第4話『クラスメート』
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高等部教練棟、東別館。
普通科の第一学年の教室は、魔法工学によって核シェルター並みの強度を持つほど補強されたその典型的な近代魔法建造物の三階に位置していた。
一般的な高等学校の教室とは違い大学の講義室然とした階段教室には、四十人弱の普通科黒制服を着用した新入学生たちが思い思いの席に座っている。その中に枇々木零二の姿もあった。
「————というわけで! このダイナマイツボディな双夜ちゃんは残念なことに普通科の男子諸君なんかアウトオブ眼中だから! そこんとこヨロシク! 以上!」
猿見田双夜と名乗った眼鏡をかけたセミロングの小柄な少女が、慎ましやかに膨らんだ胸を張って声高に宣言する。
入学説明会は滞りなく終了し、現在進行中でクラスメイトの自己紹介が行われていた。枇々木零二はというと、遅れて到着したにも関わらず、最後尾窓側という比較的悪目立ちしにくい良質なポジションを確保できていた。休憩時間中も自分から誰にも話しかけることはなく、かといって誰から話しかけられるわけではない、非社交的な雰囲気を醸しつつ、ひっそりと空気のように自らの存在を教室の空気に希釈する。人間関係を構築すれば、それだけ厄介ごとに巻き込まれるリスクが高くなる。ただでさえ、風紀委員の先輩に目をつけられているくさいのだ。これ以上、ヘマをやらかすわけにはいかなかった。
さしあたっての零二の当面の目標は、この普通科クラスにおいて、居ても居なくても何の問題にもならない人畜無害というクラスメイトからの共通認識の確立である。
しかし、先ほどから肘をついてぼんやりとクラスメイトの自己紹介を聞いていたそんな彼だったのだが、今しがた将来のウィザードを彼氏にするためにこの魔法学園に入学してきたと公言した少女————双夜を眺めながら、ふとモヤモヤとした違和感を覚えていた。
(……あれ? あいつ、最近どっかで見覚えがありまくるんだけど。どこだっけ?)
彼は対人関係において他人を記憶することは、決して得意な方ではない。彼にとって重要人物ではない限りは、昨日に出会った人間でさえ忘れてしまうことすらある。そんな彼がちゃんと虚覚えているのだから、それはきっと双夜という少女が今朝から今までのどこかで自分と遭遇しているに違いない。そう思って零二が曖昧な記憶の糸を手繰り寄せていると、教壇から退散して自分の席に戻っていった双夜の足取りを目で追っていくうちに合点がいった。
————ちぇっ、ゼンゼン、ウケないじゃん。このクラス、ノリ悪いよマジで。
————まあまあ、お前と違ってここにいる連中はみんな不平不満タラタラなやつしかいないからね。次、あたしの番かな?
————みーちゃん、がんばって……っ。
双夜にひそひそと話かけているのは、二人の少女。一人はボーイッシュな短髪のスレンダーな少女で、もう一人は気の弱そうな雰囲気の黒髪おさげの少女である。双夜を入れたその三人組の少女たちと、零二はつい数時間前に遭遇している。
双夜に変わってボーイッシュな短髪のスレンダー少女が座席から立ち上がり、背筋を伸ばしてクラスメイトたちを見据えて息を吸う。彼女のモデルのような長い両足の太ももには、それぞれ二丁のハンドガン型ガジェットがホルダーに納まっている。
「あたしは雉子谷光葉。見ての通り魔力量が規定値に満たなくて戦闘科に入学できなかったウィーカーだよ。でも実力は決して戦闘科の連中に劣ってないと思ってる。だから三年間、あたしはこの普通科にいるつもりはないから。ま、その時までよろしくね」
ペコリと頭を下げて不敵な笑みを浮かべると、双夜が「きゃーかっこういい! みっちゃんが男なら双夜ちゃんのお婿さんにしてあげちゃうところだし!」と腕を回して黄色い悲鳴を上げている。ただ、教室内の空気はそれとは逆に、ピリピリとしたムードになった。
というのも、どうやら、今年は光葉のように二軍落ちして戦闘科や技術科に入学できなかった人間が少なくはないということに零二は気付いた。確かに、普通科のウィーカーが在学中の功績によって学年中途に戦闘科や技術科へ格上げ転入になった前例がないわけではない。が、それがどれほど狭き険しき門であるのか。
ただ確かなことは、光葉のその台詞が夢を諦めきれない人間たちや半ば諦めかけていた人間たちの燻っていた炎を点火するには十分であったということだ。彼ら彼女らは、自らのガジェットを握りしめ、それぞれ上を目指す人間へ対抗心を燃やしているに違いない。
席に戻った光葉に双夜が耳打ちした。
————別にライバル増やすことなかったんじゃない?
————いいんだよ。切磋琢磨して競争する人間がいた方が実力がつくんだ。
肩をすくめた光葉は、隣に座っている黒髪おさげの少女に両手を合わせて申し訳なさそうな表情になった。
————それよか大丈夫か、わんこ。ちょっと自己紹介しにくい空気つくっちった。ごめん。
————う、ううん。だ、大丈夫だから。い、いってくるね。
————がんばれ、わんわん!
光葉の謝罪に、首をぶんぶんと横に振った黒髪おさげの少女は、ぎこちない動きで立ち上がる。光葉とは違って猫背でキョロキョロと忙しなく視線を動かし、そして、明らかに緊張しているといった風にナンバ歩きしながら、教壇の前に立ってクラスメイトの方を振り返る。
「ひっ」
クラスメイトの視線に恐怖したのか、半ば涙目になってオロオロし始める少女。彼女は応援するジェスチャーを送っている双夜と光葉の方に視線を固定させると、膨らんだ胸元に手をあてて自分を落ち着かせるように大きく息を吸って深呼吸し、ゆっくりと口を開いた。
「わっ! わたしっ、はっ! 犬神壱子でひゅっ!」
語尾で盛大に舌を噛んだ黒髪おさげの少女は、顔を真っ赤にさせてしばらく口をパクつかせた。それから、目をぎゅっと閉じると、早くその場から立ち去りたい一心で頭をブンと下げて自己紹介をそこで切り上げようとしたようだった。しかし、彼女の思惑とは裏腹に、一礼した額を目の前にあった教卓に撃ち付けるという不運に見舞われた挙句、最終的には漫画のように転倒してしまったのである。
ぽかんと口を開けながらその光景を見ていた零二は、クラスメイトの男子全員の視線が、転倒して捲れあがってしまった彼女のスカートの中に集中してしまうのを感じ、せめて自分だけでもその動物柄の可愛らしい下着を見なかったことにしてやろうという淡い気遣いで、そっと紳士的に目を反らしてあげるのだった。
※
さて、若干のアクシデントがあったものの、クラスメイトの自己紹介も無事終わり、明日以降の日程の伝達事項も教師から受け取ったため、放課となった教室内は少しずつ騒がしくなってきていた。一人黙々と帰り支度をする者がいる傍ら、ほとんどの人間がいくつかのグループに分かれて、商業地区や娯楽地区へ行ってみるとかみないとかの話で盛り上がっていた。
零二はというと、一人でせっせと帰りの身支度を行っている者のうちの一人である。彼は指定の学生鞄に筆記用具の類を押し込み終えると、そそくさと教室から出ようと自分の席から立ち上がる。その時だった。
「へいへいっ! ヒビ吉ぃ! ちょっと双夜ちゃんたちにツラ貸せよぉ! おぅおぅ?」
仁王立ちしながら胸を張る眼鏡の少女に呼び止められた。玉の輿狙いだと公言した少女————猿見田双夜である。その隣にボーイッシュな短髪の少女————雉子谷光葉、そして、その背後に隠れるようにして、こちらを恥ずかしそうに見つめているおさげの少女————犬神壱子もいる。
彼女ら三人組に帰り道を阻まれてしまった零二は、「うっ」と表情を引きつらせると、わざとらしく後ろを振り返って誰もいないことを確認し、それから自分を人差し指で指摘して応えた。
「そのヒビ吉っていうのは、その、俺のこと……ですか?」
同級なので敬語でなくともよかったはずであるが、ヤンキー口調でオラオラと自分を見上げながら眼を飛ばして詰め寄ってくる双夜の圧に押されて、零二は数歩後ずさりした。
「キミ以外に誰がいんのさぁ! おう?」
「おいおい、止めときなよ双夜。彼が戸惑ってるだろ」
肘で零二の腹を突つき始めていた双夜に、呆れた表情で光葉が止めに入った。すると双夜は「ちぇっ」と舌打ちしたかと思うと零二から軽いステップで距離を取って下がると、ニヤニヤとした悪い表情になって光葉の背後にいた壱子に耳打ちする。
————なかなかの腹筋でしたぜ。わんわんも触ってきたらぁ?
耳まで赤くなるおさげの少女。
「双夜が悪かったね。こいつ、初対面関係なく馴れ馴れしくうざ絡みする悪癖があるんだ。許してくれ。えっと、枇々木、……だっけ?」
申し訳なさそうな表情になって合掌する光葉に、零二は肩をすくめて「別にいいよ。可愛い女の子三人に絡まれる分には悪い気分にならないし」とだけ返す。そんな彼を見て、双夜と光葉はきょとんとした表情になったあと、バッと背後の壱子の方を振り返り、顔を突き合わせて内緒話を始める。
————わんわん、やばいって。あいつ見た目によらず、たぶんタラシだっ。
————そうだな、わんこ。たぶん今まで何人も女を食ってるクチだ。
————え、ええっ……?
チラチラと不安げな視線を流す壱子に、零二は耐えきれずに口を開いた
「誰が垂らしだって? 何人も女を食ってるだって? 全部聴こえてるぞ、お前ら。こちとら今まで彼女のカの字も知らない、ただ幼気な男子学生だぞ。少しは言葉に気をつけろ。虚しくなってくるからさ」
零二の言葉にどういうわけかホッと安堵の溜息を漏らす壱子はさておき、双夜と光葉が再び前に出て彼に相対する。
「ヒビ吉は私らの名前わかってる? っていうか、さっきの自己紹介の時、ちゃんと聞いてた? キミ、ずっと上の空でぼーっとしてなかった?」
眼鏡のフレームを触りながら口元に笑みを浮かべる双夜に、零二は頷く。認識阻害していたにも関わらずこちらの挙動を把握していた双夜の、馬鹿っぽい言動とは裏腹の抜け目なさそうな眼鏡越しの瞳に、若干の警戒感を抱きながら、彼は順番に視線を投げて彼女らの名前を記憶から吐き出す。
「猿見田さん、雉子谷さん、それから犬神さん、だろ?」
「同期なのにさんづけぇ? ヒビ吉ちょっと身持ち固すぎくんだよぉ! 双夜のことは呼び捨てでいいよ!」
「そうだな。私のことも呼び捨てで構わないぞ。私も枇々木って呼び捨てで呼ぶし」
「あーっと。じゃあお言葉に甘えて。猿見田と雉子谷。俺に————」
————なにか用か?
零二がそう続けようとしたところ、急に今まで黙っていた壱子が、双夜と光葉の間を割って彼の前に飛び出してくる。台詞途中のまま口を開けて固まっていた零二が、飛び出してきたはいいが自分のスカートの裾を握りしめてずっと俯いて黙っている壱子に声をかけようか迷っている最中であった。
「わんこもさん付けじゃないほうがいいってさ」
やれやれと首を振りながら言った光葉の台詞に、ブンブンと首を縦に振る壱子。
「むしろ、わんわんは下の名前の呼び捨てでもいいってさぁ」
「ふっ、ふーちゃん!」
「壱子って書いて、わんこ。ね? 可愛い名前っしょ!」
「わんこ? ああ、だからワンワンね。犬神っていうなんか堅苦しいのよりも、愛嬌あっていいじゃん。わんこ。それに呼びやすいし、わんこ」
双夜に詰め寄っていた壱子が、零二の台詞にゆっくりと振り向くと、涙を溜めた目で顔を真っ赤にして全身から汗を噴き出させる。こうなるとさすがの零二も、触るとすぐに死にそうな小動物のような少女への対処がわからなくなり、とりあえず謝っておくかという結論を導いた。
「すまん。悪かった。さすがに名前の呼び捨ては、しないほうがいいよな」
ところが零二の言葉に、異を唱えたのは当の本人である壱子だった。
「違うよっ! あっ、ちっ、ちがくてっ! これは、ダメって意味じゃなくてっ! だ、だからっ! そのっ、あのっ……、あっ、あ」
裏返った声音も長くは続かずに、大気によって溺死寸前の魚のように口をパクパクし始める壱子。彼女に再び助け船を出したのは光葉だった。
「わんこでいいってさ」
彼女の台詞に、壱子は恥ずかしそうに小刻みに首を縦に振る。そして何かにハッと気付くと、壱子は双夜と光葉の間の隙間に引っ込んでいき、「……お話を中断して、ごめんなさい」としゅんと肩を落とした。
「あー、えっと。じゃあ。猿見田と雉子谷と、それから、わんこ」
にへらぁという擬態語が出てきそうなくらいの笑顔を光葉と双夜の間の隙間からのぞかせた壱子を困った表情で眺めた零二は、先ほどしようとしていた質問に戻った。
「俺に何か用か?」
「うーん。何か用ってわけじゃないけどさぁ。ねえ、みっちゃん?」
「ま、なんだ。ちょっとお礼がしたかったというか」
「お礼?」
零二も自分で我ながら白々しいとは思うが、ここはできるだけ白を切っておいた方がいいと判断したため、彼は素知らぬ顔で首を傾げた。
「今朝、戦闘科と技術科の入学式の前。わんこを助けてくれたそうじゃない?」
「なんのことだか。見間違いなんじゃない? 俺、昼過ぎまで寮にいたけど————」
途中で言葉を切り、口をへの字にした零二は、携帯端末のカメラ機能でばっちり自分と流堂寺彷徨が写っている写真を突き出してきた双夜のしてやったり顔に視線を投げた。
「いつの間に。確かに写真撮ってるやつは何人かいたけど、あの後風紀委員がデータ全て回収して処分したって話だったけど?」
しかもアングルから考えて、双夜の写真はあの現場から壱子を連れて人込みに紛れ込む一瞬の間で撮影したことは明白であった。
「ふっふっふっ、できる乙女はゴシップのシャッターチャンスは逃さないもんさぁ! さあ、証拠はあがってんだよぉ! さっさとお縄につけぇ!」
「いや、俺。悪いことしたわけじゃないし。お縄頂戴は御免だ」
「その通り。悪いなんてとんでもない。わんこに聞いた話だと、命を救ってくれたみたいじゃないか。だから、友人の命の恩人に対して何かお礼しなくては、と思ってね」
「なにそれ。デートでもしてくれるわけ?」
「でででででででっ、でーとぉ!?」
叫び声をあげたのは壱子。しかしすぐにハッとした顔で双夜と光葉の身体を盾に零二の視線を遮る。
「……ごめんなさい。気にせず続けてくださいぃ」
その様子をクスクスと面白そうに声に出して笑っていた双夜と光葉は、零二の頭上にクエスチョンマークが浮かぶのも気にせずに話をつづけた。
「ま、デートと似たようなもんさ。枇々木は今日の夜、なにか用事ある?」
「……まあ、用事ってほどの予定は、特にないけどさ」
「あってもこんな三人の美少女はべらせられるんだもん。用事なんてキャンセルだよ、キャンセル!」
「そういうわけだから、ちょっと今晩あたしらに付き合ってくれない? もともと三人で商業地区にあるレストランで入学祝いに食事する予定だったんだけどさ。テーブルにある椅子が一つ余ってるんだ」
「お礼ってわりには強引だなあ」
「ま、玉の輿狙って入学してくるようなやつとか、戦闘科滑ったのに普通科で虎視眈々と下克上狙ってるようなやつだからね。あたしらは。あっ、言っとくけど、わんこはただの良いところのお嬢様で、嫁にするなら滅茶苦茶良い物件だってことは付け足しとく」
光葉の台詞途中で「おおおおおおっ、お嫁さんっ!?」という裏返った叫びが零二の耳に届く。
「ちなみにそのレストランは、結構有名どころでさ。予約とるのも大変らしいよ?」
「ほら見て見て! 調理方法に魔法を取り入れたコース料理でぇ、こんな感じぃ」
双夜が見せてきた携帯端末のディスプレイには豪華な食事がテーブルに並んでいる様子が写っている。たまに上司である鞍馬テンコに同伴して有名店に行くことはあるものの、護衛の任であることがほとんどであるため、そういう料理にはてんでありつけた試しがなかった零二である。そして、手料理ができない彼のこれからの学生生活の主食が、軍から支給されたインスタント食であることを考えれば、景気づけにご相伴にあずかるのも悪くないと思えた。
「わかった。わかりました。大人しく美少女三人に餌付けされてやりましょうじゃないの」
零二の台詞に、ハイタッチする双夜と光葉の背後で、壱子はこっそりと小さくガッツポーズしていた。
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