12 シェルターへ

 大変なことが起こった。手に負えない。どうしていいかもわからない。今は地下のシェルターにいる。どうすればいいんだ。日記泥棒。お前はこれに関わってるのか?

 とりあえず順を追って書いていく。

 オリビアに会いに行こうと、家を出てすぐだった。辺りはまだ明るく、雨もなく、森のようになった家々の敷地の上で遠くに入道雲が見えるだけだった。普段感じない、平和な気分さえあった。

 オートバイクで走り出して、すぐに黄色いオープンカーに道を遮られた。運転している奴に相応しいやり方だった。彼はにやにや笑っていた。それから「話そうぜ」と言った。

 おれたちは道と庭の境目にあるケヤキの下に行き、彼は腕を組んで幹にもたれた。にやにや笑いは変わらなかった。シルヴァーノの顔はあのときと比べたらかなりよくなっていたが、頬骨や目の上に青い痣が残っていて、目を逸らしそうになった。それを見た彼はますます笑いを深める。

「うちの母さんがお前の家に行ったんだろ?」

 シルヴァーノはそのままの顔で訊いた。そばかすの散った顔には木漏れ日がかかったり消えたりしている。そのせいで表情をうまく読み取れない。

「ああ」

 おれはうなずき、緊張を隠しきれずにいた。シルヴァーノは何か企んでいた。その内容がわからず、おれは不安に陥っていたのだ。

「母さん、おれのお陰で掲載料が下がったと喜んでたよ。全く、何て母親だよ」

 彼はけらけら笑った。おれからすれば、笑うようなことでもないから黙っていた。彼はそんなおれを見て、突然表情を変えた。右側の頬を上げ、邪悪な表情を見せた。

「親に処理してもらったから、もう大丈夫だと思ったか?」

 ぞっとした。同時にオリビアのことを思った。オリビアとその母を害し得る存在は、父だけではない。シルヴァーノもそうだ。

「おれがお前をボコボコにしないのは、お前の親と良好な関係でいたいからだ。でも、お前が黙っていて、ばれにくいことだったら大丈夫だよな」

「何を企んでる」

 シルヴァーノはにやりと笑った。

「女を貸せ。あと金をよこせ」

 おれは、血が逆流するような怒りと動揺を覚えた。

「オリビアは渡さない」

「そうかよ。じゃあ直接おれが女の家に行く。調べはついてるんだ。森の中のぼろい家だろ?」

「やめろ」

 気づけば彼の胸ぐらを掴んでいた。背はおれのほうがずっと高い。けれど彼は全くひるむこともなくおれを見上げて笑っていた。

「やめてほしいんなら金をよこせ。今回のことで小遣いを減らされちまったんだよ。贅沢できなくて困ってるんだ」

「金をやればオリビアのことを諦めるか?」

 シルヴァーノは「もちろん」と目を細めた。経験上、彼の言葉が信用できないことはわかっていた。金を渡そうが渡すまいが、彼はオリビアの家に行くだろう。そして仲間と共に家を荒らし、オリビアを傷つけ、有力な家系ではないオリビアの家の訴えをもみ消すだろう。それはきっと家族の力を使って行われる。想像がついた。

「何で」

 感情の高ぶりのために、声が裏返った。

「何でいつもこんなことをするんだ」

 おれの質問に、シルヴァーノは無垢に見えるほどの明るい笑顔を向けた。

「おれは陽気な悪魔なんだ。悪魔は悪魔的な所行をするもんだぜ、ソウ」

 シルヴァーノの「陽気な悪魔」という自称は、おれが物心ついたときから使われていた。何かしでかすたびに、彼は「陽気な悪魔」だからやってしまったのだ、と言い続けてきた。その通り、彼は笑いながら凄まじい悪行を重ねてきた。経歴に傷がつくことはしない。悪行の対象は主に旧大陸人と、立場の弱い新大陸人に限られていた。

「陽気な悪魔って言うけどな。お前の言う陽気な悪魔は演じてるみたいに見えるんだよ、シル」

 おれは絞り出すような声を出した。彼の服から手を離し、肩で息をした。シルヴァーノは笑っていた。

「何でそう思った?」

 シルヴァーノは訊いた。

「別に、根拠なんかない。ずっとそう思ってたんだ」

 おれの答えに、シルヴァーノはうなずいた。

「そうかもな」

 おれは彼をじっと見た。彼は明るく笑い、続けた。

「おれはずっと一族からそうなるように育てられてきたからな。おれの一族はかつての反逆者を連れてきて社会実験みたいなことをするサイトを運営して生計を立ててる。だから悪魔じゃないとやってけないんだよ。お前は悪魔にならなきゃいけない、と母さんから言われ続けて育った。兄貴も同じように育ったけど、耐えられなかったみたいだ。今は心を病んで、後継者候補から外された。おれは一族の期待に応えなきゃならないからな。悪魔にならざるを得ないんだよ。もちろん悪行を重ねろと言われてはいない。悪行を重ねても平気でいられる人間性を持つように求められてるだけだ。おれは、悪魔になるんだよ、ソウ。ただの悪魔だとエンターテイメントの会社を運営することはできないから、『陽気な』悪魔ってことだ」

「そんなの呪いだろ」

 おれは吐き捨てた。シルヴァーノの眉がぴくりと上がった。

「お前の一族からお前への、呪いにしか過ぎない」

 シルヴァーノは笑った。寂しそうに。木漏れ日がちらちらと彼の表情を明るく、暗く、揺らすように見えた。

「わかってんだよ。呪いなのは重々承知だ」

 彼はため息をついた。それからまた笑った。

「でも、それを指摘したのはお前が初めてだ」

 そんなことを言われても、彼がやってきたこと、やろうとしていることを、肯定することはできなかった。彼がオリビアを害する存在なのは相変わらずで、おれは彼のことを絶対に許すべきではなかった。

 でも、どこか彼を哀れんでいた。彼の人生を、空しいものと見ていた。彼のこんな人生が、これからもコピーのようにこの先の世代に続いていくのはおかしいと思った。

「あれ? 変だな」

 彼の言葉にはっとして、視線をたどった。そこには小さな球体が浮かんでいて、その真ん中に開いた穴が、彼のほうを向いていた。それは彼が継ぐ会社が運営するサイトで使われるカメラに似ていて、おれはシルヴァーノがそれを連れてきたのだと思っていた。でも、違った。

 次の瞬間、彼の頭部はスイカのように破裂した。

 声も出なかった。彼の頭部を成していたものが、顔や体に付着する感じのみがあって、一瞬何の感情も起こらなかった。でも、シルヴァーノの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、球体がこちらに銃口を向けたとき、小さく悲鳴が出た。おれは、全速力で家に向かって走り出した。

 あれは、最近開発された対個人用の自動銃だ。個人の顔形が登録され、登録されただけピンポイントで殺して回る兵器の一つ。何でここにあるんだろう。

 上空に陰が差し、異常な轟音が聞こえた。走るスピードを落として見ると、無人飛空艇SX‐Ⅳが空を塞ぐように飛んでいた。巨大なマンタのような灰色の機体から、無人戦闘機が溢れ出す。同時に、無人戦闘機は街中に散り、小さな黒いものを、親鳥がうっかり卵を落としてしまったかのように見える仕草で落とした。

 次の瞬間、鼓膜を破きそうなほどの爆裂音が響いた。次々と、それは続いた。遠くから順々に、家や木が破壊されていく。煙と、煙の臭いがこちらにゆっくりと這うようにやってきた。悲鳴が聞こえた。一つや二つではなかった。木々は燃え、近くにある家に火を移した。巨木によって潰される家は、そこかしこにあった。

 早く家に入ろう。使用人たちに呼びかけて、皆で地下シェルターに入らないと。そう思った。

 非常時に鳴るはずの警報が、ぴくりとも鳴らないことに、このとき気づかなかった。

 戦闘機が一機、こちらを追うようにやってきた。ソメイヨシノにたどり着いた瞬間、爆弾はそのすぐそばに落ちた。爆風と共に、体がふっ飛んだ。体は家の壁に叩きつけられ、体の右側を激しく打撲した。腕や足に擦り傷やあざができ、うずくまるほどの痛みだ。でも、それどころではなかった。三階建ての家を覆うような大きさのソメイヨシノは、幹が半分えぐれていた。すぐにも家に倒れ込むのは明らかだった。

「聡一郎様!」

 誰かが飛んできて、おれを助け起こした。フアンだった。

「早く、中へ!」

 彼女はおれを引きずるように歩き出す。その瞬間、彼女は落ちてきた何かに押し潰された。ソメイヨシノの太い枝の一つだった。

「フアン!」

 おれは彼女を呼び、助けようとした。でも、彼女の体の大半が枝の下にあって、動かせそうにない。

「聡一郎様、早く中へ」

 フアンは苦しそうに顔を歪め、おれに言った。

「でも、お前を助けないと!」

 おれが枝を押していると、フアンは息苦しそうにおれの名を呼んだ。

「中にいる奥様や使用人たちを、シェルターにご案内なさってください。わたし一人が助かっても、シェルターの入り口が塞がっては何にもなりません」

「でも」

「聡一郎様。聞き分けをよくしてください」

 フアンの言い方は、小さな子供に向けたようなものだった。ふと何かが思い出された。

「わたしは、聡一郎様を一瞬でもお助けできただけで満足です」

「でも、フアン……」

「桜の木、絵本みたいに中をお家にしたかったんですよね。できなくなってしまって、残念ですね」

 フアンは、微笑んだ。おれは涙がどっと溢れてくるのを感じた。そうだ。フアンは、五歳から十歳までのおれの育児係だった。両親はおれの世話をするのを嫌がっていた。小さな子供が嫌いだったのだ。それで、フアンがおれの世話をするようになった。フアンは、木登りをするおれを心配したり、中国の昔話を聞かせてくれたり、おれの「お話」をじっくりと聞いてくれたりした。フアンは、おれの幼少期の一部だったのだ。どうして忘れていたんだろう。父にフアンに懐きすぎると叱られたことを思い出す。あれからおれは彼女から引き離され、忘れてしまったのかもしれない。

「旧大陸人にも、心はあるのですよ」

 寂しげな声で言った、フアン。おれは十二歳だった。彼女に懐いていた時期を忘れかけて、彼女に暴力をふるったおれに、彼女は潤んだ目で言ったのだ。おれは、酷い振る舞いをした。

「ごめん、フアン。おれ」

 何も言えなかった。フアンは苦しそうに微笑み、「行って」と唇だけ動かした。おれは、走り出した。

 フアンに対する後ろめたさで一杯だった。フアンとの思い出を忘れていたこと。母に倣って気軽に彼女を殴っていたこと。それなのに彼女はおれを許した。それどころか助けてくれた。

 裏口のドアを開き、厨房に入る。そこは無人だった。料理がされていた気配もない。

「ドニ! 誰かいないのか?」

 廊下に出て、大広間に入る。そこに、ドニはいた。一人で呆然と立っていた。

「ドニ。ここは危ない。桜の木がもうすぐ倒れてくる」

「聡一郎様」

 ドニは青ざめた顔でこちらを見た。その足下を見て、おれは悲鳴を上げた。

 絨毯の上で母が死んでいた。胸元から血が溢れ、体の周囲に血だまりができている。母のつるりとした顔はぽかんと中空を眺めている。唇はいつものように赤く塗られ、それが毒々しく感じられる。横に銃が落ちていた。母が持っていたようだった。

「銃声がしたので来たら、奥様が亡くなられていて。この状況ですから、誰かが中に侵入したのかもしれません」

 ドニの手は震え、声もわなないていた。

「他の使用人は?」

 おれが訊くと、ドニは首を振った。

「わかりません。わたしには。厨房から出たら誰もいなくなっていて」

 とにかく、桜が倒れる前にシェルターに入らなければならないと思った。ドニを引っ張り、あの小部屋に向かう。

「聡一郎様、どこへ」

「シェルターだよ。シェルターはこういうときに使うんだろ?」

 おれは小部屋のスイッチをつけた。それから入り口を開き、ドニと一緒に中に入った。家が押し潰される音がした。この部屋が壊れてしまうのも時間の問題だ。中から急いで重い扉を閉めた。閉まる寸前、目の前にある家の風景は、次々と破壊されていった。

 螺旋階段を下りる。電気をつけると、どうにか薄暗いくらいの明るさになった。おれが壊し尽くした壁紙が、目の前にあった。物資は十分にあるし、新しいものも多かった。しばらくこの中にいることは可能だ。

 ドニはずっと震えていた。こんな状況は初めてのようだった。おれは彼を座らせ、物資を開けて保存用の水を飲ませた。

 突然、思い出した。オリビアはどうしているだろう。連絡をしなければ。そう考えて、ここが地下シェルターの中だと気づいた。電波が届くことはない。多分、オリビアも家のシェルターに入っているはずだ。そうだと思いたい。そう思うしかない。

 日記泥棒。お前がこの日記を手に入れるのは、おれがここを出たときだろう。おれは、しばらくドニとここにいる。

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