失敗は成功の母3



「車、ありませんわね」

「ほんとだ」

店の裏の方に回って店長の車がないか確認する。車庫はもぬけの殻だった。

私は静かに裏口のドアを開ける。ドアはキィと高い音を鳴らした。

「靴もないね」

「今のうちですわっ」

「待って花音ちゃん!」

勢いよく飛び込もうとした花音ちゃんの腕を掴む。不思議そうな顔をする彼女に、私は小声で説明した。

「瀬川君がいるの、店の方に。バレたら店長に言っちゃうかもしれないから……静かにね」

「わかりましたわ」

静かにというところを強調して言うと、花音ちゃんは真剣な顔つきになって頷いた。彼女は音をたてないようにゆっくりと靴を脱ぐ。私もそれに続いた。

そっと裏口のドアを閉める。一端呼吸を止めて耳を澄ました。瀬川君がこちらに来る気配はない。気付かれていないようだ。

私と花音ちゃんは音を立てないように全神経を足の先に集中させながら廊下を進んだ。

どんなに気をつけても床は小さくギシギシと鳴り、そのつど店の方に耳を澄ませながら進む。少しの距離が果てしなく感じた。ようやく階段までたどり着くと、私達はほっと息を吐き出した。

「この上ですの?」

「うん」

私はもう一度だけ店に耳を澄まし、瀬川君の様子を確認する。大丈夫、物音ひとつしない。またカウンターで読書でもしているのだろう。

私と花音ちゃんは顔を見合わせ、階段の一段目に足をかけた。

「き、緊張しますわね」

花音ちゃんは浮かんでくる笑みを隠しきれずに言った。自然に頬がゆるんでしまう気持ちもわかるが、さすがににやけすぎなような気もする。

一段一段慎重にのぼってゆく。段数的には私の家と同じくらいなはずなのに、いつから階段というものはこんなに険しくなったのだろうか。

慎重に慎重に足を進め、たっぷり時間をかけてようやくあと三段というところまでやってきた。ここまで来れば二階の様子が視界に入る。私がひょっこり顔を出すと、その景色はは短い廊下といくつかのドアという何の変哲もないものだった。

いや、なんか普通に店長の住居だな。ちょっと見ちゃいけないような気がしてきた。というか、店の二階にあるってだけで中身は店長の家なんだから、これって不法侵入……。

二段ほど後ろをついて来ていた花音ちゃんが私の隣に到着する。私と同じように顔を出し、目を輝かせた。

「きゃーっ、蓮太郎さんの匂いがしますわぁぐぇっ」

静かにして……と言おうとしたところで、突然花音ちゃんが視界から消えた。

「気持ち悪いこと言わないの」

聞き覚えのある声に振り向くと、すぐ後ろに花音ちゃんの首根っこを掴んでいる店長が立っていた。

「て、店長……、お久しぶりです」

「うん久しぶり。で、雅美ちゃんはこんな所で何をしているのかな?」

にっこりとした笑顔を顔に張り付けながら言う店長に、私は思わず冷や汗を流した。

「蓮太郎さんごめんなさいっ、つい出来心で!」

そう言いながら、首根っこを掴まれたまま器用に方向転換した花音ちゃんが店長に抱き着いた。それをすぐさま無言で引きはがす店長。

「二階に入っちゃダメだって言ったよね?」

「ごめんなさいすみませんまことに申し訳ありません私が悪かったですこの罪は何をしてでも償わせて頂きますもう絶対に二度と致しません許してくださいこの通りでございます」

私は思い付く限りの言葉を並べ全力で謝った。すごい、人間ってピンチになるとこんなにすらすらと謝罪の言葉が出てくるんだ!

「蓮太郎さん私も謝りますわっ。土下座もいとわない所存で」

「じゃあ土下座して。あ、そこじゃ見苦しいから外でやってね」

「外でやると近所に引かれるので、やるなら離れた場所でさせてくださいよ」

突然入ってきた第三者の声に階下に視線を向けると、そこには呆れた顔でこちらを見上げている瀬川君が立っていた。いや、相変わらず無表情なんだけど、さすがの私でも呆れているとわかる。

「あ、リッ君。ちょっとこれ持ってて」

店長は花音ちゃんを瀬川君に突き出した。瀬川君はそれに嫌そうな顔をして従うが、嫌そうな顔は花音ちゃんも同じだった。

「蓮太郎さん、私逃げも隠れも致しませんわよ!蓮太郎さんから逃げたり隠れたりするなんて有り得ませんわ!むしろ全力でハグを求めるくらいの……」

「気分が悪くなるから止めてくれない?」

店長の声色がいつもよりちょっぴり本気だったので、花音ちゃんは素直に口を閉じた。店長はまだその場で縮こまったままの私に向き直る。

「とりあえず店に戻ろっか。今回の雅美ちゃんの行動について嘘いつわりのない話をしよう」

「……はい」

私は猛烈に反省したが、そんなもの今更したって遅いのだ。

私は深い深いため息を一つつくと、立ち上がってぞろぞろと店に向かう三人を追いかけた。


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