うさぎの気持ち
六月七日、土曜日。時刻はわからないが、外は明るい。
「……やば」
目が覚めたら全身がだるかった。ベッドから起き上がれないくらい身体がだるい。……熱があるな。私はすぐに気が付いた。
「……お母さぁん」
体温計を取ってきてもらおうと階下の母を呼んでみたが、掠れた声が出ただけだった。これは自分で取ってきた方が早いなと思って、私は身体にありったけの力を込めた。足を引きずるようにして何とか二階にある自室を出て、階段を下りる。
熱があるのに寒気がする。不思議な感覚だ。いや、むしろ寒気がするから熱があることがわかるのかもしれない。
頭まで毛布をかぶって一階のリビングに行くと、テーブルで新聞を読んでいた母が驚いて私を見た。
「どうしたの雅美」
「熱があるみたい」
私がそう告げると、母はすぐに立ち上がって救急箱から体温計を取り出した。ソファーに雪崩れるように腰かけた私は、少し腕を伸ばして体温計を受けとる。
だるいだるいと思いながら、体温計を脇にはさんだ。お母さんは救急箱をあさって熱さまシートを探しているが、私はそれがそこには無いことを知っていた。箱がかさばって邪魔だからって、先日お父さんが戸棚の中に放り込んだのだ。だが今の私にはそれを伝えるだけの気力がなかった。
結局お母さんは熱さまシートを自力で見つけ出した。お父さんが犯人だと目星をつけて彼の行動パターンを読んだのか、単に救急箱の周辺を探したら見つかったのか。私にはどちらが真実なのかわからないが、長年の夫婦生活を考えると前者も十分に可能性があると思う。
私はだるい身体を無理矢理動かし、のろのろとシートを額に貼った。ひんやりとした感触が額にへばりつく。そこだけ熱が取れたようだった。
と、ちょうど体温計が鳴った。半分ソファーに横になりながら、脇から体温計を取り出す。
「……三十八度八分」
「あんた今日はもう寝てなさい」
お母さんは隣の部屋に行くと、冷凍庫を開けて氷枕を用意した。私は最後だからと自分に言い聞かせてソファーから立ち上がる。
今日は土曜日だし、ゆっくり寝るか。学校がなくてよかった。ああでも、もしインフルエンザだったら一週間登校禁止か……。私は最近インフルエンザが流行っているというニュースを思い出した。
二階への道をのろのろと歩く。途中でお母さんに氷枕をわたされた。これがあれば少しは楽に眠れるかもしれない。
階段の一段目に足をかけた時、背後からお母さんが声をかけた。
「薬飲む?」
もう声を出す気力もなかったので、私は無言で頷いた。お母さんはすぐにリビングに引っ込む。
何とか階段を上りきり、私は再びベッドの上に横になった。もぞもぞと身動きし、肩まで布団を被る。
すぐに母が薬と水を持ってやって来た。これが最後の気力だ!と心の中で唱えながら薬を飲みこむ。飲み込んだ後はほっと安心して氷枕に頭を沈めた。
お母さんは私を気にかける言葉を残して部屋を去った。静かな部屋でそっと目を閉じる。
意識がまどろんでいく……と思ったところで、枕元のケータイが鳴り響いた。この音は電話の着信を知らせるものだ。こんな時に一体誰が……。
私はどうしても動く気になれかったので、その着信を無視した。しばらくすると音は鳴り止む。が、すぐにまた鳴り出した。
二度目の着信も無視する。しかしまた一度切れて鳴り出した。三度もかけるとうことは、もしかして大事な電話か?何だろう。学校?まさか今日休むと単位足りないとかじゃないよね?
不安になった私は枕元をまさぐってケータイを掴む。寝たままの姿勢、腕を上げるのもだるかった。私はディスプレイの名前も確認せず通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
ああ、今ものすごく不機嫌な声が出た。相手が教授だったら……でもまぁいいか。もしインフルエンザなら、どうせ後でちゃんと連絡しなければならなくなる。
《もしもし雅美ちゃん?今日仕事来ないの?》
店長の能天気な声に、私の緊張は瓦解した。しかしまぁ、学校関係じゃなくてよかったなぁ。
そういえば店に連絡するのを忘れていた。体調が悪くてそれどころではなかったのだ。
「すみません、ちょっと体調が悪いので……」
《そうなの?じゃあ僕店にいるしかないか。お大事に》
ブツッという音が鼓膜を揺さぶる。一方的に切られた。ああ、なんかイラついてきたぞ。
私は高熱で苦しんでるっていうのに「店にいるしかないか」とかフザけてんのかあのヤロー……。あー、ダメダメ。落ち着け私。
こんなのいつものことじゃないか。何を今更イラついているんだ。平常心平常心。
なんだか熱が上がった気がした。早く意識を手放さなければ。つらい。体調不良ってつらい。
私は布団を被り直して目を閉じた。暗闇の中でじっとしていると、だんだん意識が遠退いていって、いつの間にか私は眠っていた。
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