6 「ルイは」
「おはよう」
翌朝、台所に行くと母がにこにこ笑っていた。ぼくはくぐもった声で挨拶を返す。
「ちゃんと言いなさい」
そう言って叱る父は、やはり笑っている。椅子に座ると、両親は同時にぼくを見た。見つめ返すと目を逸らした。おかしな朝だった。
楽しそうに言葉を交わす両親を見ながら、ぼくは合成食物のぼそぼそした丸いパンをかじった。味なんてしない。あんな夜を見たあと、こんな朝を迎えたのでは、それが当然だ。
「ああ、そうだわ」
母が不自然なタイミングでぼくを見た。
「トウジ、居住区のa13からc30の辺り。今度工場が建つって言われている辺りなんだけど――」
どきりとして、思わずまともに母の顔を見た。途端に母は目を逸らした。後ろめたいことがあるのは一目瞭然だった。
「近づかないほうがいいわ」
「どうして?」
ぼくは驚いて大きな声を出す。父が代わりに答える。
「危険だからだよ。工場が建つってことは、建設工事が始まるってことだ」
「嘘ばかり言うなよ。建設工事なんて何も始まっちゃいないだろ。友達に聞いたよ。飛行機が外から突っ込んできたんだろう? どうして隠すんだよ」
ぼくが少し険のある声で言うと、両親の顔がさっと青ざめた。
「あれはよその土地の飛行機なのよ。低空飛行をしていて、間違って突っ込んだみたい」
「紫外線が強いのに? 大気汚染は?」
「そういうものへの耐性がある機体なんだ」
「ドームに穴が開いたらしいけど、紫外線は大丈夫?」
「ああ、あの場所は紫外線と大気汚染が酷いだろうから、近づかないほうがいいわ。穴が塞がるまでの辛抱よ」
「でも」
「いい加減にしろ」
父が突然怒鳴った。ぼくはむっとして父をにらんだ。
「小さな子供のように質問ばかりするんじゃない。とにかくあそこに行くな。早くスクールに行け」
理不尽だ。子供には何も説明する気がないというのか。両親の話にはおかしな点がたくさんあった。それを聞きただす機会さえ与えられないなんて。
ぼくは黙って立ち上がった。母を見ると、死んだように虚ろな目をしている。ぎょっとして声をかける。
「母さん?」
母がはっとする。父は気遣わしげに母を見ていた。
「何でもないの。さあ、仕事の時間ね。一緒に行きましょう」
母はにっこりといつもの笑顔で、立ち上がった。
*
家を出てすぐの角にはケネスがいて、ぼくを今か今かと待ち構えていたようだった。真っ赤な目をしていた。白い顔がますます白い。どうやら昨夜は寝ていないらしい。彼はぼくを両親から引き離し、ぐんぐん歩き出した。両親は、ぼくたちを不安げな顔で見ている。
「聞き出せたか?」
いきなり彼はそう訊いた。ぼくは首を横に振る。
「だろうな。おれは聞き出せた」
ケネスを見る。目が爛々と光っている。
「今日はスクールどころじゃない。昨日のあの場所に、行こう」
ぼくは無言でうなずき、ケネスと一緒にいつものスクールへ向かう道を逸れた。スクールは、どんどん離れて行く。こんなことをするのは、十五年間生きてきて初めてのことだ。
広大な敷地の真ん中に、飛行機はまだあった。ただ、周りをがれきで囲まれ、中に入りにくいようにしてある。飛行機自体も、何かビニールの覆いが被せられ、何も見えなくなっている。どうやら破壊はできなかったらしい。コンクリートの天井を簡単に破る機体なのだ。簡単に壊すことはできないのだろう。
一応、この場所は十八歳の男女の二人組に任されているらしい。成人したばかりの二人は、ケネスがパンを二つ渡すと、満足してこの場から去ってくれた。目はひどく濁っていて、大人になることがどういう気分なのか、シンプルに教えてくれる。責任感のある大人がここにいないのは、飛行機がここにあるのは一時的なことだからだろう。それにあの騒動。一定数の子供たちがこの飛行機のことを知っているのは、当然のことと思われた。
ケネスが集めた子供たちは、不安げに辺りを見渡し、しょぼしょぼとまばたきした。まるで怪談でも聞きに来たみたいで、スクールの一年の子供なんて、怖がって自分を連れてきた兄や姉にしがみついている。
ケネスは子供たちの群れの前に立った。ごくりと唾を飲む。今の今まで、ぼくはケネスが今から何を言うのか、見当もつかなかった。ただ、空を見た。今日の空は真っ青で、ぼくの気持ちを上方へと誘う。
「空なんてないって聞いてた」
ケネスは落ち着いた声で話し始めた。それでも目はぎらぎらと光り、これが普通の話ではないことを思い出させた。
「毎年毎年授業で同じことを言うから馬鹿のおれでも覚えてた。だけど、何で空はある? 何であんなにきれいな青色をしてるんだ?」
皆、一斉に空を見上げた。ぼくもそうした。美しい空。昨日の星空とは全く違った昼の顔。子供たちは怯えたように空から目を逸らした。まるで強すぎる刺激におののいたみたいに。
「この飛行機は、島の外から来たものだってさ」
ケネスが指差したものを見ながら、子供たちがざわめく。笑う者までいる。そんなこと、ありえない。彼らはそう思っている。そう教育を受けて来たのだから。
「ドームの人間は飛行機なんて使わない。自動車さえ。なのに何で実技の授業では飛行機や自動車を作るんだ? 飛ばしもしないし、動かしもしないのに」
ぼくはケネスの唇の動きをじっと見つめる。滑らかに、しかし重たげに、それは動いた。
「刑務所、なんだってさ」
しん、と辺りが静まり返る。意味が分からなかった。ケネスが説明にそぐわない例えでも使っているのだと思った。ケネスは、息を吸い込んだ。それから、一気に話し始めた。
「少し昔、世界ではとある思想が蔓延した。親父に聞いてもよくわからなかった。要するに、何かおかしな宗教みたいに、思想が人間を侵していったらしい。おれたちの祖先は、といっても祖父母の時代だな、それに反対した人間だったんだ。おれたちの祖先は、負けた。そしてこのドーム都市という刑務所に閉じ込められた。おれたちは刑務所で繁殖した。けど外には出られない。外に拡がってるのはそういう思想でもあるんだ。負けたら、子々孫々まで罪人。一生出られない」
子供たちは茫然とケネスの顔を見つめ続ける。これは冗談だよ、と彼が言うのを待つために。ケネスの表情は変わらない。爛々とした目が語るのは、昨日眠れなかった彼の、失望と怒り。ぼくも彼の顔を見たが、段々心臓の鼓動が静かになっていくのを感じた。なるほど、真実とは耳に心地いいものではなくても心落ち着かせてくれるものだ。
刑務所か。
「おれたちは技術者になることを強要される。何故だ? 外の連中が乗ったり遊んだりするための、飛行機や、車や、色々なおもちゃを作るためだ」
自嘲気味に笑った父の顔が思い浮かぶ。多分、父が作らされているのは、本当にくだらない、本当のおもちゃだ。
ケネスは座り込んだ。頭を抱え、背中を丸め、時折体を震わせる。多分泣いていた。もう嫌だ、と彼は言った。
「本当は薄々気づいてたんだ。おれの親父は間抜けで、何もかもうっすら伝わって来てた。でも、決定的だ。もう、おれはこの刑務所のルールに沿って生きていくことはできない」
子供たちは、ケネスと一緒に泣いていた。ケネスは顔を隠し、肩で息をした。ぼくはしんと静まり返った気持ちで、彼らを見ていた。
「ルイ、は」
ケネスの弱々しい声が聞こえてきた。
「処刑されたそうだ、トウジ」
心臓がどきどきと早鐘を打つ。ルイ? 処刑? どういうことだ? 周りがざわついている。
「ルイの心臓が悪かったのは覚えてるよな。ルイは治療するためにセンターによく行ってた。センターの医者はな、外の奴らしい。その医者が、この子供は使い物にならない、と判断した。だから、処刑された。ルイは死んだんだよ、トウジ。役に立たない奴は、処刑されるんだ」
子供たちがパニックを起こした。嘘だ! と誰かが叫んだ。しくしくと、誰かが泣き出した。騒がしい中、ぼくは一人、何も言わずに座っていた。
「もう、何もかも受け入れられない。努力してきたよ。こんな世界でも生きていけるように。でも、もう無理だ」
ケネスは、膝に顔を埋めて泣いた。ぼくは、何かを言おうとして、声が出ないことに気づいた。いつの間にか、呼吸がうまくできなくなっていた。ぼくは空を見たはずだ。あんなにまで憧れていた空。今見ると、残酷なまでに青い。
「助けてくれよ、ルイ」
ぼくはつぶやき、立ち上がった。めまいがした。周りの連中がぼくを見ている。けれどぼくはそれを気にすることなく、歩き出した。
「どこに行くんだよ」
ケネスの声が後ろから追ってくる。ぼくは振り返ることもなく、去った。
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