ruby red

1 RED

 美しいチョコレート色の肌をさらけ出し、レラトは完璧な笑みでバーチャルクラスの画面の中に立った。白いTシャツはへそまでまくり上げられて結び目が作られていて、へそには銀色のピアスがさりげなく光っている。パンツスタイルで、光る素材がふんだんに編み込まれた新素材のターコイズブルーの布地がぴったりと足首まで続いている。黒髪は細かい編み目が形のいい後頭部に向かう形に形作られ、そこからパイナップルの葉のように髪が弾ける。唇は少し厚すぎるかなと思うこともあるけれど、目は猫のように大きくて黒々とした睫毛はカールし、鼻筋は通っていて眉は意志が強そうで顔は小さく手足は長く筋肉も健康的についていて、――要するにすごい美人だ。

「今日の授業はET――Experienceable Texts――の問題点についてだ」

 隣に立つ男の教師がレラトの横でかすかに笑みを浮かべ、授業そのものに飽きた倦怠感を丸出しにした退屈そうな顔で、おざなりな声を出した。二人は同じ空間にいないが、このバーチャルクラスではそのように演出できる。ここはあたしの部屋。けれど見えるのは同じ学年の同じクラスを取った子たちと教師だ。あたしは部屋で平べったい眼鏡のようなゴーグルをかけている。それを覗くと、クラスの教師と発表する生徒の顔が見えるというわけだ。

「今日はレラトの研究成果を元に、授業を進めていこうと思う。レラト」

「はい」

 レラトは低くて大人びた、スエードのようにいつまでも触りたくなるような声をしている。彼女の自慢のポイントだ。

「ETはここ三年ほど流行し、社会現象となっているので多くの方がご存じだと思います。ETが危険だということを知らない子供が、餌食になっています。今日はこの点を説明していきたいと思います」

 無知な子供扱いをされてしまったな、と思いながら、あたしは手元のリングをいじってET用のテキストを作る。


  雨が降ってあたしは犬の頭で空を食べる。

  海に住む人たちが花になりながらカーテンを引く。

  天使が溶ける。

  神が土に埋まっている。


 こんなものかな、と思う。今はただの意味のない文章だが、これならET空間に放り込めば多くの「体感者」が喜ぶはずだ。

「ETは文字通り体感できるテキスト。一見意味のない文章の羅列ですが、ウェブ上のサイトで映像と組み合わせることで効果を発揮します。人々は文章に酩酊し、しばらく立ち上がれないほどの感覚の暴走を味わうのだそうです」

 よく勉強しているじゃないか。あたしはテキストを吟味しながらレラトの話を聞いている。点検するのはテキストの言葉に意味が全くないか、導入部は敷居が低いか、人々を興奮させる単語――神だとか天使だとか死だとか、雨だとか――が入っているのか、などだ。完璧だ。ちょっとした作品ではあるが、これならマレクも喜ぶだろう。

「それだけではなく、問題視されているのは薬の使用です」

 あたしは顔を上げた。レラトがてのひらを上に向け、その上には真っ赤な錠剤が入った壜が浮かんでいる。ラベルにはモザイクがかけられている。これも合成された映像だ。レラトがあんなものを触ったりするわけがない。

「この薬は酩酊感を極度に上げる作用があります。脳の言語中枢を刺激するのだそうです。また、感情も刺激するので、ひどい場合はETを読んでヒステリーを起こすこともあります。皆さん、ETはとても危険です。ましてや薬を使ったりしたら、精神を病んでしまうかもしれません。絶対に使うべきではないと、わたしは思います」

 バーチャルクラスでは大勢の生徒がレラトを見ている。レラトはそれを承知で「美しく正しい」自分を演じている。よくやるな、と思う。あたしには無理だ。というか、やっても鼻で笑われるだけだ。

 あたしはちびで、丸顔で、どこまでも平凡な容姿で、レラトのように「将来はモデルになる」などと堂々と言えるような自信はない。美しいものはいつになっても珍重される。美しい人間は宝石のように扱われるのだ。あたしのような路傍の石には遠い世界の話だ。

「ではレラトの研究成果を掘り下げていこう。例えばこの事件。薬とETで狂暴化した男が少女を襲った――」

 教師の話を頭からシャットアウトする。単位がほしいから一応聞くふりをするけど。どうせ外側から調べた結果だ。本当にETをやっている人間に響きはしない。

 ETは騒ぐほど危険ではない。女の子をレイプした男も、その資質があっただけだ。本当に危険なら、薬もETも、世界政府が禁止するに決まっている。そうならないということは、問題はないってことだ。

 あたしはETのテキストを頭の中で繰り返す。きっと、マレクは「最高に逝ける」と言うだろう。


     *


 授業のあと、あたしはゴーグルを外して一瞬ぼんやりする。部屋は狭くて、個人のバスルームさえない。バーチャルスクリーンで壁を星空や青空の映像にすることもできず、壁には剥がれかけたダサいクリーム色の壁紙が貼られたままだ。クローゼットもなく、あたしは服を圧縮箱に入れてしまわなければならない。他にはベッドと机しかないのだが、そのせいで服を置くスペースがもうないからだ。空調はたまに壊れているし、修理は来てくれないし、もうこの家にはうんざりだ。

 先程作ったET用のテキストを確認する。少し波乱を含めたほうがいいかな、と思い、「大量の鼠が空を泳ぐ」という一行を足した。鼠は集合住宅の住人の最も嫌うもので、テキストに入れると不安を煽る効果が生まれる。


  大量の鼠が空を泳ぐ。

  雨が降ってあたしは犬の頭で空を食べる。

  海に住む人たちが花になりながらカーテンを引く。

  天使が溶ける。

  神が土に埋まっている。


 最後に天使、神と高揚感を上げる単語が入っている。これはきっと、マレクが褒めてくれる。

 あたしはベッドの側面の小さな引き出しから壜を取り出した。真っ赤な錠剤――先程レラトが授業で見せたものと同じものだ――は、一錠取り出され、あたしの舌の上に転がり落ちた。淡い砂糖の味。

 危険だって? これが? あたしは薄く笑った。あんたも飲めばわかるよ、最高だよ、レラト。

 あたしはREDの錠剤を水もなしに飲み込んだ。それからリングでET――Experienceable Texts――のウェブサイトに入った。


     *


 言葉が体に無理矢理入って来る気がする。耳や鼻の穴に、口に、毛穴に、肛門に、膣に。REDの錠剤を飲んで読むETは、強烈だ。REDを飲まずに読んだら、ここまで強くない。特殊な画像や映像に貼りつけられたテキストは、少し頭がくらくらするくらいだ。それなのにREDを飲んで読んだ瞬間、緑色のぬらぬらと動く沼の表面のような映像の上の「魔法」という単語は頭を爆発させるほどの異常な感覚になるし、アムール虎の怒っている二つの目の間に書かれた「獣」という単語は足の間をもぞもぞとさせる。

 あたしはマレクを探す。このままだと彼と会う前に絶頂してしまう。

 言葉の壁をめくる。この時点であたしは完全にウェブサイトの中に入り込んだ気分になっている。もうこの中の住人のような気分で、次々言葉をめくる。


  神と死。


 めくった先の真っ黒な画面に一言書かれた言葉は、あたしをぞっとさせ、同時に強制的に腰砕けになってしまうほどの強い満足感を与えた。マレクだ。

「おかえり、ライラ。スクールは楽しかった?」

 マレクのくすくす笑うかのようなメッセージが届く。あたしは体の力が抜けたまま、

「いつもと同じだよ。それより、ずるいよ。いっちゃったじゃん」

 と返す。神、そして死は、最も強い単語の筆頭だ。その二つを組み合わせ、技巧も何もかなぐり捨てて一行で読ませるなんて、ずるいに決まっている。

「いっちゃった? そりゃよかった。ところでライラのET見せて」

 あたしは渋々先程のテキストを投入する。閲覧者が次々に群がってくる。「何歳?」「十五歳か」「不穏さはあるけどかわいい導入部だね」……要は大人の男がどんどんやって来る。ウェブでは必ず実名でやっているのだから皆実名だろう。こいつら、パートナーとかいるのかな、と思う。

「いいよな、ライラらしい」

 マレクはがっかりするほど冷静なコメントをくれた。

「これじゃ駄目か」

「そんなことはないよ」

「じゃあ」

「十五歳のライラのET、最高に逝けるよ」

 あたしは深く満足した。

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