うさぎの気持ち3
翌朝。八時。少し体調が良くなった私は、階下に下りて台所でお母さんを見つけた。
「お母さん、病院連れてって欲しいんだけど……」
「病院なんてやってないわよ?今日日曜日じゃない」
お母さんは小鍋をおたまでかき回していた。鍋の中にはどろどろに溶けた米が入っていた。私のためにお粥を作ってくれているらしい。
「店長の知り合いのお医者さんが見てくれるって」
私がそう言うと、お母さんはピタッと手を止め、怪訝そうな顔をこちらに向けた。
お母さんは元々、私の仕事に否定的だった。私が仕事についてほとんど何も言わないということももちろんあるが、私が説明しないのは何も言わないうちからお母さんが否定的だからだ。頭ごなしに否定されると説明する気も起きない。それに、この仕事のことを上手く説明できる自信も私にはなかった。
私の職場はお母さんからすると得体の知れない店だ。そんな店の店長の知り合いの医者だ。お母さんの気が進まないのも無理はない。
しかし、やはり娘の身体の方が心配らしく、お母さんは送迎を了承してくれた送ってくれた。
お母さんは私にお粥を出した。私は一口お粥を食べたが、それだけで食欲が失せてしまった。昨日から何も食べていないはずなのに。
その様子を見ていた母は、本気で私の体調が心配になってきたらしい。一足早く私を病院に連れていく用意をし始めた。
私はだるい身体を引きずって歯磨きとトイレを済ませ、歩きやすいスニーカーに足を突っ込んだ。お母さんが車の後部席のドアを開けてくれたので、そこに乗り込む。
店長の知り合いの病院は車で二十分くらいの所にあった。こじんまりとした白くてかわいらしい建物。「神保小児科」という看板が目に入る。
どうやら個人でやっている小児科らしい。普段は他に数人の看護士さんがいるのだろうが、今日はもともと休みの日なので医師一人しか来ていないようだ。表の駐車場には私達の車しかなかった。
母は心配だからと中までついてきてくれた。店長の知り合いと言っても相手は知らない人だし、私もそのほうが安心だった。
すでに話は通っているのらしく、扉には【CLOSE】の看板がかかっていたが鍵は開いていた。「おじゃまします」と呟きながらドアを押して院内に入る。
待合室のソファーに白衣を着た女性が座っていた。他に人はいない。店長の知り合いというのでてっきり男性を想像していたが、どうやら彼女がここの主治医らしい。
「すみません……」
お母さんが声をかけると、女性は顔を上げて微笑んだ。手にはファッション雑誌がにぎられている。どうやらお客さん用の本を眺めて時間を潰していたようだ。
「ああ、荒木さんだね。お待ちしてました」
女性は二十代前半くらいで、暗めの金髪に染めた髪をバレッタでひとまとめにしている。少し気の強そうだが、優しそうな笑みを浮かべていた。
「あたしは神保舞(じんぼまい)。一応ここの主治医やってます。ヨロシク……って、大丈夫?」
私の顔色があまりにも悪かったためか、神保さんは顔から笑みを消して私の顔を覗き込んだ。お母さんが診察を促したので、私と神保さんは診察室へ向かった。
「雅美、私も行こうか?」
「いいよ、一人で大丈夫」
お母さんは不安そうな顔で私を見送った。おそらくお母さんが心配なのは、私の病気ではなく神保さんの態度だろう。神保さんは医者なのに金髪だし、明らかに「昔不良やってました」という雰囲気だ。
まぁ、医者をやっているんだから、私達なんかより全然頭はいいんだろうけど。
診察室に入ると、神保さんは私に椅子に座るよう促した。彼女は私の心音を聴いたり喉の調子を見たりしたあと、「ちょっとゴメンね~」と言って私の鼻に綿棒を突っ込んだ。鼻がめちゃくちゃ痛かったが、インフルエンザの検査なのだからしょうがない。
「十五分くらいで結果出るから。ちょっと待ってて」
そう言って神保さんは診察室を出て行った。私はしばらくそわそわと部屋の中を眺め回していたが、すぐにぼーっとすることに専念した。身体中の筋肉が痛くて動く気にはなれなかった。
私は神保さんの診察を思い出す。他のお医者さんとも見劣りしない手際よい動きだった。見た目も若いし大丈夫なのかと一瞬不安もよぎったが、腕は確かなようだ。
私は去り際に神保さんがくれた毛布を被った。やっぱり神保さんいい人だと思うよ。不良っぽい雰囲気だからって、人を見た目で判断しちゃいけないよね。
しばらく椅子の上でぼーっとしていると、裏口であろうドアが開く音が聞こえて戻ってきた。待合室と診察室を仕切るカーテンをシャッと開けて神保さんが顔を出す。彼女は手に薬局のロゴが印刷された紙袋を持っていた。
「お待たせー。どうせインフルエンザだと思ったから隣の薬局から薬もらって来ちゃった」
そう言って神保さんは私に薬を手渡した。私は大人しくそれを受け取る。
「タミフル入れといたし、ちゃんと時間と数守って飲んでね」
「ありがとうございます」
その後すぐに正確な診察結果がでた。思った通り、私はインフルエンザらしい。
診察室から出ると、ソファーに座っていたお母さんが立ち上がった。
「どうだった?」
「インフルエンザだって」
そう告げると、お母さんは「やっぱり」という表情をした。二日目になっても熱が引かなかったので、お母さんもインフルエンザだと予想していたらしい。
一足遅く診察室から神保さんが出てきた。彼女は白衣のポケットに手を突っ込んで、スリッパをパタンパタン鳴らしながらこちらに近づく。
「インフルエンザだったんでタミフルとリレンザ処方しておきました。お母さんちゃんと様子見といてあげてくださいね」
お母さんは私の手にある薬を見て財布を取り出したが、神保さんがそれを止めた。
「あ、お金はいいです。知り合いのよしみってことで」
お母さんは借りを作りたくないのか、それでもお金を払おうとした。しかしそれより早く私がお礼を言ったので、母も「ありがとうございます」と頭を下げた。
「相楽君から連絡来たときはどうしようかと思ったけどさ。あいついつも突然だから」
神保さんは私から毛布を受け取りながら、苦笑気味にそう言った。だがその顔は、言葉のわりには嬉しそうだった。
「じゃあね荒木さん。お大事に」
神保さんはドアを開けて、それが閉まらないように背中で押さえながら私に手を振った。私はもう一度お礼を言って外に出る。
神保さんは店長の同級生とかだろうか?年も同じくらいだし、そう考えるのが自然だ。
私は車の中に置きっぱなしにしていた毛布を羽織った。早く家に帰って薬を飲もう。
お母さんが車を発進させて、神保さんの小さな病院がどんどん遠ざかって行った。
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