第5話『十束』



 零二が自分を夕食に誘った仲良し少女三人組と待ち合わせ場所等決めていると、ふと教室の入り口あたりが騒がしくなってきたことに気付く。零二がそちらを遠巻きに眺めると、彼の眼に帰宅途中の黒制服たちをモーセの如く割って教室内に入ってくる白制服を認めた。色素の薄い灰色の長髪をなびかせて、腰の剣帯には見るからに高性能な刀剣型ガジェットを吊っている少女の、白制服の上に羽織ったアーマージャケットの肩部には、戦闘科所属を示す交差した三振りの剣のエンブレム。その紋章を囲う帯色が黄色であることから、一年生であることがわかる。そんな彼女は気の強そうな釣り目を盛んにキョロキョロ動かし、どうやら教室内で誰かを探しているようだった。


 我関せずと、零二は視線を自分の携帯端末のディスプレイに戻す。招待されたチャットルームには目の前の少女三人組それぞれのアイコンから噴き出しで『よろしく』というニュアンスの言葉が流れていた。それに対して、零二は『こちらこそ』と返信しようとディスプレイに指をなぞらせようとした。


「あっ!」


 教室に響くのは何かを見つけたとでもいうような、澄んだ声。

 何か嫌な予感がした零二は、指を止めて顔をあげて声主の方を見やる。案の定、入り口付近でキョロキョロしていた戦闘科一年の少女が、階段教室の上段にいる零二を見上げて目を見開いていた。


「そこのあんた! やっと見つけたわよ!」


 少女は指をさして指摘する。


「あー、えっと。あれは?」


 光葉、双夜、壱子を順番に見やって、階下の少女が彼女らの知り合いか何かではないか確認した零二に、三人は首を振って否定した。


「あー、じゃあな、枇々木。あたしらはどうやらお邪魔みたいだし。またあとで」


 戦闘科特有のアーマーブーツの足音をカツカツ響かせながら、鼻息荒くこちらに向かってくる戦闘科の少女を見て、何か面倒なことが起こりそうな予感を嗅ぎ取ったのか、申し訳なさそうな表情で別れ言葉を口にした光葉が、面白そうな表情をしている双夜と、心配そうな表情でそわそわしている壱子を伴って、さっさと離れてどこかへ行ってしまう。


 取り残された零二が逃げようか迷っているうちに、すでに階段を上がってきた戦闘科の少女が目の前で立ち止まってこちらをじっと見上げていた。こうなると、応対しないわけにもいかない。零二は営業的に笑いながら、今日何度目かになる台詞を吐きだす。


「……いやはは。あの、それで? 俺に何か用?」


 その言葉に細い眉を吊り上げた少女が、「ついてきなさい」と顎をしゃくった。



 十束深幸と名乗った戦闘科の少女は、一般教練棟を離れて、零二を連れ立って戦闘科や技術科が通っている校舎の方角へと歩いていく。サラサラとした彼女の灰色の髪の後ろ姿を眺めながら黙って大人しく付いていく零二であったが、さすがにこの辺りになると周囲が白制服だらけになって自分が悪目立ちしていたため、口を開けて問いただす。


「先に用件だけでも教えてもらいたいもんだね、十束さん?」


 零二の台詞にチラリと首を横に向けて背後を流しみた深幸は、足を止めずにフンと鼻を鳴らす。


「深幸でいいわよ。嫌いなの。十束って呼ばれるの」


「……ふうん。じゃあ、深幸。俺をこんな————」


「待ちなさい。深幸さん、でしょ? 呼び捨てを許した覚えはないわ」


(……めんどくせぇ)


 零二は辟易しながら肩をすくめて「へいへい、深幸さん」と前置きしてから先ほど遮られた台詞を言い直す。


「俺をこんな場所に連れてきて、いったい何が目的なわけ? つーか、俺はいったいどこに向かってる? できるなら早く寮に帰って引っ越し荷物でいっぱいになってる部屋のお片付けをしなくちゃならないんだけど?」


「うっさい。あんたの予定なんか知らないわよ。黙ってついてくればいいの。ボコボコにされて無理やり連れていかれたくなかったらね。わかった?」


「横暴だなあ。やっぱり戦闘科ってのは、みんなそんな脳筋なわけ?」


「誰が脳筋よ。ぶっころすわよ。それに安心しなさい。心配しなくても、もうすぐ着くわ。ああ、それと言っておくけど、逃げても無駄よ。あんたの名前は覚えたし。なんなら、あんたの寮部屋を見つけ出して部屋の片づけを手伝ってあげてもいいのよ?」


 深幸の台詞に、自分の名前を明かすんじゃなかったと後悔する零二ではあったが、よくよく考えると、深幸が最初から自分目当てに普通科教室に入ってきていたらしいことを考えれば、どのみち見つかるの時間の問題だったろうと諦めるしかない。


 ほどなくして観客席を擁する広大な野外演習場に併設した、これまた巨大な訓練棟校舎が零二の眼前に入ってきた。そこは戦闘科や技術科の生徒が、魔法戦闘能力を鍛えるためのトレーニング施設であった。


 剣戟や爆発その他さまざまな魔法戦闘により発せられる効果音、さらに猛々しい気合の入る鬨声(ウォークライ)が絶え間なく響いているこんな物騒な場所に、一般的に良識のある普通科の人間はまずやってこない。そのため、通りすがりの白制服たちは、まるで白い絹にこぼした一滴の黒ずみ汚れのような零二を見るなり、驚きや訝しみの視線を投げかけ、悪ければ侮蔑の嘲笑を浮かべたりする者までいた。


「……あの、すっげーいたたまれないんですケド」


 訓練棟に無遠慮に這入っていく深幸に対して、零二は口角をぴくつかせて歩みを止めた。訓練棟入り口でたむろしていた戦闘科の上級生らしき屈強な生徒たちが零二を眺めるなり、聞こえよがしな舌打ちを始めている。


「普通科の俺が入っちゃまずくない? なんか俺たちの神聖な場所を汚しやがってぶち殺すぞ、みたいな表情で見られてるんだけど?」


 背後から耳打ちした零二に対して、深幸は再び不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「私がいいって言ったら、いいの! いいから、ずべこべ言わず、さっさと来なさいよ!」


「いやぁ、でもさぁ」


「っ、ああもう! こい!」


 深幸は尻ごみしている零二の手をガシっと掴み取ると、問答無用で訓練棟内へと誘った。零二は、すれ違う白制服の生徒という生徒に、愛想笑いしながらペコペコと頭を下げて言いがかりをつけられないように最大限の苦慮をしつつ、これから自分はどんな面倒事に巻き込まれるのかとヒヤヒヤしながら事の成り行きを待つ。


「ついたわよ」


 しばらくして、迷路のように入り組んだ訓練棟校舎の一郭に辿り着く。

 深幸は、第三十七訓練室と名札された扉の前で立ち止まっていた。


「……っ、ちょ、ちょっと! いつまで私の手を握ってんのよ、変態!」


 ここで零二の手を握っていることに気付いた深幸が、少しばかり頬を赤らめながら抗議してくる。が、手を握られていたはずである零二は、首を振って彼女の変態呼ばわりを否定する他ない。


「いやいやいや。握ってるのはあんたの方だぜ、深幸さん?」


 零二の指摘に、ハッとした顔になった深幸は、途端に親を殺した人間でも見るかのような恨みがましい眼になると、零二をキッと睨みつけて握っていた手を振りほどいた。


「痛い。冤罪なのに……」


「うっさい! ぶったぎるわよ!」


 わざとらしく痛そうに手を揉む零二に、深幸は腰ベルトから吊り下がった刀剣型ガジェットの柄に手をやった。しかし、含み笑いをしている零二を眺めて再び顔を赤めると、フンと顔を反らして彼の足先を踏みつけるだけにとどめた。


「入って」


 ひとしきり足を踏みつけて満足したのか、元のクールな表情に戻った深幸が促す。ここは従うしかないと判断して溜息を吐いた零二は、嫌々ながら第三十七訓練室の重い扉を開けた。


 そこは少し間取りの広い、ジムのロッカールームのような場所であった。そして、部屋の中には、それぞれ思い思いに位置取りして座っている三人の少女たちがいた。二人は白制服、そして一人は技術科を示すオレンジ基調の制服を着用しており、その上から個々にロールアウトされた戦闘用アーマージャケットを着こなしていた。エンブレムの黄色い帯で、全員、深幸と同様に一年生であることがわかる。


「みゆきちゃん、その人が例のー?」


 部屋にいる少女のうちで唯一技術科所属であるオレンジ基調の制服を着た一人、四人の少女のうちで一番大人びている雰囲気と身体つきを兼ね備えた、茶髪を後ろで一つ結びにしている少女が、読んでいた分厚い紙媒体の専門書らしき本から視線を上げて、深幸に声をかけた。


「そ。コイツが、例の。私が言ってた普通科の変なやつよ」


 親指で指摘された零二は、早く事情を説明してくれという視線を深幸の項に投げかける。それは掠りもせずに無視されて深幸が続けた。


「これで五人そろったわね」


 首を傾げる零二に、中央あたりに座って優雅にティーカップを持ちながら紅茶を飲んでいた白制服の少女が嘲るように鼻を鳴らす。


「ふん。よくもまあ、白々しく、そんな雑魚を連れてきて五人揃ったなどと言えますわね。馬鹿馬鹿しい。ですがまあ、さすがは十束の跡取りのうちで期待されてはいない方、とでも言うのでしょうか。わたくしとは違って、さぞ浅はかで底の知れた薄い考えが、あるのでしょう。ねえ?」


 おーっほっほ、と、どこぞの悪い女幹部みたいな笑いをつづけた彼女に対し、深幸の額には大きな青筋が浮かぶのを零二は感じて数歩後ずさりしておく。


「あんたは黙ってなさい、西洋かぶれの糞雑魚エイム女。的場もあんたみたいな目も口も的外れが跡取りだなんて、お先真っ暗なんじゃない? あ、でも大丈夫か。あんたの代で社名を変更するもんね。マトハズレコーポレーションにね」


「んなぁ!? ぬぁんですってぇっ!?」


 優雅さをかなぐり捨ててティーカップをガチャンとソーサーに叩きつけて立ち上がった白制服の少女は、その桃色の長髪を手で払って、深幸に向けて中指を突き立てた。


「お、おおっ、表へ出なさい、この十束のアバズレ女! 貴女など、わたくしの魔法で一瞬きのうちに、ぱぁんっですわよっ。ぱぁんっ!」


「なーにが、ぱぁんよ。語彙力のなさで学のなさが露呈してんじゃないの。そういえば、賢そうに振舞ってるくせ、入学試験のときの知識テストの方はゼンゼンダメだったんじゃなかったっけ? 確か、貼りだされた順位見たけど、あんた最下位じゃなかったっけ? ぷーくすす、頭も的外れじゃん。でも安心しなよ。最下位ってことは、下から数えたら一番でしょ? よかったわねぇ、一番になれて。ね? お、ば、か、さ、ん?」


 親指で地面を指摘しながら口元に手を当てて笑う深幸に、わなわなと肩を震わせていた桃色髪の少女が涙を溜めた瞳を振り払いながら、手首に填めていた腕輪を取り外して頭上に投げた。


「むむきぃぃぃぃ! その侮辱、万死に値しますわよっ! ええいっ、表に出ろなんて生易しいことは、申しませんっ! 今ここでっ! 貴女を! このミストルティンで八つ裂きにして差し上げますわよごるぁっ!」


 彼女が放り投げて空中を回転して舞って落ちてきた腕輪は、少女の身の丈に匹敵するほどの巨大なクロスボウ型ガジェットに変形する。それを両手に構えた桃髪の少女は、照準を深幸へ向けて膝をついた。


「ええ、上等じゃないのっ。やれるものなら、やってみなさいよっ。私のこのソハヤマルの錆にしてあげるわよごるぁっ!」


 一方で、深幸は腰に装備していた刀剣型ガジェットを鞘から引き抜き、その漆黒の刀身を持つ両刃の剣を独特な刺突の構えで持ちながら、じりじりと桃髪の少女との間合いを詰めようと足を摺った。


「ストップ、すとーっぷっ! みゆきちゃん、それに、ももかちゃんもー!」


 最初に声をあげた茶髪の技術科の少女が、慌てて二人の間に割って這入った。


「どいてっ、かれん! 今日こそ、そこのドピンクの首をちょん切ってやるんだから!」


「ですわですわっ! かれんっ、邪魔をするというのならば、この際、マトバの誘いを蹴って十束を選んだ貴女もろともですわぁっ!」


「あ、あのう。ちょっといいか?」


 状況説明もなく勝手に進んでいく目の前の展開についていけなくなり、片手を挙げて自己主張してみることにした零二。その発言に、桃色髪の少女と深幸が寸分たがわず同時に「うっさい部外者はすっこんでろ(ですわ)っ」と叫んだため、彼は「はい」と大人しく引き下がる。そのまま部屋の隅の方まで移動して、事の成り行きを見守ることにした。


「もー、高等部に入ったら喧嘩はなしだよーって約束してたのにさー。入学早々、これだもんなー。仲が良すぎるのも、困りものだねー?」


 技術科の茶髪少女の説得により、何とかガジェットと魔法使用禁止のルールが取り決められたようである。喧嘩のゴングを鳴らして取っ組み合いのキャットファイトを始めた桃髪の少女と深幸を、壁に背を預けて遠目に眺めていた零二のもとに、諦めたような表情で小走りに近づいてきた茶髪少女が、やれやれと首を振って溜息を吐いた。


「ごめんねぇ。あの二人、中等部の時から、いっつもあんな調子でさあ。しばらくじゃれ合って疲れたら気が済むからー。ちょっとだけ、待っていてくれるかなー?」


「あ、いや。待つのはいいんだけどさ。俺、まだここに連れてこられた理由、なんも聞いてないんだけど」


 零二の台詞に口元に手を当てて「あらぁ」と驚いた表情になる茶髪の少女。


「みゆきちゃんってば、なーんにも言わずにあなたを連れてきちゃったのー?」


「そうなんです。なーんにも聞いてねえんです」


「困ったなあ。じゃあ、まだあなた。承諾したわけじゃ、ないんだよねー?」


「承諾? なんの?」


 首を傾げる零二に、茶髪の少女は「仕方ないなあ」ともう一度溜息を吐いた後、「まずは自己紹介からしておきましょうかー」とほわほわした口調のまま微笑んで続けた。


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