透明な青

そーだすい

第1話

 病室の窓から青い青い空を見る。窓際のベッドでよかった。太陽の光をガラス越しに浴びることができる。綺麗な夕焼けを見ることができる。僕は寝るのが早いから、星を見る事はない。

 中学校は夏休みだ。夏休みだからと言って、今年、僕はいろんなところに遊びに行けるわけではない。花火も、お祭りも、夏の風物詩と呼べるもの全てから隔離されて過ごす。

 ここは病院だ。病院の、入院棟の、小児科の4人部屋の、窓側のベッド。僕の居場所。

 長年苦しんでいた心臓の病気の手術をするために、今年の夏休みはここで過ごす。そんなに難しい手術ではない、とは言われている。ペースメーカを入れるだけだと、主治医の先生は言っていた。機械を胸に入れるだけ。胸に入れて、心臓につないで、僕の心臓が動きやすくなるようにするんだと、説明された。

 お母さんは僕が入院する日、泣いていた。死ぬわけじゃないのに、大袈裟な。

 お父さんは、仕事柄、この手の医療器具に詳しかったので、「心配する事はない」とだけ言った。

 当の僕は、心配でも、不安でもない。まして、自分がどのような境遇にいて、これからどのように過ごすのかも、いまいちわからないでいる。想像力が欠けているのかもしれない。痛いとか、怖いとか、まだ感じる事はない。ここには3日くらいいるけど、看護師さんたちもみんな優しいし、唯一困ったことといえば、斜め向かいの幼稚園生くらいの男の子がパパとママを求めて大声で泣き喚くことぐらい。

 この病室で、僕は1番大人に近かった。

 心臓が悪いと言っても、普通の生活はできた。普通の生活をしていたからこそ、気づくのに数年もかかったけれど。足が悪い子とか、もっと体が弱い子がここにはいる。迷惑をかけるわけにはいかない。

 僕は退院するまで、ここで大人しく宿題をしたり、本を読んだりして、日に焼けない生活を送る。もう既に退屈ではあるけど。

 病院の生活はそれから変わりなかった。1ヶ月の入院だ。その間に、いろいろ検査とかするみたいだけど、食事を取るとき以外、ほとんど普通の僕は、とくに変わらず、普通の病院生活を送っていた。

 入院して、1週間ほど経った頃。

 「その人」は突然僕の前に現れた。カーテンを開けて、僕を覗き見た。

「キミ、尚樹くん?」

いきなり名前を呼ばれた。驚いて言葉が喉から出せなくなった僕は、「その人」をまじまじと見つめた。

 本当に日の元で生きているのかと疑うほどの白い肌、細い腕。そして、なにより目を引いたのは、他の人とは違う、白い髪、を、持っていた。

「あ、尚樹くんじゃないかな?だったらごめんね」

僕があまりにも返事をしなかったものだから、その人は去ろうとした。僕は喉からなんとか声を絞り出す。

「岡見、尚樹(なおき)です。」

「なんだ、喋れるんだ」

慌てたように手を動かす僕を見て、その人は笑った。鈴が転がるような笑い声で、なんだか心地が良かった。

「あぁ、尚樹くん、はじめまして。新花(にいか)です。木崎新花。尚樹くんの従兄弟で、えーと、私から見て叔母さんが、キミのお母さん。分かる?」

「はい…。えっ」

新花さんはおろしている白い髪の先を指でくるくると絡めながら、自己紹介をした。

 僕は、従兄弟と言われて、驚く。

 僕は、お母さん側のおばあちゃんとはよく会うけど、従兄弟がいることを知らなかったからだ。はじめて会う従兄弟、それがこんな出会い方なんて。病室でなければ、僕は新花さんにもっと大人びて映っただろうか。

「あぁ、私、見た目がこうだからさ。おばあちゃんに好かれてないの。だから、おばあちゃんには会わないし、キミにも普段は会わせてもらえなくてね。アルビノって言うの。変でしょ?白髪の女の子なんて。」

新花さんはそう言って、自嘲気味に笑った。そんなことない。僕は綺麗だと思ったけど。口に出そうとして、僕は口をつぐんだ。僕がそう言っても、新花さんは「慰めてくれた」としか思わないと思ったから。

「あるびの…」

「そう。酵素の機能がうんたら〜って、教えてもらったんだけど、私、頭が悪いからさ。自分でもどうしてこんな見た目なのか、わかんないんだよね。尚樹くんはいいなぁ、きれいな黒髪で。まぁ、私も染めてはいたんだけど、高校に入ってやめちゃった。めんどくさくってね。」

「高校…?何年生?」

「2年だよ〜キミは今中1でしょ?よっつ、歳が離れてるね。」

ぼそぼそと話す僕と、明るくハキハキと話す新花さん。僕とは全然違う。

「新花さんは、なんでここに来たの?」

「やだ、新花でいいよ。従兄弟なんだからさ。」

「新花は、なんでここに来たの?」

新花は、満足そうに笑うと、持っていた荷物を僕のベッドの机に置いた。

「これがキミの着替え。3日分はあるよ。私は、これから毎日キミのところに来て、着替えとか、キミが食べたいものとかを運ぶ役割をするんだ。叔母さんも働いてて忙しそうだし、私も暇だからね。お小遣いももらえるし!」

毎日、この騒がしい人が、ここに来るのか。日々の楽しみが、ちょっと増えた気がする。

「キミが退院するまであと2週間。少しの間だけど、よろしくね。」

「こちらこそ、よろしくお願いします…!」

「よし、いい子じゃん。もっとわがままなお子様だったらどうしようと思ったよ〜。」

新花はわしゃわしゃと僕の頭を撫でる。「やめてください」と言ったけれど、お構いなしだ。

「新花さんは、夏休み、遊びに行ったりとかしないの?」

「しないしない、お誘いも来てないからね。この夏はキミと過ごすんだよ。一緒に勉強とかしようねっ」

それから毎日、僕の元へ新花は通い続けた。


 ある日は勉強道具を広げて、一緒に勉強した。僕が検査の時も、一緒についてきてくれた。僕が何か食べたいとこぼせば、翌日の差し入れはそれだった。新花は、僕をどこまでも甘やかしたし、僕もそれに甘えた。

 週末にはお母さんも一緒に来た。新花とは仲良く話しているし、とても穏やかな日々が続いた。

 日が経つごとに、僕は手術の日を意識するようになった。痛いかな。胸のところを切られるんだ。麻酔はちゃんと効くかなと、夜に考えるようになっていった。

 手術のことを考えまいとする時、僕は必ず新花のことを考えていた。新花は、どうして僕のところに来るんだろう。新花はもっと、自分に自信を持てばいいのに。新花が、僕の代わりに夏らしいことをしてくれればいいのに。新花のこと、僕は羨ましい。新花の白い髪、僕はきれいだと思った。

 僕は新花に、この事を伝えるべきか、迷っていた。


 ついに、その日がやってきた。

 その前日から、僕の腕には針が刺され、点滴が入れられていた。

 なんか、人じゃなくなったみたいだ。「食べる」ということをしないだけで、そう感じるようになっている。

 新花は、今日は来ていなかった。代わりに、お母さんとお父さんが、僕の手をそれぞれ握って、「大丈夫だ」と言ってくれた。

 車椅子に乗せられて、手術室に入る。

 人生で初めて入るその場に、心臓がドキドキいうのを感じた。

 いろんな人が挨拶してくる。僕も挨拶を返しながら、ベッドの上で仰向けになった。

 頭上で、いろんな声がする。

「眠くなりますよ〜」

お父さんが僕に眠くなる薬を打つように頼んでくれたらしい。全身麻酔じゃなくて、局所的に麻酔をかけるから、麻酔だけで意識がなくなるわけではないらしい。

「大丈夫ですよ、リラックスしてくださいね〜」

と、声がした。力が一気に抜けていく。

 目を閉じて、



 再び目を開けたときには、もう、手術は終わっていたらしい。


「お腹すいた」


ポツリと言うと、お父さんの笑う声がした。

「だってよ、ママ」

「はいはい、おにぎりあるよ」

起き上がろうとして、起き上がらなかった。胸に、激痛が走ったからだ。

「うん、麻酔で暴れるなんてことはないですね。ご飯食べたら、病室まで運びましょう。」

看護師さんの声もした。

「はい、梅おにぎりね。」

声がした方に、目線だけ動かすと、おにぎりがあった。おにぎりを食べて、お母さんの顔を見る。お父さんも隣で安心した顔をしていた。

 僕も、安心して、涙が出た。

 泣きながらおにぎりを食べるなんて、きっとこの先、もうないだろうな。そんなことを思いながら、僕は1日ぶりの食事をした。


「尚樹くん!よかった、うまく行ったんだね。」

翌日、新花が花を持ってきてくれた。お小遣いから買ったのか、ちょっと小さめの、花束だった。

「ありがとう、新花。」

起き上がろうとして、また、痛みを感じる。まだ傷口が痛い。数日すれば痛みは引くと言われた。僕は起き上がるにも、不自然な挙動をしないと起き上がることができなくなっていた。

「あはは、手伝ってあげるからゆっくり起きな。」

新花は起き上がるのを手伝ってくれた。

「1日会ってないだけなのに、すごい、懐かしい感じがする。」

「あはは、そうだね。さ、おかし買ってきたよ。」

明るく言う新花をまじまじと見つめる。

「…新花、泣いてた?」

「やだ、バレた?実はめちゃくちゃ心配でさ。ごめんね、昨日、そばにいてあげられなくて。」

新花は弱々しく笑った。

「…それはいいんだけどさ。新花、僕、ずっと伝えたかったことがあるんだけど」

「何?」

今の僕になら言える。

ずっと、考えていたこと。僕が手術を乗り越えたときに、ちゃんと、言おうと思ってたこと。

「僕は、新花の髪、とても綺麗だと思う。」

「本当?」

「本当だよ」

「おばあちゃんに嫌われてるんだよ。キミは味方してくれるの?小学校のときも、中学校のときも、白髪女だって、言われたんだよ。黒色に染めても、それは変わらなかった。みんなに、「おかしい」「変」って、ずっと言われてたんだよ?」

 だから、ずっと私は、この髪が嫌だったんだよ。と、泣きそうになりながら、新花は言う。

「僕は綺麗だと思うよ。だからさ、もっと自信を持ってよ。僕はキミの味方だから。」


 病室から見る空でも、透明な青空だった。

 どこまでも澄んでいて、泳げそう。

 そんな青空を背にして笑う白い髪の従兄弟…新花は、本当に、神秘的で。綺麗だった。

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透明な青 そーだすい @uta_agedofu

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