7 それがぼくらのアドレセンス【終】

 大学にいるときに――文学の授業中で、地域ごとのハムレットの舞台についてのディスカッションの最中だった――リングが鳴った。ふと見るとメッセージが届いていた。

「誰から?」

 同じ授業を受けている女性が覗き込んだ。ぼくは「妹からだよ」と微笑んだ。

 自転車に乗る前に、メロディーからのメッセージを開いた。「このサイトを見るように」とだけ書かれ、何かのサイトに移るためのゲートが青く光っている。ぼくは首を傾げながらそれを開いた。

 白いキューブが、ぼくのリングの上に浮かんだ。文字が書かれ、その横に色がグラデーションになって並んでいる。東雲色、八村蓮司。オリエンタルブルー、レイモンド・レイノルズ。白、ダミニ・ヴァルマ。ありとあらゆる言語の日記や手記が色分けされ、並んでいた。ぼくがいくら追っても終わらないくらい。全て十五歳の少年少女だった。

「メロディー、このデータ、公開されてるの?」

 手記をざっと見たあと、自転車を走らせながらメロディーに連絡した。リングから出てきた小さなメロディーはうなずき、

「全部そうだよ。見ようと思えば誰でも見られる」

 と答えた。ぼくは呆れて訊く。

「個人情報を大事にしてたんじゃないの?」

「他人の個人情報なんてどうでもいいよ。このほうが便利だろ、コリンにとって。色々わかんないようにしてあるからこっちの情報は何もバレないよ」

「ありがとう。読ませてもらうよ」

 ぼくはアスファルトの道を自転車で通り抜ける。まだカラフルで明るい気分になる季節だ。自転車が街路樹のカエデの落葉を踏みつけ、かさかさと音を立てる。通りのいつものコーヒーショップを見つけて自転車を停める。店に入ると、二十歳くらいのウエイターが「よう」と声をかけた。ぼくも手を上げて笑う。

 カフェオレを飲みながら、日記を読んだ。どれもこれも、思春期で溢れかえっていた。両親との不和、両親が離婚した、反抗期に戸惑っている、などの親についての悩みに加え、友人同士のトラブル、友情の高まり、新しい恋人ができて浮ついた気持ち、恋人との別れ、セックスについての悩み――。どれもありふれたことのようだった。けれどぼくにはどれもなかった。何一つ。

 頭の後ろで腕を組み、天井を見上げる。梁が剥き出しの白い漆喰の天井。小さく単純なシャンデリアが各テーブルの上から光を落としている。狭い店内に客は少なかった。

 メロディーを呼ぶ。

「考えてることがあるんだ。協力してほしい」

 彼女は一瞬考え、

「何だっていいよ。コリンのためなら」

 と答えた。


     *


「まずは人を集める」

「どうやって?」

 ぼくはまたメロディーの部屋にいた。昨日の騒ぎは父とアーサー以外にも伝わり、食卓は気まずいものとなっていた。父は気遣うようにぼくとアーサー、そしてメロディーに笑いかけ、三人とも、仲良くするんだよ、と穏やかな声で言っていた。双子は唇を突き出し、母は困惑したような母親の顔をしていた。そんな気まずい場所にはいられないというふりをして、ぼくとメロディーは部屋にこもっていた。

「君が探し出し、ぼくがコンタクトを取る。君の技術ならリングに感知されずにそういうことができるだろう?」

「あのさ、世界を壊すって、どうやるの?」

「わかってるだろう? 君はソピアー社のシステムに入り込むことができるんだから。――世界政府が管理してる無人兵器を新大陸で大暴れさせたら、大半の新大陸人は死んでしまうさ」

「それには人が必要ってこと……?」

「そうさ。無人兵器だけでなく、細やかな補足が必要となる。例えば殺したくない人がいるとする。その人だけ助けるには?」

 メロディーがぼくを見つめた。驚いた目をしていた。

「それに、もう一つ考えなきゃいけないよ。世界を壊したとして、その後どうしていくつもりか? これには大勢の協力者が必要だろう。彼らがどうしたいか聞かなきゃいけない」

 メロディーはぼくを見続けた。そして目を逸らし、「何だっていいよ。あたしはコリンに何でも協力する」とささやいた。

「じゃあ、よろしく頼むよ」

 ぼくは微笑んだ。


     *


 まず、ロゼを見つけた。彼女は憤っていた。日記に世界政府への罵倒の言葉を並べ、怒りをくすぶらせていた。メロディーはぼくのメッセージを偽装し、ソピアー社に見つからない形で彼女にぼくの言葉を伝えた。「この世界は変わらねばならない」と締め、ぼくは一瞬でその文句を頭の外に捨てた。

 ロゼは恐る恐るぼくに近づいてきた。「あなたを信用しても大丈夫なのでしょうか?」と訊くので「安心なさい、わたしは世界中に協力者がいるのです」と答えた。真っ赤な嘘だけれど。

 何人もの人間を「スカウト」していく中で、彼らの不満を巧みにつついた。新大陸人の家で使用人として人生を終えようとしている元モデルたちは、多くの不満を持っていた。ソピアー社を初めとする新大陸人の会社で働く旧大陸人もそうだ。手記や日記を通して見ると、新大陸には呪いの言葉が渦巻いていた。そろそろ壊れ時だったのだろう。ぼくはちょうどいいときにいたのだろう。

 ジョージは世界政府の環境省で管理職をしていた。多忙を極める仕事の中で、新大陸人への怒りを募らせていた。

 サンドは日記をうまく「隠し」ていたが、メロディーが見つけた。彼は重要だった。ソピアー社で働いたことのある優秀なエンジニアなんて、滅多にいるものではない。彼は新大陸にいたころの生活そのものを呪っていた。

 ぼくは人々の恨みの集大成を作ろうとしていた。でも、ぼくの意図なんて「世界を壊したい」以外に何もなかった。めちゃくちゃに暴れ、人が大勢死んでも構わない。ただ壊したい。

 ぼくは命じた。裏切者がいると殺させた。リンチさせ、誰に情報を漏らしたか吐かせた。吐かせた情報を元にまた殺させた。指を一本ずつ切り落としてやりました、とならず者の協力者に言われても、何も感じなかった。殺す予定の相手はまだ小さな子供を育てていて、と訴える協力者もいた。ぼくは彼のことも殺させた。あとで裏切りそうだし、面倒だったからだ。とにかく情に流されそうになるような協力者は理解不能だった。

 だって、世界を壊す大仕事をするのに、そんなことを気にしてられるか?

 メロディーはぼくを見て、時々首をかしげる。ぼくのことが化け物にでも見えるのだろうか? そう思って訊くと、

「何だかコリンはルイ・ブランに戻ったみたいだ」

 と答える。そんなことはどうでもいい。ぼくは壊さなきゃいけないんだ。


     *


「いい調子ね」とコーラが陽気な笑顔を見せた。「あなたの心臓はきっとこれからもずっと大丈夫だわ」

 コーラの病院には半年に一回診察に行く。心臓の調子を見てもらうためだ。コーラは気まぐれな性格なので、どんどん髪型や色を変え、今は結い上げた肩までの髪をマゼンタピンクに染めている。

 診察室の人体スキャン用のベッドから起き上がり、ぼくはにっこりと笑う。

「よかったよ。これから成し遂げることを考えたらそうでなくちゃ困るから」

「そうよ。あなたは大学に入って大きなことを成すんだから、病気になんてなってられないわよね」

 ぼくはCGASもCSTも合格し、十四歳の秋に大学に入った。物理学を専攻することにした。元々勉強していたのもあるが、無人兵器を理解するのにちょうどいいと思ったからだ。

「あなたのお父さんは元気?」

 コーラは医療従事者用リングに送られてきた電子カルテを見ながら訊く。ぼくは微笑んだまま、

「元気だよ。そうでなくちゃ困る」

 と答える。

「トマスは自分を律することのできるいい人間だからね。ストレスを溜めて胃潰瘍やうつ病になられちゃ困るわ」

「そうだね」

「トマスはわたしの支援者なの。旧大陸人のわたしにここまでしてくれる新大陸人なんていないわ。新大陸に行こうと計画していたとき、あそこでは旧大陸人の人権が保障されていないことを教えてくれて、本当に助かったのよ。トマスには長生きしてもらいたいわ」

 コーラはぼくに笑顔を向けた。屈託のない、でも苦みを知った大人の顔だった。ぼくはしばらく黙り、穏やかに聞こえる声でこう言った。

「ぼくも、父さんには長生きしてもらいたいよ。ぼくは父さんのことが好きなんだ」


     *


 アーサーと仲直りした。アーサーがぼくに対して悪いと思っていて、初めて謝ったからだ。

「ごめん。イライラしてたんだ」

 頭に手を当て、アーサーはうなだれて床を見つめていた。

「いいんだよ。ぼくは気にしてない」

 ぼくは快活に笑った。

「メロディーのことを変態だなんて言ったことも謝らなきゃ」

 アーサーのおどおどした表情は、ぼくを喜ばせも憐れませもしなかった。

「そしたらメロディーも許してくれるさ」

 ぼくは微笑んだ。メロディーは許さないだろう。でも、許そうが許すまいが、もう全ては終わりかけていた。アーサーとの生活も。

 父はぼくとアーサーの肩を抱いた。まるであの美術館に行った日のように。アーサーの細い顔がぼくの顔に近づく。何も感じない。

「よし、君たちはいいペアだ。それにいい兄弟だよ。もう喧嘩なんてするんじゃないぞ」

 アーサーは口を尖らせ、ぼくは声を出して笑った。まるでいい親子みたいだな、と思った。


     *


 サンドが世界政府のシステムに入り込んでいく。ゆっくり、ゆっくりと時間は過ぎていく。昼が近かった。昼食は用意してもらえるのだろうか。それはきっと合成食物じゃないな、と思った。

 ロゼとジョージは座布団に座ってサンドの後ろに回り込み、彼のコンピュータから出てくる記号を必死に見つめ続ける。きっと彼らはわかっていないが、見れば願いが叶うような気がするのだろう。無事に成し遂げられますようにという願い。


 サンドに「日本の宮崎にあるわたしの家に来てほしい。そこで最後の作戦を実行しましょう」と言われたとき、父は新大陸に向かうことになっていた。十五歳のぼくは父がいいタイミングで戻って来られるよう、父の銀行のシステムに不具合を起こさせた。やったのは父の銀行の従業員だ。ぼくの協力者でもある。父は新大陸のシティーへと移動し、ついでにボストンに帰ってきた。ぼくは日本への旅行を提案した。

「家族みんなでいられる期間はもうないよ。アーサーが博士になっちゃったら、仕事が忙しくなって揃うことなんてできない」

 心配な表情を浮かべるぼくに、父は笑いかけた。それがいいな。コリン、君の言うことは正しい。

 それでぼくらは急遽日本へとやってきた。アーサーは不機嫌だけれど、双子はきれいな着物を着てご満悦だし、母もリフレッシュできているようだ。父はそわそわと仕事のことを気にしてはいるが、もうシステムの不具合なんて起きないだろう。だって世界は壊れるから。


 サンドが小さく言う。

「パスワードが必要だ」

 メロディーが横でパスワードを読み上げる。サンドは顔に脂汗を浮かべ、文字列を指でなぞっていく。そこから彼は、新大陸の議員一人一人になりすまし、声紋認証を欺くコードを打つ。十二人の議員全員の声が流れる。歌うような高い声、威圧するような低い声、弱々しい声、自信満々の太い声、平坦な声、力んだ声、憎々しげな声、喜びに溢れる声、気取った声、爽やかで親切さを思わせる声、かなりの高齢を思わせるしわがれた声、どう考えても十歳前後の幼い声――。それらはこう言った

「世界よ平和であれ」

 ぼくがサンドを見ると、彼はコードを見つめ続けていた。それはサンドの願いではなく、無人兵器を動かすための言葉のようだった。

 コードが自動的に流れていく。もうサンドは打っていない。

「わたしたちが求める通りに動いてくれるでしょう。作戦は成功しました」

 ロゼとジョージが喜びの声を上げる。ぼくは握手を求められ、笑って応える。早く父の顔を見たい。ぼくは渇望していた。どんな顔か見たい。盤石だった自分の地盤が崩れて、どう思っているだろうか? うろたえているだろうか? 悲しんでいるだろうか? それはぼくがやったのだ。ぼくが壊したのだ。ぼくが世界中をめちゃくちゃにするのだ。

 ぼくは、ただ暴れたいのだ。ぶち壊したいのだ。小さな子供のように。そう、反抗期のように。

 父さん、こんなことを知ったら、父さんはもうぼくを愛したりはできないだろうね。ああでも、最初から愛してないんだから何も変わらないか。


     *


 もうすぐ君が来るね、リリー。君とトウジの飛行機はぼくの元に来る。メロディーに頼んでそうしてもらった。君が来ればぼくは完璧な自分に戻れるだろうか? いや、そんなことはないだろう。人間は不可逆的に変わっていくから。

 ぼくは大勢の十五歳の日記を読んだ。共感なんてなかった。ただ興味深かった。十五歳になると、ほとんどが思春期という病にかかってしまうんだと。彼らの日記はぼくにこう思わせた。彼らは我慢のしすぎだ。もっと暴れればいいのにって。

 君たちを新しい時代に招待するよ。さあ、ぼくらの地団太を見せつけてやろう。暴れて、暴れて、世界中を再生不能にしてしまって……。

 それから世界に向かって言ってやろうよ。

 それがぼくらの思春期アドレセンスなんだって。











                                  《完》

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