11 彼ら

 そうか。そういうことか。日記泥棒。お前はおれをずっと見ていたんだな。


     *


 いつから見てた? どうやって見てた? 目的は? おれを選んだ理由は? 訊いても返事が返ってこないのはわかっているが。


     *


 日記泥棒。ここからはお前のために日記を書く。日記自体をやめることも考えたけれど、それじゃあおれの負けだから。


     *


 帰ってから、オリビアから送られてきたサイトを開いて見た。リングから映し出される形はキューブ型で、一見したところ今時の何でもないサイトだった。文字情報が多くて、誰かの日記が載っているのは一目でわかった。アラビア語、広東語、ギリシャ語、英語、中にはエスペラント語の日記もあった。彼女がこんなサイトをおれに見せる意味がわからなかった。日記は何てことのない内容ばかりで、親への不満だとか、友達とのやり取りとか、恋人とのデートの記録がつらつらと書かれているだけだったのだ。

 日記のタイトルには色の名前がついていた。例えばロイヤル・ブルー。例えば東雲色。モーヴ・ピンクなんて色もあった。それぞれの色に相応しい内容が書いてあった。青い海での日々をつづった日記にはインディゴ・ブルーが。ロシアの宮殿での思い出には金色が。ページをめくるうちに、これが最近ひっそりと噂になっている日記泥棒のサイトだと気づいた。サイトには、普通ありえない南十字星保護観察ドーム群の少年の日記があったから。

 少年の日記は「スチール・グレイ」と名づけてあった。鉄の灰色。おれたちが「刑務所」と呼ぶあの施設の色にぴったりだった。彼は日々に希望を持って生きていた。ありえない、希望を。名前はトウジ・ミュラー。おれたち新大陸人が下水道のそれと近い印象を受ける場所に、彼は生きていた。

 「ザ・フリーク・ショー」の日本人専門のチャンネルにいる少女の日記もあった。藤尾沙良はカメラの向こうの観衆に見られ続ける生活の中、道を見いだしていた。

 唐沢ライラという少女は、富と才能への憧れと嫉妬にまみれていた。貧しい生活と孤独の中で、彼女は少しずつ壊れていった。

 彼らは皆、生きていた。おれのいる、この世界に。嘘と断じることもできた。けれど、信じないわけには行かなかった。彼らが明日の自分に希望を抱いていることが、その理由だった。彼らは困難の中に生きていた。そこにどうにか明るい未来を見いだしていたのだ。信じないということは、彼らの希望を踏みにじるのと同義に思えた。

 最後に見つけた、おれ自身の日記がそれを後押しした。おれは、日記泥棒に盗まれた夏の休暇の自分自身による日記を見て驚き、動揺し、最後に怒り狂った。

 日記泥棒。おれの日記を打つ手段がヴィジュアルキーボードでよかったと思うよ。音声認識機能を使ってリングに話しかけるやり方だったら、きっと感情的になっていた。今も怒っている。でも、冷静に見えるように打てている。

 怒っているのは、オリビアにおれの日記を見せたからだ。意図したことであろうとなかろうと、それは許せない。お前はおれの秘密をオリビアに漏らした。おれが心に秘めていたこと、銃のことも。おれはこの夏の日記で「親に見られなければそれでいい」と言った。でも、今は違う。おれはこの日記をオリビアに見られることが、一番嫌だったんだ。

 彼女はおれをどう思っただろうか。今このリングで通信をしたら、話してくれるだろうか。別れるときの最後の言葉。あれはどういう意味だったのだろう。日記は今も読んでいるだろうか。おれの最低な人間性に、呆れているだろうか。

 他の日記の主の話に戻ろう。

 トウジ・ミュラー。君はきっと知らないだろうが、君の親は実の親ではない。君の家族は世界政府が勝手に組み合わせただけのものだ。家族というシステムは歴史が長い。子供を育てるためには効率的なものなんだ。自死が多く、子供が育たないドームで作業労働者を増やすために決められたんだ。でも、君の家族はいい家族だったように思う。君とケネスとリリーは、もうこの世にないだろうが。君たちはリングを腕につけている。それを持っている限り、世界政府の追跡がないはずがないんだ。

 藤尾沙良。君は新大陸にいるはずだ。シルヴァーノが継ぐ会社はシティーの中心にあって、屋上近くにチャンネルのための階層があると彼が言っていた。君はトウジと同じ立場で、前の戦争では反乱者だった者たちの子孫と位置づけられるはずだ。血筋がいいものが多いと、シルヴァーノが言っていた。君は時代が時代だったら日本の旧華族だとか、そういう人間なのかもしれないな。君と静雄は、多分そこから出られないだろう。君たちの子孫も。君たちはきっといずれシルヴァーノの気まぐれでばらばらにされる。彼が継ぐというのはチャンネルの性質が変わるということだ。

 唐沢ライラ。君はとうとう壊れてしまった。世界政府が、いや、新大陸人が作る世界は、普通の人々にとって辛いものだ。おれは君たちのことでずっと心を痛めてきた。でも、痛めていただけだ。君たちは、壊れてしまっても当然の人生を送っている。君の手記を見るまで、おれは知らなかった。旧大陸での、旧大陸人の生活を。このまま君はボロボロになるまで生きていくだろう。そして、おれは何もできない。

 疲れてきた。お前に怒り続けるのは相当なエネルギーを使うよ、日記泥棒。お前は一体どうしておれたちの日記を集めたんだ? 全くわからなくて、その不気味さのせいでイライラするよ。

 オリビアに、通信するのは無理だ。おれのこと、どう思う? なんて訊くことはできない。ベッドルームに誘われたのは、彼女のおれに対するからかいだったのかもしれない。

 でも、彼女と話したい。会いたい。おれに笑いかけてほしい。

 だから、今からまた彼女の家を訪れてみようと思う。

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