2 壊れた王様

 飛行機で連れられてきた宮岸聡一郎は、見るも哀れな姿だった。ズボンとシャツの色が分からなくなるくらい赤黒い色で汚れ、どうやらそれは大量の血のようだった。彼のものらしい蛍光色の靴紐で手首を固く縛られ、足元は片方裸足だ。左耳が小さく欠け、おそらく銃で撃たれた痕だろう。彼はルイの支援者たちに小突かれ、引っ張られながらルイの前に押し出される。面長の顔は汚れきって、切れ長の目はどろんと虚ろだ。正気を失っているのかもしれない。トウジがそう感じるくらいだった。場所はトウジとリリーが降り立ったのと同じ、川で洗われた石がごろごろと転がる河原だった。

「何だい、この汚れは。少しはきれいにしてから連れてきてほしかったな」

 ルイが言うと、むやみに背の高い三人の男女は、彼のことを説明し出した。聡一郎が暴れるのでこのまま連れて来たのだという。血は、彼らの仲間を銃で撃ち殺したときのものだ。彼の家のシェルターを出たあと、がれきの中をさまよっているところを捕らえられた。口ぶりから察するに、彼らは聡一郎の家の元使用人だ。聞いているうちに、トウジは胸が悪くなってきた。ルイが作り出す地獄絵図を、これからも正視できそうにないような気がしてくる。

 聡一郎が、何かをつぶやいた。ルイは気に留めることもなく、支援者たちと言葉を交わしている。トウジは聡一郎に近づいた。聡一郎がつぶやいたのは、「オリビア」の一言だった。

「誰かに会いたいんじゃないか?」

 トウジはルイに言った。ルイはトウジをただじっと見た。虫けらを見るように。

「彼は、誰かに会いたいんじゃないのか?」

「そうだとしても、見つかりゃしないよ。新大陸はもう滅茶苦茶だ」

 ルイは言い捨てた。聡一郎は、涙を一筋流した。トウジはいたたまれない。

「おれが壊した。全部壊した」

「違うね。世界を壊したのはぼくさ」

 ルイはにっこりと微笑んだ。

「君はぼくの計画に乗っただけなんだ。だから安心してこれからのソピアー社について考えておいてくれ」

「ソピアー社は、もう」

「おしまいだって言いたいのかい? 利用価値はあるよ。だから気にすることなくぼくの計画に乗り続けてくれればいい」

 聡一郎は、ひざまずいたまま黙っていた。次にトウジを見た。

「彼は? 君は?」

「あいつはルイ。おれはトウジ。あいつは――壊れた王様だ。おれは、おれは――ただの――あいつの、歯車だ」

 トウジはほとんど声を出さずに説明した。伝わったかはわからない。昔は右腕だと思っていた。でも、もうルイを運ぶ車のパーツの一つでしかない。トウジは、ケネスを想った。彼の無事を願った。


     *


 三日後、リングは使用可能の状態に戻った。次々に情報が舞い込んでくるルイとライリーのリングを、トウジとリリーはぼんやりと眺めている。トウジたちのリングは彼らとタイプが違うらしく、ドームを出てからはライリーが無理矢理送ったルイの記録以外は一度も届いたことがない。ルイとライリーは同じ養い親に育てられているらしい。心配しているらしい母親からの通信がひっきりなしに入る。ルイはそれを全て無視した。ライリーに至っては通知を切っている。

「戻ることはないんだよ、両親の元には」

 リリーの質問に、ルイは珍しく真顔で答えた。

「でも、ご両親はルイを育ててくれたんでしょう?」

「父からの通信がない」

 ルイはリングを睨むように見た。父親への執着は目に明らかだった。全てを壊したルイとその父親の関係。ルイは父親からの通信を求めているようだった。

「新大陸人なんだろう? 何もかもを失ったんだから、それどころじゃないのは当たり前じゃないか」

 トウジの言葉に、ルイは冷たい炎が透けるような灰色の目で睨みつけた。次に目つきはそのままで笑った。

「反応が見たいんだよ。この現状への感想をもらいたいんだ」

 トウジはため息をついた。


 拘束したまま納屋に入れてある聡一郎を見舞う。彼もリングを見つめ続けていた。頑丈なロープで縛り直された手首はあざになり、痛々しい。ルイもトウジたちも普通に生活しているというのに、彼だけが定期的に屋外で用を足す以外はここで縛りつけられて過ごしている。まるで犬だ。

「おれのリングにも通信は来てるはずだ」

 聡一郎は第一印象よりは落ち着いた様子でトウジに声をかけた。服装はずっとそのままだ。

「通信ができないようにしてある……。どうにかしてくれないか?」

「したら裏切者になる」

「裏切ったらどうなる? 殺されるのか?」

 聡一郎は暴れる際に叫びすぎて、喉が潰れている。声がかすれて聞き取りづらい。トウジは用心深く顔を近づけ、彼の言葉を聞き取った。その瞬間、眉間にかすかなしわが寄った。しかしすぐにほどけた。

「殺されるかもしれない。ルイは今尋常な状態じゃない。子供のころよりもずっと残酷になっている」

「おれはオリビアに会いたいだけなんだ」

 聡一郎ははくはくと口を動かし、それだけ言って涙を流した。

「オリビアって?」

「おれの……大切な人」

 トウジは眉を寄せ、聡一郎を見つめ続けた。聡一郎が縛られた手首で懸命に顔を拭き、ロープで擦れた部分が赤く染まった。もっとも、殴られた痕のある彼の顔は元々赤黒くなっている部分もあったが。

「君に同情する」

 トウジがぽつりと言う。今度は聡一郎がトウジを見つめる番だった。

「君は……何者なんだ? あの少年は、何なんだ?」

「あいつはおれの王様。でも、あいつは壊れた。君はこれからあいつに利用されるだけだ」

「君は? 君は誰なんだ? この間は名前を聞き取れなかったんだ」

「トウジ・ミュラー」

 聡一郎が硬直した。トウジをまじまじと見つめ、奇妙な表情を浮かべた。知っている人間を見たような顔だ。トウジは無表情に聡一郎を見ていたが、何か決定的なことをしたらしいと気づいていた。

「じゃあ、彼はあのルイ?」

「ああ」

 聡一郎は脱力したように座り込み、それ以上何も言わなかった。トウジはしばらくそこにいたが、彼が何も反応しないのでそこから去った。


     *


 ヤマボウシ、コナラ、クヌギ、マテバシイ、シラカシ、タブノキ……。この山には様々な木々が生い茂る。リリーを連れて山道を歩き、ルイは明るく説明した。この山は自然林が手つかずに残っており、日本神話の一つの発祥地も近いのだと。彼が初めて知った日本の鳥の名前はブッポウソウで、その鳴き声がいかに陰気でうんざりするかと。昼間の蝉たちの雌を求める叫びはいかに耳障りかと。リリーは笑みを浮かべていたが、表情は暗い。

「どうしたんだよ、リリー。お前は段々元気がなくなっていく」

 我慢できなくなったように、ルイはリリーに尋ねる。リリーはどこか下のほうを見つめ、またルイを見た。

「ルイは、辛くないの?」

 リリーの言葉に、ルイが微笑む。

「何がだい? 気分はいいよ。やりたいことはやったんだ」

「わたしには、ルイの心の中が滅茶苦茶になっているように思える」

 ルイが微笑むのをやめた。

「壊れてしまった世界は、もうそのままなの? 暴動が起きて、清潔で美しかったはずの都市は破壊されて、ショーウインドウは割れているし、人々は物を強奪していく。盗むもののないような貧しい人の住む田舎でも、強盗が起こっている。力の弱い人間は強姦されて、殺されていく。着の身着のままにその日暮らしをせざるを得ない人がたくさん生まれた。自治が機能しなくなっているからだよ。ルイはそれをほったらかしにするの?」

 リリーはそれをそっと、しかし力強く言った。リリーはいつだって控えめでささやくような声で話すが、これほどよく聞こえてくる言葉はなかった。

 トウジたちはライリーやサンドのコンピュータから映し出される、主要な都市を見てきた。かろうじて機能しているニュース映像もあれば、各都市に設置された多くの監視カメラの記録もあった。ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京、北京、リオデジャネイロ、その他多くの小さな都市のものも。

 街を破壊する貧困者を見た。路地に誘い込まれて金品を奪われ、最後に殺される若者を見た。安全なはずの高層マンションに侵入した男に強姦された少女のニュースを見た。真新しいホームレスたちの群れを見た。麓の商店の女主人は強盗に遭って殺されていたとルイの支援者が話していた。

 ルイはこの五日間、何もしていなかった。外の世界のことなど全く気にしていないようだった。飛行機などで次々にやって来る彼の支援者たちが、段々苛立っているのは目に明らかだった。彼もそれに気づいていないわけがないだろうに。

 ルイはトウジに振り向いた。

「お前はどう思う? トウジ」

 後ろのほうでライリーと共に歩いていたトウジは、言葉に詰まる。ずっと考えていたことだ。多くの正しさを求めたルイの支援者たちも、考え続けていたことだ。

「お前は道を示すべきだと思う。お前が空っぽだろうが何だろうが、新しい世界を指し示すのがお前の使命だ」

 トウジは、ただそれだけ言って黙った。ルイは考える。それからまた微笑む。

「わかった。すぐに声明を出そう。お前たちの望む世界を作ればいい」

 トウジが呆れたような、諦めたような顔になるのを見ると、ルイは、

「宮岸聡一郎を出す。彼にぼくらの言葉を代弁させる。ぼくらの壊した世界は、彼によって秩序を取り戻す」

 と続ける。違う、全く違う。睨みつけるトウジを、ルイは首を傾げて見据えた。

「何か不満でもあるのかい?」

 トウジは、首を振って応えた。

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