第2話『入学式』
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魔法工学を応用して東京湾に建造されたメガフロート、通称”学園島”。
広大な人工浮島のほとんどの敷地は学園の管理区画であり、校舎棟を始め、多種多様な学園管理施設が立ち並んでいる。また、軍や一般企業の研究棟、商業施設や娯楽施設さえ存在しており、そこは日本であって日本ではない。一種の治外法権区域と化してた。
現在、この国では他の魔法先進国と同様、一部の魔法使用可能地区を除き、一般に魔法を行使するには、ウィザードもしくはソーサリーエンジニアと呼ばれる国家資格を有していなければならない。そして、それらの資格を取得するためには、この国唯一の国立魔法大学を卒業することが最低条件であり、さらに、その難関国立魔法大学へ進学するためには、三つある付属魔法学園のいずれかの高等部を卒業する必要があった。
ウィザードやソーサリーエンジニアの資格を持っていれば将来の地位と名誉は約束されたようなもの。特に花形である魔法戦闘に特化したウィザードは、今やどこの国、勢力、団体、組織がどれだけ金を積んでも欲しがる引く手あまたな人材である。
そのせいもあって毎年、三つの魔法学園には、それぞれ定員を大幅に超える志願者が殺到することは必然であった。その中から生まれ持った魔力の質量や魔法演算の処理速度の先天的素養はもちろん、実技試験と筆記試験に優秀な成績をおさめたうえで、小論文と面接でも他を圧倒する後天的素養を兼ね備えた選りすぐりの、いわゆる魔法を扱うエリートたちが集まってくるのである。
「……帰りてぇ」
第三魔法学園高等部入学式が開会される予定の多目的体育館の前のベンチに独りで腰を掛けて項垂れていた黒髪の少年が顔をゆっくり上げて呟いた。まるで閉じかけの瞼の内から覗かれている、心底怠そうな彼の瞳には、見ただけで金銭的に余裕のある生活をしているとわかる雰囲気の父母たちと、これから待ち受ける学生生活に期待の念を膨らませて瞳を輝かせている入学予定者たちでごった返している様子が映っている。
少年が眺めている入学予定者たちの制服の色は、ほとんどが白やオレンジ基調であった。一方で、少年が着ている制服は、塵を漁る烏のように漆黒基調。これは入学する所属学科の違いによるものに他ならない。
というのも、三つある魔法学園には、それぞれ三つの学科が存在していた。
一つはウィザード候補生を育成する魔法戦闘科。これは文字通り戦闘特化の魔法とスキルを身に着けるための学科である。
二つ目は魔法技術科。こちらは非戦闘の部門であり、裏方でウィザードの補助や魔法技術の研究、魔法戦闘には必須である魔法式演算領域拡張特殊武装、通称ガジェットの開発等を専門に行うソーサリーエンジニアを育成するための学科であった。
そして三つ目。
あまりに広大な敷地面積の運用維持管理にかかる人材や費用を賄うための人数合わせとして、生まれ持って魔力がないため魔法を使うことができないオーディナルや、魔力はあるものの一定水準に達せずに魔法戦闘科や魔法技師科に入学できなかったウィーカーと呼ばれる落ちこぼれが補欠枠として通うことになる普通科である。
魔法戦闘科は白、魔法技師科はオレンジ、普通科は黒の制服。
明確に色分けされた制服は、学園内のカーストを示していると言っても過言ではない。
入学者数も毎年それぞれ定員二百名程度の魔法戦闘科や魔法技術科とは違い、普通科は五十人にも満たない。ゆえに、力もなく数の暴力さえも許されない普通科の生徒の魔法学園内での立ち位置と言えば、最下層に位置していても不思議ではない。
ならばなぜ、多額の学費を支払ってまで、普通科に通う学生が一定数存在しているのかと問われれば、それは難しい質問である。ただ、権力者である親の見栄と意地だけで入学させられる者、夢を諦められずに何かの拍子に魔法戦闘科や魔法技術科の空きが出て繰り上がり転属を待つ者、将来のウィザードやソーサリーエンジニアと少しでもお近づきになってあわよくば玉の輿を狙っていたりする者、学園敷地内の一般企業の上級研究員のご子息ご令嬢、ただの物好きな金持ち等、それぞれ個々に奥行きのある深い事情をバックボーンとして抱えていることだけは確かだった。
さて、今年の普通科入学予定者は四十人程度。
先ほどからベンチに座って怠惰な台詞と溜息を吐き出し続けている少年————枇々木零二も、直属の上司に面倒な潜入任務を押しつけられるという、多少は他とは毛色の違う、ただし同じように複雑に込み入った事情を抱えている、普通科入学予定者のうちの一人である。
————どうして普通科のひとがここにいるのかしら?
————目障りだよなぁ。普通科の入学式はやらねえのによ。どっか行けよ。
まだ入学さえしていないうちからイチャついて腕を組んでいるカップルらしき男女の入学予定者が足早に通り過ぎていく間際にぼやいた台詞を耳にして、零二は本日何百回となく吐き出している溜息を吐露した。
確かに彼らの言う通り、普通科は、魔法戦闘科や技術科のような盛大な格式ばった入学式は行われない。おざなりに渡された行程表では、本日午後、一般教練棟の教室にて取って付けたかのような入学説明会が行われるくらいだ。いくら物忘れが多いと上司にどやされることの多い零二も、そんなことは百も承知であった。
(こっちだって午後の入学説明会まで寮の自室に帰ってゴロゴロできるならそうしたいっつーの……)
ただ、零二としては、魔法戦闘科と技術科の入学式が終わるまでは、この場所で待機監視してろ。従わなければコロス。————と、今朝方に寝起きで届いた上司からの命令に従っているに過ぎない。
学園島は、この国で魔法の行使が許されている地区の一つであり、魔法行使可能となるガジェットの常時携帯が許可されているのは思春期真っただ中な少年少女たちが大多数である。入学式という浮かれたシチュエーションにおいては、普段では起きないようなアクシデントやトラブルが起こりやすくなるということは言うまでもない。
さらに、零二の目の前にいる者たちは、自覚の有無によらず、少なからず誰かを蹴落として勝ち上がってきた、いわゆる勝ち組の人間たち。それに比例して積みあがった屍たちの大きく膨れ上がった妬み恨みが、この時期に爆発しても何らおかしくはない。現に、魔法学園の入学式前後の期間中に全国で発生する魔法関連の事件や事故数が統計的に優位に跳ね上がっているということは、毎年この時期にお茶の間のテレビやネットのニュース板を一度でも垣間見た人間であるなら、誰もが知っていることだろう。
そんなわけで、溜め込んだ妬み恨みが最も行きつきやすいであろうこの場所、この時間においては、本来であれば厳戒な警備体制を敷いてしかるべきである。
しかし、入学予定者の家族でない限り学園の独立自治の観点から軍や警察等のプロフェッショナルはまったくと言っていいほど介入させてもらえない。零二が見ている限りで、一部はウィザードの資格を有しているはずであろう教職員たちも、この魔法学園が自主自立、学生主体の魔法教育を謳っているためか、周辺の巡回すらしていないようだった。
あくまでも警備に当たっているのは風紀委員の腕章をつけた魔法戦闘科の上級生諸子のみ。それも全体を警戒するには圧倒的に数が足りておらず、警備としては穴だらけである。
(だからと言って、ヘンな気を起こすようなバカはいないだろっていうお偉いさん方の判断なんだろうけどさ……)
学生とはいえ、魔法使いとしては一般からすればエリートであることは確かである。そこらの負け組が束になっても決して勝てないことは誰が見ても明らかで、何ならガジェットで魔法武装したテロリストの集団でさえ制圧できてしまうくらいエリート中のエリートなウィザード候補生も在籍しているらしいと、零二は同僚間の風の噂で聞いていた。ただ、例えそうであったとしても、ネズミが猫を噛む時もあれば、双方に不運な事故だって起きうる。それにエリート中のエリートとはいえ所詮はアマチュア、全てに即応できるわけではない。楽観的な判断で、毎年何人の死傷者を出しているのか。今年は何人の怪我人が出るのかブッキー会社が賭け事の対象にするくらいであった。
零二の上司である鞍馬テンコが、彼をこの場所に配置した理由は、そういう有事に備えてのことなのだろうと思われた。ただ、彼が少し引っかかっていることがあるとすれば、潜入任務で自分があまり目立ってはならないという枷があることである。零二は今朝の天子とのやり取りを反芻回顧する。
————コトが起きてしまった場合、俺はどうすればいいんです?
————もちろん人命を守れとは言わないよぅ。その後の学園への潜入任務を優先してさぁ、監視しとくだけでいいにゃー。どーせ誰が死んだとしても、あの場所にいるのは私サマの隊には必要のねえ大した人材じゃにゃいだろうしにゃぁ。むしろ想定している最良のシナリオとしては、どっかのバカが何十人か巻き込んで爆発四散してくれることなんだにゃあ。今後、我々が学園自治に介入できる口実の一つになるしぃ。
————そんな殺生な……。一応、未来ある金の卵なんだしさぁ。
————なら一つ聞くけどさぁ、私サマの隊で魔法学園出身の人間はいるかぁ?
————…………まあ、そりゃあ。
————いねぇだろぉ? ホンモノのバケモノはさぁ、とっくに引き抜かれてるっつーのぅ。ま、そういうわけだからさぁ。チミの足りない頭脳使って、うまくやれよぅ? もし初っ端から正体がバレて退学とかになるヘマするような使えないヘボマヌケはさぁ。私サマの部隊には要らないからにゃぁ。そして私サマの部隊を除隊していいのは死体になったやつだけだにゃぁ。意味は、……わかるぅ?
暗黙のバレたらコロス宣言に乗っていた上司のどす黒い殺気を思い出して、零二はやれやれと首を横に振る。こうなってくると、何かが起こったとしても、白を切って状況の推移を見守るに徹しているしかない。誰だって自分の命を大事にしたいものである。それは幾多の死線を潜り抜けてきた少年とはいえ、いや、そんな少年であるからこそ、自分の死地を友軍からの鉄拳制裁という不名誉なものにしたくなかった。
「…………げっ」
ところが、そうは問屋が卸さないとはよく言ったものである。その眠たそうな半眼とは裏腹に、視野を魔法で拡げて全周警戒していた彼の視覚に、決して見逃せない不穏な行動をとっている者がいた。歳はちょうど零二と同年代くらいか少し上。中肉中背の、眼鏡をかけた少年である。零二と同じ黒い制服を着ていることから、普通科の入学予定者かその在校生であることがわかる。先ほどから挙動不審に辺りを見回しながら徘徊している。そんな彼を、零二は「おいおい」と額から汗をながしつつも透視魔法を行使して注視する。案の定、火属性系統の下級攻撃魔法をばっちり即時起動可能状態で保持してある携帯端末型ガジェットを懐に忍ばせて握りしめていた。
浮足立つ零二の心情を知ってか知らずか、不審な行動をとる眼鏡の少年は、まるで何日も眠っていないかのような血走った眼をふらつかせながら、何かに追い詰められたかのような表情で、白とオレンジの制服がそれぞれの家族や友人たちと談笑している間を彷徨っている。
誰も彼に見向きはしない。
さきほど零二の目の前を通り過ぎて侮蔑の視線を投げたカップルはまだいい例で、ここで普通科の人間といえば、飛び切りの美男美女、権力中枢に大きなコネのある人間、魔法や学業で戦闘科や技術科に比べても遜色ない成果を上げていたりしない限り、その辺で蠢く蟲扱いで、いないもの同然として扱われる。
(……よせ。よせって)
今、まさに眼鏡の少年は追い詰められすぎて引き絞られてしまった放たれる寸前の弓矢であることは疑いようがなかった。ここで見ず知らずの人間が声を掛けようものならば、その矢がどこに飛んでいくかわからない。追い詰められた人間が思いとどまれるには、その人間に近しい人間が思いとどまるよう説得しなければならないが、そんな人間がいたならば、彼は今まさにここで事を起こそうとしてはいないだろう。それをよく理解していた零二は、冷静になれという念を固唾を呑んで送るしかない。
「…………っ」
しばらくして、眼鏡の少年が携帯端末型ガジェットを握りしめた手を緩めた。何かを諦めたかのように涙を溜めた目をギュッと瞑って立ちすくむ眼鏡の少年である。取りついていた狂気が弱くなっているようだった。零二が、ほっと溜息をついて、今ならば赤の他人でも何らかのフォローができるのではないかと思い立ち、座っていたベンチを立ち上がろうとした、————その時である。
————なんだ。やらねえのかよ。詰まんねーの。
どうやら、不審人物に気付いていたのは零二だけではなかったらしい。ニヤついた表情でその眼鏡の少年の前に立ち塞がって声を掛けている二人組がいた。先ほど、零二が座るベンチの目の前を悪態付きながら通りすがった男女カップルだ。二人とも魔法戦闘科入学予定者を意味する白制服であり、男の方はその好戦的な表情と口調から、自分の腕には相当の自信があるらしい。
————な、なにを、言って……。
————知ってんだぜぇ。テメエがさっきからウロチョロして何か企んでるってことはよぉ!
わざと大きな声で周囲の注目をひいて、眼鏡の少年の逃げ道を無くすガラの悪い男と、クスクスと面白そうに笑っているその彼女。徐々に人だかりができてくる。賢明な判断を持っている何人かの学生が、近くの風紀委員の上級生へ通報しに行ったのを確認してから、零二は口をへの字にして事の成り行きを見守る。すると、ガラの悪い魔法戦闘科の男が、眼鏡の少年の頭を掴んで、その耳元で呟いた。
————ま、所詮はゴミだなぁ。
嘲笑。それに続いて眼鏡の少年が絶叫し、ポケットから携帯端末型ガジェットを取り出して、待機していた魔法を起動した。
四元素操作系火属性攻撃魔法【ファイヤボール】。
だが、黒い制服を着ている眼鏡の少年が、性格はどうであれ魔法戦闘科に入学できるだけの力を持った人間にかなうはずがない。わざとらしく悲鳴をあげた彼女の前で、ガラの悪い魔法戦闘科の男は不敵な笑みとともに腰に吊っていた長剣型のガジェットを引き抜いて、魔力により生成された火炎の弾丸を難なく弾き飛ばす。
爆発音。土煙が立ち上がるが、傷ついたものは誰もいない。周囲の学生はエリートである。各々が自分とその家族を、防御魔法で守っている。
————ひっ。う、うわわわわぁっ!
ガラの悪い魔法戦闘科の男に突き付けられた長剣型ガジェットの切っ先に後ずさりした眼鏡の少年は、踵を返して何かわけのわからないことを絶叫しながら遁走し始めた。そんな彼を面白おかしそうに追いかけるガラの悪い魔法戦闘科の男とその後ろでお腹をかかえて笑う彼女。眼鏡の少年は完全に正気を喪失していた。追ってくる脅威から逃げることばかりに集中し、その逃げている先に先ほど起こった爆発にうずくまって怯えていた、黒い制服を着ている黒髪のおさげで気の弱そうな一人の少女を知覚するのが遅れる。
そして、事故が起きてしまう。
眼鏡の少年が魔法火球の次弾を追ってくるガラの悪い魔法戦闘科の男に向けて、少しでも逃げるための時間を稼ごうとした、ちょうどその時に、うっかり気付いたのだ。自らが、がむしゃらに走るその先に、まるでその針路を邪魔するかのように蹲っている、黒制服の少女の存在に。
————どっ、どけぇぇぇぇえええぇッ!
放たれた【ファイヤボール】の精度は、あらかじめゆっくり魔法式を構築できていない分、先ほどよりも稚拙だった。所詮は眼鏡の少年は、その程度の魔法しか扱えないいわゆるウィーカーだったのだろう。ゆえに、その火球の矛先がガラの悪い魔法戦闘科の男や、周囲にいる魔法戦闘科や技術科に入学する予定の学生たちに向かっていたなら、零二にとっては何の問題もなかった。ところが、不運なことにも、その一般人からすれば鉄をも溶かす程度には灼熱の炎弾が向かった先は、絶望する表情すら浮かべられないくらいに迫りくる死に呆然としているだけの黒制服の少女だ。
(…………っ、この馬鹿たれッ)
零二は罵った。もちろん、それは後先考えずに腰に装備していたダガーナイフ型の自分のガジェットを引き抜いてしまったこと。
それから、魔法としては取得難度A相当に位置する時空間掌握系魔法【タイムトラップ】および難度B相当の身体強化系魔法【マキシマム・アクセラレータ】の同時起動にて、百メートル以上離れた距離を一瞬で詰め、黒制服の少女と炎弾の間に割り込んだのち、投擲したダガーナイフ型ガジェットに組み込んだ【ファイヤボール】の相殺魔法式が迫り来ていた火球に直撃し、完全にソレを無効化消失させるや否や、続いて腕に仕込んでいた同型のダガーナイフ型ガジェットを取り出して投擲すると、今度は眼鏡の少年が手に握りしめていた携帯端末型ガジェットを彼の手ごと貫通させて破壊してしまった、そのウィーカーらしからぬ手際の良さを、こんな衆目の前で曝してしまったことに。
上位魔法を二種も同時起動させたうえ、相殺魔法式を搭載して特攻したダガーナイフ型ガジェットが、オーバードライブにより地面に失墜してバチバチと火花と煙を燻らせた。
ウィーカーとして入学したにしては異質すぎる彼の挙動をいったい何人の人間が捕らえきれただろうか。
いや、何が起こったのか完全に理解できた者は、その場に誰もいなかった。しかし、少しでも零二の手腕を垣間見ることができた僅か数人が、彼に対して驚愕した眼差しを向ける。そのうちの一人であったガラの悪い魔法戦闘科の男が怪訝な表情で口を開けようとしたその時、ようやく風紀委員である上級生が鳴らしたらしいホイッスルのけたたましい音が鳴り響く。
「そこのお前ッ! お前もだッ! ただちに武装解除しろッ!」
(……ま、そうなるわな)
零二のダガーナイフ型ガジェットに貫かれた腕の痛みを意味不明な言葉で喚き散らしている眼鏡の少年を取り押さえる風紀委員の腕章をつけた白制服の屈強な男子学生の傍ら、同じように風紀委員の腕章を身に着けて零二を睨みながらビシッと手に持った扇子を突き付けてきた女学生は、他人の容姿の評価には疎い零二からみても、美少女といって遜色はなかった。
そんな彼女の命令に対して、零二は仕方ないといった表情で大人しく従う。彼としても、これ以上騒ぎを大きくしたくはなかったし、なるべく早くこの場から撤収しつつ、退学になった暁に上司の魔の手から無事に逃げおおせる算段をつけなければならなかったからだ。
「あっ、わんわんっ! いたいたっ!」
「わんこお前っ、大丈夫かよっ!?」
ここで、零二の後ろで怯え切って震えていた黒制服のおさげの少女に、周囲の輪を掻い潜って二人の少女が駆け寄っていく。一人はボーイッシュな短髪のスレンダーな少女で、もう一人は眼鏡をかけて抜け目なさそうな瞳をしたセミロングの背が低めの少女。二人とも蹲って震えている少女と同じように黒い制服を着ていることから普通科であることがわかる。
その二人の少女を視界に収めた途端、「みーちゃん、ふーちゃん……っ」と怯えていたおさげの少女の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「話はあとで! とにかく行くよっ!」
「……で、でも」
チラリと、おさげの少女の視線が自分の方を向いたのを零二は感じた。しかし、それも束の間のこと。
「いいからっ! 行くよっ!」
「ほらどいてどいてっ! どいてくださーいっ!」
脱兎とはこのことを言う。二人の少女は、地面に座っていたおさげの少女を半ば抱えるようにして走り出すと、人だかりを割ってどこかへ立ち去ってしまった。
————委員長、追いますか?
————いや、彼女らは被害者だろう。それにどうせ普通科の人間だということはわかっている。あとで事情を聴くとしても、探すのは容易かろう。それよりも……。
お付の風紀委員との声を殺した会話もほどほどにして、委員長と呼ばれた風紀委員の女学生が再び零二の方を睨んだ。
————こちらの処理が先だ。
(……やれやれ)
すでに観念していた零二は、警戒している風紀委員の上級生たちを刺激しないよう、ゆっくりとした動作でもって、身体のあちこちに装備していたガジェットを地面に落としていった。
一つ、また一つ。
ガス、ドス、カラン。
その数が二桁に到達した段階で、こちらを眺めていた風紀委員長らしい女学生の表情は、訝しみを通り越し、やがて引き攣り始めた。
なぜなら、複数のガジェットを持っていたとしても魔法式の演算領域が加算的に増えるわけではないし、ガジェットを同時に操れるわけでもないので、一般的に言ってウィザードがガジェットを複数持つ意味はないからだ。
それよりも、お金をかけて演算領域をより大きく、さらに個人の特性に合わせて最適にチューニングされた特注の、いわゆるワンオフのパーソナルガジェットを一つでも持っていた方が、ウィザードとしては理に適っていた。それは、この場において、零二の目の前にいる風紀委員の女学生が細い眉を歪めながら半眼になって引き攣った口元を隠している扇子型ガジェットや、周囲にいる白制服のウィザード候補生たちが持っている、多種多様な形状をとるパーソナルガジェットが証明していた。
さらに、周囲の人間を困惑させたのは、零二がまるで手品のように取り出している、その全てのガジェットが未チューニングの、規格統一された、十束重工社製ダガーナイフ型汎用ガジェット、柄も刀身も漆黒であることからブラックガバメントの愛称で呼ばれる代物だということだ。
ブラックガバメントは警察や軍所属のウィザードたちが、自分のパーソナルガジェットに不具合が起こった時用に護身程度にサブウェポンとして携帯している者が多い、現存するガジェットで最も安価で演算拡張領域も小さい部類に入るチープな大量生産品である。かくいう、その警察や軍所属ウィザードでさえ、ブラックガバメントを複数機装備している例はない。傍から見れば、ただ悪戯に装備を重くして自ら鈍重になっているだけなのは言うまでもない。
合計十二本のブラックガバメントを地面に落とした段階で、零二は両手を上にあげた。それは武装解除を済ませたという合図でもあり、抵抗する気はないという意思表示でもあった。風紀委員長であるらしい女学生は手にした扇子の先で零二の背中を突きながら念押しする。
「……本当にもう持ってはいない、な?」
「持ってませんよ。まあ、もっとも。俺が自分で装備した場所を忘れてしまっている場合はわかりませんけど……って、いや、冗談ですって。マジでもう何も持ってませんよ。逆立ちしたって出てきませんから」
冗談のつもりで言った台詞に警戒を強めた風紀委員長であるらしい女生徒が、手に持った扇子型ガジェットで対人にしては威力が高く設定されている電撃系魔法の魔法式を演算し始めていることに気付いた零二が、慌てて言いなおして事なきを得る。
「……まあ、いいだろう。そっちの五月蠅いのは医療棟に連れていけ。ある程度治療してやったら、島外の警察に引き渡せば良いだろう」
取り押さえられていた眼鏡の少年に視線を流して配下の風紀委員に命令したあと、彼女は零二の方を眺めながら扇子で手を叩く。
「お前は私と一緒に来い。聞きたいことが山ほどある」
(聞かれたくないことならば、山ほどあるんだけどな)
零二は本日何度目かになる盛大な溜息を口から漏らすしかなかった。
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