失敗は成功の母
六月二十九日、日曜日。
「だだいまー」
「もー、店長どこ行ってたんですか。さっきお客さんが来て……」
今日もカウンターでファイル整理をしていた私は、「店長いないって聞いたら帰っちゃいました」と続けようと顔を上げて驚いた。
「て、て、て、店長!どうしたんですかその頭!」
私は思わず人差し指を突き付けて尋ねる。昨日まで銀色だった店長の髪の毛が、今は真っ黒になっているのだ。
店長は自分の髪の毛を掴むと引っ張った。
「ああこれ?ウィッグ」
店長が引っ張っると、黒い髪がズルリととれて、その下からいつもの銀髪が顔を出した。
「リッ君に僕の目立つところはどこかって聞いたらさ、髪じゃないですかって言うから。美容師の友達に借りてきたんだ」
店長はウィッグをくるくると回しながらそう説明した。借り物なのにそんな雑に扱ってもいいのだろうか。
「びっくりしましたよ。店長血迷っちゃったのかと思いました」
「それどういう意味かな?」
店長が真面目なんて信じられないって意味ですよ。という言葉を私は飲み込んだ。
そのあと数分たわいない会話をして、店長は店の裏へ去っていった。おそらく二階の自室へ行ったのだろう。
私は相変わらずやることが無いので、先程までのファイル整理を再開した。ここ最近やることが無いときは、保存状態が悪いファイルの中身をキレイなものに差し替える作業をしている。劣化して汚くなったページやきちんと文章がまとまっていないページを新しく作り直す。これはやれと言われたわけではない。ただ何もしてないと時間が無限にあるように感じるのだ。
一日中ぼーっとしてお給料をもらうのも気が引けるしね。とは言っても、働くときはめちゃくちゃ働かなくちゃいけないんだけど。だがお客さんが来ないことには仕事もないのだ。だからこうしてファイルを整理して暇を潰している。
順調にペンを走らせていた私は、ふと手を止めた。ひとつの疑問がどこからともなく降ってわいたのだ。
店長、さっき何て言った?自分の目立つところはどこかって?正直に言うと全部だが、まぁひとつ上げるなら確かに髪色だ。
いや、目を向けるべきところはそんなところではない。問題は、目立つところを隠したというところだ。それってつまり変装ってことだよね?変装していったいどこに行っていたんだ?
変装を要する仕事は入ってなかったはずだ。まぁ、店長が隠しているという可能性もあるけれど。だが、そもそもここ数日お客さんは来ていない。仕事がないなら隠すもの自体ないだろう。
私は無意識に背後の裏への通路を振り向いた。ただこの場所で振り向いても、目前に壁が見えるだけなのだが。
私は視線を動かしてカウンターの上の置時計を見た。先程から三十分程経ったが、店長が戻って来る気配はない。
二階でのんびりくつろいでいるのだろうか。仕事はないんだからそれもまぁいいだろう。それとも裏口から出たとか?
そもそも二階には何があるんだ?何故立入禁止なんだ?いや、その答えはわかりきっている。それはもちろん店長の住居だからだ。でも怖ーいお仕置きで脅してまで人を遠ざける理由があるか?
そう考えると、途端に店の二階が気になり始めた。だがペナルティーが嫌なので直接乗り込む気にはなれない。だが気になるものは気になる。
しばらく迷った末、私はエプロンのポケットからケータイを取り出した。メッセージアプリを開き文章を作成する。相手は瀬川君だ。
【店の二階って何があるか知ってる?】
内容は簡潔に。私は文面を一度だけ読み直して、送信ボタンを押した。
瀬川君なら、私がこんなことを聞いたと店長にバラしたりはしないだろう。メッセージはすぐに返ってきた。
【店長の住居としかわからない。あんまり詮索しない方がいいよ】
そっかあ……。瀬川君も知らないか。瀬川君はここに勤めて長いから、もしかしたら知っているかもと思ったんだけど。
私は【そっか、ありがとう】と返事を送信した。ケータイをカウンターの上に置いてぼーっと眺める。
「…………」
ああ、気になるなぁ。今まではたいして気にならなかったのに、一度気になると知りたくてたまらなくなる。気になってしまって他のことに集中できない。
そうだ、花音ちゃんに聞いてみよう。花音ちゃんなら店の二階を見たことがあるかもしれない。
私は置いたばかりのケータイを取り上げ、メッセージアプリの画面を開く。そして気がついた。私は花音ちゃんのアカウントを知らない。
瀬川君に聞こうかとも思ったけれど、一瞬考えて止めにした。さっき「詮索しない方がいい」と注意されたばかりだ。
他に花音ちゃんの連絡先を聞けそうな人は……。店長なら確実に知っているだろうが、彼に聞くのはいかにも怪しいだろう。何故突然花音ちゃんの連絡先を知りたくなったのか聞かれても答えられない。
そこで 私は閃いた。店に電話帳があるかもしれない。玄武店の番号がわかれば、花音ちゃんに取り次いでもらえるはずだ。
私はカウンターの上を見回してみた。店の電話は置いてあるが、電話帳はない。
次にしゃがみ込んでカウンターの下を覗いてみる。今までしっかりと見たことはなかったが、よく見てみるといろんな物がごちゃごちゃと置かれているんだなあ。私はそのごちゃごちゃに右へ左へ視線をさ迷わせた。
「ないなぁ……」
奥の方のファイルやらノートやらを掻き分けてみる。と、そこに【電話番号一覧】と書かれた薄いファイルを見つけた。
「あった……!」
私はそのファイルを掴み、引っ張り出した。
うっすらと埃がかぶっているそのファイルをパンパンと払う。埃が舞って私は少し咳き込んだ。
私がここに来て一年ちょっと、こんなの使ったこともないな。存在自体知らなかった。
ファイルをカウンターの上に置いて表紙をめくってみる。
【琵琶湖環境保護団体 受付
077-***-****
事務所
077-***-****
:
:
: 】
一ページ目から本部だ。名前が琵琶湖環境保護団体になっているのは第三者に見られてもいいようにだろうか。社員さん達にはちゃんとした電話帳が配られているのかも、と私は予想した。
それにしても、本部とは明記されていないが、存在自体はこんな所に堂々と書いてあるなんて。もしかして瀬川君はこれを見たことがあって、店数は四つじゃなくて五つと言っていたのかな。黄龍という名前自体をどこから聞いたのかはわからないが。
次のページをめくると、朱雀店の電話番号が載っていた。私は二番目なんてすごいじゃん朱雀店!と内心で自店を褒めあげた。電話番号はカウンターのやつ一つしか載ってないけど。
次のページをめくると白虎店の電話番号が載っていた。白虎店は本部ほどでは無いにしろ、受付、会議室AB、書庫などたくさん書かれている。中には店長直通なんてものもあった。
電話番号一つって、実際かなりショボいよね。私はなんだか心に痛みを覚えたが、涙をこらえて次のページをめくった。
次のページは目当ての玄武店だった。玄武店も白虎店と同じく受付や店長直通などいろいろあったが、私が話したいのは花音ちゃんなので、とりあえず受付にかけてみることにした。
花音ちゃんが店にいたら代わってもらえばいいし、いないの ならケータイの電話番号を聞けばいい。花音ちゃん本人が出たらラッキーだ。
私はカウンターに設置されている店の電話に手をのばしたが、少し考えて自分のケータイを取り出した。お気に入りのオレンジ色のカバーのケータイを操作して、玄武店の受付に電話をかける。
一回だけコール音が鳴って、相手は電話を取った。おそらく電話の前でスタンバイしてるのだろう。ちゃんとした受付係りの人がいるんだろうな。
《お電話ありがとうございます、何でも屋玄武、受付の新谷でございます》
ケータイの向こう側から高い女性の声が聞こえてきた。私は緊張で少し背筋を伸ばして喋りだした。
「あ、すみません、ちょっと依頼があってお電話させてもらったんですけど……」
《はい、どのような御依頼でしょうか?》
ダメだダメだ、なんかしゃべり方が店員っぽい。もっとお客さんになり切らないと。
「あの、探し物の依頼を、そちらの相楽花音さんにお願いしたいんですけど」
花音ちゃんを指名すると、受付の新谷さんはちょっと驚いたふうだった。しかしすぐに平静に戻る。
《相楽花音ですね、かしこまりました。お電話交代いたしますので少々お待ちください》
その言葉のあと、すぐにピロンピロンとした電子音に切り替わる。しばらくの保留音を聞いていると、花音ちゃんの鈴が転がるような声が響いた。
《もしもし、お電話代わりました。相楽花音です。本日は何でも屋玄武をご利用いただきまして、まことにありがとうございます。それでは、お客様の御依頼をお聞き》
「花音ちゃん、私」
そう言うと、花音ちゃんは一瞬黙ってから《……雅美さん?》と言った。
《どうしたんですの?店に電話なんて》
「花音ちゃんの番号知らなかったから」
《それにしたってお客さんのフリなどなさって》
そう言われたとき、一瞬ごまかそうかと思ったが、うまい言い訳が浮かばなかったので正直に話すことにした。
「陸男さん経由だったら店長にバレちゃうかな……と思って」
《何ですの?蓮太郎さんに知られてはまずい事なんですの?蓮太郎さんに嫌われるような事でしたら私、協力できませんわよ?》
「あのさ、花音ちゃんだったら知ってると思て。うちの二階のこと」
私は思い切ってそう言ってみた。花音ちゃんがケータイの向こう側で一瞬無言になる。
《うちって……朱雀店のですの?》
「うん」
《……知りたいんですの?》
「うん」
《……どうしても、ですの?》
「まぁ……うん」
いやに溜めるな。そんなに重要な何かがうちの二階に隠されているのだろうか。
それとも、やはり花音ちゃんも怖いと噂のペナルティが恐ろしいのだろうか。
花音ちゃんの次の言葉に聴力を集中させる。私は生唾を飲み込んだ。
《実は……私も知らないんですの》
「知らないんかい!あ、いや、何でもない、ははは……」
だったら溜めないでよ!何が出てくるかとものすごく期待してたのに!
《私も知りたいんですの!》
そりゃ私だって知りたいよ……と思いつつどうやってこの通話を終了させようかと悩んでいると、花音ちゃんはこう叫んだ。
《雅美さん!協力致しましょう!》
「はぁ……」
どうやら私達は協力するらしい。……何を?
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