summer green

1 日記泥棒

 日記泥棒がいるらしい。

 そいつはおれくらいの思春期の子供が書いた秘密の日記を集めて回っているのだそうだ。そんなことをしてどうするつもりなのかと思ったら、ウェブ上にまとめて公開するんだとか。何の意味があるっていうんだろう。

 おれの日記も盗まれるのだろうか。盗まれても、何とも思わないな。両親に見られなければ何だっていい。おれの日記はおれにとって価値がない。ただ吐き出すための場所だ。

 盗みたいなら、盗めよ、日記泥棒。


     *


 さっきから何度も壁を撃っている。母の趣味で派手な壁紙で装飾されていた壁は、もうぼろぼろだ。母から盗んだピストルは、とても小さくておれの手にすっぽり収まるくらい。指を引き金にかけただけでも弾が発射される、撃ちやすすぎるほどの銃だ。

 壁紙は剥げ、穴があき、一部めくれてコンクリートの地が見えてみすぼらしいくらいだ。母がヒステリックに怒り狂う日が来るとしても、それは空襲があるときくらいだろう。空襲なんて、この新大陸では絶対にありえないと父が言っているからそういうことなんだろう。少し疑わしいけど。

 世界政府から見て非公式の組織同士の小競り合いや、一般人の強盗や殺人はありふれているらしい。そういう人間が入ってこないように新大陸は選ばれし人間だけが住めるようになっている、とそのとき父は言った。ああ、そう、と言おうとして、呑み込んだ。代わりに胸ポケットの銃をジャケットの上から撫でた。

 今はもう触れないくらい熱いから、銃は床に放り出している。耳栓を抜いて、火傷防止の帽子とゴーグルと手袋を脱いで、あぐらをかいて座っている。もうしばらくしたら、また壁を撃つつもりだ。もう残り少ない弾を、最後まで撃ちきってしまおう。衝撃を受け続けた腕がだるい。でも、そうしないと気が済まない。

 ここは地下のシェルターの中だ。シェルターがうちにあってよかった。なかったら、木や動物を撃たなきゃいけない。おれは、自然の生物を傷つけたくない。ただし相手が人間ならさほど罪悪感を抱かないと思う。


     *


 シェルターから出て、今は自分の部屋にいる。自分でも思うけれど、この部屋はお坊ちゃまの部屋だ。壁紙は薔薇色、絨毯はクリーム色、床まで届く重い両開きのカーテンは薔薇模様のロイヤルブルー。ガラス戸に塞がれた樫の本棚はヴィクトリア調の装飾が施され、読みもしない本が大量に入っている。複雑な形に削り出された足のマホガニー製の書き物机、椅子、大きく派手なベッド。これら部屋の調度品は全て母が用意したものだ。

 なるほど、母の望む息子とはこういうものなのか、と納得をし、おれはその通りに振る舞っている。周囲の人間もおれが地下シェルターで銃をぶっ放すのが趣味だとは思っていない。上品に微笑み、柔らかい物腰で、周りの人間にそつなく接する。そういう十五歳の少年だと思っている。そう思われるたびに、おれは周囲に無関心になる。

 毎日退屈している。そろそろ死んでもいい気がする。でも死ぬのに必要な激しい動機など当然なくて、のらりくらりとただ生きているだけだ。

 家の周りには多くの巨木が生え、家を圧倒する。それらの木々を見ていると少し生きている実感がある。曲がりくねった桜。初夏の日差しに透き通る新緑。三階建てのおれの家の二倍ほどの高さがあるソメイヨシノは、二十一世紀末に開発された促成剤によってこれほど大きくなった。

 環境問題のほとんどが解決したのは促成剤によって急速に地球上を覆った緑の木々や草花のお陰だと言うし、おれたち新大陸人は自然を尊重しすぎるきらいがある。

 おれたちは旧大陸人が生活のために桜の巨木を切り落としたら、そいつの腕を両方切り取るだろう。世界各国にある自然保護区を破壊する者がいれば、どんな事情があれそいつを殺すだろう。それくらい過激な「信仰」を持っている。

 おれたち新大陸人が成功を納めた背景には、環境問題を解決したという実績と、自然から得られる薬品や健康食品の材料などがある。健康はおれたちにとって大事な人生の一大要素だ。長く栄華を味わわせてくれる自然はおれたち新大陸人にはなくてはならないものだ。

 そういうことを皆口々に言う。ああ、そうなんだ、と受け流したら奇異の目で見られるのでおれも表向き同意している。でも、桜がどんなにきれいでも、おれたちの人生を長引かせてくれても、生きるためには切り倒さなければならないときも来るのではないだろうか?


     *


 まだ冷え切っていない銃を手入れしていると、ドニの声がした。ドニがおれの手首に巻きついたリングからミニチュアの上半身を出していて、少し驚いた。もう昼食の時間らしい。

 柔らかい口調でフランス語訛りの英語を話すドニ・アポリネールは、驚くほど美しい青年だ。鼻筋がはっきりしていて目は深い青。さぞかし旧大陸ではもてただろうが、残念ながら新大陸では働きづめだ。わが家の専属コック長である彼は、おれたち家族三人のために毎食の食事を用意する。コックの世界大会で去年優勝した彼は、それからすぐにわが家にやってきた。

 明るく正しい印象を抱かせる彼は、暑くて敵わないくらいの夏の盛りのある日、少し涼んできた時間に異邦人としておれの家の前に立っていた。グレーのベストを身に着け、オレンジがかった短い金髪の上につばのあるグレーの帽子を載せ、オールドイングリッシュ様式で装飾過多の無駄に大きい父の別荘を見ていた。その目は好奇心と期待に満ちている、という気がした。これから彼を待っている仕事を知っているおれは、何だか気の毒な気がしたものだ。ぼんやりと三階の自室の窓から彼を見つめていたら、彼はおれに気づいた。それから微笑んだ。明るく、まぶしく、正しく、美しい。そんな笑顔を見て、おれは目を逸らした。

「昼食のご用意をいたしております、聡一郎様」

 リングの小さな穴から生えた格好のドニは、完璧な笑みを浮かべておれを真っ直ぐに見つめていた。おれは銃をかちんと鳴らしてベッドサイドテーブルに置いた。ドニが眉をひそめる。

「また銃ですか?」

「銃は、捨てるよ」

 おれは気まずい気持ちで小さくつぶやく。ドニはまた笑みを作り、

「捨てるようにとは申しておりません。さあ、お父上とお母上がお待ちですよ」

 ときれいに並んだ白い歯を見せた。


     *


 おれが食堂に入ると、両親は白いテーブルクロスがかけられた十人がけの不必要に大きなテーブルで待っていた。父は大袈裟に手招きをし、母は小さくお小言を言っている。客がいる。しばらく逗留するというその男は、トマス・アッシャーと名乗った。カールした茶髪が頭のてっぺんを避けるように生えた長身のアッシャーは、柔和な顔をおれに向け、おお何と賢そうなお坊ちゃんで、と褒めそやした。その頭上にあるガラスのシャンデリアが今すぐ落ちたらいいのに、と突然望んでしまう。

「お待たせ。お腹が空いたよ。朝から夢中で本を読んでいたんだ」

 アッシャーに丁寧に挨拶をし、おれは笑って明るく子供っぽい声を出す。なぜならそう望まれているからだ。本を読んでいたのはたったの十分で、そのあとはシェルターに忍び込んでひたすら銃を撃っていたとはおくびにも出さない。

「呑気なものね。お父様はお忙しいというのに」

 母がつるつるの白い肌を輝かせながらおれを見た。それを見ると吐き気がする。

「へえ、どうして?」

 おれは興味津々の顔を作って母を見て、笑う父を見る。その動作をこなしながら使用人によって引かれた椅子に座る。

「議員さんに呼ばれているの。世界政府から何か要望があるらしいわ」

「一恵、子供に話す内容じゃないだろう」

 父が笑みを浮かべながら、それでも何だか誇らしそうに母に注意する。母は鼻を鳴らし、

「聡一郎はあなたの仕事を継ぐのでしょう? 知っておくべきでは?」

 と紅い唇の端を上げる。父は、笑って誤魔化す。

 どうせ父はわが社が開発したチエノワのネットワークシステムに介入したい世界政府の要望を押しつけられて帰ってくるだけなのだろう。チエノワは世界中で使われているが、正式な名前を呼ばれることのない商品だ。皆呼びにくい正式名称を避け、「リング」と呼んでいる。それでもチエノワはわが社の主力商品であり、今ある権力の源泉だ。

 しかし、おれが会社を継ぐという話は怪しいものだ。今のところ父はおれを猫可愛がりしていて、ありとあらゆるものを買い与えている。ほしくないものさえ先回りして与えようとするくらいだ。けれど会社経営に関しては、冷静な部分も持っている。今時の新大陸では会社の運営を親族に任せることのほうが主流だし、実際同じスクールに通ったシルヴァーノ・ザニーニは母の跡を継ぐことに決まったという。だからといって、父が簡単におれに継がせることはないだろう。おれは、今のところそういうのには向いてない。父もそれを知っている。おれは、金だろうが財産だろうが、何かに執着することができないのだ。

「前菜でございます」

 使用人の女が、野菜をふんだんに使ったカラフルなバーニャカウダが盛られた白い皿をおれたちの前に運ぶ。「遅いぞ」と父がつぶやく。女は父の前に行き、慣れた冷静な声で「申し訳ありません」と深々と頭を下げる。父は鼻を鳴らし、フォークで皿をつつき始めた。おれは、この女にはもう父の手がついてるかな、とふと思う。

 父は美しい女が好みだ。それも父独特の基準の。父が選ぶ女は皆背が高く、顔は馬面といってもいいくらい面長で、つんと澄ましているように見える人形じみたものだ。父はそんな女を見ると自分の家の使用人にせずにはいられないのだ。それなら簡単に手をつけられるから。

 旧大陸出身の女たちは夢を見てここ新大陸にやってきたのだろうが、まさか一つの家に閉じこめられ、給仕や掃除、父の夜の世話をする羽目になるとは思わなかっただろう。彼女たちはレディー・コールドのようなショービジネスの女王になりに来たに違いないのに。

 レディー・コールドは確かに美しい。もう六十歳だという話だが、いつまでも同じ歌を歌い、同じ笑顔で踊るだけで人々は沸く。それだけの魅力を持っているのだろう。燃えるような赤毛、豊満な乳房、白い肌。どの民族の血筋を引いているようにも見える謎めいた顔立ち。母はそれに憧れている。

 レディー・コールドは若さを失いそうになる前に、血液を入れ替える。旧大陸の若者の血を大量に使い、その若さを維持するのだという。認知症を予防する、という名目で合法化したその医療措置は、今では金持ちの新大陸人が若さを保つための美容方法として広く行われている。母の肌が異様に若いのはそのせいだ。まるで吸血鬼だ、とおれなどは思う。旧大陸の若者は、身売り同然に自分の血を売るという。そう考えると、母や多くの新大陸人のやっていることはあまりにも身勝手だ。

 おれは両親と客の会話を聞き、相槌を打ち、微笑み、テーブルに置かれたフェットチーネを食べ始めた。世界一の称号を持っているだけあって、ドニの料理は抜群に美味い。広い皿に少しだけ載ったフェットチーネにはボロネーゼソースがかかっている。その塩味が、甘みが、とても舌に心地よい。

 突然、先ほどから料理に関するうんちくを垂れ流していた父がフォークを止めた。

「アポリネールを呼べ」

 またか、とおれは思う。こんなにも美味い料理なのにな、と思う。ドニが殊勝な表情でやってくると、父はがなりたてた。

「フェットチーネに味がない」

「味は充分につけたつもりなのですが」

 ドニは眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべている。

「味を濃くしろと言っただろう」

「申し訳ありません。次はもっとお口に合うものをお出しいたします」

 彼は頭を下げ、目を閉じていた。それを横目に、おれと母はひたすら料理を食べる。客は、何も見えていないし聞こえていないかのようなすまし顔で口元をナプキンで拭いている。

 父は味覚障害なのだ。いくら味を濃くしてもわかるはずがない。それなのに、コックを変えれば何とかなると思いこみ、次々に馘にしていく。ドニもすぐにそうなるだろうと思ったが、彼はもう半年以上続き、今後も安泰そうだった。

 何とか最後まで食事を済ませると、おれはほっとして立ち上がった。母がそんなおれに訊く。

「お昼から出かけるの?」

「そうしようと思うよ」

 微笑んで、おれは答える。

「シルヴァーノと行けばいい。あいつも別荘に来てるそうだ」

 父が口を挟む。おれはうんざりとした気分に包まれながら、

「うん、タイミングが合えばそうするよ」

 と笑う。それから食堂を出た。

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