もっと知らなくてはいけない
「それで、何なんですか?さっきの人達」
陸男さんと花音ちゃんが帰ったあと、コップと灰皿を片付けた私はさっそく店長に尋ねた。私が片付けに勤しんでいる間、店長はソファーから一歩も動かなかったが、それに今更怒るような私ではない。
「あの二人は相楽陸男と相楽花音と言って……」
「名前を聞いてるんじゃありません」
「えー、わざわざ説明するの面倒臭い」
店長がリモコンに手をのばしたのを見て、私はすかさずテレビの主電源を切った。店長があからさまに不満げな顔をする。
「面倒臭いじゃなくて、ちゃんと説明してくださいよ」
店長が不満そうな顔をしたって、実はたいして機嫌を損ねていないのを私は知っている。店長が本当に気分を悪くした場合はたいてい、表情は変えずに腹の中で文句を言っているのだ。
「今から超お笑いパレードの時間なんだけど」
「そんなもの見なくていいです。お笑いの時代なんてもう終わったんですから」
「でも超お笑いパレードは一年前から毎週欠かさず見ていて……」
「そんなことしてる暇があれば仕事してくださいよ!」
ダメだダメだ。私は心の中でぶんぶんと頭を振った。この流れはこのままはぐらかされる流れだ。
今日陸男さんと花音ちゃんが来たおかげできっかけか与えられた。この仕事について詳しく説明してもらえるきっかけだ。私は自分がこの仕事についてあまりにも知らなさすぎるのを知っている。私は悔しかった。
だから、何としても今日聞き出す!
「だいたい何でそんなに隠したがるんですか」
「べっつにー」
「私もう一年もこの仕事やってるんですよ」
私はソファーの定位置に腰をおろした。私が座るとお尻がぐんと沈んで、このソファーが高いものだということがわかる。
「だってまだ一年しかいないじゃん」
「もう一年もいますよ」
正確にはまだ十ヶ月弱……。しかし私は店長の「一年」という言葉を訂正しなかった。むしろ強調する。
私はもう十ヶ月もこの店にいるのに、何故何も教えてもらえないのだろうか。十ヶ月では私は信頼してもらえていないのだろうか。もし何も教えてくれない理由が私にあるのなら、私はそれを改善したい。でも、言ってくれなきゃわからないよ……。
「それに、瀬川君は知ってるのに私は知らないなんて不公平ですよ」
このセリフは、なるべくなら口には出したくなかった。少し拗ねたように言ってごまかしたが、本当は涙が出そうだった。瀬川君は知っていて私が知らないのはやっぱりショックだから。それは瀬川君の力は足りていて、私の力は足りていないということだと思うから。
しかし店長は私が思いもよらない言葉を返した。
「え?べつにリッ君にだけ特別説明してるわけじゃないよ?」
「じゃ、じゃあ何であんなにいろいろ知ってるんですか?」
私は店長の言葉に驚く。瀬川君はこの仕事について当たり前のようにいろいろなことを知っているから、てっきり店長から説明を受けているのかと思っていた。
私の能力が凡人並みだからって、私だけ蚊帳の外なのだと思っていたのだ。
「そんなのリッ君が自分で調べたに決まってるじゃん」
「そ、そうだったんですか?」
瀬川君はすごいなぁと再確認する。何せこの店の情報収集をほとんど一人でこなしているんだからね。瀬川君が裏で頑張ってくれているから、私は安心して仕事ができるわけで。
それに、私が瀬川君はすごいと思うところはもうひとつある。確かに彼の仕事ぶりは素晴らしいものだが、私はそれよりも彼の仕事にたいするやる気がすごいと思った。ただのアルバイトの身分で、しかも高校生が本業なのに。瀬川君はよく学校より仕事を優先した行動を取っている。
「まぁリッ君は他の店にも行ったりしてるし、そこで教えてもらうだけで大分わかると思うよ」
「そんなの、行ってない私が知るわけ無いじゃないですか」
「だって雅美ちゃんいなくなったら誰が店番すんの」
「そりゃそうですけど」
そりゃあ私が他店舗に行って何をするんだって話だけど、でも仕事なんて教えてくれなきゃ覚えないじゃん。私は自分の能力が低いのはわかっているが、でも私にだって出来る仕事はある。新しいことを教えてくれずに私の出来ることを縛っているのは店長じゃないの?
それに瀬川君のことだって、自分で調べさせなくても直接教えてくれればいいんじゃないの?調べるのを止めないのなら知ってもいいってことだし、なら店長から説明してくれた方がずっと早い。効率的だ。
あれ?待てよ?ここで私は素晴らしい閃きをした。なんだ、店長が教えてくれないなら瀬川君に聞けばいい話じゃないか。
「じゃあ私瀬川君に聞いてきます」
そうと決まればさっそく瀬川君の部屋に行こう。ソファーから立ち上がった私の右腕を、しかし店長がガシリと掴んだ。
「……何ですか」
「まぁまぁ席に着いて」
「着いてましたよ今まで!」
「とりあえず今も着いて」
店長腕を離してくれないので、私は仕方なくソファーに座り直す。
「えーと、じゃあまず……」
私がちゃんと座ったのを確認すると、店長は口を開いた。
「何が知りたいの?」
「全部ですよ!」
そんなの全部に決まっているじゃないか!全部全部、隠していることぜーんぶだ!
店長の問いにツッコミまがいの返答をした私だが、私のテンションとは逆に店長は少し真面目な顔をした。
「あのさ雅美ちゃん。リッ君てさ、高校卒業したらうちの正社員になりたいんだって」
「?それがどうかしたんですか?」
なぜいきなり瀬川君の未来設計を話しはじめたのだろう。今までの話と何か関係あっただろうか。それとも、この期に及んで話を反らしてごまかすつもりなのか?
それにしても、瀬君って何でも屋の正社員になりたいんだ。初耳である。でも、そう言われると瀬川君の仕事にたいするやる気も納得がいく。それに瀬川君だったら正社員になってもやってけそうだ。「雅美ちゃんは?」
「私ですか?私は……正社員は無理じゃないでしょうか」
店長が珍しく真面目な顔をするので、私も真面目に考えて真面目に答えた。
でもいくら真面目に考えたところで、私が一般人なことに変わりはない。店長や瀬川君みたいにすごいところなんてひとつも無いのだ。考えようが考えまいが、初めから私に選択権などない。
でも、でも何かひとつでも優れた所があれば、私だって。
「うーん、そうじゃなくてさ」
店長は陸男さんにもらった紙袋を覗き込んだ。中にいっぱい入っていた紙の一部を取り出す。印刷された文字がたくさん並んでいるのが見えた。
「雅美ちゃんがこの仕事にどれだけやる気があるかってこと」
店長は取り出した資料をぺらぺらとめくっている。店長がちゃんと資料の中身を読んでいるのか私にはわからなかった。
「やる気は……そりゃありますよ。でも私は普通だし……」
少し愚痴っぽくなってしまったなと反省する。でも今更言ったことを後悔したって遅い。口から出た言葉はもう心には戻らないのだ。
今のは私の本心だった。凡人故の、非凡への憧れだと思う。僻みだと思う。
店長が何も言わないので、私はそっと顔を上げてみた。すると、店長は何か変な物を見るような顔で私を見ていた。私、何か変なことを言っただろうか?
「え、何それ。別に僕ら超人じゃないんだけど」
「いや、超人ですよ。私から見たらスーパーウルトラミラクル超人ですよ」
「じゃあ雅美ちゃんも超人になればいいじゃん」
店長がちょっと拗ねたようにそう言った。いや、気のせいか。
私は心の中で愚痴を呟く。そんなに簡単になれたら苦労しませんよ。こんなに嫌な気持ちにはなりませんよ。それは店長の立場だから言えることであって、私にはただの嫌味にしか聞こえない。
なんだか私の周りってすごい人ばっかり。この店に限らず、例えば白虎店では、私より年下なのに特別さんもガンガン仕事してるし。さっきの玄武店の二人だってきっと……ん?
「あ」
「どしたの?」
「ああああっ!?」
突然大声を出して立ち上がった私に、店長はびっくりしたようだ。不思議そうに私を見上げている。
いや、でもでも、びっくりというなら私の方がびっくりしている。だって、だって、
「あの二人相楽って名乗ってました!」
普段「店長」と呼んでいるから忘れがちだが、店長の苗字も確か「相楽」だったはずだ。どうして名乗られた時に気付かなかったんだろう!
「……雅美ちゃん今頃気づいたの?」
店長は呆れたように言う。彼からしたら、私が気づいているのは当たり前だったのだろう。そりゃそうだ、あんなに面と向かって名乗られたのだから。
「ど、どういう関係なんですか!?まさか兄弟!?兄妹で結婚はできませんよっ!?」
「落ち着いて。兄弟じゃないし結婚もしないから」
「はぁ、そうですか、結婚しないんですか」
私はとりあえずソファーにストンと腰をおろす。同じ名字に気づいて瞬時に「兄弟」という単語が出てきたが、どうやら違うらしい。そうだよね、それに店長一人っ子っぽいイメージだし。
「ということは親戚ですか?」
「まぁそうなるね。あんまり血は繋がってないけど。ちなみに三番目の名前は来夢だから、陸男なんてダサい名前あいつだけだよ」
「蓮太郎が言えた事じゃないですよ」
私が冷静にツッコミを入れると、店長は「それもそうか!」と笑った。
「それしても、親戚もこんな仕事してるんですね」
「うん、あいつも店長だよ」
「えっ!?そうなんですか!?」
「まぁ、店長になってまだ一年かそのくらいだけどね」
私は先程会ったばかりの陸男さんの顔を思い出してみる。店長には全然見えないな。見た目もまだ若そうだったし……。陸男さんはまだ二十歳過ぎなんじゃないだろうか?
でもまぁ、店長に見えないというのなら、それはうちも同じだと思う。それに、白虎店の店長さんだって店長には見えない。
「あれ?そういえば白虎店の店長さんは親戚なんですか?」
白虎店の店長さんを思い浮かべたところで、もしかしたらと思って聞いてみる。でも、まさかね。親戚中で店長やら従業員やらなんて。
なかなか返事が返ってこないので店長を見てみると、何やら言い淀んでいる。聞いてはいけないことだったのだろうか。でもこの間も一緒にファミレスで仕事の話してたし、白虎店でも店長の方から話しかけてたし、仲が悪いわけではないと思うんだけど。
「うーん……、あいつは親戚っていうか」
「親戚っていうか?」
「お兄ちゃん?みたいな」
ようやく口を開いた店長から返ってきた答えは、私を再びソファーから飛び上がらせるには十分すぎるものだった。
「ええええっ!?」
「雅美ちゃん声大きすぎ。そんなに驚くことかなあ?」
耳に当てた手をどけながら言う店長に私は思わず詰め寄る。
「だって全然似てないじゃないですか!」
「よく似てるって言われるよ?」
「確かに顔は似てるかもしれませんけど!中身とかが!」
白虎店の店長さんが店長のお兄さんだなんて、全然全く一ミリも考えもしなかった。完全に予想外だ。
でも、ということは、四店のうち三店も親戚が店長をしてるということになる。もしかして、何でも屋は全部相楽一族が牛耳っているんじゃないか?
浮かんだ疑問を解消すべく、私はその答えを店長に聞いてみることにした。
「もしかして全部親戚が店長なんですか?」
「そうだよ」
いやまさか、と思いつつ聞いたのに、そのまさかだった。しかもあっさりと答えを言われる。
まぁ隠さずにあっさり教えてくれた方が嬉しいんだけどさ。でもなんか店長にあっさり教えられると、すごく意外な感じだ。
「ここ数年で店長が代替わりしてさ。一昨年の陸男で全店孫の代なったんだ」
「そうなんですか……。そういえば、四つ目のお店は何ていう名前なんですか?」
陸男さんが「何でも屋は全部で四つ」と言っていたのを思い出して聞いてみる。瀬川君は今も全部で五つだと言い張っているが、昔朱雀店にいた先輩達も四つと言っていたし、少なくとも四つ目は確実にあるはずだ。
しかし店長は今度はあっさり教えてはくれずにこう言った。
「雅美ちゃん、たまには自分で考えてみようよ」
なんかたまにしかちゃんと仕事しない店長に言われると腹が立つな。でもまぁ店長の言うことも一理あるので、私は少し考えてみることにした。
えーと、ここが朱雀でお兄さんの所が白虎で、陸男さんの所が玄武だから……。
「あ、もしかして青龍ですか?」
「ピンポンピンポーン。よくわかったね」
「馬鹿にしてるんですか」
朱雀、白虎、玄武、青龍か。「朱雀」しか知らないうちはまるで気付かなかったが、店名は四神から取っていたんだね。でも、だとしたら黄龍はないのだろうか?四神などにはあまり詳しくないが、朱雀や白虎という四神の他に、黄龍というものもあると聞いたことがある。
よし、気になるから聞いてみよう。なぜだか知らないが、今日の店長は何でも教えてくれる。今まで何も教えてくれなかったのは私が何も聞かなかったからというのは、まさか本当だったのだろうか?
「あの、」
「あはは、何これ!」
私が黄龍という店もあるのかどうか尋ねようと口を開くと、その瞬間店長が笑い出た。先程から読んでいた資料に、何か面白いことでも書いてあったのだろうか。
「どうしたんですか?」
「ちょっと見てよこれ」
店長は手にしている資料の束を私に差し出す。私はそれを覗き込んで、店長が指差す場所を読んでみた。
「えーと、好きな男子にラブレターを渡す、十七歳女性……?何ですか?これ」
「先月青龍店がやった仕事。こんな馬鹿みたいなことやってんの。ほんと何でもやるんだ、笑っちゃうよね」
「……何でも屋ですから」
店長はまだ笑いが収まらないようだ。しかし、いくら何でも屋といってもそんなことまでやるんだなと私はちょっと驚いていた。ラブレターなんてわざわざ依頼しなくても、下駄箱にでも入れておけばいいのに。
「そういえばさっきから気になってたんですけど、それ何ですか?」
私は店長が持っている紙束を指差して尋ねた。他店舗の依頼内容が書いてあることを見ると、何かの報告書なのかな……?
「ああこれ?昨日あった店長会議で使った資料」
「そんなにあるんですか!?」
私は袋の中の紙の量を見て驚く。何でも屋って私が思ってるより大きな会社なのかな。
「そう、こんなにあるの。行く気失せるでしょ?」
「だからと言って行かないのはどうかと思いますが……」
確か店長は昨日もふらふらもどこかへ行っていたような気がする。毎日のようにふらふらしているなら、月に一回の会議くらい行けばいいのに。
「陸男の彼女がケーキ屋でさ、いつもはケーキも持ってきてくれるのに今日はなかったね」
「へー、そうなんですか。それを店長はいつも一人で食べてたんですね」
「もらったのは僕だから。なぜか毎回三つ入ってるんだけどね」
それは明らかに私と瀬川君の分だと思うんですが。本当にこの人は。次に持ってきてくれたケーキは、絶対私も食べてやる。
「じゃあ今日は何でケーキ無かったんでしょうね」
「聞く時間無かったね」
「店長が追い返すからじゃないですか」
「だって早く花音に帰ってほしかったんだもん」
ついに本音を出す店長。店長は花音ちゃんのあの「結婚してください」発言が苦手なのか、はたまた彼女自体が苦手なのか。
「でも店長にも苦手なものがあったなんて意外です」
「僕も一応人間だからね」
「あれ、店長って人間だったんですか」
「あはは、酷いなぁ雅美ちゃん」
店長がテーブルの上のリモコンでテレビをつけた。さっき私が切ったはずの主電源が、いつの間にかオンになっている。
とりあえず話は終わったらしいので、飲み物をいれ直すべく私は席を立った。
「店長何か飲みますか?」
「うん、お願い」
私はテーブルの上のコップを回収すると台所へ向かった。お茶をいれて一息ついたら、掃除の続きでもしようかな。陸男さん達が来てから中断されたままだったから。
店に戻って店長の前にお茶の入ったコップを置く。私もソファーに座り、コップに口をつけた。このお茶は私が買ってきたものだが、けっこう美味しいな。次もこのお茶を買おう。
そういえば、何かを忘れている気がする。何だったっけ?やりかけの掃除のことだっただろうか。それともファイル整理のこと?
しばらく考えてみるが、どうにも思い出せそうにない。きっとそれほど重要なことではなかったのだろう。
私は半分だけ飲んだお茶をテーブルの上に置く。今日はいろいろなことを聞けて大満足だ。最近のもやもやが少しすっきりしたような気がする。
月に一回店長会議というものがあることも、今日陸男さんに聞いて知った。次の会議には、店長にちゃんと行くように注意をしよう。会議の日にちはわからないが、瀬川君に聞けばわかるだろうか?それでもわからなかったら、鳥山さんとかにメールで聞けばいい話だ。
この仕事について知らなかったことが沢山わかって、今日はいい日だ。話を聞いたからって自分の能力が上がったわけではないが、やる気が出てきた。
私は残りのお茶を一気に飲み干すと立ち上がった。よし、残りの仕事も頑張りますかっ!
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