第2回 ヒロインを探せ
四月も中旬という桜も散った今日この頃、うだるような暑さに包まれた教室を血気盛んに闊歩する者たちが大勢いた。
俺は席に座ったままにべもなくぼぉっと彼らの掲げている看板やらポスターやらを眺める。
サッカー、野球、硬式テニス、軟式テニス、バレーボール、バスケットボール、囲碁将棋、落語研究、吹奏楽、ロボット研究、果ては郷土史研究などなど。眼鏡がないのであんまりよく文字が見えないが。
簡単に言うと部活勧誘だった。
というか、俺たちしか学年はないので、どちらかというと部活作成といったところだろうか。
全二百名ほどの学生という名の土壌に我が物顔で侵入し種をまいて肥料を上げて部費を取り上げ取り上げられながら活動を行うというわけである。
必要なものは部員五名以上という簡単なもの。そもそも空きしかないため部室は問題にならない。
とすればどうなるのか。間違いなく人数を巡った戦争である。
結果として放課後でのクラスのテンションは最大限に高まっており、それを授業中に活かせないものかと考えてはみたものの、自分もあまり人のことを言えないためただ座して待つのみ、といった次第である。
いやそもそも、何を待つのか。
それはあれだ、とりあえずこの教室、否、全校生徒全員に関係のない、また考える必要もない、そんなことをしたいのならば紙にペンでも走らせてそれを題材とした漫画を描いていた方が必ず有益になるであろう部活動が確実に非公式下に存在しており、その自称部長に呼び止められたのである。
その自称部長というのは現在消息不明であり、従って俺は入る気のない部活紹介を聞いたりアクリル絵の具で塗られた掲示板を眺めたりする仕事をしているわけだ。
とはいえ飽きも回ってきたため、ふと窓に目を向けると、新緑の季節が近づいていることを告げる木々のざわめきと、気持ちの良い風が入り込んできた。
視線を戻すと、俺の目の前に一人の少年が立っていた。
驚いてのけぞると、まるで今さんさんと輝いている太陽瓜二つな笑顔で俺を見つめて、
「さ、やろうか」
なんて言ってくるので、念のため聞いておく。
「何をだ?」
無駄だと分かっていながら。
春満開、否、この後の季節満開な笑顔で
「僕たち、人型兵器戦争部の部活動を、だよ!」
教室は狂気に満ちた者共の罵声と罵りあいと懇願で埋め尽くされていて、誰もその言葉を聞いている者はいなかった。
ただ、苦渋という言葉を顔面に張り付けた俺を除いて。
闊歩、という歩き方はこういうのを言うのだろう。
肩を弾ませ足を交互に、そんな存在が俺の前を行く。
階段を上がるかと思えば、そのまま三階まで直行。
やはりというかなんというか、行き場所は屋上だった。
俺たちの教室のある棟の屋上は倒壊しているので、現在修理中である。今いるのは恐らく来年以降使われるであろう二年生棟の屋上だ。
そもそもが四日前の出来事を意に介さないような教育方針だった。
謎の地震と校庭の破壊、加えて天井ぶっ壊れ。
学校をたたむのにこれ以上の理由があるだろうか。
しかし校長は堂々と再開を宣言し、その結果全学生がこの場に召喚されている。
よくよく考えたら、隕石が目の前にあるっていうのにこんな学校を開いたし、隕石が降ってきたというのにこんな場所に集まっているのである。
人間はしぶとい。俺は再三思い知った。
そんなわけで黒鉄は相も変わらず何故か空いている扉を開けると、白い世界が俺を包んだ。
目が光になれるのに少々の時間がかかった。
どうやら誰もいないようだ。
依然下では死に物狂いの戦争が起こっており、そんな喧騒が建物に遮られながらも微かに響いている。
黒鉄はふらふらとフェンスにもたれかかる。俺はその後ろで突っ立っていた。
誰も言わなそう、というか俺しかいなので仕方なく言ってみる。
「で、これから何をするんだ?」
こちらに振り向いた黒鉄は、太陽の影響で眩しさ二割増の笑顔で、まるで赤んぼが泣くことぐらい常識的であると言わんばかりのストレートさで、
「やっぱり、ヒロインが必要だと思うんだよ」
頓珍漢なことを述べた。
瞬き三回の間があって、俺はようやく正気を取り戻した。
「何でだ」
「だってさ、男ばかりの部活動なんてむさいし、全く青春って感じがしないじゃない」
名前からして青春の欠片もないと思うぞ。というかどちらかというとその群青を潰す側なんじゃないだろうか。
「僕たちは正義のためにあの力を使わなくちゃあいけないわけだよ」
なーにが正義だ。征服願望マンが。
「だったらなんだ、敵でもいるのか」
「それはおいおい。とりあえず」
とそれはそれで気になることを言って俺に向き直る。髪をかき上げて、
「こういうのって、形から入るべきなわけなんだよ」
意味不明荒唐無稽なことを言って、スマホをいじりだした。討論は終了ですか、へぇへぇ分かりましたよ。
俺、
自分の道を行くためならば全てを使い倒して見せるだけの覚悟と行動力と謎の勇気があることを嫌なくらい知っている。
というか先週知らされた。
そんなわけで俺はしゃがんで胡坐をかいた。
同じように体を小さくした黒鉄が画面を見せてくる。
学級名簿だ。
「さて、この科の女子は三名」
おいおい、まさか。
「選ぶっていうのか?」
「題して、ヒロインを探せ!、かな」
何を言っていやがる。待て待て、おかしいだろ。てっきり俺たちみたいな境遇がいるのかと思ったぞ。それに何だ?選ぶって。選ばれる側のことを考えてもみろ。どうせこいつのことだから有無を言わさず強制入部させるぞ。
「お前ふざけているよな是非そう言ってくれ」
「まぁまぁいいじゃない。で、誰が好みだい?」
俺は今怪しい勧誘でも受けているのか。せめてもの反抗として最大限の嫌味な顔を作って見せる。
「ほら」
糸目にして画面を近づけるだけだ。まるで意味がない。
俺は再度諦めモードに陥り、学級名簿の顔写真とにらめっこするという倫理的にアウトな行為を行うことを渋々認めざるを得なくなった。
というか誰が好みとかそんなもん写真だけで分かってたまるか。
というわけで俺は一世一代、と言ったら親が泣くだろうが、それぐらいの抵抗を見せて適当に指で選択した。
それを見ると黒鉄はニヤリとしながら、
「オーケー。じゃあこの子に声かけようか」
と言って俺とは違う人に指をさした。おい。
「俺の意見はどこに行ったんだ?アトランティスか?」
「バミューダトライアングルあたりかな」
それは言い直す意味がないだろう。
俺が太古から現代まで続いている国を探して反抗に出ようとしたところで、黒鉄はさっさと立ち上がり扉へと向かっていった。
「何をしてるのさ。さっさと行くよ」
「本当に行くのか?」
「はやくぅ」
「お前だけじゃ駄目か?」
「何言ってるのさ。今は部活動の時間でしょ?」
やはり無駄のようだ。
せめてこれから会う人に黒鉄が粗相することのないよう、抑えつける役目が俺に任せられた天命ではないかと思うね。
そういうわけで俺は重い腰を上げる。
ふと空を見ると、黒鉄の真上に大きな入道雲が立っていた。
階段を下りながら聞いておく。
「誰なんだその人は」
特徴といえば眼鏡をかけているぐらいしか覚えていないが。
「
「その人がいる場所は分かっているのか?」
「玄関あたりにいると思うよ」
どうして分かった、という疑問を彼に当てはめるのは間違いなのである。
こいつは何でも知っている。
ただ爽やかスマイルとともに爆発的に可笑しなことを言うだけなのだ。
と同時に俺は新品の階段を降りながら思いついた。
恐らく小南さんが人型兵器を知っているのだ。
こいつの適当な語彙からは想像できないが、俺に仕掛けてきた罠といい、こういう切り口しか取れないんだろう。
つまり、もう一人いるから一緒に探そうぜ、という意味なのだと思われる。
教室周りの喧騒を小耳に挟みながら、俺たちは一階まで下りた。
そうしてガラス張りの玄関から再度外に出る。
駐車場と校舎の間、玄関から出て左手にうっすらと記憶に残っている顔をした女子学生がいた。こいつはストーカーなのだろうか。彼女を選んだのも自分の趣向なんじゃないだろうか。うむ、だんだん怪しい人間じゃないかと思えてきたぞ。いや遅すぎるか。
黒鉄は躊躇という言葉を知らない足取りで彼女へと歩を進める。俺は後方一メートルの位置をキープすることにした。いつでも止めに行ける距離だ。
高専というのは制服がない。
つまりは私服であるため、俺も黒鉄も、もちろん目の前に佇んでいる小南さんもラフな格好である。
黒鉄は心理的距離ゼロメートル一歩手前まで近づくと、
「君、小南出穂さんだよね?」
デジャブを感じる第一声を投げかけた。
可哀想な小南さんは目を大きく見開き、って前もこんなことがあった気がするが、
「は、はい。そうです、けど」
なんて言うわけだ。
しかし黒鉄はそんな動揺を微塵も気にしないように、
「あれ、何に見える?」
と言って俺の方、つまり校門の向こう側を指さす。
宝くじが当たらないくらいの確率で漢字二文字が飛び出すだろう。
同時に宝くじが当たるくらいの確率で漢字四文字が飛び出すだろう。
そのくじが本当に宝なのかどうかは置いておいて、今は後者を期待する。というか、ある種の確信をしていた。
しかし果たせるかな、小南さんはおっかなびっくりといった調子で、
「えっと、隕石、ですよね」
え?
暫しの静寂があったはずだが、俺にはかなり長いこと置いてけぼりにされた感覚が残る。
おいおいおい、黒鉄のことだからてっきり何でも知っているその能力をいかんなく発揮し人型兵器を使う人間を選別するというこいつにとっては至極簡単なことをわざわざ俺に選ばせて弄ぶために学級名簿を見せたかと思っていたのに、自身が選んだ当の本人が隕石と言うなんて。
どういうことだと黒鉄の顔を覗くと、俺の視線に気づいたように、横目でもはっきりと分かるくらい口角を吊り上げていた。
ますます分からん。
しかし小南さんはおろおろしておられるご様子で、俺と黒鉄を交互に見ている。その表情を見て俺は現実に戻された。
とりあえずこいつを引っ張って問いたださねばなるまい。
申し訳ないですね本当に。こんな人間と二度と話さなくていいので、せめて俺だけは嫌いにならないでください。
そう心の中で祈りながら黒鉄へと勇気ある一歩を踏み出そうとした瞬間、俺たちの真横、玄関側に人影が立っているのを見つけた。
俺が振り向くよりも早く第一声を放つ。
「あんたら誰?出穂に何してんの?」
語気荒げにそう言う姿に俺と黒鉄は同時に振り向いた。
黒パーカーにデニムショートパンツというその声の主は、ついさっき見たばかりの気がする顔をしていた。
あぁそうだ、俺と黒鉄が選ばなかったもう一人の女子。名前は、ええと、誰だったっけ。
とりあえずなんて謝ろうかと考えていたら、先に声を出したのはまたしても彼女の方だった。
「答えなさいよ」
左手にリュックサックを掲げながら目を吊り上げてそういう姿に、俺は居心地の悪さを感じる。
客観的に見てこの状況がまずいことは俺だって分かっているつもりではあった。
しかし止めることの無意味さも同時に理解していたのである。
ということで俺が何を言っても無駄な気がしたため、その隣へと目を向けることにした。
俺より少し背の低い少年は、堂々と胸を張りながら、暫し考えた後、張り付けた笑顔でこう言った。
「あー、そうだねぇ、ちょっとナンパ?ほら、暗町の方でさ」
…俺帰っていいですかね。
先ほどまで熱いくらいだった日差しが急激に寒くなった気がした。
恐る恐る正面へと目を向ける。
その大きな双眸からは、練りに練って送られてくる殺意しか感じられない。
居心地の悪さは本能的な恐怖へと転化した。俺は隣の阿呆に耳打ちをする。
「おい黒鉄、どういうつもりだこの野郎」
すかさず百円スマイルで、
「じゃ、あとよろしくね」
と言いやがった。
俺が反駁しようとした瞬間、黒鉄は即座に視界から消えた。
「え」と言ったのは小南さんだ。
残像を追って空を見上げると、逆光ではあったものの屋上に人影があるような気がした。
…おいおいおい。
俺はぽつねんと取り残された。
さっきから仁王立ちをしているもう一人のクラスメイトは驚いた顔で、
「あんたら何?もしかして先週の騒ぎはあんたらのせい!?」
と誠に図星なことを言って俺を指さす。
「とりあえず俺の話を聞いてくれ」
「問答無用!」
つり目をつり上げて高らかに宣言したと思うや否や、彼女は大きなリュックサックを肩から外し、そこについているキーホルダーを引きちぎるように取った。
そうして手に収まるサイズの人形のようなものを掲げて、
「行くよ、ネイプ!」
「りょーーかい!」
誰と会話しているんだ、と疑問に思った瞬間、目の前が光に包まれた。
細めた目を戻したとき、そこに立っていたのは、
三メートル級のパワードスーツだった。
何故そう理解したのか、それは俺だって知りたいところだが、今まで見てきたSF的作品に出て来るそれと志向は同じように見えたからであると言っておく。とはいえスタイリッシュなイメージというよりかは、だいぶ図体の丸い代物ではあるが。
問題はそこではない。
その桃色のスーツが、俺に向かって全力疾走していることである。
「はああああああ!」
そんな風に意気込まれても困る。
「だから俺の話を聞けってええええええええええ!」
勢いは全く止まらない。
彼女は大きく右手を振り上げると、どう見てもぶん殴るようにしか見えない態勢を作り、
もうコンマ数秒で大きな鉄拳が俺の顔面に来る、という瞬間で、
ガシャンと、目の前に何かが来た。
それは綺麗なフォームで放たれた正拳を片手で受け止めると、
「やぁネイプ、久しぶりだな。直情的な部分も相変わらずだ」
と落ち着き払った声で話す。
俺はその声と姿で思い出した。
いつぞやのバイクもどきだ。
感想を聞いた途端、拳が戻される。
パワードスーツは即座に後ずさると、
「ご、ごめんサイニィ」
と謝る始末である。
同時にパワードスーツが光り輝き、落ち着くとその姿は消え、さっきの彼女が出てきた。
困惑気な顔を作り、キョロキョロする。
そうして顎に手をのせて首をかしげながら、
「どういうこと?」
それは俺が聞きたい。
ため息混じりに隣を見ると、不安と恐怖で慄いた小南さんの顔が目にとまった。
俺は速攻でこれまでの経緯を説明し、弁解して、言い訳をして、できる限り言いくるめた。
微妙に納得していない顔をした女子学生は、「これは問いただしが必要ね」と言い捨て小南さんの方へと歩み寄る。
謎の女学生と小南さんはその後何か話していたが、始終女学生が手のひらを合わせて申し訳なさそうにしていたことだけは分かった。
会話を聞くのもはばかられるので俺は隣に普通に立っているバイクもどきに声をかけた。
「なぁ、色々聞かせてもらうがとりあえず一つ」
「なんだろうか」
「お前の姿は他の人に見えないのか?」
「そういう設定にしてある」
そんな素っ気なく言われてもな。
「それに、お前、は他人行儀すぎるのではないだろうか。私の名前はサイニィだ。これからはそう呼びたまえ」
それはフルネームなのか?
「愛称みたいなものだ」
分からんことが一個増えただけだった。
半ば呆れながら正面を見ると、話を終えた女学生が目の前に立っている。小南さんはお辞儀しながら電話をしていた。
その後小南さんは車で帰宅となり、俺たちはアスファルトを横断した。
流高専の駐車場のど真ん中には石垣で覆われた小さな噴水がある。
その中には鯉がうようよと泳いでおり、噴水の近くには餌やり禁止の看板。
俺はそれを傍目に見ながら石垣に座った。
「私は
そう名乗った短髪の同級生は俺の目の前で件のストラップを見せる。
「でこっちがネイプ」
「よろしくー」
人形が喋りだすという奇怪な現象を目にしているのに驚きがあまりないのはなぜだろうか。
とりあえず、だ。
「俺は帆場入留。で、楠は、あれが何に見える?」
と言ってここからでも悠然とした姿を見せる物体を指さすと、
「隕石、もとい、人型兵器でしょ?」
あっけらかんと言葉に出した。その表情には退屈を感じる。
「じゃあ黒鉄が探していたのは君だったわけだ」
どおりで小南さんが隕石と視認していたわけだ。大方、喧嘩を売ればすぐに証拠を出すとでも思ったのだろう。そしてそのツケを俺に支払わせるというわけで、全くもって不愉快である。
ところで、
「なぁ、あんたらはお仲間なのか?」
と隣で鯉を珍しそうに眺めているサイニィに声をかける。
「あぁ、古い友人だ」
「そゆこと」
と、ネイプも続ける。
続けざまに来るであろう質問を予期したのか、サイニィは鯉観賞をやめ、顔を上げると、今も鎮座している巨人の方へ眼を向けた。
「あれら人型兵器を使役するには、我々のような承認者が必要なのだ。その承認者に認可されたものである搭乗者だけが人型兵器を行使することができる。また、承認できるのは一個体につき一人のみ。それぞれが独立して動いているため、その他の承認された搭乗者は分からない。だから黒鉄少年は探すという行動に出たわけだ」
急に単語を増やすな。
俺は言葉をかみ砕く作業に没頭した。
そして一つの結論に辿り着いた。
じゃああいつはあいつで承認者がいるわけなんだな。で、その承認者っていうのは同じような形じゃないんだよな?俺にとってのバイク、楠にとってのキーホルダー。つまり、黒鉄にとっては?
「彼は承認者と一体化している。そのために人間離れをした身体能力を身に着けた」
なるほど、腑に落ちたような、落ちないような感情だ。
機械と向き合いながら電波話を脳内整理していると、それまで黙っていた楠が、
「じゃあ他にも私たちみたいな搭乗者?がいるってこと?」
「その通りだ」
何故か微妙な顔つきになった。
疑問に感じているような。
しかしそんなことよりも俺は一つ考え付いた。
「ならそいつらが入る箱として用意されたのがあの部活ってことか?」
「恐らく、は」
「え、部活なんてやる気なの、あんたら」
楠は懐疑心を向けてきた。
俺はやる気はないぞ。
しかしサイニィの言葉で、黒鉄が放課後最初に言ったことを思い出す。
―僕たちは正義のためにあの力を使わなくちゃあいけないわけだよ―
つまり、人によっては人型兵器に搭乗してこの流市を天変地異へと変貌させる輩が出るかもしれないから、そのために俺たちを集めることで抑止力の作成を―とそこまで考えて、先週黒鉄が言ったことまで俺は逆行した。
―まずは、この流市を手に入れる―
どう見ても黒鉄が悪玉ではないか。
駄目だ、俺なんかの想像力ではこの先自分がどうすればいいかなんて身も蓋もない話をシミュレーションできない。
と、脳内思索へとダイブしていた俺を無理やり引き上げるかのように、
「ところで、私が聞きたいことは一つ」
楠が急に改まって指を指してきた。
「先週の人型兵器騒ぎ、あの二機って、もしかしてあんたら?」
目を吊り上げて聞いてきた。心なしか声にドスが入っていた気がする。
とはいえ確かに、あの光景は他の搭乗者にも見えていたに違いない。
「そうだ」
と言うと、あからさまな嫌悪感をあらわにした。
そうして俺に一歩踏み出すと、
「あんたら、次出穂の目の前でそんなことしたら絶対に許さないから」
と毒づくように言い捨てた。そのまま向きを変えて急に、
「じゃあ終わり」
噴水を後にした。
楠は姿勢よく数歩歩いていたが、思い出したかのように立ち止まり、
「作っているって部活、絶対入らないから。なんなら敵対しても良い。だから二度と声かけないで。勿論出穂にも」
再度語気強めで言い放つと、そのままスタスタと校門を後にした。
俺が呆気にとられて何も言えないでいると、静かな駆動音を常時鳴らしている人型バイクが耳元で、
「彼女、何かあるに違いないな」
何って、なんだよ。
「私には分からない、が、予想することなら出来るかもしれないぞ」
と、意味不明なことを述べた。
噴水から流れる水の音が、嫌に大きく聞こえた。
昨日投げかけられた言葉をのどに張り付かせながら受ける授業というのはとても気分の悪いものだった。
問いただすために朝一番に教室についたと思ったら先んじていた黒鉄は俺よりも早く開口一番、
「やぁやぁ、どうだった?」
と、人の気も知らずに聞いてくるので、
「あいつは部活に入る気はないぞ。先週の地震騒ぎがかなり頭に来ているらしい」
口に出してはみたものの、何だか本質を欠いている気がする。
そんな気持ちをかき消すように俺は、
「俺も入る気はさらさらないがな」
と言って今も白紙の件の紙をひらひらさせた。まぁ、嫌がらせ返しと言ったところだ。
しかし黒鉄は俺の話を聞いていたのか聞いていないのか、
「まぁまぁ上手くいくよ大体さ。でもって今日放課後玄関集合ね」
嘘だろ、という最大限の不機嫌な顔を張り付けてみたが、あいつは笑顔で破り捨てた。
お誘いのことを考えると食も進まない。
俺は冷凍食品なのに解凍するのを忘れたらしく冷たさが口中に広がるハンバーグに恨みを込めながら飲み込んだ。
ぼぅっとしていたらしい。前の席から箸をさされた。
「て、聞いてるの?」
言葉の主は俺の後ろの席に陣中しているこちらは正真正銘の爽やか少年、間宮貫太郎である。
昨日、学校で会った瞬間に物凄い剣幕で問いただしてきたことには想像していたものの驚いた。
確かにあの時の俺はどうかしていたからな。
真実を伝えるわけにもいかないので、あの時はある種のパニック状態だった、今は落ち着いていると出まかせを言っておいた。
そんな善玉の塊のような少年が今何を言っていたのかまるで覚えていなかったので、記憶の旅へと逆行した。昨日は質問攻めだったが、それも落ち着いているし、だったら何だったっけ。
「だから、部活の話だよ」
「あぁ、そうだった気がする」
「ほんとかい?まぁそれはそれとして」
ごぼう和えを口に運びながら間宮は続ける。
「どこ入るか決めた?それとも作る、は今からじゃ流石にきついか」
いや、何も決めていない。というか、その口ぶりから察するに大体のメンツはもう部活を決めたのか?
「結構な感じだよ。八割ってとこかな」
素晴らしいコミュ二ケーション能力だ。ぜひともその仁義を教えてやりたいやつがいるのだが。いや、やっぱやめとこう。変に関わらせるとろくな目に合わない気がする。可哀想な目に合うのは俺だけで十分だ。
「僕はさ、水泳部入れたから良かったよ。部員六名。この殺伐とした環境では結構な数じゃない?」
なるほど水泳部はどうやら戦争を勝ち抜いたらしい。それにしても印象がそのまま部活になっている気がするな間宮の場合。
俺がそう感想を垂れると間宮は肩眉を上げながら、
「部活入らないと勿体ないよ?折角の高専生活なんだし」
今はそれどころじゃないんだ。他の部活動を見ている余裕もないというか。
「昨日も何かしてたよね。小南さんに話しかけてたし」
瞬間、俺はせき込んだ。
「見てたのか?」
「部員の皆とプール見に行くところで偶然」
ちょっと申し訳なさそうに言う。
「俺は話しかける気はなかった。ただ連れの頭がおかしいんだ」
俺は気恥ずかしさを感じたが、それだけでなく違和感を感じた。
冷たいご飯を頬ばるとふと思いついて、間宮が連れについてか何か聞こうとする前に、
「楠や小南さんのこと、知ってるのか?」
「何、やっぱり気になるの?」
にやにやしながら聞くものだから、
「やっぱりやめとこう」
「まぁまぁ、そう怒りなさんな」
やっぱりにやにやしながら間宮は、
「同中だから、それなりに、ね」
同中、か。なるほどな。
「あの二人も暗町周辺に住んでるんじゃなかったかな。結構大変だろうなぁ」
確かに間宮の住む地域は隕石被害が最も大きい場所だ。同時に隕石が停止している真下の場所でもある。
そのせいで日の当たりが激減した薄暗い地区ができ、それをそのまんま暗町と表現したわけだ。
もし二人が同じ中学校の学区ならば、間宮と同じようにそれなりの被害は被っているかもしれない。
「結構そういう人たちはいるな、大変だ」
俺は何を考えるでもなく、そっけなく返した。
そんなわけで、午後、放課後。
相変わらず青々とした空が広がっている。
今回も今回とて絶対に思い通りに行かんぞと決意しとりあえずトイレに駆け込んで時間を潰してからよし帰ろうと思ったらトイレの入り口に宣材写真のような表情で黒鉄が立っていた。
俺はため息を交えながら同行することにした。
学校を出ると、先週とは違い黒鉄は坂を真っすぐに下りていく。
俺はその後姿を眺めながらついて行った。
このままいくと駅直行だろうというところで彼はおもむろに路地を曲がる。
行先は大体見当がついた。
暗町である。
一度訪れたことはあるものの、ちゃんと見るのは初めてだった。
大分、うらぶれている。
そもそも人の息を感じる建物が住宅の数に比べて極端に少ない。
近年の宅地開発でかなり発展したこの地域には、まだまだ新築の匂いを残す住居がたくさんあるのに、だ。
この二週間の間に、窓ガラスは割れ、外壁は崩れ、各地に落書きをされ、ごみは乱雑に放置されており、公共施設である公園ですら子供の寄り付かない環境と化している。
この町自体が死んでいるかのようだ。
だが人間はそこにいた。
路地を覗くと、人の姿を見ることができた。
どう見ても道をそれたとしか言いようのない少年だった。
見渡せばちらほらと、目つきの悪い人々を見て取ることができる。
この町はかなり、変容している。そんな気がした。
黒鉄は相も変わらず闊歩を続けると、ふと電柱に立っている人に声をかけた。
その男は禿がかった髪を垂らしながら、手に持っている紙切れを二枚黒鉄に渡した。
バケツ方式で渡された俺は歩みを再開しながらそれを眺める。
様々な文字で埋め尽くされているが、紙面を大々的に埋める文字を俺は読み上げる。
「天空教。なんだこれ」
黒鉄はチラシを持った手をひらひらさせながら、
「隕石に魅せられた人たちが作った集まりさ。今日その集会があるらしいから、ちょっと見学に行こうと思って」
「おいおい待てよ」俺は歩みを止めた。黒鉄も止まって振り向く。
「じゃあつまり新興宗教の勧誘かこいつは?」
「そういうこと」
「ふざけるな。そんなところに行きたいわけがないだろ。第一何かあったらどうするんだ」
「それを確認しに行くのさ。さっきのおじさんによると、本日は信仰状況報告を行うらしい。障壁の共有とかもあるというお話」
それが何になるというのだ。
正直行きたいとは思わない。だが、こいつの目の前で今更引き返すこともできんだろうな。
何、もし大事があれば人間を超えた人間が何とかしてくれるだろうし、なんならストーキングバイクも存在している。
そんなわけで俺はチラシをズボンの後ろポケットに丸めて突っ込み、黒鉄一行として件の集会場所へと赴いた。
数分歩いて着いたは良いが、俺は二度見してしまった。
そこは新興宗教の集会場所、というか、そもそも普通人が集まろうとする場所ですらなかったからだ。
恐らくだろうが隕石の衝撃波により壁は崩れ、屋根は盛大に吹き飛んでおり、上空から見れば中が半分覗けそうなくらいだった。
かろうじて玄関に見える壊れて開け放しの扉の隣に、恐らく市の公民館か何かとして使用されいていたと思しき表札が見て取れる。
しかし何よりも歪なのは、その平屋の一階建ての建物内に、どこから湧いて出たのか、暗町中と形容してもいいくらいの人数が押しかけている光景だった。
「もう始まっているらしいね」玄関口を眺めながら黒鉄は言った。確かに中から誰かの声が聞こえる。
黒鉄は俺を振り返ると、いつもの表情に十度は上げた口角を見せると、堂々と中へ入っていった。
逃げるなよとでも言いたげだ。
仕方なく俺も後に続く。
靴を脱ぎ、廊下に上がると、電気が通っていないらしくやけに暗くなった。
玄関そばにいる受付係のような女性に黒鉄は話を通すと、即座に許可が下りたようだ、女性は営業スマイルより不気味に思える笑顔を俺に向け集まりの方を手の平で指す。
廊下を歩き、大広間へと綱がる障子を開く。
そこには、畳張りの床へ膝をついている人々の後ろ姿があった。
十畳くらいの空間に、所狭しと整列している。
俺と黒鉄は静かに最も後ろの奥へと進み、同じように正座した。
誰も何も話さず、ただ前へと視線を伸ばしている。
俺はその先を見据えた。
そこにいたのは、穴の開いた天井から薄明かりを浴びている、一人の男だった。
姿からして異様だった。
今まさに語りかけるような声色で演説しているその男は、黒いワイシャツに黒いジャケット、おまけに黒ネクタイという格好で、それだけでも異質なのに、顔、手、その全てが真っ黒に塗り固められている。
周囲の人間を眺めると、中には同じような人物もいた。
黒鉄が静かにささやく。
「彼の名前は井出悟。天空教の教祖さ」
俺は心なしか先ほどより薄らいだ微笑を携える黒鉄の方を振り返り、疑問を口にする。
「何で真っ黒なんだ」
「彼は隕石に魅せられたんだよ」返ってきたのは突拍子もない一言だった。
「不況に追い落とされ、転々とした生活をつづけた挙句、生きる意味を失いさまよっていたんだ。そんなとき偶然に、隕石が落ちてきた」
「何で知っているんだ」
「調査の結果さ」
お前は普段何をしているんだ。
「で、それがどうしたってんだ」
「彼はその時、この世には神様が存在すると、確信したのさ」
俺は唾を呑み込んだ。
「そうして一つの疑問にたどり着いた。この世界には神様がいる。では、この隕石は何だと、そう考えた」
「その結論は」
黒鉄は一呼吸置き、言葉を紡いだ。
「神様の天罰さ」
俺は顔を伏せた。似たような感覚を、俺も抱いたからだ。
だが大抵の人は想像で終わらせる。
しかし、彼の人生はそれを現実と思いこませたのだ。
「実際に神様がいるかどうかはさておき、そう信じた彼がとった行動は、そんな神様に見てもらう事だった」
俺は今まさに天空を仰いで何かを呼び掛けている井出を見つめる。
「暗町を神の聖域と捉え、そこで神の教えを説く。それこそが自分の贖罪であり、幸せだと思ったんだろうね。彼が昔やっていたボクシングも、反抗する者を屈服させるに十分な力だった」
俺は周囲を見渡す。
確かに、若者が多いが、その姿は補導少年少女のそれだ。
「で結果としてただのチンピラの皆さんとの総勢十三名の信者を従え、ここまでやってきたわけだ」
何だか胸が痛い思いのする話だ。意味の分からない話だが、どこかに共感を覚える。
「改革もすごいよ。隕石によって破壊されたものは人類の罰と捉え放置、しかし聖域だから周りを気付付ける行為は許さない。ほら、暗町に入ったころはごみとかで荒れていたけれど、ここまで来ると何も無かったでしょ?」
俺は思い出して末恐ろしい気分になった。
「それを教えることが、今回の目的だったのか」
俺は嘆息しながら尋ねた。
しかし、黒鉄から帰ってきた言葉は、「それだけ、ではないんだよね」という一言だった。
それは何だと思っていると、井出が急に言葉を止めた。
葬式でしか聞かないような落ち着いた口調で、信者へと呼びかける。
「では、救済の成果を、報告してください」
前に座っている男が声を挙げた。
「今週に入り、三名の信者を救済しました。しかし…」そこで、言葉を濁す。
優しい顔を投げかけ、続きを促す。
「どうしたのですか」
「…、邪魔が、入りまして」
井出の眉根が上がった。
「邪魔、というのは?」
「えぇ、以前より、住民の皆様に声をかけていたのですが、その一人をお救いしようとしていた時に、暴行を受けまして」
俺は首を伸ばしてその姿を見た。確かに、顔面に青いあざができている。
「それはいけませんねぇ。神の思し召しを否定する行為を、それも聖域で行うとは、許されない行為です」
井出は表情一つ変えることなく言ってのけた。
「その者は誰ですか」
「えぇ、信者の一人が写真を撮影しました。今、配布します」
そこで、隣に座っているもう一人の黒服が紙束を配り始めた。
それは巡り巡って俺のもとへと届く。
訝しげながら、そのA4用紙を裏返すと、そこには、
物凄い形相で睨みつける、一人の女が写っていた。
俺は瞬間、頭が真っ白になった。
手汗が紙を濡らす。
そこにいたのは、ショートカットの、少女だった。
俺は隣を振り向く。
黒鉄は眉根を上げて、俺を見据えた。
「この者ですか。このような背徳的な行為、見過ごすわけにはいきませんね」
井出は淡々と述べた。
「皆さん、彼女とその住民を見つけ次第、こちらに連行を。しかし彼をここまで痛めつけるなら、少数では大変かもしれません。検討して大勢で向かってください。救済します」
その発言に、俺は寒気を覚えた。
とてつもない悪寒が、俺の腹の中を支配する。
「明日は大事な決起集会です。準備も滞りなく行うように」
死んだような漆黒の眼をした井出は、続けざまに、空へと手の平をかざすと、
「隕石の贖罪を」
「隕石の贖罪を」
皆が、同じ格好を取った。
俺と、黒鉄だけを残して。
俺は写真をもう一度見た。
そこに映っていたのは、紛れもない。
楠茉莉香、その人だった。
閉会を告げると、ぞろぞろと信者たちが出ていった。
俺と黒鉄は動くことなく、その場に座ったままだった。
十数名の信者はすぐに去り、今ここにいるのは三人だけだ。
静寂が空間を支配して十二分に立った後、俯いている俺と黒鉄に井出は近づいた。
「初めての方ですか。集会にお集まりいただき、ありがとうございます」
井出は正座し、俺たちに問うた。
「えぇ、とても興味深い経験をできました」
口調を変えずにつらつらと感想を述べたのは黒鉄だ。
井出は微笑を携え、その顔を見つめる。
「それは良かったです。是非入信を。神は見ています」
俺はその発言に憤りを覚えた。
拳を強く握る。
黒鉄は変わらず笑顔を張り付けると、先ほどの写真を井出に見せた。
「この子、危ないことをしちゃったんですかね」
「そうですよ」
即答だった。
「何がいけなかったんでしょうか」
純粋な問いに聞こえる。が、井出はピクリと眉を動かした。
俺は、黒鉄の意思を理解し始めた。
「この地は聖域です。そのような場所で暴行を行うなど、看過されることではありません。またそれを見過ごすことも同罪です。我々は、神の子として正義を尽くさねばならないのです」
淡々と井出は述べた。
「でも、怪しい人に声かけられたら身の危険を感じますよね。この行動は防衛とも取れるかも」
黒鉄は楽観的な口調を変えずに畳みかける。
井出は立ち上がった。携える微笑は不気味だ。
「それ以上はいけません。あなたの行動は神の御意思に背かれることになります」
「そうですか、それはすみません」と平謝りすると、質問を変える。
「では救済というのはどのような?」
問われた井出は、さも当然だと言わんばかりの声色で、
「極刑ですよ」
場が、静まり返った。
俺はその顔を凝視した。
井出は俺の方を目で見て、見下げながら口を開く。
「ですが、殺めるわけではありません。ただ、それが如何に許されない行為だったのか、その身をもって理解していただくまでです」
笑顔を携えて結言した。
そこで俺の沸点は限界を迎えた。
「何言ってんだお前」
空気が変わる。井出の表情から笑顔が消えた。
俺は立ち上がり、背の高い顔黒男を見上げる。
「矛盾してんだろうが。頭いかれてんのか!」
怒りに身を任せて言ってしまったが、何も後悔することなどない。
それを行わせるだけの勇気は、身に着けているし、いつだって傍にいるのだ。
先週の俺ならできなかっただろうが、今の俺はもう違う。
井出は不快感を最大限表す表情をして俺を見つめ返す。
「あなた、その発言が何を意味するのか分かっているのですか。ただでさえその場にそぐわない格好をしているというのに。これ以上行うと―」
「一線超えているのはあんたの方だこの野郎」
俺は写真を教祖の目の前に掲げる。
「連行でも救済でも何でもしてみやがれ。俺たちが絶対に阻止してやる!」
それだけ言い捨てて、俺は障子を力任せに開けると、玄関へと早歩きした。
後ろで黒鉄が「ではでは、そういうことなので、よろしく」と朗らかに述べているのを聞きながら、建付けの悪い玄関を出た。
そして何よりも早く俺は歩き出した。
俺からしたら真っ青なこの町は、一歩外れれば真っ黒だ。
やってやる、そんなやる気を俺は胸に抱いて、元来た道を戻っていった。
しかし、歩みを進めれば進めるほど、俺の心を支配するのは、具体的にどうすれば良いのか、という話である。
あいつらは頭のネジが吹っ飛んでいる。
すぐには来ないかもしれないが、時間も状況も関係なく二人を襲うかもしれない。
いくら楠にはネイプとやらがいようとも、数をこなすことができるかはその時の状態によるだろうし、小南さんなんてもっての他だ。
「まずは情報を提供することなんじゃない?」
背後から話しかけた黒鉄は気持ち嬉しそうだ。
俺は振り返って嘆息した。
「だがどこに住んでいるのか知らんぞ」
「それならば大丈夫だ」
また背後から声がする。何回転すれば気が済むんだ。
「お前、やっぱりいたのか」
静かに立っていたのはサイニィだった。
俺はその変わらない表情を見つめながら問うた。
「で、何が大丈夫なんだ?」
「こういうことだ」
機械と機械が外れて噛み合う音がして、俺の目線は低くなった。
自動二輪形態である。
俺は従順に跨って、
「じゃあ連れて行ってくれ」
「場所は知らないぞ」
は?
「暗町に住んでいる人なんてちょっとしかいないさ。彼に乗っていればすぐに会えるよ。日本には表札という古き良き文化があるしねぇ」
黒鉄が謎の趣味を発現し、俺は嘆息をついた。
「これじゃあどっちがストーカーだか分からんぞ」
しかし、俺には案が浮かばないのも事実だ。
ハンドルを握って、そして、ふと疑問に思って黒鉄を見やる。
「お前はこれからどうするんだ?」
「僕は面白いことをするよ」
今日一のにこやか笑顔をぶちまけた黒鉄に不機嫌を表し、俺は前に目線を戻した。
「そりゃどうも」
「では行くぞ」
サイニィは静かに、走り出した。
暗町にある住居には、明かりというものが存在していない。
車もなければ、生きている感じがしない。
サイニィに乗って移動しながら明かりのついている家を確認したが、二人の言った通り人の住んでいる家はあまりに少なかった。
頭上に隕石があるとして、その上で日常生活を送ろうとするだろうか?
俺はそんな疑問を抱いた。
そういえば、間宮は何故この町に住んでいるのだろうか。今更ながら考えたことがない。
何故この地域に留まるのか。
それは、この問題を解決する糸口になるのかもしれない。
そんなことを考えつつ走っていると、路地に入っていた自動二輪は急に停止した。
「どうした?」
「表札を見るんだ」
俺はバイク形態のサイニィから降り、すぐ隣の木製の表札を見やる。
「…小南、って」
俺は目を見開いた。
ここは小南出穂さんの自宅だ。
木造平屋、新築には見えない。
申し訳程度の石垣は崩れ、苔が広がっている。
彼女が留まる理由は、ここにあるのだろう。
そして、背後で声がした。
「…アンタ」
振り返ると、そこには二人の人間がいた。
しかし格好は黒くもなければスーツでもない。
随分とラフな格好だ、と思ったが俺も人のことを言えない。
五メートルほど向こうに、楠と小南さんが立っていた。
あたりが急に静かになった気がした。
「よぉ」
「何が『よぉ』、だ」
楠は眉を吊り上げる。分かりやすく不快なんだろう。
「出穂、帰って」
顎で指し示しながら小南さんを促す。
しかし驚くべきことに、小南さんは困ったような顔をして、俺と楠を交互に見やる。
「でも…」
「良いから」
食い気味に遮った。
小南さんは視線を落として俺たちを振り返りながら家の中へと入っていった。
扉が閉まるのを見届けてから、
「許さないって、言ったよね」
楠は茶色く光る双眸を俺へと向けながら低い声を出す。
俺は一歩歩み寄り、
「お前に用があったんだ。小南さんも関係するが、お前の方が危険だ」
「うっさい!」
楠はリュックを路上に捨てながら走り出す。
俺の肩に掴みかかる。
俺は倒そうとする楠の腕を掴んで、
「新興宗教にちょっかい出されたろ!それでお前目つけられてるんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬戸惑うような視線を見せたが、すぐに掻き消える。
「だから何だってんだ!」
体重を乗せて、俺をそのまま地面へと跳ね飛ばした。
背中を打ち付けて、痛みが走る。
楠は俺の腹にのしかかり、
「アンタも同じでしょうが」
「俺は違う」
「何が!」
「全部だよ!」
息を切らしながら、俺は叫んだ。
「他の全員と、全く違う!わかっているだろ!」
はっきり言って病的だ。
たったの二度近くに寄ったからと言って、暴力を振りかざすような行動に出るだろうか。
変な宗教に目を付けられるような行動を起こすだろうか。
俺が考えるに、原因は結構深い。
しかし、それがここ最近になって複雑化したんじゃないか。
ネイプと呼称する、その存在。
いいやひいては、隕石じゃあなく、人型兵器。
そして先週の、あの出来事。
「お前が分からないことをこれでもかと共感できる人間のはずだろ!」
俺は畳みかける。
「お前の背負ってることぐらい共有できるだろ!だって俺たち同じ穴の狢だろう!」
楠は瞳孔を小さくする。
その表情は、怒りではない。
俺にはうっすらと、彼女のこの複雑な状況がどういうものか、分かりかけてきた。
だからこそ、俺は楠を見据える。
しかし、返ってきた言葉は、拒絶だった。
「うるさい…。うるさい…。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」
言うや否や拳を振り上げて、俺の顔面へと振りかざす。
瞬間、その腕をサイニィが止めた。
「落ち着け、少女」
それでも肩で息をしながら振り下ろそうとすることを止めない。
サイニィは無理やり楠を引きはがし、俺はやっと立ち上がれた。
俺はその姿を捉える。
先ほどとは打って変わって、自信のほどが喪失したような、うつろな目を地面へと向けている。
ただ拳を強く握りしめていた。
暫しの静寂が場を包んだ後、
「…もう二度と、話しかけないで」
か細い声でそう言い残し、楠は立ち去って行った。
俺はその後姿に何と声をかけていいかわからなかった。
ただ突っ立っていた。
何でこういう時に言葉が出なくなるんだ。
自分に嫌気がさしたとき、後ろから音がした。
振り向くと、そこには小南さんがいた。
俺に近寄って、
「大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねてくる。この人はお人好しすぎるんじゃないかというくらいだ。
「えぇ、俺は大丈夫です」
「あの、さっきの話、新興宗教っていうのは」
俺は壁にもたれながら、
「小南さん、前声かけられたんですよね。そしてそこを、楠が救ったって」
それを聞くと小南さんは、顔を下へと向けながら、
「それで茉莉香ちゃんが…」
俺はその姿を見ながら、気になることを聞くことに決めた。
あんな奴らにこの二人が蹂躙されていいはずがないからな。
俺は言葉を選びながら、
「小南さん、良かったら、楠があなたをこれほど守ろうとする理由、教えてくれませんか」
そう聞くと顔を上げる。
逡巡するように目を動かす。
「えっと…」
そりゃあ言いたくないだろう、ほぼほぼ他人なんだから。
だが、これはそんなことを気にしているような話でもない。
その理由を口の中でかみ砕きながら、俺は言葉を紡ぐ。
「じゃあ俺の予想を言います」
そう言うと向き直り、
「三月後半、もっと言えば隕石が落ちてから、楠の行動は過激になった。違いますか?」
小南さんは目を大きく見開いた。
なるほどやはりそうか。
「分かっちゃいますか」
「こんな町の状況を見せつけられると、否応にも察します」
俺は先ほどの楠との会話を思い出す。
怒りを超えた何か、転じておかしくなったその何かを、脳裏に焼き付ける。
「元々普通の住宅街だったのに、こうも簡単に治安が悪化してしまった」
俺は真正面を見据える。
「さらに、楠は変だった」
その瞬間、小南さんの表情が揺れ動く。
「それは…」
「小南さん、隕石が落下したとき、あなたたちはどこにいました?」
「…二人で遊びに出かけていました」
「隕石が落下したとき、楠は何て言いました?」
一瞬、戸惑うように見えた。
しかしもう、その段階でないと考えたのだろう。
意を決して、小南さんは口を開いた。
「よく覚えています。『何あれ』と。そして」
俺はその先を繋ぐ。
「『人型兵器?』、ですか」
小南さんは俺を見据えて、静かに首肯する。
「もしかして、あなたたちも」
「はい」
「どういう事なんですか?」
小南さんは俺に一歩近づいた。
しかし俺は手の平を小南さんの前に出す。
「それは俺の言うべき事じゃないです、楠が言うべきことだ」
「…でも」
「それ以降何も言わなかったんですよね、楠は」
「…はい」
俺は楠の視点に立つことにした。
たった一人、意味の分からない状況に立たされる。
その気持ちは、痛いほどよく分かる。
しかしそこから、その不安に拍車をかけるのだろう。
「宗教勧誘から助けてもらったのはいつですか?」
「土曜日です。それと、実は、そのとき茉莉香ちゃんはいなかったんです」
「じゃあ、急に現れたと?」
「はい。玄関から声がして、私が出て、無理やり連れていかれそうになった時に」
「今までは、楠がそういう行動をとることはなかったんですか?」
小南さんは、ひどく申し訳なさそうに、
「ありませんでした」
なるほどな。
俺は今、究極に自己嫌悪している。
これからする質問は、その思いを補完するだろう。
しかし、せねばならない。
俺はもう、関わってしまったのだ。
あと一つだけ、と俺は切り出す。
「小南さんは、このままで良いと、思いますか」
その発言を聞くと、小南さんは、暫し何も言わなかった。
そして静かに、拳を握りこんで、
「私は、いつも守ってもらってたんです。家が貧乏で、昔からいじめられてて。私は、それにずっと甘えていた。だから自分でも何とかしなくちゃって、思っていたんです。でも何度も失敗して、その度に助けてもらって。だからきっといつの日か、自分が成長できるまで、そう思い込んでいました」
絞り出すように吐いていく。
「でもそんな体のいいこと、許されることじゃありません。その結果、こんなことにも関わらせてしまった」
思い出すように紡ぐ。
「さっきの茉莉香ちゃんの顔、見たことなかったです。いつも笑顔で、私に話しかけてくれる。それなのに私は」
涙ぐみながら、
「だから私は、私は」
俺の方に一歩歩み寄り、力強く、
「変わりたい、です」
そうこなくっちゃな。
「ならやりましょう、やってやりましょう。俺が全力でサポートします」
「で、でも」
「正直に言います。楠がこうなった遠因に俺も関わっています」
楠は、一人で守っていたのだ。
それが隕石の落下による暗町化と、与えられた力による使命感で、ただでさえ圧迫されていたのだ。
そこに先週、俺と黒鉄が拍車をかけてしまった。
あの時、見ていたのだから。
分かりもしない巨大物体が降ってきて、まぁ大丈夫だろうなんて思う人間いない。
それが当事者なら、尚更だ。
そこに小南さんという人が、結びついてしまった。
多分、すごく心が荒れてしまったんだ。
使命感と、切迫感と、それを踏まえた虚無感。
だから、ずっと近くにいたのだろう。
だから、宗教勧誘にも対応できた。
でもその結果がこれなんて、悲しすぎると思わないか?
俺は原因の一つだ。
しかしなればこそ、俺も立ち上がらなくてはならない。
この二人を、何とかしたいと、そう思うには十分なんだからな。
「だから俺も、関わらせてください」
小南さんは、その決意の眼差しのまま、
「ありがとうございます」
感謝を述べた。
そしてふと考えたか、
「でも、どうすればいいんでしょう」
俺は一瞬で現実に引き戻された。
「それは…」
そこで口ごもってしまった。
具体的にどうすればいいんだ。
散々言っておいてそれはないだろうこの野郎。
自己嫌悪を重ねていると、またまた後ろから声がした。
「なんとかできるさ大丈夫、明日になれば良いだけさ」
揚々と答えるその男を振り返る。
やはりお前か黒鉄纏。
「いつからいたんだ」
「ついさっきさ」
「昨日の人」
「黒鉄纏って言います」
「なんで明日ならいいんだ」
「大丈夫大丈夫」
そう言うや否や黒鉄は俺の腕を引っ張り、
「それじゃあまた明日。くれぐれも、今の覚悟を忘れないようにね」
そう手を振ってにこやかに別れを告げながら、俺を連れて歩いて行った。
路地を曲がったあたりで、
「おい、放せ」
俺は無理やり腕をひっぺがえす。
「ごめんごめん」
まったく思っていない顔である。
本当にいつ現れるか分からん奴だ。
「で、どうするんだよ。これがお前の言ってた面白いことか?」
「それは明日になってからということで」
「今日来ないという確証は?」
黒鉄は指を指す。俺はその方向にあるズボンのポケットから丸めた紙を取り出した。
件の宗教勧誘チラシだ。
該当しそうな部分を読み上げる。
「『四月十四日午後一時より、天野公園にて決起集会。救済者歓迎』。やっぱこの準備に忙しいってことか?」
と振り返るも、そこに彼の姿はなかった。
横にいたサイニィが静かに手を俺の方に添える。
「私が言うのも何だが、きっと明日、上手くいくさ」
機械に同情を求められるっていうのも、なんだかね。
俺は微妙な表情を向けた。
翌日、四月十四日水曜日。
俺は屋上に腕を組んで寝ころんでいた。
相変わらず青々とした空が俺の視界を包んでいる。
昼休みとはいえこの場所は静かなもので、誰も寄り付くことのない心地よい場所だ。
まぁ、そんなひと時の静寂をかき乱し混ぜ込み地獄の焦土へと変換することのできる人間もこの場所を知っているので、俺の心はあまり優れない。
否、俺はあいつのことで不安がっているのではない。
楠達のことで困っているのだ。
結局何も起きずに半日が過ぎた。
放課後まで待たなければならないのだろうか。
学校にいち早く来ても黒鉄はどこ吹く風だし。
だからと言っていい案は何も思いつかないのだし。
何という体たらくだろうか。
どーしたもんかなんて思いながら嘆息してみる。
すると、階段を上る高い音が聞こえた。
上体を起こしそちらの方を振り向くと、
「やぁやぁ」
やっときやがったか。
「始まるんだな。で、どうするつもりなんだ」
「とりあえず、下にでも下りようか」
そう言って黒鉄は屋上の床を指さした。
俺は黒鉄の後ろについて階段を下りる。
暫しの無言の後、その後姿は、俺に振り向くでもなく話し始めた。
「人型兵器とは僕たちにとって何なのか、これはかなり大きな問題だよね」
相も変わらない口調だが、その言葉にはいつもとは違う雰囲気を感じた。
まるで先週のカフェで見せた感覚に近かった。
「その意味を考えることが重要なんだろ」
俺は前言われたことを反復する。
「そうそう。人によっていろんな意味があると思う。それこそ千差万別」
でもね、と一呼吸おいて、
「人型兵器は絶対に、楽しむために使わなくちゃね」
そう断言して階段を下りきった。
楽しむ、ねぇ。
俺はその意味を考えようとしたが、その行動は一瞬にして無に帰した。
階段を下りるとそこは廊下だ。
その奥にある中央階段は幅が広く、自販機やちょっとしたスツールの置いてある休憩所となっていた。
その入口近くともいえる場所、つまり俺たちの目の前に、
二人の人間が立っていた。
その姿は、もはや新しくもない。
楠茉莉香と、小南出穂さんだ。
黒鉄はその方向を向いて、そして俺に目線を戻し、あろうことか笑顔を向けやがった。
この野郎、また計算しやがったな。
楠は俺たちを一瞥して一瞬立ち止まったが、小南さんが不安げな表情を見せたのも無視してそのまま休憩所の方へと歩き出そうとした。
しかし黒鉄は止まらない。
「だから君はさ、つまらないよ」
その声はいつにもまして朗らかだ。
楠が、立ち止まる。
「君は君で楽しめるはずなのに、それを自分で失くしてしまっている」
黒鉄は喋り続けた。
「君は分かっているはずなのさ。でも行動できない」
「だったら何!」
楠が振り向かずに声を荒げた。
周囲にいた人々が俺たちの方を向く。
小南さんが「茉莉香ちゃ…」と制止するのも構わず
「あんたら一体何⁉見ず知らずの人間が何でこんなに突っかかってくる!?言ったでしょうが気持ち悪いって!」
俺たちの方を振り向いて、大声を上げる。
その目は俺たちを見据えているようで、どこも見えていないようだ。
「行動できないのは大体が心理の問題さ。そしてそれを解決するのも心理の問題さ」
黒鉄はどこ吹く風だ。
歩き出し、楠と小南さんを越え、振り向いて。
「でもいつだって心理が先に動くわけじゃない。どんなときでも精神で解決するなんてことはあり得ない」
楠は意味の分からないとでも言いたげな憎々し気な目を向け、
「だったら何⁉」
「行動が、救うこともあるってこと」
ウインクかまして黒鉄は、右腕を振り上げ伸びやかに、
「さぁ来よう、メッセンジャー!」
瞬間、地面が揺らいだ。
学生たちはうめき声を上げて、バランスを崩す。
俺は壁にもたれかかると、休憩所側面の窓に、何かがいるのを捉えた。
忘れもしないその姿は、
青色の、怪獣だった。
「…黒鉄、お前」
俺はここでようやく口をはさんだ。
どうして黙っていたかというと、その理由は良く分からない。
だがとりあえず、今は割り込む場面だ。
「何したいんだよ説明しろ」
「君は、小南さんをよろしくね。あとチラシ、覚えてるよね」
「はぁ?」
「視点が違えば、視るものは変わるさ」
そこで黒鉄は目線を楠に向ける。
「君はこの状況、どうするんだい?」
まるで子供に問いかける親のような話し方だ。
俺たちが揺らいでいた間も直立不動だった楠は、俯いて、声にならない声をあげた。
否、声というよりかは、呻きに近かったかもしれない。
しかし喧騒に飲まれそうになるその音は、次第に増して、はっきりしていく。
「……もう限界。もう無理もう無理もう無理」
声をエスカレートしていき、
おもむろにカバンからキーホルダーを取り外した。
それを黒鉄に向けて、
「あんたなんかどっかいっちまえ!」
そう高らかに宣言し、
「来なさい!ボイジャーッ!!!」
二度目の衝撃が俺たちを包んだ。
今度は小南さんを支え、落ち着くのを待つ。
目線を戻すと、そこに二人の姿はなかった。
「あいつらっ」
俺は言いながら窓へ走り寄る。
その向こうで見えたのは、二体の異物が並んだ運動場だった。
一方は青く、そしてもう一方は桃色の。
ボイジャーと呼称されるその人型兵器は、今静かに起動し立ち上がった。
華奢なそのボディに、特筆すべきは足部分。
両足の下に二つの球体があり、人型兵器が浮いている。
そして瞬時に、その姿は消えた。
悲痛なほどの叫びと、けたたましい金属音とともに、メッセンジャーとの取っ組み合いが始まった。
俺はその光景の意味が分からなかった。
何を考えているんだあいつは。
響く笑いが俺の焦りに拍車をかける。
今日まで待って出た結論がこれか??何がしたいんだ。
そして同時に思ってしまったのだ。
俺は何をしているんだ。
小さな舌打ちが出そうになった時、隣で声がした。
「茉莉香ちゃんは、あの人は、どこに消えたんですか?」
迫真に聞いてきたのは小南さんだ。
「急に揺れているし、地面に亀裂が!どういうことなんですか?」
「俺だって分からないですよ。でもただ、あいつが無意味にこの行動を起こすとも思えない」
「茉莉香ちゃんは、何をしているんですか?」
「戦っているんですよ、黒鉄と」
そう聞くと小南さんの瞳孔が開く。
「ど、どうして!」
「俺にも分からないんですよ!」
怒鳴ってしまった。
小南さんは一歩後ずさりし、申し訳なさげな表情を作る。
「すみません」
俺は謝り、自分が冷静でないことに気づいた。
まずは落ち着くことだ。
あの黒鉄が無意味にこんなことをするはずはない。
思い出せ、あいつは何と言っていた。
俺は直近の言葉を思い出す。
―小南さんを、よろしくね―
それはそうだ。
―あと、チラシ、覚えてるよね―
チラシ?
思い出して俺はズボンの後ろポケットに今日入れたチラシを取り出す。
これが何だって言うんだ。
俺はその紙切れをもう一度読み上げる。
「『四月十四日午後一時より、天野公園にて決起集会。救済者歓迎』。小南さん、今何時ですか?」
小南さんは懐疑的な表情を向けながら、たどたどしくスマホを見た。
「今は十三時前です」
ピッタリジャストだ。
だが、それがなんだ。
また俺は分からなくなった。
こういう時は初心に立ち返ろう。
そもそも俺がこの二人に関わることに決めた理由はなんだ。
そうだ、天空教とかいう阿保宗教が楠と小南さんに危害を加えようとしたからだ。
それを止めるために行動したら、そのためには二人の共依存という問題へと繋がった。
つまり、俺は二つの問題を抱えたのだ。しかも半ば勝手に。
そしてそれは黒鉄の術中でもあった。
つまり黒鉄はここで、二つの問題を一挙に解決する手段を取ったのではないか。
だからわざわざ、日にちをまたいだのではないか。
だからわざと、楠を焚きつけたのではないか。
そのために、決起集会の日時に合わせたのではないか。
俺は黒鉄の言葉を再度思い出す。
―視点が違えば、視るものは変わるものさ―
俺にとっては人型兵器。
他人にとっては隕石。
公園、地響き、アスファルト、運動場、クレーター。
―地面に亀裂が―
―小南さんを、よろしくね―
気付けば、俺は回答を得ていた。
今度ばかりは自分の才能なんじゃないかと疑うね。
インフォームドコンセントという言葉をあいつにたたきつけてやりたい。
「思いついた」
俺はそこで顔を上げた。
「思いついた?」
小南さんが眉根を上げる。
「あなたたちの問題も、新興宗教も、その両方を解決する方法を、思いついたんです」
「それは…」
「小南さん、言いましたよね、『変わりたい』って。そのチャンスは、どうやら今この瞬間から始まっているようです」
小柄な少女は大きく目を見開いた。
「で、でも…」
「黒鉄は阿保です。ホウレンソウのホの字も知らない馬鹿野郎だ。でもとりあえず今回に限っては、あいつは信じても良い、そう言えるだけの予測がある」
俺は真っすぐに小南さんを見据えた。
「だから小南さん、これから俺たちはこの決起集会に向かいます」
チラシを見せると、小南さんはまた一歩下がった。
しかし、俺は止まらない。
「小南さん。今なんですよ、選ぶときは。そしてそれは絶対に、あなただけじゃあなく、楠も幸せにできることなんだ」
俺は一歩歩み寄る。
小南さんは大きな目を動かし、たじろぐように。
しかし、もう一歩も、後ろには退かなかった。
「信じます、信じさせてください」
その目は決意の目だった。
俺は最大限の満足顔を作り、
「絶対に、何とかしてみせます」
行きましょう、と、俺は小南さんの手を取り走り出した。
尚も衝撃は続いている。
だからこそ、俺たちは進めるのだ。
出入口を飛び越して、俺は満点の青空のもとへと躍り出る。
そして上空に手をかざし、声高らかにこう叫ぶ。
「来い!スカイラブ!」
はるか遠くにいたそれは、瞬時に高く飛び上がり、
そして目の前に落ちてきた。
大きな衝撃が地面へと伝わる。
小南さんの悲鳴を後ろに感じながら、俺はもう一人の要員を呼ぶ。
「サイニィ!」
「ここだ」
やっぱり後ろにいやがった。
俺は小南さんから手を放して、そしてしゃがんだ人型兵器へと進んだ。
二度目のその顔は、少し頼もしく見えた。
俺は小南さんの方へ振り返る。
「小南さん、俺も消えるし、何も見えないと思いますが、安心してください。一回跳んで、そして公園に着地です」
小南さんは困り顔で、
「ど、どういう事なんでしょう?」
「すぐに分かります」
俺はそう言い残してスカイラブの中へと入った。
すでにサイニィは自動二輪形態へと移行しその場に固定されている。
俺は落ちるようにコックピットへ入ると、ハンドルを握ってサイニィの上に座った。
「良し、行くぞ」
「了解」
校舎を映し出していた俺の視界はその瞬間真っ黒になる。
次に視界が開けた時には、目線は校舎の屋上に並んでいた。
右手を上げてみる。
やっぱりとげとげしい手の指が俺を迎えてくれた。
「やっぱまだ慣れないな」
「時間が残り少ない」
「あぁ、さっさと行っちまおう」
俺はしゃがむと、小南さんを左手で握り、右手で覆いかぶすようにした。
「え、え、え、こ、これは??」
驚く小南さんだが、無理もない。
自信にとってみれば、急に体が宙に浮くわけだからな。
「声も聞こえないのか?」
「許可は下りない」
「…ならしょうがない」
可憐な少女には悪いが、急がなければならない。
反転して俺は坂道の方を向く。
目の前に位置を見据えて、俺はふくらはぎのパーツを展開させた。
金色のプレートが展開し、俺の上体をふわりと浮かす。
「目標地点への修正は任せたまえ」
「オーケー、分かった」
俺は走り出した。
そして空高くジャンプした。
「きゃああああああああああああああ!!」
本当に申し訳ないです。でもこれが、一番早いんです。
俺は謝りながら落下する。
隕石なんかないその公園の真下へと、俺は一気に落ちていく。
そして衝撃を伝えることなく、俺は空中で停止した。
しゃがんで腕を下ろしそのままブラックアウト。
俺はコックピットを飛び出して、右腕を伝って小南さんへと駆け寄った。
スカイラブから降りる前に手の平を開けておいたので、小南さんは左手の平の上でへたり込んでいた。
その顔は憔悴しているが、
「大丈夫ですか?」と声をかけると、
「は、はい、何とか…」と返事は頂けた。
数メートル浮かんだ状態で停止したので、俺は小南さんと一緒に人型兵器から降りた。
するとそこにいたのは、ポカンと口を開けて俺たちを見守っている十数人の人々だ。
昨日見た人間も大勢いた。
間に合ったようだな。
そして公園の中央に置かれた黒光りの台座の上に、一人の男が突っ立っていた。
忘れもしない、真っ黒野郎。
こいつだけは、表情を曇らせはしたものの狼狽はしていないようだった。
小南さんの歩みが止まる。
その顔には不安がこびりついていた。
俺は井出悟を睨みつけながら後ろからついてきたサイニィに声をかける。
「黒鉄との連絡はどうすればいい」
「私を介したまえ」
「オーケー」
それだけ聞くと俺は一歩歩き出した。
「よぉ、昨日ぶりだな、あんたら」
周囲がざわつきだす。
しかし、井出は、
「静粛に」
と一言言いのこし、壇上から降りてきた。
死んだ目をしながら、
「あなたたちは何者ですか」
「何者だと思う?」
「もしや、神の使いだと?」
「だったらどうする?」
「おかしいですねぇ」
独特の語尾を付けながら、井出は静かに否定する。
「それならば私の行動に何故非を呈したのですか。私の行動は神への贖罪そのもの。私が庇護されずに誰が救われよう」
両手を大きく振り上げ、天空へと手の平を向けた。
俺は至極落ち着いて答えをいってやった。
「あんたの行動が間違っているからだろうな」
「そんなはずはない!」
遂に声を荒げ始めた。
こいつの本性をやっと暴いたわけだ。
神がどうだの贖罪がどうだの言っちゃあいるが、所詮彼にとっては自分の都合の良いように生まれた空想の産物。
今更本人が出てこようが何にも変わりはしない。
これが最後のチャンスだと、そう思ったんだけどな。
俺はただのガキだぜ?まだまだ生きている年齢は少ない。
だから、本当につらいことっていうのが、どんな状況なのか、その経験なんてまだまだだ。
つまり、ほんのちょっぴりだけ、俺はこいつに同情したのさ。
だからこそ、最後の最後の可能性を、提示したんだけどな。
あんたが変わるには、まだまだ現実ってのが、いるみたいだな。
「私が間違っているなど、そんなことあっていいはずがない。私こそが真理。私こそが道なのだ!そうでしょう皆さん!」
井出が振り返ると、小さかった声も大きくなっていく。
賛同の叫びが俺たちを包んだ。
満足げに俺たちの方へと視点を戻すと、井出はふと気が付いた。
「おや、あなたは、確か」
ようやく気付いたか。
小南さんは怯えている。
しかし、立ち止まったままだ。
「あなたを救済しようとした信者が、暴行を受けました。折角のチャンスをかわいそうに」
全く思ってなさそうに近づく。
「しかしあなた達のような不届き物でも、今この場で救済を受ければ、神は救いの手をさしのべるでしょう」
井出は最上級の笑みをよこして、
「どうされますか?」
選択を迫ってきた。
俺は小南さんへと振り返り、無言で頷いた。
今しか、ないです。
小南さんは俺の方を見て、その怯えた顔を更に震えさせる。
怖いだろうな。そりゃそうだ。
俺だって、阿保みたいなことまでされなくちゃ変われなかった。
でも誰かがいるからこそ、変われたりするもんだということも知っている。
そういや黒鉄の野郎、こんなことも言っていたっけ
―行動が、救うこともあるってこと―
俺たちが繋げたこの行動が、二人の救いになるのならば、
俺はそれで十分だ。なんてな。
小南さんは、もう怯えた表情を止めた。
拳を強く握りこみ、そして大きく息を吸う。
対峙した教祖へと、眼光を突き付けながら、
「あなたたちのしていることはっ」
小さかった。しかしだんだん、大きくなっていって、
「あなたたちのしていることは、間違っています!」
今までで一番大きな声が、公園を包んだ。
「迷惑です。誰のためにもなりません!でもそれだけじゃない。茉莉香ちゃんが、私を守ろうとしてくれた茉莉香ちゃんが、ひどく大きく傷ついた!ずっとそのままでいた。だから今やらなくちゃ、私が行動しなくちゃ、茉莉香ちゃんが救われない!」
一歩大きく前に出て、声高らかに宣言した。
それは、暗い町を明るく包むように。
「だから、もう、やめてください!!!」
空間を、塗り替えたようだった。
井出は、信者は、瞬間、黙りこくった。
言い放って、小南さんは大きく息をした。
肩が揺れている。
俺は、満足しそうなくらいだ。
しかし、まだ終わらない。
次は、俺の出番だ。
一歩井出に近づいて、
「と、いうわけだ。当の本人がこう言っている以上、否、これは暗町、いやいや、流市全員の気持ちを代弁しているといっても過言じゃあない」
井出悟は、笑みを失くした。
その目は真っ黒に染め上げられていた。
俺は無視して突っ走る。
「俺はまだまだ一介のガキだ。でもな」
俺は楠と小南さん、両方の顔を思い浮かべる。
この暗く深く沈んでしまった町を、胸に刻む。
「あんたのしていることが悪いことだってのは分かる!だから、俺達が変えてやる!」
そこで井出は目を瞑った。
そして大きなため息をこぼした。
「…やはりあなたたちは可哀そうな人たちだ。現実が見えていない。皆さん」
そう言って手を上げる。
「この者たちに救済を」
そして右腕を天に上げ、
「隕石の贖罪を」
「「隕石の贖罪を」」
言うや否や、十数人の信徒たちが走り始める。
井出は突っ立ったまま、彼らは追い越していく。
あと少しで、俺たちに触れることができる。
まぁ何というか、予想通りの展開だ。
その手は俺たちまで、触れることはなかった。
大きな地響きが、したからだ。
信徒たちは立ち止まり、その方向を見据える。
あるのは、大きな陥没穴。
俺には二人の、大きな姿。
俺はここぞとばかりに呆れた口調で言う。
「ついに彼女の怒りにふれちまったようだな」
「え?」誰よりも早く反応したのは小南さんだ。
「彼女は大きな力を持っている。残念なことにお前らは否定したが、このお方は神の使いその人なんだよ」
ぴくっ、と井出の眉根が上がる。
信徒たちが後ろに下がる。
「ど、どういうことですか」
何が起こっているのか、小南さんはまだ分かっていない。
「俺に任せてください。まずは、正面に指さしてください」
俺は小声でそう言うと、半信半疑ながら小南さんが井出達の方向を指さす。
するとそこに、同じような陥没ができた。
ひっ、と信徒の一人が声を挙げる。
小南さんはポカンとしたままだが、大分事情を理解してきたようだ。
「次はあそこ、その次はあっち」
俺は次々に様々な方向を指さし、面白いくらい正確にそこに穴ができる。
その度に生じる振動に、信者たちは足がすくんでいる。
もうさっきまでのやる気はなかった。
大分周辺を傷つけてしまったところで、
「まぁ、そういうわけだ。で、どうする?まだやるか?」
俺は最大限の笑みを浮かべて言ってやった。
一歩歩み出ると、信者たちは自信を完全に喪失したようで、
「「う、う、うわあああああああああああああ!」」
一目散に逃げかえっていった。
これからはまっとうに生きろよ。
一人だけ残った井出の表情は、恐怖とも怒りともとれるような顔つきだった。
「あんたはまだやる気か?」
「そんなはずはない…そんなはずは」
井出は、唸るようにそう言うと、
「そんなはずはないいいいいいい!」
俺に向かって駆け出してきた、が。
「がっ」と叫ぶと、地面に伏していた。
サイニィが足を引っかけたのだ。
俺はしゃがんで、仰向けの総大将の胸ぐらをつかむ。
「あんたは逃げたかっただけだ。もしかしたら俺が感情移入できる以上のことがあったのかもしれない。でもな」
井出の眼からは、昨日までの活力が消えていた。
俺は息を吸い込んで、
「妄想に他人を巻き込むな!」
井出は、泣いていた。
何故かは、分からない。
嗚咽が混じって、顔がぐちゃぐちゃになる。
黒色の染料が、涙で溶けだしていく。
俺はスッキリして、井出から手を離した。
もう十分だろう。
あとは一人だけ。
種明かしをしようか。
最後に大穴を開けた場所へ、小南さんとともに向かった。
そこは公園に隣接した道路で、アスファルトは亀裂が走っている。
俺はまるで社交ダンスでもしていたような着地の二人に声をかける。
「もう終わったぞ」
すると青い人型兵器は、桃色の人型兵器とともにしゃがんで、コックピットを開けた。
そこから出てきたのは、今週一番とでも言いたげな笑みを備えた黒鉄纏だった。
「いやー、最高だったね」
「お前もうちょっと説明してから実行しろ」
「意思が重要なんだよ」
そうへらへら言いながら降りてくる。
「と、いうことはここまで予想していたんですかお二人とも」
驚きながら小南さんが声を発する。
「予想したのはこいつです。で、俺はその歯車になっただけ。まぁあの時は思いついたなんて言っちゃいましたけど。それにしてもお前、上手くいかなかったらどう言うつもりだったんだ」
黒鉄は挨拶するようなフランクさで、
「上手くいくと思っていたよ」
「いつだよ」
「井出悟に啖呵をきった時」
俺はため息をしながら俯いた。
つまりやっぱりこれはすべて。
「最初から分かってやがったな」
満開の笑顔が答えらしい。
「でもまだ終わっていないよ」
黒鉄は小南さんに向かってそう言った。
そうだ、まだ一人、残っている。
まだ出てこない、その人が。
俺は小南さんを連れて、鎮座する人型兵器の胸部へと進んだ。
小南さんは空中に浮かぶ感覚に驚くことなく、進んでいった。
「多分、この中に」
俺はそう言うと、人型兵器から降りた。
楠を救うのは、黒鉄じゃない。ましてや俺じゃない。
小南さんじゃなければ、誰がこの扉を開けられるだろう。
楠は、公園に降りてから始終無言だった。
その感情を全て、受け止めてくれるさ。
小南さんは、瞳を閉じた。
そうしてゆっくり、口を開ける。
「茉莉香ちゃん、私、変われたよ。あの二人のおかげで、一歩進めたと思う。だから今度は、私が茉莉香ちゃんに言わなきゃいけない番。もう、大丈夫だから。一人でも、できるから。茉莉香ちゃんが苦しまないようにできるから。だから出てきて。その姿を見せて、」
その瞳から、雫が落ちた。
「茉莉香ちゃん!」
パシュッ、と、乾いた音がした。
胸部のフレームが回転するように、相互に展開していく。
その中に、丸い球体があった。
それはゆっくりと動き出し、扉を開けて、姿をさらけ出す。
その瞬間飛び出して、抱きついて。
楠の顔は、今まで見せたことのない顔だった。
怒りでも、憔悴でもない。
分かりやすいほどの、泣きっ面。
だけどもそれは、全てを落とし切った末に出てきた表情で、
その顔こそが、答えだった。
「…馬鹿、馬鹿だよ出穂」
力を強くして。顔をぐしゃぐしゃにしながら。
「勝手に一人で成長して…。私、私…」
「大丈夫だよ、だいじょうぶ」
小南さんは落ち着いた口調で、その背に手を添えた。
俺は座り込んで、小さい息を吐いた。
これで全て、上手くいってくれた。
俺は、隣で表情変えずに突っ立っている少年に声をかけた。
「なぁ黒鉄」
「ん?」
俺は月曜日の出来事を思い出した。
今回の出来事、そのすべての始まり。
あいつが言ったその言葉。
ただの頓珍漢な言動だと思っていたが、そうでもないようで。
俺がその言葉の回答を言うと、黒鉄は、
今週一番の笑みを見せた。
「ヒロインはいたな。それも二人」
と、そんなわけで今日は四月十五日木曜日。
実はあんまり運動場は壊れなかったみたいで、強気な校長は今日も学生を呼び寄せた結果、やっぱり遅刻しそうになりながら俺は坂を上っている。
またまたこれ以上もないような晴天が俺を攻撃してくるわけだが、そういや全く雨が降っていないような気がするが、そんなことはどうだっていい。俺はやっぱりこの坂道に悪意しか感じないのだ。
などという愚痴をつらつらと考えていると、俺の目の前に誰かが仁王立ちしている姿を捉えた。
「帆場入瑠!」
朝からそんな風に呼ばれるなんて思わなかったぞ。
何故か微妙に空いた距離の向こうに、その姿はあった。
「楠か」
何故か目じりを上げていて、
「昨日さっさと帰ったでしょ」
あぁそうだ。
俺たちは頃合いを図ってしれっと帰宅したのだ。どうせ授業もなかっただろうし。
がしかし、だから何だというのだ。
「青いのと戦ってるとき、映像が流れた」
唐突に語りだした。
「出穂が、クソ宗教家に啖呵を切ってた」
サイニィと通信した黒鉄が見せた映像だ。昨日聞いた。
「急に飛び上がって、落ちてきて、そしたらそこには出穂がいた。示される方向に意味も分からず無理矢理跳ばされて、それを一杯繰りかえした」
楠は、俯いた。
そして、顔を上げた。
「出穂が、すっごくかっこよかった。何かそしたら、全部良くなった。だから」
一歩近づいて、
「ありがとう」
しれっと言って踵を返す。
素直じゃないか。
「小南さんと行かなくていいのか?」
俺は遠のいていく後ろ姿に声をかけてやった。
返答は、分かっていたから。
「今日は学校集合」
振り返らずに右手を振って楠は答えた。
すると何故か立ち止まり、振り向いてこちらに近づく。
しかしこれまた何故か俺の方を見ずに、
「昨日、出穂に話をした」
「何の?」
「あんたらがやってる部活のこと」
「それでどうしたんだ?」
「出穂が入りたいって言った」
「まじか」
「でも出穂には人型兵器が見えない」
「そうだよな」
「でも、でも、出穂がこんなに大きく主張したのは初めてだから、私も応援したい」
「俺も賛成だ」
そこで何故か目を吊り上げながら、
「でも、出穂が怖い思いしたのも本当なんだから」
「それは申し訳ない」
そして何故か赤面しながら、
「それに、あんたたち、というかあの黒鉄纏とかいう奴のせいでこれからもいろんな人が振り回されるかもしれないし。だから」
「だから?」
「私も入る」
……。
素直じゃないなぁ。
結局、根っからの甲斐性なんだな。
まぁ、それが小南さん以外にも向けるようになったなら、万々歳だよ。
「何?もしかして駄目っていう気?」
「いんや、賛成だ。黒鉄もきっとオーケーだすさ」
「入部届は?」
「黒鉄のところだ」
「わかった。じゃあすぐ行く。あんたは?」
俺?
俺の答えか。
そんなもん、今の天気ぐらいわかりやすいさ。
あいつの恐怖政治によってこれからも多くの人々に危害が及ぶことになるだろう。
今回こそ上手く行ったからと言って、これからもそうなるという保証はない。
俺は昨日、自分の居場所というところをとくと理解した気がする。
つまり俺はあいつのお目付け役さ。
それこそが俺のやるべきことだとそう思うね。
人型兵器が何なのか、そっちだって気になることだし。
いやしかし今はただ、学校生活というものを楽しもうじゃないか。
そのために歩くのだからさ。
「俺も行くさ、勿論」
俺は歩みを進め始めた。
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