第2話

 いつの間にやら背後に立っていた誰かの言葉に思わず振り返る。そこにいたのはアニメか漫画にでも出てきそうな作り物じみた外見の、イケメンなんて言葉じゃ足りない『美しい』を体現したような発光しているようにすら見える和服で狐耳の男。

 私は不思議なことに誰も居ない古びた神社の、わざわざ柵を乗り越えて来なければならないこの場所に何故この男がいるのだろう、だとか、若い身空と私に言ったが目の前の男もたいがい若く見えるのに何故、だとか、そもそもなんで耳なんて付けているんだ、なりきったような口調で語り掛けてくるのだからアブナイコスプレ野郎なんじゃないのか、なんていう当然の疑問を抱く事が出来なかった。それどころか私の口は開くつもりも無かったのに勝手に返答を述べてしまう。


「疲れたからです。理不尽に晒されて生きるのにも、違う価値観を拒絶するバカな大人に囲まれるのにも」

「それならそこから離れてしまえばいい」


あまりにも単純な答えをそいつは提示した。神経を逆撫でされるような感覚が走るのを無視して淡々と告げる。


「身元を保証してくれる人もいないのに未成年が真っ当に働ける場所があるわけでもなし、家を出ても生きていけないんです」

「見たところ五年もせず成人するのだろう。あと少しの辛抱と耐えられないのか」

「無理だったからここにいるんです、あなたには関係ないでしょう!」


その声にやけにイラついて思わず声を張ってしまった。口から勝手に溢れ出た先程の一言二言と違い、自分が心から目の前の初対面の男にこの苛立ちを叩きつけてやりたいと思って発してしまったことがわかり、やけに恥ずかしい。こんなのただの八つ当たりじゃないか。だけど、あと少しがどれだけ先か分かりもしないのに、どうしてそんな事が言えるのか理解出来なかったのは確かだった。頭が冷えているにも関わらず言葉は勢いのままに迸る。


「あと少しの先に幸運が待っていてくれるなんて希望の抱き方を私は知らない。だってあと少しあと少しって頑張っても今まで何も無かったんですよ。だからもう疲れただけのこと」

「もしかしたら今日この後救われるかもしれないのに?」

「そういう願いに縋ってもう何年も経ちました。願い続けるのはエネルギーを使いすぎるしここから先を望むのは苦しいので」


それに反論しようとしたのかその男は口を開いたり閉じたりしていたけれど反論の言葉を持たないようで黙ったままだった。


「それに誰が救ってくれるの?私の人権だって家の中じゃあ、ないに等しいのに!ママにとって私はね、きっと家族じゃないんだ。血は繋がっていても家族なんかじゃないの」


男は驚いたような顔をして言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を連ねた。


「それはいったいどういうことかな?大切に守り育てて貰ったんだろう?多少反りが合わなくたって一時的なものなんじゃないのかい?きっと君の母君だって君を愛しているさ」

「愛されてないとは思わない、だけどあまりにも歪んでいるから苦しいのですよ。価値観だって違いすぎるし当然のように性格も合わない。それを歪んでるって言った日には私の人権はなくなっちゃうし、どうにもならないとしかいいようがないですね」

「人権がなくなるなんて大げさすぎるだろう、きっと頭に血が上っているんだ、落ち着いて」


男は窘めるような調子から落ち着かせる方向にシフトしたのだろう、柔らかい口調でゆっくりと言葉を連ねる。それが偽善者らしいしぐさに見えたものだから一つ溜息を吐いて脅しつけるように私は母親のことを語ってやった。

「落ち着いていますし、大げさでもない。例にとるならば、そうですね……私の下の名前、っていうの。だけどほとんど馬鹿子って呼ぶし少し重たい荷物を頑張って運べばゴリ子。服のセンスが地味だから地味子、本の虫でオタクっぽいから気持ち悪いって言ってキモ子。外では取り繕ってるけど、母親に家の中でまともに呼ばれた記憶なんて数えるほど。私のやることなすこと否定して、好きになった歌手やら俳優まで私が好いたからって詰って。目の前にそれを好んでる人間がいるのにわざわざ否定してなにがしたいの、なんていえばお前が好いてるから彼らが残念な存在になる、なんて詰られる。口に出したくもない言葉で謂れもないというのに罵られたことだってあります」


絶句したように黙り込み、口を開くことを忘れたような様の目の前の男に叩きつけるように笑って言ってやる。


「ね、言ったでしょう?ママにとって私はサンドバッグに過ぎなくて、よくても聞き分けのいいストレス解消のための道具。どう転んだって私、ママに娘として正しく愛されることはないので」


見ず知らずで私の母親なんて知らない誰かだとしても、人にあのひとの醜い部分を間接的に知らしめられたことにすっきりした。私は外面ばかり綺麗なあの女が世界で一番嫌いだったから見ず知らずのこの人の前では本性が知れているのが面白くてたまらなかったのだ。男は目を伏せて口を開く。


「なるほど、理解した。では飛び降りる前にほんの少しでいい、時間を私にくれないかい?」

「時間?」

「ああ、ほんの二三分で構わない。目の前で死なれるのは寝覚めが悪いしもしかしたら現世に残る気になるかもしれないだろう?」


今度は私が口をぱくぱくさせる番だった。男は手で古びた社の方向を指し誘導したものだから、もしかしたらここの管理者なのかもしれない、それならば自殺を止めるのも自明の理というわけかとほんの少しだけ申し訳なくなりながらさっきの男と同じように俯いた状態でついていくしかなかった。


前を歩く男について歩いているとふと、階段を上る前私の足をひっかくほど伸びていた地面の雑草がきれいさっぱり無いことに気が付いた。慌てて顔を上げればそこにあったのは紛れもなくあの古びた神社と寸分違わない、されど時間を巻き戻したように手入れをされ、空気さえきらめいて感じられるような全盛期のような姿だった。心の声がまたもや口からこぼれてしまう。


「なんで、だってここは何年も」

「うん?ああ、そうか。ここは目隠しをしてある神域でね。通常の人間には古びた外観しか見えない。ここは、なんというかな。同じ座標でもう一枚上にあるんだ。えっと……若い子にはいくつも重なっているてくすちゃあやれいやあというものがあるといったほうがいいのかな? 」


その説明を聞いて理性的な部分ではなんとか言っている内容は理解できても、本能的にありえないと拒絶する以外私に選択肢はなかった。口をぽかんと開けていれば手招きをされるが私は後ずさってしまう。


「ほら、逃げないでこっちにおいで、暑いだろう。現世はどんどん暑くなるからねえ、多少体感温度を下げて涼しくしても現実の日差しが実際に陰っているわけではないから熱中症になってしまう」

「お気遣いありがとうございます。……ってそうじゃなくて、こんなの、ありえないでしょう。だって数分でこんな風になるはず……かといって神域なんてそんなファンタジーなこと」

「うーん、まあ理解しがたい気持ちはわかるよ、でもまあそこは見て理解してくれ。百聞は一見に如かずっていうだろう? 」


男はぴこぴこと狐のような耳を動かすとぽんと手をついて、社の中に入ると皿に乗せた桃を取ってきた。


「さすがに仙桃ほどすごいものではないけれどそこらの桃よりは美味しいしいいものだと思うよ。だいぶ前に出雲で知り合った神がくださってね。たまにはいいものを食べろ、なんて親のようなことをおっしゃってくれたものだから突っ返すわけにもいかなくてもらってしまった。実際これを食べると多少体が軽くなるし安心して眠れるから重宝しているんだ」

「か、神から入手した桃……!? 」

「ああ、そうだよ? 」

「遠慮しておきます、食べたらとんでもないことになりそうですし」


あまりにも平然ととんでもないものを進められてさらに後ずさる。冷静に考えたら神域に自由に出入りできる出口などないのだろうが、平静と程遠い状態だった私はそんなことにすら思考が至らなかった。


「ああ、黄泉竈食の心配ならいらないよ。そもそもここは黄泉ではない、僕のルールで縛られた場だからこそ人にそんなことはしたくないしね」


困ったような笑顔で目の前の男は眉を下げてぽんぽん、と賽銭箱の横の石段に布を敷いて叩くものだからもうどうとでもなれと思ってそこに座り、皿を受け取った。渡されたフォークで切られた桃を一つ刺して、口に運ぶ。噛めばじゅわりと甘い果汁が滲み出て、今まで食べたことがないと確信できる本来手を伸ばすこと能わない代物であると確信した。男はそわそわと耳を動かしながら問いかけてくる。


「美味しいかい?」

「ええ、とても。……また食べたくなるほどに」


社交辞令でも怒らせないためでもなく事実だった。至上の快楽を舌に与えてくるこの甘い果実はまた食べたいと思わせるには十分すぎるものだった。


「それは良かった。ならぜひともまた食べに来るといい」


にっこり笑ってそう告げた目の前の男に目を瞬かせる。そうすれば男は笑ってああ、そうだと思い出したように声を上げた。


「君の名前は耀子さんだとさっき言っていたけど私のことは好きに呼ぶといい。何せこの社で過ごしていても祀るために訪れるものもろくにいなければ名を呼ばれることもないから忘れてしまったんだよ。また食べに来るときに呼び名が無いと困るかもしれないだろう?」


ほけほけと笑う男は神域だのと宣ったとき察してはいたが神であるらしい。どこか俗世に寄った雰囲気のある神にこれからも関わる、だとか面倒なことこの上ない。だがGPSでいちいち居場所を監視する母もここなら誤魔化せるかもしれないし何よりあの桃が食べたい。どうせ一度は投げ捨てようとした命だ、神であるらしい目の前の男の話し相手になってみるのも一興かもしれない。


そこまで思考を巡らせた私は考えるのをやめてこう答えた。


「なら、夕顔。夕顔、と呼ばせていただきますね」


その日、私のひと夏の誰にもできない体験は幕を開けた。

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