店員は妄想する
祈
第一話
晶が勤めているスーパーは夜21時に閉店する。そのため20時半ごろから蛍の光が流れ始め、店内にはしっとりとした雰囲気が漂う。蛍の光のメロディーには不思議な力がある、と晶は思う。聞いた者皆に「家に帰らなきゃ」と思わせるような、不思議な力が。晶もそのうちの一人で、彼女の心の中は帰りたい気持ちでいっぱいだった。もちろん晶は給金をもらってここにいる身なので勝手に帰ることなど出来ないが。
晶がレジカウンターにうずくまってクレジットカード決済の際に発生するレシートを整理していると、頭上から「あの」と控えめな声が降ってきた。顔を上げると、そこにいたのはスーツを着たサラリーマン風の男。あら、なかなかにいい男、と晶は思う。
「いらっしゃいませ!」
膝のバネを利用して立ち上がると意図せず飛び跳ねたような動きになって、晶はお客さんに変な挙動を見せてしまった恥ずかしさのあまり俯きながら「ポイントカードはお持ちですか......」と尋ねた。すぐさま蛍光イエローのポイントカードを差し出してくる男性の顔を恐る恐る覗くと彼の視線はレジ横のガムに向けられていて、良かったあんまり見られてなかったみたい、とほっとする。
ピ、とポイントカードを読み込むと、カゴに入れられた商品のバーコードを順番に読み込みカゴに積み込んでいく。晶はこの作業が一番好きだ。大きさも柔らかさも脆さも違うたくさんの商品たちを上手くカゴに積み込んでいく作業はまるで難解なパズルのようで、上手くいかなかったら悔しいし、上手くいったらとても嬉しい。誰か商品カゴ詰め選手権を開催してくれないかな、と晶は思う。二回戦までならいける自信がある。
男性が購入した商品はカップラーメンと3割引になったパンと缶ビールが5本、そして板チョコが1枚。それだけで晶の妄想は大きく膨らんでいく。きっとこの後家に帰ってカップラーメンを食べながらビールを飲むんだろうな、このパンは明日の朝ごはんなんだろうな、でも缶ビール5本ってちょっと多くない?そしてこの板チョコはいつ食べるんだろう。明日の朝のパンと一緒にだろうか。それともカップラーメンや缶ビールと一緒に?カップラーメンにチョコを溶かすと美味しいなんていう裏技が存在したりするのかしら。
そんなことを考えているとあっという間にバーコードを読み込み終わって、「777円になります」と晶は金額を読み上げる。表面では冷静に読み上げているが、その心は叫んでいた。うおおおおおお兄さんラッキーセブンですよ!やりましたね!きっと良いことありますよ!許されるものなら今すぐ男性とハイタッチをしたいが、さすがにそれはやばいと分かるくらいには晶も常識を知っている。そのため表面には出さないが、スーパー店員歴3ヶ月の晶にとって初めて見るラッキーセブンだったので、興奮はなかなか冷めなかった。もちろんそれは内心だけで、表面では冷静なスーパー店員を装って男性から小銭を受け取っているが。
なんと男性は777円ぴったりの小銭を持っていたようで、それに晶はまた興奮した。だって、彼の財布の中には確かに777円分の小銭が眠っていたのだ。つまり、彼はいつもラッキーセブンを持ち歩いていたのだ。すごい。何がすごいのか晶にも上手く説明はできないけれど、とにかくすごい。
レシートを渡そうとすると「いりません」と断られたので、行き場を失った手を下げ「ありがとうございましたー」と頭を下げる。レジに他のお客さんも並んでいないのでぼんやりと去っていく背中を見送っていると、スーパーの出口を出てすぐに男性が板チョコを食べ始めたのが見えた。
その瞬間、晶の頭の中はまた忙しなくなる。カランカランカラン、板チョコいつ食べるのか選手権、なんとまさかの大穴!スーパーを出てすぐ説にベットしていなかった晶は人知れず涙した。彼女はカップラーメンの隠し味説に賭けていた。
男性がいらないと言ったレシートの裏に、ボールペンで書き込む。
ラッキーセブンイケメン、大穴。
これが後から来たバイト先の先輩に見つかり、「なにこれ」と聞かれたので晶が意気揚々と説明すると「は?」と理解不能なものを見るような目で見られた。けれどそういう目で見られることに慣れている晶はその視線を受け流す。そんなことよりも大事なことがあった。閉店間際だというのに卵が一パックだけ売れ残っているのだ。晶の頭の中で卵たちは口々に「寂しいよ」「せっかく生まれたのに」「誰か買ってよ」と言ってぴいぴい泣いている。あまりに可哀そうなので晶はそっと卵のパックをレジカウンターに置いた。店員は特別に閉店後に買い物をすることができるのだ。明日の朝ごはんは卵焼きで決まりだ。みんな、晶お姉ちゃんがちゃんと食べてあげるからね、泣かないで。そっと紳士的に卵たちの涙を拭ってやる。
「晶、また卵買うの?昨日買ったばっかじゃなかったっけ」
「はい。でも、卵たちが助けを求めて泣いてるんです」
「は?」
本日二度めの理解不能なものを見る目だった。このスパンはさすがに最短記録で、晶は「先輩、日本新記録です、おめでとうございます」と言って三度めの「は?」を受け取った。
晶の頭の中はいつもうるさい。
店員は妄想する 祈 @inori0906
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