が聞こえた。知らない人にいきなり意味不明なことを怒鳴られて、私は受話器を耳に当てたまま固まってしまった。だが相手も何も言わないところをみ ると、どうやら向こうも予想外のことに固まっているようだ。もしかして間違い電話だろうか。
「あの……もしもし」
勇気を出して話し掛けてみると、相手は声に申し訳なさを含ませてこう言った。
《あ、すんません。会長……相楽店長いますか?》
相手の人はどうやら店長に用があるみたいだ。電話の相手が店長じゃないと気づくと、彼の声は先程より大分落ち着いていた。
しかし残念ながら、今店長はいない。まぁ「相変わらず」なんだけどね。
私は今日も朝十時半ごろ店に来たが、その時にはすでに店長の姿はなかった。ただカウンターに座っていた瀬川君と店番を交代しただけだ。
私は電話の向こう側に、店長がいないことを伝えた。
《あ、そっすか……。会長、どこに行ったかわかります?》
私が知りたいくらいですよ。と言いたいのをぐっとこらえる。
「すみません、何も言わずに出て行っちゃう人なので……。あの、何かありましたら私から伝えておきましょうか」
そう申し出ると、相手の男性は《お願いします》と言った。
《じゃあこう伝えといてもらえますか?「あんたの指定した場所と時間で東が待ってる」って》
あ、この人相当キレてるわ。私は相手の声から憤りを感じ取った。
私は「わかりました」とだけ答えて電話を切る。受話器を戻してエプロンのポケットからケータイを取り出した。
これは約束をすっぽかした店長が悪いですよ。私は心の中で店長を非難しながらケータイを操作する。トーク画面を開いて慣れた動きで文字を連ねて行く。
【東さんという方から店に電話がありました。店長の指定した場所で待っているそうです】
送信、と。店長のことだからすぐに返事があるだろう。そう思った私は、ケータイをエプロンのポケットにしまわずにカウンターの上に置いておいた。
一分程たっただろうか。ぼーっとケータイを眺めているが、メッセージが返ってくる気配はない。今日は遅いんだな。まぁすぐに返ってくるだろう。
三分たった。あれ、おかしいな。いくらなんでも遅すぎる。
まぁメッセージが返ってくるという確信はないんだけど、こういう業務連絡は私も店長も瀬川君も必ず返信するようにしている。返事がないとちゃんと連絡が伝わっているのかわからないからだ。
私は壁の時計を見上げた。もう十分もたってる。もしかして店長、メッセージを見ていないんじゃないかな。それは可能性としてとても大きいように思った。
……しかたない、電話をするか。私はカウンターの上のケータイを再び取り上げた。送着信履歴から店長のケータイの電話番号を選んで発信ボタンを押す。
何回かコールを繰り返しているが、店長が電話に出る気配がない。もう一度かけ直して留守番電話サービスに繋がったのを確認したら、私はケータイをカウンターに置いた。
しかたない、瀬川君が何か知ってないか聞いてこよう。私は無意識のうちにケータイを掴み、カウンターから立ち上がって店の奥へ向かった。さっさと店長に連絡を取らないと、東さんいつまでも待ちぼうけくらってしまう。
私は瀬川君の部屋のドアをコンコンと叩いた。すぐに部屋の中で人が動く気配がして、数秒後目の前のドアが開いた。
「荒木さん。どうしたの?」
「瀬川君、店長知らない?連絡が取れなくて」
そう尋ねると、瀬川君は一瞬考え込んでから答えた。
「今日はまだ見てないよ」
「そっかぁ……」
私は瀬川君にお礼を告げて店に戻ることにした。戻ろうとした。振り向いた私の視線の先に、裏口に置かれた店長の靴があった。
「……あれ?」
そしてすぐ左手にある二階への階段を見上げる。
「……あれ?」
つまり、店長はまだ二階にいる?
いや、私は考え直した。靴なんて何足も持っているだろう。玄関に靴が一足出てるくらい不思議ではない。しかし車もバイクも店にある。
私はもう一度階段を見上げてから、瀬川君の部屋のドアを振り返った。ドアは何事もなかったかのように閉じられている。
「…………」
もう一度声をかけるのは気が引けた。どうやら瀬川君は私の十倍は忙しいみたいだし。瀬川君の部屋から聞こえるキーボードを打つ音を聞きながら、私は覚悟を決めた。
階段の正面に立って両手を口の横に持ってくる。手で作る即席メガホンだ。私はすぅっと息を吸い込み、思いきり声を出す。
「て、店長~……」
思っていたより控えめな声が出た。思いきり大きな声を出したつもりだったのだが、無意識のうちに喉が声をセーブしてしまったのだ。
二階は相変わらず静かだ。店長、寝てるのかな。こんな時間まで?だってもう一時だ。いくらなんでも寝すぎだろう。
「店長~~……っ」
さっきより少し大きい声を出してみた。キーボードがカタカタ鳴る音がが止まってることに私は気づいていなかった。
「店長━━っ!」
かなり大きな声を出してみた。しかし二階は依然として静かなままだ。私の中で何かがプツンと切れる音がした。
「店長!いい加減に起きなさい!いつまで寝てるんですか!」
そう叫んだ途端、二階でガタッという音がして、私は慌てて壁に隠れた。そっと顔を覗かせてみる。
「!」
静かになったなと思った所で、店長が勢い良く階段を駆け降りてきた。思わず顔を引っ込めた私に店長が尋ねる。
「雅美ちゃん、今何時!?」
私はハッと気付いて手に握ったままだったケータイを見る。
「い、一時三分です……」
店長は少し寝癖のついた銀髪をガシガシとかいて「どうしよう」と呟いた。
視線を横に移動させると、ドアの隙間から様子を窺っている瀬川君と目が合った。
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