もはやこの程度で驚いてはいられない
「ここが黄龍だね……」
「大きい建物だね」
正しい地図を手にいれた私達は、すぐ黄龍に着くことが出来た。先程までの迷いっぷりが嘘みたいだ。
地図に【目的地】と書かれた場所には、予想以上に大きな建物があった。確かに瀬川君もこの辺で一番大きな建物だと言っていたが、こんなに立派な建物だったとは。このビルを作るお金があるのなら、朱雀店のリフォーム代に少し回してほしい。
「じゃあ入ろうか」
瀬川君が歩き出したので、私も慌ててそれについて行く。ついさっきまでは彼の隣を歩いていたのだが、知らない場所に気後れしてしまって、今では盾にするように瀬川君の後をついている。彼は相変わらず無表情だが、こういう時緊張したりしないのだろうか。
入り口を入ったらまずロビーだった。広い。の次にきれいという感想を抱いた。玄関を真っ直ぐ行ったところに大きな受付があり、白い髪のおじいさんが一人でちょこんと座っていた。
とても広くて美しい受付だが、座っているのはおじいさん一人だけだ。こんなホテルみたいな受付なら、美人なお姉さんが座っていてもいいものだが。
とにもかくにも近づいて挨拶をする。私と瀬川君は、少しうつむき気味でイスに収まっているおじいさんの前に立った。
「あの、朱雀店から来ました、荒木雅美です」
「……瀬川陸です」
おじいさんは私達の顔を交互に見て、手元の紙を見てから、再び私達の顔を眺めた。
「はい、朱雀のお二人ね。中にどうぞ」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げておじいさんが手で指し示した方へ進む。イスの中に縮こまっていたので体調などを心配したが、一言交わしてみるとまだまだしっかりしているのだとわかった。
奥へ進んで辺りを見回す。建物の奥も中本当に広かった。白い壁に窓からの光が反射して明るく見える。
「うわーっ、すごいねー」
つい落ち着きなくキョロキョロしてしまう。何かまるで大きな会社の建物みたいだな。何でも屋は県内にか無いらしいので、大元といってももっとこじんまりしたものを想像していたのだが、案外繁盛しているのだろうか。
「まだ時間まで少しある。奥も見ていかない?」
瀬川君が小声で私に言った。私もつられて小声になる。
「えっ、いいの?」
「大丈夫、僕らだって招かれて来ているはずだ」
そう言って指示されていない方向にどんどん進んで行く瀬川君。私はどうしようか一瞬迷ったが、ついていくしか無いだろうと腹をくくった。
瀬川君は手頃なところにあったドアを開いた。ステンレス製のドアとドアノブ。中を覗いた瀬川君は、しかし部屋には入らずにそっとドアを閉めた。
「どうしたの?」
「ただの物置きらしい」
そう言われてドアの上のプレートを見たが、そこには何も書かれていなかった。もともと空き部屋で、荷物を置くのにちょうどいいからこんな使い方をしているのかもしれない。この部屋は玄関にも近いし。
瀬川君はさっさと廊下を歩き始めた。今度はちゃんとドア上のプレートを確認している。瀬川君は何の部屋に入りたいのだろう。
「誰かに見つかったらどうしよう……?」
「道に迷ったって言えば大丈夫じゃないかな」
私は人に見つからないかびくびくしながら瀬川君の後について行った。先程受付のおじいさんに案内された道順からかなり逸れている。こんな勝手なことをして、ここの人に見つかったら怒られないだろうか。
廊下の角をひとつ、ふたつと曲がる。ふたつ目の角を曲がってすぐの場所で瀬川君は足を止めた。危なくぶつかりそうになる。背後の私なんかお構い無しに、瀬川君はそこのドアノブに手をかけた。プレートには【資料室D】と書いてある。ドアノブをひねり、引く。ドアが少しだけ開いた、その時、
「誰や?そないな所で何してるん?」
「「!」」
バレた!私は一瞬頭の中がパニックになった。慌てて瀬川君に目を向けたが、彼の無表情にも焦りの色が浮かんでいた。
緊張して固くなった身体を動かし、振り返る。そこにはまだ二十歳ちょっとくらいの男性が立っていた。渋い色の浴衣……着流し?を来ていて、前髪で顔の右半分が隠れている。
「すいません、道に迷ってしまって……」
瀬川君が無表情を装って言った。その無表情には、勝手に建物内をうろついていたことがバレたことに対する焦りというよりは、後悔というか……「しまった!」という感じが入り交じっている気がする。瀬川君が何に対してそう感じているのかはわからないが。
そんな瀬川君とは反対に、男性はニコニコ笑いながら答えた。愛想がよさそうだし、もしかしたらこの人なら見逃してくれるかもしれない。
「そうなんや。でもそこ資料室やで?さすがに間違えへんやろ」
男性の言葉に、私は「たしかに」と思ってしまった。こ
の状況は……どうしよう。つい瀬川君に視線を向ける。私は混乱していたが、瀬川君はさっきと全く同じ口調で答えた。
「建物の地図がないかと思いまして」
それを聞いた男性は一瞬だけ瀬川君を凝視したが、すぐに先程の人懐っこい笑みを浮かべた。私はただただ感心している。この非常事態で上手いこと誤魔化しの言葉が浮かぶ瀬川君の脳みそと、しれっと言い切る胆力に。
「そんなら仕方あらへんな。どこ行きたいん?ボクが案内したるわ」
男性は、そう言いながら数歩離れていた私達との距離をつめた。瀬川君はこれには答える気はないらしく、慌てて私が答えた。
「あ、第三会議室です……」
「第三会議室いうと、今日は説明会の日やな。ついて来ぃ」
男性は着流しの裾を翻すと、私達が来た道を戻って行った。案内を断る理由もなく、私達は素直にそれについて行った。
前を歩く男性は顔だけこちらを振り返ると、フレンドリーに話しかけてきた。
「自分らここ来んの初めてなん?」
瀬川君の様子を窺ってみたが、どうやら彼に会話をする気はこれっぽっちもないようだ。となると私が答えるしかない。私はへらっと笑いながら返事をした。
「あ、そうなんです。今日は店長に訳わからないまま行ってこいって言われて……」
「それは酷い店長やで。君はどこの店のもんなん?」
「あ、朱雀店です……」
隠す理由もないので正直に答える。すると男性は一瞬だけ私の隣の瀬川君に視線を向けた。その際表情が消えたが、すぐに先程までの人懐っこい笑みを取り戻す。おそらく気を付けて見ていなければ見逃す変化だっただろう。
「へぇ、朱雀店なんか。あそこの店長はんは一番変わり者やしなぁ」
「店長のこと知ってるんですか?」
「知ってるで?皆知ってはるわ。有名人やしな」
それはどういう意味で有名なのだろう。仕事をしない店長ナンバーワンとかだったら、従業員として些か恥ずかしいのだが。
知らない人と会話が途絶えるのは気まずい。私は何て返そうか考えていると、ひとつのドアの前で男性が足を止めた。クルリと振り返ったとき、紐のように長い髪が舞った。
「ついたで。ここが第三会議室や」
プレートを確認すると、たしかにここが第三会議室だった。
「あ、ありがとうございますっ」
私がお礼を言うと、終始無言だった瀬川君も小さく頭を下げた。
「ボクは神原閻魔(かんばらえんま)。また会ったら声かけてな」
着流しの男性━━神原さんは、ひらひらと片手を振りながら去って行った。私はその背中にもう一度頭を下げてから、第三会議室のドアノブに手をかけた。一度瀬川君の顔を見てからドアを開ける。
部屋の中にはもうだいぶ人が集まっていた。長机と沢山のパイプ椅子が置いてあるが、座っている者は少なく、二、三人で固まって話している者がほとんどだった。
私達がドアを開けると、中にいた人達が一斉にこちらを見る。人々は私達を一瞥した後、何事もなかったかのように会話に戻った。思っていたより冷ややかな雰囲気だ。
なんだか居づらい空気だなぁ。不安になってついつい何度も瀬川君を確認してしまう。彼は相変わらずの無表情だった、いつもと同じその表情が今はひどく安心できた。
今日は瀬川君と二人できたら、これがもし私一人だったらと考えると恐ろしい。普段の朱雀店の雰囲気はだらだらとしたまるで自分の家のようなもので、その大元なんだからもっと温かな空気を予想していた。でもよく考えてみれば、建物が大きくなるほど機械的で冷たい空気になるのは当たり前なのかもしれない。
とりあえず私達は適当な席に座ることにした。部屋の奥まで入る勇気はなかったので、入り口付近にあった椅子に手をかける。すると、近くにいた女性が声をかけてきた。
「そこは青龍店の席よ。あんた達どこの店?」
黒髪をアフロかと言いたくなるほどにチリチリにパーマをかけた、スタイルのいい若い女性だ。腰のホルダーには鳥山さんと同じような鞭を持っている。
「わ、私達、朱雀店から来ました」
ちょっと怖そうな人だけど、何もわからないからこの人に教えてもらおう。私がそう思ったとき、女の人の表情が変わった。
「朱雀!?あんたら、あの狐の手下ね!」
私の答えを聞いた途端、女性の態度は豹変した。もともとにこやかだったわけではないが、目に見えて眼光が鋭くなる。女性は立ち上がり、腰に手をあてて私を威圧してきた。
女性が突然発した大きな声に、部屋中の人がこちらに注目する。こんな状況で、私はただうろたえるだけだった。
「え、えと、手下?」
言っている意味が全然意味がわからない。背後の瀬川君を見ると、彼は呆れ半分、面倒臭さ半分といった表情をしていた。
「さっさと出てって頂戴!同じ空間にいると思うだけで吐き気がするわ!」
そこまで言わなくても……。だって私達はこの女性に何もしていない。それとも席を間違えたからこんなに怒っているの?だったら正しい席を教えて、それで終わりにしたらいいのに……。
私が困っていると、瀬川君が口を開いた。その声には少しだけ気怠さが滲み出ていたが、普段から彼を観察していない女性はそれに気付かなかっただろう。
「僕達は店長に言われてこの説明会に来ただけです。貴女に不快な思いをさせた覚えはありませんが」
しかし女の人は噛み付くように怒鳴り返す。
「あんたらがそこに居るだけで不快よ!さっさと帰りなさい!」
こ、怖……。理不尽に怒鳴られて、どうすればいいのかわからない。周りの人々も「何だ何だ」と見ているだけで助けてくれる気配はない。
何とかしてこの女性に落ち着いてもらおうと、脳みそをフル回転させてその方法を考える。早くしないと今にも鞭が飛んできそうだ。と、部屋のどこからかぽつりと声が響いた。
「ていうか、その子達ホントに関係者なの?見た目若いし……見たことないんだけど」
その一言で、部屋中の人々が完全に敵に回った。ひそひそとした会話が室内に充満する。どこかで「スパイなんじゃないの?」という声が聞こえた。それを否定する声はわかなかった。
「ち、違います、私達本当に……」
若干泣きそうになりながら私は声を絞り出した。何故私がこんな気持ちにならなければいけないのか。どうしたらこの場が収まるのか。
「だったら社員証を見せてみなさいよ!」
群集から飛び出したその言葉が、この場を一瞬だけ静かにした。パーマ頭の女性はついに鞭に手をかけると、パシンと一回床に打ち鳴らした。私が一歩下がると、女性は二歩詰めた。
「そうよ!社員証を見せてみなさい!」
私が更に一歩下がると、背中が瀬川君にぶつかった。慌てて彼の隣に並ぶ。本当は後ろに隠れてしまいたかったが、それでは瀬川君を盾にすることになってしまう。
「ほら、早く社員証見せてみなさいよ!持ってないんでしょう!?えぇ!?」
パーマ頭の女性が再び鞭をと叩き付けながら言った。更にヒートアップしたら床ではなく私が打たれそうだ。こ、怖い。
瀬川君は横目で私を見ると、真っ直ぐ女性へ視線を向け直してこう言った。
「社員証なんて知りませんが」
瀬川君の言葉に私は高速で頷く。この状況でも一歩も引かない瀬川君を見て、もう彼を盾にしてしまってもいいんじゃないかとこっそり思った。
「知らないぃ!?やっぱりあんたらスパイなんじゃないの!?だから知らないんだよなぁ!?それとも知らないっつったら誤魔化せるとでも思ってんの!?」
だんだん口調が変わってくる女性に、私は思わず身震いをした。口で怒鳴るだけならまだいい、でも鞭で打つのだけは勘弁願いたい。
パーマ頭の女性は威嚇するように鞭を打ち鳴らしながら私達に詰めよってくる。私はついに瀬川君の後ろに隠れてしまった。
周りの人達は疑いの眼差しで私達をじっと見ている。
「ち、違います、私達ほんとに……っ」
「だったらさっさと社員証を出しなさい!」
もう一度お姉さんが鞭を叩き付けたとき、今までなじるような目で私達を見ていた周りの人達が、急にざわめき出した。パーマ頭の女性が顔を上げる。私と瀬川君も、彼女と周りの人達の視線の先を見た。
「社員証なんて持ってるわけないじゃん」
少し呆れ気味の顔で、店長がドアの脇に立っていた。パーマ頭の女性の動きが止まったのを見ると、こちらに近付く。
周りの人々はざわざわとささめきながら店長を見ていた。私の耳がその会話の中から「あれ、社長の……」「あの人が……」「あれ、朱雀店の店長だよ」という言葉を拾った。
「だってその子達バイトだもん」
店長は私達の隣まで来ると、ぽんぽんと瀬川君の頭を撫でた。瀬川君は無言でその手を振り払う。
お姉さんは悔しそうな顔で店長を睨み上げていたが、結局何も言わなかった。さすがに他店の店長に楯突いたら、自分の店長に怒られるのだろうか。
「まぁ、うちバイトしかいないし許してよ」
「別に、許すも何も……」
にっこりと言う店長に、女性は下を向いて口ごもった。
周りの人々もばつの悪そうな顔をしている。散々スパイだのなんだのと言いたい放題だったのだ。彼らは私達の方をまともに見れないらしい。
そこで私は唐突に気がついた。瀬川君の影から顔を出し、店長に詰め寄る。
「店長!店長が来たら店に誰もいなくなっちゃいますよ!」
どうしよう、たぶん今店は無人だ。さすがに長時間無人は防犯的にヤバいだろう。
しかし店長は微塵も焦らずに答えた。
「大丈夫、花音に任せてきたから」
私はその答えで一瞬納得しかけたが、いやいやと首を振った。花音ちゃんなら店長について行くと言ったはずだ。その点を追及すると、店長はあっさりとこう言った。
「花音にしか頼めないって言ったら残ってくれたよ」
それには納得する他なかった。上手いこと言ったもんだ。
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