吸血鬼と死にかけの少女

水棲サラマンダー

二つの選択肢

 私の目の前にそびえるのは、辺り一帯を統べる貴族の城。

 私はここの若い当主夫妻に依頼されてやって来た。


「で、本当に良いんですね?」

「……ええ、お願いします」


 当主が答える。しかし、二人とも決心できていないようだ。

 これからすることを考えれば無理もない。


 依頼の内容は、致死の病にかかった娘を助けて欲しい、とのことだ。

 もちろん私は万能ではないので、代償というものが必要になる。

 夫妻は娘の命と代償を天秤にかけ、私に依頼することを選んだのだ。


「娘さんの部屋に案内してください」

「は、はい」


 二人が私を止めることはなかった。


 頭では決断しているんだろう。

 とはいえ、理性が許しても感情が許さないということはよくある。


 長い間生きてきて、この夫妻より辛い決断をしたこともある。気持ちは分かるつもりだ。


「入るよ」


 父親が部屋の扉を開ける。

 棚に人形が飾られていたり、布団に花柄の刺繍があったりと、実に女の子らしい部屋だった。

 同じ女でも、私の部屋とは雲泥の差である。


 ベッドに幼い少女が寝ていた。

 高熱で意識が朦朧としているようだが、まあ起きてはいる。

 ベッドが大きいせいか、年齢以上に小さく見えた。


 彼女の名前はリリー。

 幼少より体が弱く、一年の半分は病気で寝込むような生活を送ってきた。

 さらに運の悪いことに、まだ十二だというのに大病を患って、どの医者も数日で死ぬと診断を下したらしい。


 パッと見た感じ、それは正しいと思う。

 なんなら今夜にでも死ぬ。


 持ってきた薬草を砕いて、水に混ぜて飲ませる。

 しばらく胸の上に手をおいていると、少女の目がはっきりと開いた。


「あなたは……?」

「君のお父さんとお母さんに依頼されてきた。君には二つの選択肢がある」


 指を二本立てて話し始めると、騒ぐこともなく話を聞いてくれた。


「一つ、このまま病によって死ぬ。数日中か、もしかすると今夜までの命になるかもしれない。両親と別れの言葉でも交わすくらいの時間は用意してやれる」


 今のように意識をはっきりさせる薬草や、痛みや苦しみなく眠るように死ねる薬も持ってきた。


「二つ、病気を克服して悠久の時を生きる。代償として、親しい者とは二度と会えないし、君も人間ではなくなる」


 もともと、両親が依頼してきたのはこちらだ。一つ目の選択肢も用意してやれると話すと、娘の意志に従うとのことだ。

 貴族でも平民でも、なかなかこんな良い親はいない。


 一瞬、遥か昔の記憶が脳裏をよぎる。

 ……もう二度と、取り戻せない日々の記憶。


「どちらがいい?」


 十二歳の少女には酷な選択である。

 けれど、本人がしなければならない大切な選択である。

 この手の依頼の時は、必ずこの質問をすることにしている。


 人間ってのは命が一番大切だと思っている者が多いが、二番を選ぶ者はそんなに多くない。

 命以外のほぼ全てというのは、時として命よりも重い。


「お父様とお母様は、どう思うの?」


 少女は私から目を外し、傍らに控えていた両親に助けを……いや、意見を求めた。


「私達は、リリーに生き長らえて欲しいと思ってる。元気になって、世界を見て、幸せな人生を送って欲しい」


 父親が言うと、既に涙を浮かべている母親も頷いた。


 まあ、子供を大切に思ってる親の考えとしては一般的なものだろう。

 生き永らえたからといって、幸せな人生が送れるとは限らないが。


 少女は目を瞑る。寝ているわけではなく、真剣に考えているだけのようだ。


「あなたはどう思いますか?」


 目を開くと、次に私に尋ねた。


 まさか両親どころか、私に意見を求めてくるとは。


「……お薦めしないな。死にゆく運命をねじ曲げて生き続けるというのは、容易なことではない。かつてその道を選んだ先達として、誰よりも分かっているつもりだ」


 少女は驚きの目を向けてきた。


 私の姿は若い女だが、生きてきた年月は数十年という単位じゃない。

 どれだけ同類が増えようとも、孤独でなくなることはない。


 ……この道を選んで後悔しているかと言ったら、返事に迷うけども。


「どうする?」


 少女は再び目を瞑る。


 決断を待っていると、その目から涙が流れてきた。

 口からは泣き声が漏れ出す。


 死ぬのが怖いのか。両親と別れるのが怖いのか。

 単に子供らしく、私の口調が怖いだけか。


 ……私が最後に涙を流したのは、いつのことだろうか。

 遠い遠い昔のことだから、記憶はとっくに錆び付いて、風化して消えてしまったみたいだ。


 代償は、大切なものであればあるほど重くなる。

 それがある少女を、少し羨ましく思ってしまった。


 私には、失うことで涙を流すようなものなど、多分存在しない。

 かつてはあったが、とうの昔に全て失った。


「決めました」


 少女は涙を拭うと、上半身を起こして私達の方を向いた。


「もっと長く、生きてみたいです」


 強い子だ。

 目に力があった。


 これなら、過去に同じ決断をした者達のような、悲しい運命を辿らずに済むかもしれない。


「では、私は一旦席を外そう。そうだな……一時間程度か。それまでに別れを済ませておけ」


 そう言って部屋を出た瞬間、少女は大声で泣き出した。

 親二人の泣き声も聞こえてくる。


 自分の涙腺がぴくりとも反応しないことを確かめると、扉の前を静かに離れた。







 一時間後、準備を終えて部屋に戻ると、少女が自分の夢を語っていた。

 医者になって、自分と同じような目に合う子供を減らしたいと。

 両親は少女の言葉を嬉しそうに聞いていた。


「……あっ、もう時間ですか」


 準備と言っても歯磨きくらいだから、残りの時間は勝手に城の中を見ていた。


 少女が初めて描いた絵とか、少女が作ったという不格好な皿とか、少女が落書きしたままの壁とか、そんなのがたくさんあった。


 少女は愛されている。


 今のままで、十分幸せなのだ。


 わざわざ長い苦しみを与えることなんて――。


「お願いします」


 ――私は何を考えている。


 少女が選んだ道なのだ、私が勝手に変えることは許されない。


「では、眠り薬を嗅がせます」


 両親に向かって説明し、少女と向き合う。


「本当に良いのか? 人では無くなり、二度と――」

「良いの。もう決めたんだから」


 少女ははっきりと言った。


 これが正しい道なのかは、どれだけの時を生きようとも分からない。


 けれど……少女が正しいと思っている道へ導いてやることは、間違いではないと思った。


「では」


 少女に薬を嗅がせる。


「お父様、お母様、今まで育ててくれて、ありがとうございました」


 はっきりと開いていた少女の目が、少しずつ閉じていく。


「愛してるよ、リリー」

「リリー、大好きだよ」


 枕元に駆け寄って、両親は叫ぶ。


 それからまもなく、少女は完全に眠りに落ちた。


 部屋に声が響き、少女の布団が濡れていく。


「時間がありませんので、その辺で。お二人は部屋の外……食堂にいて下さい」


 確か、食堂は城の反対側だったはず。あそこが一番遠いだろう。


「いや、でも……」

「娘の運命は見届けさ――」


「ダメです。今すぐ出て下さい」


 強く指示する。

 こればっかりは譲れない。


「急いで!」


 やがて、二人は折れ、部屋には私と少女の二人きりになった。


 これを見られるわけにはいかない。

 過去に、突然怒り狂って殴りかからられたことがある。

 痛くはないが、作業の邪魔だ。


「……頑張れよ」


 少女の胸に手を当てる。


 ――トクン、トクン、トクン――。


 脈は正常。

 寝巻の胸元をはだけさせ、首の汗を拭った。


 そして、その細い首に噛みついた。


 顔は苦悶に歪み、うめき声が漏れる。手足は暴れることができず、ピクピクと震えていた。


 あの眠り薬を使ってこれだ。使わない場合、叫ばれてめんどくさいことになる。


 グングン血を吸う。


 吸血鬼と言えど、血などほとんど飲まなくて良いはずなのだが、やはり一度味わえば飲み干したくなる。


 が、化け物の本能を押し殺して量を調節する。


 やがて、少女は大人しくなった。

 口を離して袖で軽く拭うと、彼女の胸に手を当てる。


 ――トットットットッ――。


 ――トクン……トクン…………――。


 一度速くなり、やがて止まる。

 いつも通りの正常な反応だ。


 たった今、リリーという少女は死んだ。


 代わりに、新たな吸血鬼が誕生した。







 荷物がほぼ片付いた時、新たな眷属は再び動き出した。


 牙と爪を露にし、本能のままに血を求めて起き上がろうとする。


「ゥゥゥ……」


 当然、私がグルグルに縛ったので動き出すことはない。

 押さえつけるのは簡単だが、面倒なのだ。特に荷物が多い時は。


 荷物を持って、彼女を肩に担ぐ。


 部屋を出ると、廊下の曲がり角から顔を出している二人を発見した。


「あの……終わりましたでしょうか?」

「すみません、心配になってしまって……」


 ここまで我慢してくれる者も少ない。聞き分けの良い両親だ。


「終わったから帰りますね」

「あのっ、娘はどうなるんですか?」


 当主が娘の方を指して言った。


 そりゃ心配になるよな。

 自分の娘が縄でぐるぐる巻きにされて、ついでに変なうめき声を出しているのだから。


「しばらくすれば自我が戻り、やがては吸血本能も抑えられるようになるでしょう。そうすれば私のように出歩くこともできます」

「なら、また娘と暮らせるんですね?」


 期待がこもった声。

 思わず、嘘をついてでも肯定したくなる。


「ただ、『しばらく』というのがどれくらいか分かりません。数年か、数十年か、数百年か」

「そんなぁ……」


 それは誰にも分からない。


 少し会話した後、お礼を受け取って城を後にした。


 たとえ自我が戻り、本能を押さえられるようになっても、それで終わりではない。


 必ず、自殺を計り続ける日々がやってくる。

 荒れた末に人を虐殺することもあるだろう。

 発狂するか、そうでなくても性格が歪むかもしれない。


 私と、過去に助けた者達が通ってきた道だ。


 それでも、守り続ける。


 私がもう大丈夫だと思えるまで、ずっと。


 それが、永い時を生きる私の役目だから。







 数十年後。


 とっくに隠居した老夫婦のもとに、一人の幼い少女がやって来た。


 少女は老夫婦が亡くなるまで共に暮らし、その後はどこかに消え去ったという。

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