魔法戦争を終結に導いた最強のウィザードが、今度は落ちこぼれとして学生生活を送るようです。
まいなす
第1話『新しい任務』
※
「枇々木きゅーん。チミさー、学生生活には興味ないかにゃー?」
「は?」
入室して敬礼するなり、突如として直属の上官がダラシナイ下着姿のまま投げかけてきた質問である。
面食らった少年は、ポカンと口を開けたまま固まるしかない。
場所は首都中枢にある軍所有の、とある高層オフィスビル。
上級士官の中でも選りすぐりのエリート出世株しか這入りこめない上層フロアの一郭に、自衛軍第三独立特殊師団魔法戦闘特化大隊————自衛軍唯一隊員全てが上級ウィザードである少数精鋭魔法戦闘部隊————自衛軍内通称【ヨモツヘグリ大隊】の筆頭である大隊長、鞍馬テンコの執務室は存在する。
本来ならば清潔感溢れる広々とした室内は、そこら中に散乱した紙媒体資料や専門書の類、さらにはうち捨てられたインスタント食品の空いたカップやスナック菓子の空き袋等で足の踏み場もない。そんな汚部屋の片隅に、ドンペリタワー化したエナジードリンクの大量の空き缶。その手前にある高級ソファに、黒い下着姿の女が棒付きキャンディーを口に咥えながら、手に持った分厚い報告書に、心底億劫だと言わんばかりの表情で目を向けていた。
歳は二十代半ばといったところである。
ボサボサの長髪に眠そうな眼の下には大きなクマができている、しかし、それを含めてもなお、十人いれば十人振り返るほどの美女と言っても過言ではない程度に、整った容姿をしていた。そんな彼女が、グラマラスなボディラインを露にする無防備な下着姿で目の前に座っていれば、並みの男ならすぐさま鼻の下を伸ばしてしまいそうなものである。ところが、先ほど彼女から声をかけられた少年は、頬を赤らめることもなく、ましてや顔を背けて恥ずかしがる素振りすらない。それもそのはずである。これが彼女————すなわちバケモノの巣窟大隊大隊長である鞍馬テンコの平常運転であり、彼女の直属の部下である少年にとって、彼女のあられもない姿など、もう何度も見慣れてしまっていたのだ。
「おいおい。枇々木きゅん、チミさー。この私サマに、二度も同じ質問を言わせる気かにゃー? 私サマにそんな手間をとらせるなんて、そいつは困ったにゃー」
鞍馬テンコは読んでいた資料から視線を離し、未だに敬礼したままの姿勢で固まっている少年の方をちらりと見やる。
「ぶち壊すぞ」
執務室内の体感温度が急激に下がる。
鞍馬テンコの瞬時に変貌した冷たい声音と冷酷な眼光は、常人ならば蛇に睨まれたネズミのように卒倒しそうなものであったが、それを直に受けたはずである彼女の目の前の少年はというと、彼女の背筋の凍るような殺気を軽くいなしながら、敬礼していた手をゆっくり下ろして溜息を吐くだけだった。
「いやいや、困ってるのはこっちのほうですって。だいたい質問の意味がわからないんですケド。いきなりなに。非番でゴロゴロしてたっていうのに、いきなり緊急で呼び出しといて。またどっかの国で内紛が勃発したんじゃないかとヒヤヒヤしながら来てみれば。学生生活に興味がある? なんでそんなこと聞くんです?」
鞍馬テンコは半眼をさらに細めて舌打ちする。
「上官の質問の意味なんて考える暇があるならさー、さっさと聞かれたことだけ応えればいいじゃんかよーぅ。ムカつくにゃー。たったの二択だろー。学生生活に興味があるか、ないか。はよ、応えろやーボケカス」
「…………」
「ちなみに私サマが望んでる模範解答を言っとくと、興味アリよりのアリ一択だにゃー」
「…………」
「それで? それを踏まえて、チミの答えはどうなるのかにゃー? ん? 言ってみんしゃい」
「じゃあ、まあ。興味ナシよりのナシナシで」
「……私サマはさぁー、チミのそういう面倒くさいところ、マジで嫌いだゾー。素直に興味アリマスって言えよぅ」
「いや、ごめん。マジで興味ないんだもの。どうせ隊長が回答を誘導するんだから、その通りに答えたらまた面倒なことに巻き込まれるんだろうなーっていう算段を抜きにしても、です。そもそも、今さら学生生活なんか送ったって何が愉しいんだって話。いや、むしろ悲しくなるだけでしょうよ。だから、俺は嫌ですよ。絶対に」
「うるせー。私サマはよぅ、まだ何も言ってないだろがよぅー」
「隊長が眺めてるその報告書から、だいたいの想像はつきましたし」
少年が指摘したのは、先ほどから鞍馬テンコが手に持っている特クラスの機密資料である。少年はさきの短い時間で、数百ページに及ぶ分厚い紙媒体資料を透視した挙句、高度に暗号化された報告文書を解読していたのだ。「ったく、油断もスキもないったらにゃー」と鞍馬テンコは舌打ちをすると、咥えていた棒付キャンディーを口腔から引き抜いて、少年の方へ向ける。
「にゃらよぅ、引き受けたまえよ。このくっだらねぇ潜入任務をさぁ。ご褒美に私サマの舐めさしキャンディーやるからよぅ」
「うわっ、いらねー」
心底嫌そうな表情になる少年に、鞍馬テンコは細い眉を吊り上げて不機嫌そうな顔をさらにゆがめた。
「おいおい、そこは泣いて喜んでしゃぶりつくとこだろー? こんなキレイなおねえさんの唾液がべっとりついてる飴ちゃんだぞー? たぶんこの先一生、チミのような童貞をこじらせてる男には回ってこない一級品の価値ある食いもんだゾー? ほれ、ほれ」
「だから、いらねーって言ってんでしょうが。それ以上こっち押しつけてこないでくださいよ、ばっちぃ。なーにが一級品の食いもんなんすか。そんなもん配給食にも劣る代物ですよ。はやく元通りに収めるか捨てるかしてください。汚ったねぇ」
「おいおい、バッチーとかキッタネーは、さすがにねーだろー。おねーさん、傷つくわぁー」
「そんなことくらいで傷つくガラスのハートで、俺らの隊長やってないでしょ」
「つくづくチミはムカつくにゃー。私サマだって女の子なんだゾー」
「もう女の子って歳でもないでしょうに」
「…………ア?」
「あ、いや! もちろん妙齢っていう意味ですよ?」
ぶんぶんと首を振りながら慌てて訂正を行う少年を、ジト目になってしばらく眺めていた鞍馬テンコは、鼻を鳴らして突き出していた棒付キャンディーを口腔内に収めなおしてガリガリとかみ砕いた。
「まあ、いいにゃー。とにかく、だ。枇々木きゅん。いや、枇々木大尉、命令だ」
「……イェスマム」
「チミが学生生活に興味があろうがなかろうが、例の如く拒否権はないんだにゃー、これが。ま、いつものことだから、わかってるとは思うけどねぇー」
「なら、わざわざ呼び出さないで、命令書だけ端末で送ってくれりゃいいじゃん」
「んー、やっぱチミの嫌そうな顔は直で見たいじゃん?」
「くたばれ、この鬼畜上司め」
「だいたい、うちの人間で容姿が一般学生として所属できそうなの、チミ以外にいないじゃんかよぅ。一応潜入任務だしぃ、目立っちゃったら意味ないのにゃー。その点、チミのその二、三回くらい顔を合わせたくらいじゃ忘れちゃいそうな地味なモブ顔なら、平和ボケしてる学生連中なんかの中には、すぐに溶け込めるだろー?」
「悪かったですね。地味で記憶に残りにくい忘れ去られやすいモブ顔で」
「おいおい、褒め言葉だぜぇ? そんな間抜けそうなツラして、誰があの悪名高い第零号封印指定固有魔法【クラスターレイヴン】を扱える唯一無二の、我が国が誇るランクSSSのウィザードだと思う? 思わねーよにゃー。だからよぅ、この任務にチミがつくことはさぁー、すでに既定路線で決定事項なんだよねぇー。というわけでー、チミには第三魔法学園に一般学生として”入学”してもらうことになるから、よろしくにゃー」
「うげー」
「ちなみに入学式は明日だにゃー。手続きはもう済ませてあるから。ま、しばらく、普通の真っ当な人間の暮らしをしてみるのも、いいんじゃねーのー?」
今まで普通の暮らしというものをしたことがなかった少年にとって、それがどんなに苦痛であることか。鞍馬テンコは、それを十二分に分かったうえで、面白半分、面倒なことを押し付けたい半分で、この茶番劇の舞台に上がれと言っているのだ。
「……マジで、うげぇー」
項垂れた少年の心底嫌そうな声が執務室に溶けていった。
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