チリンチリンと鈴鳴れば4




「レポートっ!」

深夜二時、私はかなり重大なことに気がついた。そう、レポートだ。今日提出のレポートを店に置いてきてしまったのだ!

もしあのレポートが他の授業のものだったら、私はここまで焦らなかっただろう。でもあの授業の教授は厳しい。提出期限を一分でも過ぎたら、レポートを受け取ってくれない程厳しいのだ!

その教授に目をつけられたくなくて、あの授業だけは私も真面目に受けていた。絶対に明日提出しなくてはならない。私はあの教授の中で真面目な生徒でいなくてはいけないのだ。

再び時計を見る。店までは自転車で二十分くらいだけど……。現在は夜中の二時、どうする、どうする雅美。

不運なことにあのレポートは今日の一限目の授業だ。これはもう、今から取りに行くしかない。

寝巻きを最低限外に出れる格好に着替えて一歩外に出る。ああイヤだなぁ、外は真っ暗で誰もいない。シンと静まり返っている。

私はケータイをポケットに入れて自転車の鍵を握りしめた。家族を起こさないように静かにドアを閉める。

「行ってきま~……す」

さすに夜は寒い。私は上着の袖を伸ばして指先を寒さから庇う。自転車に鍵をさして、またがる。ゆっくりとペダルに乗せた足に力を込めた。静かな住宅街を自転車で通り抜ける。

夜の町は本当に静かで、私の恐怖心を煽った。ああ怖いなぁ、切り裂きジャックとか出たらどうしよう。私は最近この辺りを賑わせている凶悪連続殺人犯の名前を想像すると、ブルッと身震いした。もし怪しい人を見かけたらすぐさま家に逃げ帰ろう。

結局道中にはたむろした不良くらいしかいなくて、何事もなく店についた。まぁたむろした不良ですら夜の雰囲気のせいで私に恐怖を与えたのだけれど。

店先に自転車をとめて裏口に回る。さすがにこの時間じゃ表の引き戸はシャッターが閉まっているが、裏口の鍵だったら店長にもらっていた。ちなみにこの裏口の鍵は半年以上ここに勤めてないともらえない物で、つまりは信頼の証なのだ。まぁ私が本当に店長に信頼されてるのかは果てしなく疑問なのだが。

裏口のドアの鍵穴に鍵をさす。鍵を回すとカチャリと鍵が外れる音がした。そっと裏口の扉を開けて中を覗いてみる。

私はこの裏口を利用したことが数回しかない。この店の従業員は表の引き戸から堂々と出勤するのが普通だ。裏口は店長の住居の玄関といったイメージがあって、何となく使いにくいのだ。

一歩中に入ると、そこには店長の靴と明日出すのであろうごみ袋が置かれていた。私はそこで音をたてないように靴を脱ぐ。店長はもう寝てしまっただろうか。表に自転車を停めた時に店の電気が消えているのを見たから、もしかしたらもう寝ているかもしれない。

目の前の廊下も明かりがついていなくて真っ暗だ。そこで私は暗闇の中にキラリと光る何かに気がついた。小さな光が二つならんでいる。私は一瞬幽霊かと思ってドキリとした。しかしすぐにその光の正体がわかる。

「ニャー」

入ってすぐの廊下に猫がいたのだ。茶トラで尻尾に鈴がついている。猫は私を見るとチリンチリンと鈴を鳴らして、廊下の奥へ逃げてしまった。

店長には懐いてるクセに、と少し悔しくなる。私はもともと動物に好かれない体質なので、こんなことは慣れっこだが。

靴を脱いで廊下の上を進む。一歩足を前に出すたびに床がギシリ、と鳴った。もうそうとう古い建物のようだが、リフォームとかしないのだろうか。お金はたくさんあるはずなのだが。

ギシリ、ギシリ、と廊下を進み自分の部屋を目指す。静かにドアを開け、部屋の中に入る。手探りで明かりをつけて部屋の中を見回した。荷物は今朝私が置いたところにそのままの状態で置かれていた。

かわいいピンク色のリュックサックからレポートを取り出して中身をチェックする。家でほんの少しだけ終わらなかったので、今朝ここで仕上げたのだ。少しくらいバイトに遅れたって店長は何も言わないだろうが、私はいつも通りの時間に出勤した。どうせお客さんなんて来ないんだから店でレポートを仕上げればいいと思ったのだ。

荷物をまとめて立ち上がる。長居は無用。さっさと家に帰ろう。私はリュックサックを抱き締めて来た道を引き返した。

廊下の途中にある階段を見上げた。この階段を上ると店長の住居、逆側の右の通路を行くと店に出る。少しだけ耳をすませてみたが、何の物音も聞こえてこなかった。

店長はもう寝たのだろう。店の二階がどうなっているのか気になるが、怖いと噂のお仕置きがイヤなので、好奇心を押さえ込んで裏口へと足を動かす。と、その目の前に。

「ニャー」

猫。またコイツだ。私が自分の部屋にいるうちに、またこの辺をうろうろしていたのだろう。猫は私の方を向いてニャーニャーと鳴いている。

もしかして私、馬鹿にされている?猫は依然として私の方を見てニャーニャーと鳴いていた。もしかして本当に馬鹿にされているのかもしれないが、動物がこんなに近くにいるのは久しぶりだ。私が近づくと動物はいつも逃げてしまうから。

手を伸ばそうとして、思いとどまった。そのふわふわの毛並みを撫でてみたいが、手を伸ばすと逃げてしまうかもしれない。まずはコミュニケーションをとらないと。私はゆっくりとしゃがみこむと、まだニャーニャーと鳴いている猫と目をあわせた。

「にゃー」

私的には「こんばんは」と言ったつもりなのだが、もちろん私に猫語が喋れるわけがない。猫は少し小首をかしげて、またニャーニャーと鳴いた。何でこの子は鳴いているんだろう。お腹が空いているのだろうか。私がもう一度「にゃー」と話しかけようとしようとしたとき、

「わッッ!」

「ぎゃぁああぁあ!?」

背後から突然大声が聞こえて私は飛び上がった。猫はビックリしてその場で一回跳ね、慌てて私の後ろの方へ駆けていった。

「な、何するんですかッ」

キッと睨みながら振り替えると、私の反応を面白そうに笑っている店長が立っていた。その足元には猫がこちらの様子を窺うようにまとわりついている。

「いやー、依頼人の猫を取って喰おうとする雅美ちゃんがいたからさ」

「取って喰おうとしてないですッ」

思わず全力で返したが、これじゃぁ店長のペースだと気づく。私は自分に落ち着かせるように言い聞かせた。

「店長まだ起きてたんですか……」

「店長だから忙しいの」

「だったら昼間やればいいのに」

「ほら、昼間は猫探ししてたから」

絶対していないと思うが、実際猫を捕まえたのは店長だから何も言い返せない。何も言い返せないのは悔しいので、私は話を切り上げてさっさと帰ることにした。

「じゃあ私帰ります。明日朝から学校あるんで」

「送っていこうか?夜は危ないし」

「有り難いお話ですが、私自転車で来たんで……」

「車に乗るって」

そう言いながら店長はすでに靴に片足を突っ込んでいた。裏口のドアを開けて外に出る店長の後を、子猫がチリンチリンと鈴を鳴らしながらついていった。











結局店長の車で帰ることになった私。夜中自転車で帰るのは私も恐いと思っていたから、正直ありがたかった。ムカつくと思う時もあるけど、こういう良いところもあるから店長のこと嫌いになれないんだよなぁ。

車を運転する店長の膝の上にいる猫に視線を落とす。やはり猫は私を警戒しているらしい。もともと好かれていなかったのに、先程の悲鳴で怖がらせてしまったか。

私が猫に視線を向けていることに気づいたのか、店長が話題を振ってきた。

「ていうか雅美ちゃん、にゃーって」

「き、聞いてたんですか!?」

「最初から見てたからね」

「何で黙って見てるんですか!」

なんという醜態を晒してしまったんだ私は。猫相手に一人で話しかけていたところを見られていたなんて。私は恥ずかしさを頬を膨らましてごまかした。

店長は膝の上の猫の首根っこを掴み、何の前触れもなく私の膝に置く。

「わっ、ちょっと、店長!」

「邪魔だから持ってて」

猫は当然暴れだすが、辛抱強く抱いているとそのうち大人しくなった。私は久々に触れたかわいい小動物に目を輝かせる。家につくまで、私は子猫の頭を撫でたいた。



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