三人寄らなくても文殊の知恵7
白衣の二人組は二駅したら電車を降り、私と瀬川君は再び沈黙の世界へと旅立った。だんだん慣れてきた沈黙に包まれながら、更に何駅か通過する。結局座席には座れないまま、私達は指定された荒居駅で下りた。
「琵琶湖の近くにあるんだね」
「そうみたいだね……。とりあえずこの道を真っすぐ行こう」
駅を出て、地図で方向を確認する。私達は駅のすぐそばの大通りを歩くことにした。大きな道の方が迷わなくていいだろう。
私達の目指す場所は琵琶湖のすぐ近くにあるらしい。建物の特徴は全く聞かされていないが、大丈夫だろうか。店長は大きな建物だからすぐわかるって言ってたけど……。
周りを見回してみると背の高いビルばかりだった。私は再び地図に視線を落とす。とりあえず方向は合っているはずだから、この道を進んでいればいいはずだけど。
「十五分くらい歩くみたいだね」
その声に隣を見ると、瀬川君も地図を見ていた。建物への行き方については、この地図を見ろと言われただけで他には全く聞かされていない。やはり瀬川君も無事にたどり着けるか不安なのだろうか。
「看板とかついてないんだよね。わかるかな……?何かこの辺入り組んでる」
私も地図の一部を指差して返事をした。目的地周辺の道が少しごちゃごちゃしている。この辺りは会社や工場が多く買い物するような店がほとんど無いので、私も来たことがないのだ。知らない土地だ。少しでも地図の道を逸れないように気を付けないと。
「"琵琶湖環境保護団体"?って言えばわかるかな?っていうか、こんな所で説明会するんだね」
私は地図部分から文章へ視線を移動させる。ずっと疑問に思っていたのだ。長年滋賀県に住んでいるが、琵琶湖環境保護団体なんて聞いたことがない。この団体と何でも屋の仕事にどんな関係があるのだろう。
しかしその答えを瀬川君が知っていたようだ。彼は地図から顔を上げずに私の疑問に答えた。
「多分これは……この名前は表向きで、実際はここが黄龍なんだと思う。予想だけど」
「黄龍?」
「うん。真ん中にあるし、滋賀県に他にそれらしい建物はなかったから」
真ん中……そういえば麒麟って黄龍ともいうんだっけ。そう考えてみると、朱雀店は県の南の方にある。白虎店も西側だ。じゃあ真ん中にある黄龍店は何でも屋の大元ってことなのかな?
それにしても、名前を偽るなんてやはりこの仕事は怪しい仕事なんだなぁ。確かにアルバイトという比較的責任の軽い立場ではあるが、私はこの仕事を続けていて大丈夫なのだろうか。
瀬川君が相変わらず静かなので、さらに思案を続ける。
そもそも黄龍って何なんだろう。過去にいた先輩達も、この前来た玄武店の陸男さんも、店は四つだけと言ってたはずだ。陸男さんが帰った後に店長に話を聞いたが、その時も黄龍店なんて名前出てこなかった。まぁ、瀬川君だけは昔から五つって言ってたけど……。
「……迷ったかもしれない」
「え?」
しばらく歩いたところで、瀬川君がボソリと呟いた。私は考え事をしていたせいで全く前を見ていなかった。ただぼんやりと瀬川君の隣を歩いていたのだ。
瀬川君は歩みを緩めながら地図に視線を落とした。私も慌てて地図を見る。しかし、ぼーっと歩いていたのでここが地図のどこだかわからなかった。
「ここ、さっきこの道をこう来たはずなんだけど……ほら」
私は瀬川君は地図を覗き込む。彼は一本の道を指差して、それから目の前の分かれ道に指の先を動かした。
「ほんとだ……」
地図の道は丁字路、しかし目の前にはそれぞれの方向に伸びた三本の道があった。明らかに地図が間違っている。
「ど、どうする?」
「とりあえず……。地図に一番近い右の道を行こう。聞けるような人もいないみたいだし」
瀬川君が辺りを見回したので私もそれに倣う。大きい道から逸れたこの路地には、通行人なんて一人もいなかった。周りの一軒家やアパートも廃れていて、人が住んでいる雰囲気がない。人の気配がしないことに気が付くと、途端にこの道が危険に思えてきた。
とにもかくにも、私達は右の道を進むことにした。しかし進めば進むほど、地図の道とは掛け離れていく。数分後には完全に地図に無い道を歩いていて、私には方向さえもわからなくなっていた。
「ねぇ……戻った方がいいのかな?」
さすがに不安になって隣の瀬川君に提案してみる。瀬川君も難しい顔をしていた。
「他に誰も歩いてないし……あ」
来た道を戻る案に一票だった私は、新しい道に進む案を支持しているであろう瀬川君をもう一押ししたところで、あることを思い付いた。
「店長に聞けばいいんじゃない?」
私は名案とばかりに明るい声でそう言ってみたが、瀬川君は一瞬黙ってからこう言った。
「でもこの地図くれたの店長だよ?」
「あ」
確かに地図が間違っていたら店長なら気がつくはずだ。それなのに何も言わずに私達に渡したということは……。
「でも、見落としただけかもしれないし……。このまま迷って時間が過ぎるのも嫌だし、一応聞いてみようよ」
そう言ってみると、瀬川君は黙ってケータイを取り出した。画面は見えないが、おそらく店長に電話をかけているのだろう。見守っていると、瀬川君はケータイを耳にあてた。
「……あ、もしもし、瀬川です」
瀬川君のケータイの奥から、かすかに店長の声が聞こえる。
「あの、この紙に書いてある地図なんですけど……そうです……はぁ……、はい、はい、えっ、ちょっと待ってください、店長、」
瀬川君は耳から離したケータイをしばらく見つめた。私は恐る恐る声をかける。
「ど、どうだった……?」
「うん……頑張って辿り着いて、だって」
「何も言ってくれなかったの?」
「店長はあてにしない方がいいと思う。そんな役に立たない地図は燃やしちゃえば?とか言ってたし」
「店長らしいといえば店長らしい……」
店長が何も教えてくれないとなると、他の人に頼るしかない。他に頼れそうな人は……。私の頭の中に金髪のツインテールが思い浮かんだ。
「あのさ瀬川君、鳥山さんに聞いてみるとかどうかな……」
そう提案してみると、瀬川君はあっさりと承諾した。私はケータイを取り出すと、さっそく鳥山さんにメッセージを打ち始めた。
【琵琶湖環境保護団体(黄龍店?)の場所って知ってる?】
一文で簡潔に。急いでいるので文章を見直しもせずに送信した。するとすぐにメッセージが返ってくる。
【そんなの自分で考えなさい!私は今仕事中なのよ!】
「自分で考えなさいって……」
「そっか……」
道の真ん中で途方に暮れる私と瀬川君。どうにかしてこの状況を打開しなければ。そこで私はもう一度閃いた。
「そうだ、陸男さんとかは?私は連絡先知らないけど……」
この前会ったばかりの私は知らないが、何でも屋に勤めて長い瀬川君なら、陸男さんの連絡先も知っているかもしれない。陸男さん個人の番号は知らなくても、彼が店長を務めている玄武店の番号を知っていれば。
私の提案に瀬川君はひとつ頷くと、再びケータイを操作して耳にあてた。すぐに相手が出たようだ。今度は漏れ聞こえるかすかな声では、相手が陸男さんだと判断できない。
「もしもし、朱雀店の瀬川です。陸男さんにお聞きしたいことがあるんですが……あ、はい……、え、あの……あ、朱雀店の瀬川です、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが……はい、今日琵琶湖環境保護団体である説明会のことで……え……、はい」
瀬川君は私にケータイを差し出した。
「?」
「花音さんが荒木さんに代わってって」
困惑しながらもケータイを受けとる。何せ差し出した瀬川君も困惑していたのだ。私が困惑しないわけがない。
とにもかくにもケータイを耳に当てる。話さなければ始まらない。
「……もしもし?」
《ああ、雅美さんですの?私、玄武店の花音ですわ》
「うん、あのさ、今日の説明会のことなんだけど……」
《お聞きしておりますわ。黄龍のやつですわよね?》
あ、やっぱり黄龍なんだ……。そう思いつつ、そんなに簡単にバラしていいのかと少し心配した。
《本当に申し訳ないことなのですが、それはうちのしきたりのようなもので、自分の力だけでその地図でゴールするのが決まりなんですの。ですので答えは教えられませんわ》
「そうなんだ……」
私が落胆したと思ったのか、花音ちゃんはさっきより明るい声で言った。
《大丈夫ですわ、半年したらまたチャレンジできるんですもの。出来なかったからって仕事をクビになったりするわけでもございませんし。それに、優しい蓮太郎さんのことですから何かヒントを出しているのではありません?》
優しい蓮太郎さん、ね。店長のことだから迷う私達を想像して笑ってそうだけどな。
蓮太郎さんは何か言ってませんでしたか、と聞く花音ちゃんに、私はうなり声を返した。と言われても、今日の説明もろくろく受けてないくらいなのに。
「うーん、地図燃やしちゃえばとかは言われたけど、ヒントらしいことは何も……。というか、私達今日のことについてほとんど説明もらってないんだけど」
《そうですの……。なら蓮太郎さんの言う通り、地図を燃やしてしまえばいいのではないでしょうか》
花音ちゃんはクスリと笑いながら言った。そのあと、後ろの方で陸男さんの声がする。
《あら、お兄様に呼ばれているみたいですので、私はこれで。健闘を祈りますわ》
花音ちゃんはそう言うと、私が何か言う前に電話を切った。私はただツーツーと無機質な音を出し続けるケータイを見つめた。
私は瀬川君にケータイを返す。
「何て言ってた?」
「何も教えてくれなかった。そういうしきたりなんだって。店長の言う通り地図燃やしちゃえばって言われたよ……」
私は瀬川君にケータイを返しながら答えた。陸男さんと花音ちゃんなら教えてくれるかもと少し期待したが、しきたりというなら仕方がない。他の人たちも同じように迷ってたどり着いたってことだよね。なら私達だけヒントをもらおうなんてズルい考えだ。
人に頼るのはNG。頼っていいのは瀬川君だけだ。でも私も瀬川君も現在仲良く迷子中。
とにかく何か相談しなければと、顔を上げて瀬川君を見る。すると彼は顎に手をあてて何やら考え込んでいたが、ポツリとこう呟いた。
「……燃やしてみようか」
「え?」
「地図、燃やしてみようか」
そう言って瀬川君は鞄からライターを取り出した。
「え、ホントに?」
この紙、一人一枚しかないのに。私が止めた方がいいのか迷っていると、瀬川君は無言のままあっさりと地図に火を点けた。
紙に火が移り、あっという間に黒い燃えカスになって地面に落ちた。当たり前だ、火をつけたのだから。
「あ━━……」
私はしゃがみ込んで黒くなった地図を見てみた。もったいない。この地図が最後の希望なのに。瀬川君も同じようにしゃがみ込んで、燃えカスを指でつついた。
「荒木さん、これ」
瀬川君は地図のあったあたりを指で差した。何だろう。私は瀬川君の指の先に目を凝らしてみた。
「何か浮き出てる」
「ホントだ……」
黒くなった紙の地図のあたりに、うっすらと白っぽい線が浮き出ている。
「荒木さんのも貸してくれないかな」
私は素直に紙を差し出した。この地図を燃やしてしまえばもう後はない。でも今は瀬川君の閃きに頼るしかなかった。
瀬川君は今度はあぶるように紙に火を近づけた。すると、地図の私達が迷ったあたりに、だんだん細かい線が浮かんでくる。
「……あぶり出しだね」
私も小学生のころやったことがある。酢やミカンの汁で線を書くと、そのままでは見えないのに炙ると書いた文字が浮かび上がるのだ。それがこの地図に仕込まれていた。
瀬川君がライターの火を消して立ち上がった。私もそれに続く。
「これが本当の地図みたいだね。……行こうか」
「うん」
本当の地図は手に入った。私達の目指す黄龍は、もうすぐそこだった。
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