5 飛行機

 家に帰ると両親が揃っていた。ぼくは一気にまくしたてた。タンポポが咲いていたこと。その外見、感触、ぼくの感動を。両親は喜んでくれると思った。大げさに喜び、もしかしたらドームの長に教え、研究が始まるかもしれない。きっとそうだ。ぼくの期待は頂点に達していた。

 しかし、違った。両親は笑ったのだ。ぼくがかわいい嘘を言った小さな子供であるかのように。

「トウジ。植物は絶滅したと聞いてなかった?」

 母が言う。

「子供みたいだな」

 父が言う。二人ともぼくを嗤っている。馬鹿にしている。悔しさに怒りを爆発させそうになったとき、ぼくはふと気づいた。

 どうしてこうも頑なに信じようとしないのだろう? まるで嘘だと思い込ませようとしているようだ。

 疑念が湧いた。ここまで否定するものだろうか? この場所に植物があるなんて、希望そのものではないか。両親は、何かを隠そうとしている。でも、何を?

 食事を済ませ、一旦自分たちの部屋へ戻った両親が、何やら真剣な話をしながら再び台所にやってくる。ぼくはそれを見計らって、こっそり中身の飛び出た父の椅子の裏に隠れた。しばらく彼らは「ありえない」だとか「嘘だろう」だとか言い合っていたが、ようやく核心と言える言葉を発した。

「本当だと思うか?」

「まさか。ここには外のものが入らないように厳重になってるんだもの」

「そうだな。そう考えるのが普通だ。それに、マーフィーの仕事が不完全だとは思えない」

「そうね」

「トウジ、可哀想だったな」

「……ええ」

「きっと、大人になったらもっとがっかりするな」

「そうね」

「大人になったら、この場所の正体を知ってしまう」

 そこからは、頭の中が混乱して何も聞き取れなかった。

 両親が部屋を出た気配がする。しばらく目を閉じて考え込んだあと、ぼくは立ち上がった。

 この場所の正体? それは何だろう。それに、マーフィーというのはケネスの父親の名前だ。彼はここでは重要視されていない消毒剤を撒く仕事をしているはず。どういう意味だ? 誰か、教えてくれ。誰がぼくに、いや、ぼくらに隠し事をしてるんだ? 何を隠してるんだ? 一体、何を。

 ぼくは深呼吸をした。苦しかったからだ。浅い呼吸が何度も起きるのでそれを止めようとした。何故だか、窒息感を覚えた。死にそうに、苦しかった。

 それからもぼくは窒息しそうになりながら日々をこなした。スクールの帰りは必ずタンポポを見に行った。そのときばかりは呼吸が楽だった。

 世界はどうなっているのだろう。外のことが知りたい。何でもいい。誰でもいい。教えてほしい。ぼくはここまで知ってしまった。最後まで知らなければ本当に窒息してしまう。

 けれど、その渇望はすぐに叶えられた。外の世界から、無人の小型飛行機がドームに突っ込んできたのだ。


     *


 夜中、遠くで何かが破れる音がした。分厚い化学繊維を無理矢理裂いたときのような。そして警報音。低くうなるような警報音は、外から聞こえてくる。続いて、耳をつんざくような甲高い音が、リングから流れ出した。リングは柔らかな男性の声でこう言った。

「異常事態が発生しました。子供の皆さんはお父さんやお母さんなど大人の指示に従い、安全な場所で待機しましょう。繰り返します……」

「トウジ!」

 母がぼくの部屋に飛び込んできた。鉄の引き戸でできた扉で、鍵はかけられないから誰でも簡単に入れる。

「何かが起こったみたい。今から大人は集められるんだけど、一人でいられる?」

「うん。当たり前だろ」

 苛立って答える。異常事態にうろたえるような子供ではないし、気弱でもない、と言いたかった。母は大きくうなずく。

「じゃあ、行ってくるわ。朝になるかもしれないけど……」

「わかった」

「ユキ、早くして。何が起こっているか、確認しないと」

 父が慌てた様子で顔を覗かせた。母がうなずき、次に早口で「警報を切って」と父に伝えた。警報は大人用の音声でこう言っていた。

「緊急事態! 十八歳以上の成人は、ただちに以下の場所に集合せよ! 場所は」

 ぷつっと消えた音声の行方を、ぼくは意識の上で追いかけた。どこに集まるのかはわからないが、気になっていることは確かだった。

 両親は寝起きのまま、服だけはきちんと着て、走って出て行った。こっそりと後を追い、外の様子を観察する。大勢の人、人、人。皆慌てて走っている。

 呆然とその光景を眺めた。完全な異常事態だった。

「おい、トウジ、聞いたか?」

 声が聞こえ、手首のリングが光っているのに気づく。指で触れると、ケネスの上半身が映し出された。異常事態に好奇心をむき出しにしている。

「見に行こう。大人たちを出し抜かないと、絶対に見せてくれない」

 結局、ぼくが望んでいたのはそういうことだ。うなずき、急いで家を出た。錆びた鉄の手すりを触らないようにしながら階段を駆け下りる。大人に見つかるかもしれない、と思ったが、誰もぼくに気づかない。皆、リングの灯りを頼りに歩いているからだ。目の前の大柄なぼくが、大人に見えるらしい。いくつもの光が階段を移動していくのを眺めながら、ぼくは急いだ。

 ケネスは家の陰にいて、ぼくの腕を乱暴に掴んで自分の顔をリングで照らして見せた。ぼくはうなずき、彼と一緒に走り出した。

「ええと、親父のリングは居住区のa13からc30付近って言ってたな」

 ケネスの言葉に驚く。そんなぼくを、ケネスは皮肉な笑みを浮かべて見る。

「お前の両親はそんなへまはしないだろうけど、おれの親父は間抜けすぎて秘密を秘密にもできないんだぜ。バレバレだよ」

 何も言わずに前を向き、人の波に乗る。人々はぼくらの住むところから少し離れた、廃墟群があった場所に向かっていた。あの場所には何もなかったはずだ。ドームの人口が減って、建物も古くなって、もう住めなくなったはずだった。崩壊したコンクリートの建築物が物寂し気にひしめいている場所――でも、違った。

 更地になっていた。広々とした場所には、何か新しいものができるのだろうと予感させるほど、まっさらなコンクリートの土台が張りついていた。多分、ケネスがよく言っていた空き地というのは、この場所のことだ。ただ、その真ん中に異様なものが突き刺さっていたのだが。

 人が互いに押し合いながら集まっている。その中心に照らし出されているのは瓦礫と、小型の、しかし見たことのない形をした頑丈そうな飛行機だった。映像で見たことのあるトンボという昆虫に似ている。コンクリートの地面を壊し、埋もれるほどの丈夫さだ。扉の開いた無人の機体は一箇所も壊れていないように見える。

 その飛行機を見たとき、ぼくは新鮮な風を受けた気がした。ここにずっとあるものとは違う、新しいもの。飛行機は、美しかった。

「トウジ、あれ」

 隣のケネスが指でドームの天井を示す。ぼくは息を呑んだ。大きな穴が開いている。そして、藍色の空が見えるのだ。

「あれは何?」

 ケネスは何も知らないのだな、とぼくは笑う。

「あれは、星だよ」

 無数の輝きが目に飛び込んできた。まぶしい、と錯覚するほどに多くの星。肉眼で見たのは初めてだった。空だ。あれは夢にまで見た、本物の空だ。空はきれいなままだったのだ。

 ぼくはぼんやりと空を眺めていた。恍惚として、今までのどんなときよりも幸せで、このまま死んでしまいたいくらいだ。

「くそ」

 ケネスの悪態が耳に届き、意識が現実に戻ってきた。ケネスの顔はよく見えないが、口元は歪み、心なしか唇が震えているように見えた。

「どうしたんだよ」

 ケネスが勢いよく振り向き、何かを言おうとした。ざわめきが起き、ケネスの言葉が発されることはなかったが。ずっと聞こえていた大人たちのリングの音声が、延々と響く。

「ただちにこの機体を破壊せよ。繰り返す、ただちにこの機体を破壊せよ」

 ざわめきが起こっているのは、飛行機を輪にして囲む人々の奥だ。それが段々近づいてきて、群衆は割れ、ぼくは両親を目にした。彼らは、ユキ、ユキ、とぼくの母の噂話をした。どうなるんだろう、ユキは? ユキの仕事は完璧だったはずだ。そんな話をする人たちの視線の集中する先で、母は青ざめた顔を飛行機に向けた。一言目は、

「そんなはずがない」

 だった。人々はざわめき、彼女の次の言葉を待った。ぼくもそうだ。説明が聞きたかった。この世界についての、説明が。しかし、ケネスが乱暴にぼくを群衆の中に引き込んだ。

「逃げよう」

「でも」

「見つかったら面倒だぞ」

 ためらったが、仕方なくケネスの言う通りにした。ぼくは人々の中に潜り込み、音も立てず、目立つこともなくこの場を去った。

 ぼくたちは大人たちの群れをすり抜けるようにして逃げた。振り返り振り返り走ったが、両親の姿はもう見えなかった。

 家に着き、ぼくは中に駆け込む。部屋に入り、ベッドに体を投げ出し、ぜいぜいと息をつく。今頃ケネスも家に着いたころだろう。

「ケネス」

 リングに声をかけると、すぐに彼の上半身が出てきた。暗い表情だ。彼がそういう顔をする理由がわからない。ぼくがそうするなら話がわかるけれど。ぼくは不安と喜びがない交ぜになっていた。両親のこと、空のこと。大人たちが隠していたのは空があったことだと、ぼくは確信していた。でも、大人たちはまるで空があることなど問題ではないかのように、飛行機と母を見ていた。わけがわからなかった。

「なあ、トウジ」

 ケネスが口を開いた。

「同じことを考えてると思う。でもお前んちでは絶対に疑問は解決されない。おれが親父に訊く。全て、聞いてやる」

 彼が何かを強く蹴る気配がした。ぼくは心臓をどきどきさせながら、彼が考えていることを想像しようとした。でも、何も浮かばなかった。ぼくは彼ほど深く考えていない。あの空のイメージが、そうさせない。

「親父さんに聞いたら、話してくれよ」

 ケネスはうなずき、回線を切った。

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