蛇足
私に「両親」は居ない。
私には「母親」というモノの記憶が無い。
私が知る「母」とは、物語であったり、友人との他愛無い会話であったり、時折、街で聴こえてくる世間話の中にのみ見える、いわば虚構的な存在でしかない。
私には父が居た。しかし、彼は「父親」ではなかった。
私は彼の姿に「父」を、そして「家族」と言うモノを観ようとした。同じ幼稚園に通う級友に在った「親」を、彼に当て嵌めたかった。しかし、その試みが叶うことはなかった。
私が5つか6つになろうという頃、彼は私の前から姿を消した。
そしてその日から10年が経とうという頃だった。
「父」が施設にやってきた――というよりむしろ”連行されてきた”。
その時、自分でも驚くほどに無感情だった。……何かを思い出すことも、再会に心を躍らせることも無かった。何というか、何処か不安がっていた職員の方には申し訳が無いほど、私にとって感慨の欠片も無い面会であった。
児童虐待について、ようやく身元の消息が掴めた彼への取り調べのようなものの一環らしい。現状、逮捕状が出ていない状態なのだとか、出せない状態なのだとか何とかって言っていた気もするが、よく覚えていない。
その後、大した話となることもなく、彼はひとまず逮捕という形に落ち着いたようだ。
やはり児童虐待を行なったことは、10年前の話とは言えど体裁が悪いようだ。そして、その被害者にあたる人物(私なのだが)が彼の「子供」だとわかっている以上、妥当な判断だと言える……らしい。しかし、私にとっては彼の今後などどうでも良い話だった。
私に「両親」は居ない。「母親」は生まれつき居ないし、「父親」は居なくなった。
「父」であった男がその時に語ったのは、私の世界に存在すらしていなかった「母親」の話だった。
私はその話を知らない。だが、ただ只管に叫び散らす男の表情を知っているような、どこかで見たことがあるような気がした。
結論から言うなら、私に「母親」は居た。既に灰になって、墓石の中に眠っていが。
私の母は、私を産み落として亡くなった。出産時の出血多量が原因で母の命は消えてしまったらしい。
私は「父」に何も言わないままに、そして彼がそれ以上の言葉を言うこともないままに、何処かへ連れていかれた。
ただ、一言だけ、耳にこびりついて離れなかった
「お前が、『——』を殺したんだ。どうして、お前が、お前だけが、」
私に彼の記憶は無い。母のことさえ知らない。……顔も、知らない。
私にとって「父」は他人だ。その顔を見ても何も思い出すことは無かった。
その日から、何故だかわからないが、私にとって息をすることは罪であるように思えるようになった。呼吸のたびに心臓というか、肺というか。胸の何処かが掻き毟られるような感覚がした。
赤の他人でしかない「父」という存在に、身に覚えの無い事を責められた。
別に無視をしていればよかった。いつも通りに生きていればよかった。……なのに、どうしてかはわからないけれど、何処かへ行ってしまいたい気持ちになってしまった。
とある春の日、何てことない学校からの帰り道。とある友人——施設出身だからという理由で避けられていた私に近付いてきた、数少ない友人、そんな彼に、少し、意地悪な質問をしてみた。
結果として、彼も当たり障りの無いような事を言っていた。でも、何でだろう。どこか、自分にとってとても都合の良い答えだった。ただ、それだけだった。
私は別に救われていない。その言葉があったからと言って、どうして私が生き残ってしまったのかは解らないから。
「父」の言葉は正しい。でも、私がそれを枷だと思うことと、彼の言葉——私が母を殺した事実とは同じではない……なんて、考えてみたり。
とりあえず、飲み終わったジュースの空き缶を踏んづけてみる。
さっきよりも、空が明るくなったような気がする。
無人駅 Fluoroid @No_9-Sentences
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