3話

 パチパチと薪が割れる音を立てながら、暖炉からは火がゆらゆらと揺れていた。暖かさに和んでいると聞き覚えのある靴音が耳を叩く。

 コンコン、と叩かれたあとに扉越しからハウルさんの声がしてきた。返事をすれば、ガチャリと重圧な扉が開けられる。扉は開いたままでハウルさんは無表情でそこに突っ立っていた。中に入ってこないハウルさんを不思議に思いながらも横目に、私は暖炉に手を当てて温まっていた。

 「入って来ないんですか?」

 「そんな不躾な真似を今はしないさ。……ただ」

 そこで区切ったハウルさんを改めて見る。ハウルさんはニヒルに笑っていた。暖炉の光でハウルさんの目が光った気がした。青と赤が深く混ざり合って、まるで鮮やかなアメジストの輝きだ。そんな吸い込まれそうな紫に一瞬、猛禽類特有の獲物を狙う目に見えたのも気のせいだろう。パチッ、とまた薪が割れてハウルさんの瞳から現実に舞い戻る。

 「君にとって最大の謎を説いていなかったと思ってね」

 ハウルさんの言葉を静かに聞いていたが、内心は気が気でなかった。最大の謎というパワーワードを聞いて平心を保てるほど己は出来ていない。トクトクと心臓がまた飛び跳ねていく。頭のどこかで早く逃げろと危険信号が鳴っている。

 「僕はエイダン・ハウル。この名に覚えは?」

 ハウルさんに言われて記憶を必死に探してみるが、何も心当たりは見つからなかった。そして見つからなかったことに焦りを感じた。

 何故こんなにも心臓がうるさくなるのだろう。体の中で嵐を閉じ込めて吹き荒れているかのように、心が、心臓が、大きく波打つ。ハウルさんは黒い手袋をした右手で人差し指をピン!と立てた。その細長い指に釘付けになった。

 「1つ。君は記憶を失っている」

 この時点で俺と知り合いだった可能性は出る筈だ。そう言ったハウルさんは何を言おうとしているのか。冷や汗が止まらない。

 ハウルさんはピン!と右手でもう一つ指を立てる。左手はポケットから何かを出していた。

 「2つ。ここに貴方の顔に似た写真付きのパスポートがあります」

 ハウルさんの左手にある革のカバーが暖炉に照らされ、よく見えるようになった。

 そこには自分の顔写真があった。その横にはルイーズ・パルヴァーと達筆な金文字で書かれてある。ハウルさんは「だがこれはもう使えなくなる」と笑っていた。笑う理由が分からず、ゾワゾワと足先から頭のてっぺんまで違和感を覚えた。

 目の前の探偵は悪い人だったのだと確信に近づいていく。注意深く目の前の男の一挙一動に精神を研ぎ澄ました。そんな私を分かってか、ハウルさんは笑うだけだった。パスポートをポケットにしまい、今度は1枚の紙切れを出してきた。

 「そして……」

 ピン!とハウルさんが3つめの指を立てる。そして自分はその紙切れの文字を見て、失神しそうになった。だって、そんな。

 「3つ目。これはある日僕の家に届いた釣書です。____さて、貴方はここで何と答えるでしょうか」

 あ、う、と言葉になっていない音が口から洩れる。

 答えるって、そんなの1つしか答えようが無いじゃないか。

 そのとき、たまたま扉近くの鏡が目に入った。自分の顔が赤くなったり青くなったりして忙しそうだった。頑張れ、と自分に叱咤をかけてこれから喋る言葉に集中する。

 「記憶に......ございません」

 捻りだした答えを言うと、目の前の探偵は声を出して笑ってしまった。要らぬ恐怖を味わったのにその仕打ちにイライラが溜まってしまった。顔に出ていたのかハウルさんは「ごめんごめん」と謝りになってない言葉を必死に出していた。それが可笑しくて、ついつい自分も釣られてクスクスと笑ってしまう。笑っていると、自分だけが笑っていることに気づいた。いきなり笑いを止めたハウルさんに驚愕して自分も細めていた目を開ける。そこには顔を真っ赤にして唇をきゅっと結び、何かを耐える表情のハウルさんが居た。数分経って、今度こそズカズカと入り込んできた。何から何までいきなり過ぎて後ろに1歩怖じ気ついて下がると、ハウルさんも1歩近づいてくる。2歩下がるとハウルさんは3歩近づいてきた。もう一度下がろうとすると、ハウルさんは長い足をダン、と音を立てて一気に間を詰めてきた。そして手を掬い取られる。

 取られた手と一緒に顔も動き、青年の顔をじっと見た。

 青年はというと、とろけた蜂蜜みたいな甘い目を寄こして、____その瞬間、柔らかな唇に意識を取られた。

 すると頭の中でパチパチという音が弾けた。ダイレクトに聞こえてきたその音を合図に、堤防がついに壊れてしまった。記憶が襲い掛かってきて頭が寺の鐘に頭を突っ込んだみたいに痛くなる。

 私は思い出したのだ。何故私が時差ボケもなく起きられたのか、何故私を泊めようとしてくれたのか。何故、ハウルさんは優しかったのか。そしてハウルさんが最初素っ気無かった理由も。

 「今まで探偵業だけにスポットライトを当てていましたが恋愛も良いですね。さて、報酬を頂きましょうか」

 ハウルさんの手が背中に回って、頬には厚い胸がぶつかった。トクトクと時を刻む心臓が現実なのだと知らせてくる。英男子は策士家だと聞くが、こんなにもしてやられるとは思わない。




 あれから数年が経ったいま。

 「それがその小説の題名の由来?」

 「うん。本は開いた途端に思い出せるから……」

 私はタイピングする指を止めずに、夫に笑いかけながら答えた。

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推理小説に異常が起きた にょみ @kalanchoe124

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