人型兵器戦争部

撫川琳太郎

第1回 この町はこんなにも

プロローグ


 

 隕石が降ったらしい。止まったけど。


 このままでは何を言っているのか分からないから、時系列に説明しよう。時に、三月二十九日。日本にいる全員が新しい生活に浮足立っているころ、予測不可能な隕石が降ってきた。標的にされたのは悲しきかな、俺の住んでる町、流市。人口五万人の何とも言えない郊外に落ちてきた非常識なそれは、直径数十メートルを超える超巨大な物体だった。誰もが終わった、と思った、かくいう俺も。その時ちょうど本屋からの帰り道だった俺は、空を駆ける爆光に目を取られ、結果自転車から転げ落ち、膝をすりむき、あぁこん畜生が、ノストラダムスはちょっと時間見誤ったのか。もうちょっと正確にしとけよそうすれば回避できたかもしれないだろこの野郎とか思いながら人生最期の瞬間を地面と見つめあいながら過ごすかと思いきや、それは途中で止まった。いや、何を言っているかは俺自身が全く分からなかった。住宅街その数十メートル上で、その隕石は突如停止したのだ。もちろんその瞬間は暴風による被害が出て、何百ものけが人や何十もの住宅損壊があったりしたが、誰も死ななかったらしい。まぁなんというか、奇跡というものは意外と近くにあるんだなと思い知ったわけだ。それから避難隔離生活が施されたが、いかんせん対応し難い状況に消防も市も国でさえ困り果てて、いつまで続くかわからない生活をだらだらと過ごさせるわけにもいかず、きっと苦渋の決断の末、各々の家だったりそうだったものに強制送還が行われ、専門家の集団がこれから調査しますとなって、でも住宅街のど真ん中に居座るその巨大な物体の周囲を隔離するわけにもいかず、増えてた観光客も新生活の波には勝てなかったようで、結局のところ超常と日常が混在したまま一週間、今日本日四月五日月曜日。だがしかし今の俺はどちらかというと、無理矢理山を開発して突貫工事で建設した挙句そこまでの通学路は学生を殺そうとしているのか分からん長い坂道を登っている方がつらい。人っていうのはそういうもんだろ?でも一番つらいのは、これから始まる新生活で、本来なら事欠くことのない話題についていけないことだ。だってさ、最初に言っただろ?隕石が降ったらしい、って。つまりさ、この坂道から覗く、非日常の光景は、俺にとっては茶色い物体でも、神様が落とした罰でも何でもなかったんだ。最初から、俺には白い物体だったんだ。金属の光沢に、赤い差し色。今はしゃがんでいるけどさ、立ったら二十メートルは優に超えそうなそれを見て俺は今日も溜息をつく。だってさ、


「どう見たって、人型兵器だろ、コレ」




本章



 流高等専門学校。工学系の人材を育成する高等機関である。高校とか大学とかと何が違うのかというと、その立ち位置といったところだろうか。まず五年制であることが一つ、また私服登校容認みたいな校則があるとか一風変わった特徴を見せる。大体が県に一つといった形で、案の定元々この県にはあったのだが、去年、新たに増築された。そう、何を隠そう、俺は機械が大好き、というわけではない。別に車とか新幹線とか飛行機とかは子供のころ好きだったし、今でも嫌いじゃない。でも、興味があるかはまた別だ。俺が惹かれたのは、家から近いことと、何より将来の安定性。オープンキャンパスの時にもらったパンフレットに書いてあった、「高専生の求人率」が異様に高かったのが決め手だ。まぁそんなわけで、大した夢も希望もない俺であるが、これが夢と言って何が悪かろうか。いつからだろう、普通の暮らしが灰色がかって見られるようになったのは。周りはいつも普通が嫌いで、でもそうするしかなくて、何となく、なぁなぁで過ごしている様にしか見えなかった。かくいう俺はそういう生活こそ至福だったからお前らは呑気だなと一瞥していたわけだが。そんなわけで俺は晴れてこの流高専に入学し、入学式で校長のありがたい話に耳を傾けず、さてなんで自分だけ他のものが見えたのかと思考を巡らせていた。最初に気づいたのは家族との会話。俺以外の母、父二人ともが「隕石大丈夫だった?」、「大丈夫だったよ」をそれぞれ繰り返していた時には驚きのあまりドッキリかと疑ったね。何のドッキリなんだか。ほら、今でも隣のやつの会話に耳を傾けると、隕石の話で持ち切りだ。曰く、破片って何円かって。高値が付くなら俺にもくれないか?まぁ見えないが。

 入学式を後にして教室へとぞろぞろ戻り、凛々しい顔をした担任、曾我部が俺は英語の教師でな、お前らの授業を担当する時はビシバシ行くからなどと定型文を口にし、さてじゃあ順番に自己紹介してもらおうと言ってきたので各々が発表していく。耳の右から左に流しているとここで疑問。クラマチ出身が多い。というかどこだそこ。この近隣にはそんな町ないし、そもそもこの近くじゃないと流高専じゃなくて市内の高専に入学するもんだと思っていたが、その疑問を担任が代弁してくれた。ちょうど質問された学生、加寿はこう述べる。

「隕石があるから日中ずっと暗いとこがあるじゃないですか。そこをネットとかで暗町って言ってるんです」

 なるほど。ちょうと北極の極夜みたいなものか。いやいや、暗い町だから暗町て。つまり、ずっと夜だからそこの犯罪発生率が高くて、学校への登下校が怖くて大変らしい。俺は学校から徒歩十五分の駅から二駅進んだ所に住んでいるから安心だ。周りを見るに、疑問符の浮かんでいる顔をしているのは俺だけの様だ。実際その手の話題を忌避していたわけだしな。正直俺以外の人間の頭がおかしくなったんじゃないかと思いながら過ごしていたわけで。事実、遠目から見ただけだが、影で覆われているところなんて見つからないという塩梅だ。まぁでも杞憂だったようだ。俺の自己紹介もつつがなく終了し、本日を終えることとなった。


 次の日、待ち受けていたのは健康診断だった。教室から遠く離れた旧館二階の保健室で実施している。昨日は会話したい衝動を抑えていただけだったのか、所々で学生の会話が聞こえる。さて振られたときにどうやって隠そうかと思いながら順番待ちをしていると、隣から声がかけられた。

「えっと、帆場ほば君だよね?」

 そうです俺が帆場です、と振り返ると、そこには凛々しい顔をした少年が立っていた。ワイシャツでかっちり決めている彼は、まだ春だというのに全身日焼けである。これはつまり、運動部系だ。

「間宮君、だっけ?」

「そうそう、間宮です。間宮貫太郎です」

 間宮はにこやかに爽やかにそう答える。何故分かるかというと、俺の席の後ろで、自己紹介の時に名前を聞いていたからだ。間宮はそう言って両手を合わせながら、世間話を始める。

「帆場君ってどこ中?」

「俺は星北中。そっちは?」

「星北、近いねぇ。僕は西川中だよ」

「西川町か」

「そうそう、直撃地域」

 流市は広大だ。合併に合併を重ねた結果県庁所在地よりも大きい。別に県で一番発展している、というわけでもない。飽くまで田舎以上、都会未満。そして合併の名残で市の中に四つの町ができていて、それは俺たちの中学の名前にもなっている。ちなみに流高専は市の中心だ。

「そりゃ大変だな」俺は間宮と反対の窓から外を見つつそう言う。

「でも入学できたし、こうやって学校に来られて何よりじゃない?」

 間宮は風に髪を揺らしながらそう答える。と、少し真剣な表情になって、

「こういうのって聞いていいのか分かんないんだけどさ、帆場君の家って、大丈夫だった?」

 来た。俺は身構える。俺以外の人間ならなんてことはない質問なのだろうが、俺にとっては大問題だ。しかし、俺もいたって普通の一般人だ。否、だからこそ問題なのだ。俺はこの質問にどう答えれば良いのだろう。見えていないものを見えているなんて嘘はつけない。とりあえず、当たり障りのないことを言うしかない。

「正直何にもなかったな。家族も全員無事だった。そちらも?」

 そちらから来た質問だ。流石に何かあったわけではないだろう。

「いやホントにね、びっくりしたよ。急に窓ガラスが破裂してさ、こっちまで飛んできて膝切っちゃったからね。でもさ、」

 隕石は西川町の団地に停止している。だからだろう、間宮は訝しげな表情をする。

「変なんだよね。丁度家が暗町になっちゃったのは分かるんだけど、被害が小さすぎると思わない?ロシアとかさ、あれの数百分の一の質量が落ちてきただけでかなりの家々に被害があったわけでさ。調べたんだけど、流市の被害は西川町とそれよりちょっと西までしか、しかも大体窓ガラス割れただけ。空き家とかが倒壊したりはあったけど、可愛すぎると思わない?」

 かなり饒舌に捲し立てる。これを話したくてしょうがなかったらしい。でも確かにそうだな、被害は少ない。しかしだ、それは隕石だったらの話だろう?俺にとっては納得できないが納得できるし、分からんでもない話だが。とはいえそんなこと言ってもしょうがないので、会話の中から話題を探す。

 保健室から、俺の二個前の順番が呼ばれる。

「良く調べたもんだな。俺はもう何が何だかで考えるのを止めたもんだ」

「いやぁ、家族にも言われたよ」

「そういうのが好きなのか?」

 すると、少々顔を赤らめて、

「好きっちゃ好きだけどさ、不謹慎だけど、面白いっていうのが勝っちゃって。だってさ、こんな経験一生に一度もできやしないじゃん?隕石が落ちてきたのに止まったって。誰かが奇跡を起こしたようなものじゃない」

 俺は神様なんて信じたくはないな。だって俺だけ仲間外れだ。

 俺の前の順番が呼ばれる。

「色々調べたから色んな人と共有したいんだよね。そしたら何か分かるかもしれないし」

 そう言う間宮の顔はキラキラしていて、俺はそっぽを向きながら、

「俺も知りたいからな、また聞かせてくれ」

 そうやって歩き出す。俺の順番が呼ばれる。


 朗報だ。俺に異常は見つからなかった。じゃあ原因は何なんだよ。


 帰り際に、曾我部担任から小さな紙を渡される。紙には、「部活動申請書」の文字が。話を聞くに今日から部活動開始らしい。自分たちで作るも良し、誰かが作った部活に入るも良しだ。さて、じゃあ俺はどうしようかなというと、自分で立ち上げる熱意もなし、やる気もなしで、だからと言って誰かが作った部活にしれっと入ってキャンパスライフをエンジョイするというのは今のところ活力はないのでとりあえず帰宅することにした。

 時間はちょうど太陽が頂上に上がった頃で、中々に暑い日照りを背中に浴びながらワイシャツを仰ぐ。変なものがそこにあるというのに、人間というものは意外と適当な生物で、昼終わりのサラリーマンやら学校終わりの小学生やらがいそいそとそれぞれの道を歩いている。何だか何も変わらない日々だ。結局、こういうのが一番良いんだろな、そう思いながら影を歩道に落として歩く。駅まであと数分だ。坂から離れると、住宅街が続く。しかしその路地裏で、俺は不服にも立ち止まることとなった。目の前に、人が立っている。いや、それだけなら普通なのだが、その少年は俺に向かってくる、それも満面の笑みで。マジで恋する距離まで近づいた彼は開口一番、

「君、帆場入留ほばはいるだよね?」

 そうだ、俺の名前は帆場入留で間違いない。いや待て待て、問題はそこじゃない。なんで見知らぬ人間が俺の名を知っているんだ?

「だって同じクラスじゃない。一年機械工学科二十六番帆場入留。入学式の日に学生名簿見といて正解だったよ。こんなにすぐ会えるなんてさ」

 同じクラス、そう言われて思い出す。あぁ確かに見たことあるぞ。確か名前は、名前は、何だったっけ。

「まぁそんなことはどうでもいいじゃない。それよりも君部活に入らないの?今って作成期間だよね。こんなさっさと帰っちゃうなんて、もしかして帰宅部志望?だったらちょうど良いね」

 何がちょうど良いのだ。こんなに嬉々として話しかけてくる名も知らないやつを俺は人生で初めて見る。つまりこいつはやばいやつだ。あんまり関わらない方が良いに決まっている。とはいっても初対面の人間にあからさまに嫌な顔をみせつけることは失礼だということは承知しているので、最大限の真顔で俺は返答する。

「何をしたいのかは知らんが、もしかして新しい部活動でも作る気か?だったら俺じゃなく他のやつを誘ったらどうだ。俺なんかよりも数倍やる気と元気に満ち溢れたのばっかだぞきっと」

 我ながら下手くそな言い訳である。それを聞いた名称不詳の同クラは対して変化する様子もなく、すっとこう言う。

「うーん。君じゃなきゃ駄目なんだよ。僕は君を求めてるから。さぁさぁ行こう戻ろう」

 そのまま俺の腕を引っ張っていく。俺は慌てて振りほどいた。身長は俺より低いが腕っぷしはかなりあるようだ。よく見ると以外に筋肉質だな。

 あのな、と言って話を戻す。

「ちょっとまて、お前の言っていることがとんと分からん」

「もう気づいてるはずさ。君はもう特別な人間なんだ。普通じゃない」

 特別?俺が?何を言っているんだこいつは。少々ずり落ちた眼鏡を戻しながら後を聞く。

「変なことが起こるとか、聞こえない声が聞こえるとか。あとは、見えないものが見える、とか」

 ハッとする。同時に驚愕する。コイツ知っている、この謎の状況を。だって俺は誰一人として話していないから。

 俺は満面の笑みを張り付けた顔に問いかける。

「お前、もしかして知っているのか?あれはなんだ?どう見たって人形兵器だ。皆隕石だと言っているが、俺にはそうとしか見えない。こうなる理由を知っているのか。だったら―」

「大丈夫大丈夫、僕は何でも知ってるからさ。そんなことどうでもいいじゃない。重要なのは、部活に入ってくれない?ていうこと。僕は一緒に活動してくれる人がいればそれでいいのさ。しょうがないから今日はひとまずさよならするよ。また今度、次は良い返事、待ってるよ」

 そういって彼は俺に背中を向けて住宅街を右に曲がる。おい待て、まだ話は終わっていない。俺は追いかけたが、もうそこに彼の姿はなかった。驚きと興奮と安堵と不安が入り混じった俺にはもうどういうことか分からなかったが、もはや考えることを放棄した。どうせ明日合うのだから、そのとき聞けば良い。俺は元いた道に戻ってフラフラ歩き出した。


 翌朝、一番乗りで教室に来た俺は、即座に学生名簿を見てあの忘れもしない顔の正体を探すと、あった。

黒鉄纏くろがねまとい

 現実に存在していたことを知覚し、俺は少々の安心を覚える。名前ぐらい言ってけよほんとに。わざわざ探す羽目になっちまったじゃないか。さて一仕事終えたし自分の席に身を寄せた俺は話題の人が来るのを待った。

 待つこと十分。気づいたらあいつは座っていた。何故だ。

「よう」

「やっぱり気になる?でもここは人が多いから、放課後とかどうだろう?僕の知ってる店に案内するよ」

 満点のスマイルでそう言われちゃあ仕方ない。

 放課後、俺はやっぱり帰宅しようと校門を出ると目の前に黒鉄がいた。

「さ、行こうか」

 春風の様にそう言うと黒鉄は陽気に前を歩き出し、坂を下りずに脇にそれる。しばらく遊歩道を歩いたのち、堤防に差し掛かると橋を渡る。かんかんに照った太陽による空と川からの二十攻撃を仕掛けられて、俺はシャツを仰ぐ。頬から汗が落ちてきた。すぐさまそれをハンカチで拭う。橋を渡り終えると堤防を下り、住宅街へと入った。黒鉄はすぐさま路地裏に入る。換気扇の力によってそこはさらに地獄と化していた。汗の量が半端ない。背中は色が変わっているだろう。それにしてもどこに向かっているんだろうな。さっきから右に行ったり左に行ったり戻ったり。ちゃんと道覚えているんだろうな、お前。と思っていると不意に黒鉄が立ち止まる。後ろを振り向くと、

「ここだよここ。中々良い感じでしょ」

 そう言われた先にあったのは、店なのか植物なのか分からん場所だった。半分は緑色をしていて、かろうじて「カフェ彩」という看板だけが読み取れる。ちなみにェの部分はない。黒鉄は物怖じせず歩き出す。なるほどな、こういうのを隠れ家と言うんだなってそう思うとでも考えていたか?なら希望的観測だ。こんな換気扇と猫と苔しかいないようなところで経営している喫茶店だと?それに案内したのは出会って二日でもう分かる非常識人感満載の人間である。絶対にまずい店である。さて帰らせてもらおうかな。じゃあな、楽しかったよ。何が楽しかったのかは分からんがなと踵を返そうとしたのは良いものの果たしてどこから来たのだろうか、路地裏というものは迷路のようにつながっているもので、今目の前にある道だけで三本も見つけた。仕方なくまた踵を返して微笑みを携える黒鉄に一瞥をして俺は店内に進む。

 カランカランと音を立てて中に入ると、店内の涼しさに吸い込まれるようだった。店内は木目調のシックな感じで彩られている。テーブルが四つほどにカウンターが三つという以外にも広い空間を穏やかな音楽が包んでいた。黒鉄はマスターらしき人物に話をつけると手元にあった新聞を取り唯一の窓側の席に向かった。外にあるならそこを玄関にすれば良いのに。俺も続いて席に座ると、黒鉄はもう決めているかのようにメニュー表を俺に渡してきた。俺はでかでかと書いてあるアイスコーヒーと決めると、黒鉄が店員を呼んだ。来たのはマスターだった。どうやら一人で切り盛りしているらしい。

 注文品が届くと、俺はそれを半分ほど飲み干しながら優雅に外を見つめながらホットコーヒーを飲みながら時々新聞を広げる黒鉄を見る。そこで気づく。コイツ、汗を一滴たりともかいていない。

「お前、暑くないのか?」

「慣れてるからね」

 何言ってんだ、コイツ。こういうところから、行動理由不詳意味不明な部活動開始になるんだろうな。

「そもそもこの部活動が何なのかを教えてくれよ」

「それはさ、もう分かってるでしょ?今更言うことでもないし」

「それが分からんから聞いとるんだ。というか分からん事ばかりだ。これは何なんだ」そう言って新聞の一面を指さす。

「何なんだと思う?」逆質問してくるんじゃない。

 一面に書いてあったのは「隕石調査、開始」という見出しの目立つ記事だ。

「他の人にはさ、あれはただの茶色い塊さ。どんなときも、誰だって。それが、君には違って見える。その意味を、考えたことはあるかい?」

「意味?」

「そう、意味」

 そんなことずっと考えていたさ。でも分かるわけがなかったんだ。しいて考えるなら、俺の頭がおかしいか、他の全員がおかしいか、それとも盛大なドッキリかぐらいだ。頭の中でそれらを反復しながら、

「知らんな。それにどうだっていいのさ、本当は」俺はそうやってコーヒーを飲む。さっきより苦い。

「俺はな、普通に過ごせればそれで良いのさ。あれがなんだろうと、どんなものであったとしても、俺に危害がなくて、俺はおかしくないのだったら、質実どうでもいい。だから俺が知りたいのは、お前の知っていること全部なんだ。知って、安心したい」そう言い切ってコーヒーを飲み干す。あいつは依然張り付いた笑顔のままだ。

「そうだよね、人は安心したいもの。でも、何にもなしにそれを知ることはできないよ。知るっていうことは、逃げないってことだからね」

「何が言いたい?」

「君にその覚悟があるかどうか、僕はそれを知りたかったんだ。だからもう大丈夫さ。あぁそう、折角だから持ってきてたけど」意味不明なことを言いながら黒鉄は鞄を漁り、中から一枚のプリントを渡してきた。

「部活動申請届」書かれている文字を俺は読む。

「最低でも五人は必要みたいなんだよね」

「俺の話を聞いていたのかお前は。まぁお前が教えようと教えまいとそれはお前の勝手だ。だがそいつ位は俺にも権利がある。俺はその部活には入らない」

 そう言い切る。数瞬、静寂が二人を包んだ。黒鉄の表情は変わらない。顔面を加工でもしているのだろうか。そして口を開く、何を言うのだろうか、少し恐怖があった。

「大丈夫、分かってるよ。ちゃんと確認したかっただけさ」

 そうか、と俺が言うと、黒鉄は席を立った。いつの間にか飲み干していたコーヒーカップだけがそこにある。俺も続き、会計を済ませると、また灼熱の熱風に身を投げる。

 俺はすぐさま帰りたかった。


 堤防で別れた後電車に乗って帰路に着く。その間ずっと考えていた。黒鉄は何と言ったか。

「意味、ね」

 窓から天空にある異物を見上げる。これにどんな意味があるのだろうか。それにあいつは、覚悟とも言った。普通凡人極まりない俺のどこにそんな能力があろうか。どんなときも、いつだって、人生を過ごすにあたって何がそんなに必要だろうか。齢十五歳には分からんよ。だから、このままでいいと思う。だから入らないといった。なのに何だ、この気分は。

 電車から降りると外はもうオレンジ一色だった。その光は俺をすっぽりと包んでいる。

 駅に出入りする人々に飲まれ、挟まれながら、俺は改札を出た。

 様々な人が思い思いに歩いている。俺は茫然と立っていて、ちょっとした安堵を感じた。

 だって俺はいたって凡人だ。ならばそれでいいじゃないか。どれだけ目の前に異常なものがあったって、結局それさえも飲み込めるのが人間さ。周りと違うものが見えたとしても、その意味なんて大してないさ。おかしなことを言ってきたとしても、それはそいつの考えだ。俺には関係ない。俺はこのまま高専生活を続けられるし、続ければいい。なんら不自由のない充足の生活が待っている。

 そう考えて、歩みを進めた。俺は腑に落ちた。

 結局今まで通りだ。それが一番。


 次の朝。俺は少々の寝坊をしながら、走って駅に向かい、今坂を歩いている最中だ。この坂とももう四回目だが、やはり諦めたい気持ちは拭えない。しかしまぁ、飽きるほどの日常だ。いつも通り人型兵器も佇んでいる。よく見れば、なんだか神様みたいじゃないか。俺を見守っているんじゃないのか。そんなことを考えながら俺は校門に入る。顔は汗まみれだが、何とか自分の席に着き、ふと黒鉄の席を見る。ああいう別れ方をしたこともあってか、少々気まずいが、まぁじきに慣れるだろう。なぁなぁでもなんとかなるもんさ、きっとな。

 つまりそうやって日常という波に再び乗ることの出来た俺は正直気が楽だったんだ。授業もなんだか楽しく思えて、後ろの間宮と話すのもなかなか面白いものだ。そういえば今日の弁当は何だろうな。昼が楽しみだ、授業終わんないかななんて呑気に思っていたんだ。

 だから、一瞬反応に遅れた。

 突然、地響きがなった。

 それは、教室を一瞬揺らし、それきりだった。

 何が起きたのか、気づいた人間はいなかった。教卓が揺れ、学生は騒ぎ出す。しかし教師が机の中に隠れるように指示したときには、その揺れは収まっていた。ちなみに俺はただ茫然としていて、反応が遅れたせいで椅子から転げ落ちそうになる体を必死に抑えていた。そのせいか変な筋肉を使って痛がっていると、一人の学生が叫び声をあげる。どうやら原因は窓の向こうにあるようだ。他の学生も野次馬根性で向かう。教師の話なんて誰も聞きやしない。俺もそっちに行く。

 そうやって人々の海をかき分け、やっと見えたその先にあったのは、クレーターのように陥没したアスファルトだった。ちょうど校門から校舎までの間、駐車場のある場所が車も一緒に押しつぶされていた。直径十メートルはあろうか。しかし、驚いたのはそこではない。その原因だ。

 俺の目の前には、青い人型兵器がいた。

 背格好は人、というよりかは怪獣に近い。大きく見上げたその顔には、たくさんの牙が生えている。今も尻尾を振って呻き声を発している。

 何だ、こいつは?

 一体じゃないのか、人型兵器は?

 俺の見ていたものとは違う。何でこんなのがいるんだ。しかもなんでここに来た。俺は当然振り向く。きっとあいつなら知っているだろうから。

「黒鉄!」

 そう言うが早いか、あいつは俺の前を横切って全力疾走だ。やっぱり、何かあったに違いない、あいつの顔は不安げだった。このままでは見失ってしまう。だからといって野放しにはしておけない。俺も見えてしまっている。この原因を究明しなければ俺は死ぬかもしれない。知りたくはない。だが、こんな状況では別だ。俺は走り出す。人波をかき分け、途中転びそうになる体を何とかして起こし、群衆の外に出ると、階段を登ろうとする黒鉄を見つけた。必死に呼ぶが、返事はない。仕方なく追いかけることにした。二階を駆け上がり、三階を見下し、四階の階段、いや違う、この階段は屋上に繋がるやつだ。そして扉には鍵がかかっているはずだろう。追い付いた俺は息も絶え絶えに黒鉄に問う。

「どうするんだ?」

 と問うと、黒鉄は腕を俺の前に出す。

「何だよ、近寄るなって?」

「そう、君は知らないことを選んだ。だからここから先には来てはいけないんだ」

 そりゃそうだ、分かっている。

「確かにな。でも見えちまったんだ。これは不可抗力ってやつだろう?だから不可抗力ついでに一つだけ聞かせてくれ」

 黒鉄はしばし間を置き、返答する。

「聞くだけなら聞いてあげるよ」

 俺は考える。何を聞くべきか。そうして一つの答えにたどり着く。

「お前、あいつをどうする気だ?」

 そう問われた黒鉄は眉根を上げた、ように見えた。そうして笑い声をあげる。そんなにおかしなことを聞いた覚えはない。人型兵器はいまだ唸りを上げている。

「まぁ、逃げる時間くらいは作れるつもりだよ」

 何を言っているんだ、本当に。

「死んじまうぞ」

 しかし黒鉄は笑みを崩さない。

「もうおしまい。それじゃあ―」

 黒鉄が話を一方的に切ろうとした瞬間、爆発的な音が発生した。

 俺たちの目の前が、崩壊した。

 時間がゆっくりと進んでいるようだ。

 崩れていく建物の奥に、大きな大きな金属がある。

 牙を広大に広げ、それは俺たちを包み込むように。

 俺は、何もできなかった。動けなかった。

 ただ、何も理解できないまま、残りの時間を消そうとしていた。

 だが、もう一人は、違った。

 黒鉄は何よりも、人型兵器よりも早く、俺の方に駆け出した。

 そして俺を、力強く押し込んだ。

「黒鉄―」

 俺は目を見開いて、そう言うのが精一杯だった。

 瓦礫とともに、俺は落下する。

 そうして最後に見たものは、

 少年の、満面の笑みだった。


 静寂が、世界を包んでいた。

 気付くとそこは、青々とした空だった。

 俺は暫し茫然と、眺めていた。

 目がぼやけている。恐らく眼鏡は破壊された。

 何かにかられたように体を起こすと、周囲に瓦礫の山。さっきまで校舎だったものが俺を取り囲んでいる。

 しかしそこには、いるはずの人間がいなかった。

 目の前は無残に刈り取られ、その奥の景色を照らしていた。

 そこに人型兵器の姿はなかった。

 俺は周りの瓦礫に手を触れる。動かそうとする。

 驚くほど力が入らなかった。手が、震えていた。

 声にならない叫びが、俺の喉を通り過ぎた。


 俺は喉元を押さえて立ち上がると、窓の外、運動場に人の塊を見つけた。どうやら避難しているらしい。俺はもと来た道とは違う方向からそこに向かった。何かをしないと、気がどうにかなりそうだった。

 人型兵器の声は聞こえない。揺れも全くない。まるで今までの出来事が無かったかのようだ。歩を進め、非常階段を下りると、学校の裏に出た。幅数百メートルの校庭には、大量の人が避難していた。避難訓練などしたこともないせいか、あまり整列されておらず、ごった返している。

 太陽の光が眩しい。じわじわと熱気が伝わってくる。どうにかクラスと合流できた俺は、整列を始めだした曾我部担任の声を聞きながら、自分の位置に向かう。そこには、心配顔の間宮がいた。

「どこ行ってたの?大丈夫?」

 俺は最初、上手く声が出せなかった。少しして、何とか言葉を紡げた。

「あぁ、大丈夫だ」

「怖かったよ、いなくてさ。先生めっちゃ心配してたよ。でも無事で良かった良かった」

 そういう間宮の顔は文言通りだ。しかし今はその表情が胸に広がる。嫌な感覚だ。地面に座ると、曾我部担任が順番に人を数える声がする。俺は先ほどの光景をフラッシュバックした。瞬間、俺の胸内に暗闇が爆発する。

 次々に学生が返事をしていく。数が進むごとに、俺の中で暗闇が、痛みが広がっていく。

 そうしてその番号が呼ばれる。

 喧騒の中、返事をするものはいない。だから代わりに俺が言うしかない。俺はずっと下を見ていた。見上げたくなかった。

 だが、それは無意味だということも知っていた。

 だから俺が言うしかない。

 そうやって顔を上げて、俺は目にした。青々とした天空から、黒い影を落として、

 振ってきた、青い怪物に。

「…嘘だ」

 恐ろしいほどの衝撃が場を包む。

 一瞬にしてそれは悲鳴と驚嘆へと変貌する。

 同時に俺は絶望していた自分を非難した。

 人型兵器は消えたわけではない。それを勝手に信じた俺が馬鹿だっただけだ。こいつはただ、待っていただけかもしれない、ここにいる人間全員が揃うのを。人型兵器は校庭との距離数十メートルの位置にいる。丁度アスファルトぎりぎりの位置だ。そして、そいつは黄土色の地面に、力強く、入ってきた。

 地鳴りがする。踏み込んだ部分はさながらクレーターのようだ。一同はまた騒然となった。最早何が起こったかわからないその現象に学生たちだけでなく教員たちも逃げ惑う。校舎裏手にある自然公園へと走っているのだろう。

 曾我部担任は大声で指揮しているようだが、だれの耳にも届いていない。各々が俺の後ろを駆けていく。対して、俺は立ち上がったは良いものの、もう動く気がなかった。学生がぶつかってくることにも無関心だ。

 何かの感触がして振り向くと、間宮が俺の手を引いていた。

「ちょっと、何してんのさ!逃げようよ!」

 俺は返事をしない。

「やばいよ、これ。何が起こったのか分かんないけど、モタモタしてたら死ぬよ!もしかしたら、隕石が降ってきたのと関係があるかもしれない!だったら尚更やばいよ!だからさ、」

「…もういいじゃないか」

「えっ」

 間宮の手が離れる。動揺の色を見せる。

「どういう、こと?」

 俺はため息を入れ込みながら言葉を紡ぐ。

「結局こうなる運命なんだったら、今更あがいても無駄だ。それに、隕石が兆候なんだったら、猶予をくれたのかもな」

「…猶予?」

「どうだろうな、もう今更どうでもいいが」

 そうやって俺は間宮の方を振り向き、肩を掴む。

「だがな、それでも死ぬってのは辛いんだ。だから、お前だけでも逃げろ。俺のせいでもう誰にも迷惑をかけたくない」

 間宮は俺を凝視する。

「だったら逃げればいいじゃないか、一緒に。それが一番じゃないか。何でそんなこと言うのさ」

 俺だって分からない。どうしたいのか。だが、もう俺は良い。

 足音は近づいてくる。ゆっくりと、確実に。俺は深呼吸して

「お前はさ、言ったよな」そう言いながら、噛みしめる。

「好きなものがあるんだろ?だからここまで来たんだろ?」

「何言ってるの?」

「だったら生きなきゃいけないんだ。無駄にしちゃあ駄目なんだ」

「ねぇ、ちょっと、おかしいよ、帆場君」

「あぁそうだ、俺の名前は帆場入留だ。お前だけでも覚えといてくれよ」

 それだけ言って俺は笑顔を作った。

「じゃあな」

 返事も聞かずに、俺は間宮を人の波に押し出した。すぐに姿が見えなくなる。すぐにその場にいた全員が走り抜ける。茶色の世界にいるのは俺と人型兵器だけだ。

 俺は深呼吸をすると、向き直した。距離、目測二十メートル。

 さっきの様に時間がゆっくり流れている感覚がある。

 俺は先ほどの会話で引っ掛かることができた。

 それを解決することは、俺、ひいてはあいつの問題をすべて解消することになるのではないか、そんな感情が沸き上がった。

 理由は分からない、だが、俺はこの問題に取り組まねばならない。

 そうだ、俺は最初から疑問だったんだ。今だからこそ、これを何とかしなければいけない。最初から、出会ったときから、

 黒鉄纏は、何故俺を選んだのか。

 この際、何でも知っている理由を考えるのはよそう。どうせ俺には分かりっこない。そうだ、あいつは何でも知っていた。だから俺が隕石を人型兵器と見ていることを知っていた。だから部活動開始の日、黒鉄は俺よりも先にいた。だったら、黒鉄は知っていたんじゃないか?今日、こうなることも。いつからか、偶然か、必然か知らないが、周りには見えない何かが、自分の入学する学校を襲ってくる。そうやって全員死ぬ運命だったんじゃないのか。だから変えようとしたんじゃないのか?この未来を。でも一人でどうこうできる相手じゃなかった。だったら、そうか。簡単なことだったのか。最初から分かり切っていたじゃないか。あいつは部活を立ち上げようとしていた。そうやって部員を手に入れようとしていた。その理由なんて一つしかない。あいつは、助けが欲しかったんだ。ただ、何とかしたい一心で、行動をしていたんだ。わざわざ隠しやがって。なんだ、全部腑に落ちた。

 でも、まだ納得できていない。


 だったら俺はどうなんだ?


 あいつは俺しか部員に誘わなかった。その理由は、俺しか見える人間がいなかったからじゃないのか。皆も新聞もテレビだって隕石の話題で持ち切りのこの世界で、そんなこと言って信じてもらえるわけないから。でもあいつは行動した。こんな結末を変えようとした。対して俺はどうだ?初めて見た瞬間から知らないことにして、見るのを止め、聞くのを怖がり、知ればよいものを黒鉄の誘いを断って。その挙句がこれだ。俺は最初から何もできていなかったんだ。何もしなかったんだ。どんなときでも笑顔なあいつすら、唯一知っているはずのあいつですら俺は助けに行かなかったんだ。何してるんだよ、俺。なんで、こんなとこで、突っ立てるんだよ。もっとやるべきことがあったろうが。でもな、なんで黒鉄、お前は最期の最期まで笑ってたんだ。俺は笑えないよ。目から涙が出てきたぐらいだ。死にたくないし、このまま終わりたくもない。

 俺はお前みたいになれない。


 でも、俺は何をすればいいんだ。


 なぁ、黒鉄。お前だったら簡単にやってのけることを俺はできないよ。俺は、知ってたんだ。ただ、逃げてただけだったんだ。知らないふりして、そうやって過ごそうとしてただけだったんだ。だから、言わせてくれよ、最期ぐらい。俺はさ、落ちてきた、あの光を見てから、痛いくらい分かってたんだよ。

 しこたま睨んでいってやる。どこまでも見上げて叫んでやる。

「今までの世界が灰色なんじゃない。こんな世界が、綺麗に見えてただけなんだ。俺はこの一週間、ずぅっと見ようとしなかったんだ。こんなにもワクワクして、興奮して、楽しそうなのに、ただ俺以外の人間がそこにいないだけで、逃げちまったんだよ。でもよ、気づいたんだ。分かったんだ。俺はひとりじゃないんだよな。皆がいなくていい。新聞も、テレビも、専門家だって、何言ったって構いやしない。俺は、この世界でお前ともっと過ごしてみたかったんだ。だから、今更思うんだ。お前の夢を継がなくちゃって。俺が壊してしまったから、俺がやらなくちゃ駄目なんだって。だからその夢を、こんなくそったれな奴なんかに、つぶされている場合じゃない。だから」

 目いっぱい息を吸い込む。そうして、全てを照らす太陽を見上げて、全部を吐き出す。

「俺は、こいつを!倒したい!」

 瞬間、眩しい光が起こった。


 今まさに巨大な口に飲み込まれようとしていた俺は、気づいた時にはアスファルトの上に立っていた。牙と牙の重なり合う金属音だけが後ろで響く。何が起こっているのか分からない。一瞬で数十メートル移動できたのか、俺は。

「素晴らしい心だ。その言葉、私の魂を揺さぶったよ」

 前で声がする。振り向くと、そこには金属の塊がいた。どう見てもロボットだが、背丈は俺と変わらない。白基調に赤の差し色というのは、どこかで見たことのある姿だが、すこぶる悪人顔のそれが喋っていることに驚きを隠せない。はずなのだが、もう驚き疲れた。

「誰だ、あんた?」

「私は、君を待っていた。知ろうとすることを。覚悟することを。そして願った」

 そう言いながらこちらに振り向いた以前巨大な人型兵器を指さし

「あれを、倒したいんだろう?」

 そこで分かった。いや、感覚だが。

「力をくれるのか」

「正確には、貸す、という表現の方が近い」

「なんでもいい、頼む」

「あぁ、そのつもりだ。しかし、ここにはない。だから、行かねばな」

「行く?どこに?」

「こうやって」

 全く俺の質問に答えないと思うと、その人型兵器は足を逆関節に曲げ始めた。そして腕を伸ばし、頭を上げ、背中から丸い物体が二個出てきたかと思うと、二輪の乗り物に変形した。

 つまりはバイクだ。

「…すごいな」唖然としながら、その馴れ馴れしい自動二輪を見つめる。

「乗りたまえ。時間はあまりないらしい」

「え?」振り向くと、青い人型兵器が俺の方に走ってくる。さっきまでの歩調は何だったんだ。やばいやばいやばい。俺は即座にそのバイクもどきに乗る。そして、ふと思う。

「俺、バイクの免許ないんが」

「安心したまえ、運転するのは私だ」

 へ?と思っていると、青い人型兵器が右腕を振るってきた。とその瞬間。バイクでは絶対しないような高音を出しながらそれは走り出した。それも猛スピードで。

「おわああああああ!」上半身が落ちそうになるのを必死に防ぎながら俺はハンドルを握る。

「どこに向かうんだよ!」

「それはもう分かっているんじゃあないかな」

 バイクは校舎を抜ける。クレーターと化した駐車場を過ぎ、坂に入る。圧倒的に速い。だが、息苦しさみたいなのはない。風を切る爽快感だけが五感に残る。

「まぁそうだろうけどよ。お前はなんなんだ?あの青いやつの同僚か?」

「私はそれとは違う。つまりは人型兵器、という呼称は間違いだ」

「何が違うんだ?」

「つまり、地球の日本人の言語的にはそう呼ばれるだけであって、私とあの青い兵器は本質的に存在が異なっているということだ」

「まるで分からん」言いながら、目的地を見る。どこに行こうとしているのか、俺にはもう分かっていた。住宅街を速度を落とさず右折する。曲がる瞬間、あの青い人型兵器は俺たちを追っていることを確認する。

「じゃあ何て呼べばいいんだ、お前も。あいつも。あれも」

 そう言いながらあのしゃがんだ姿を見る。

 今では決して醜く見えない。俺に対する光だ。そう確信している。

「あれはこう言う」

 メータ部分に表示されたパネルに文字が浮かび上がる。

 俺はその文字を読んだ。

「声帯認証付きだ。君の叫びをもう一度聞かせてもらおう」

「まじか、言うのか」

 俺は辟易しながらしかし諦める。

 後ろを追いかけてきている忌々しい青い巨体を見据えて、

 声高に叫ぶ。


「来い、スカイラブ!」


 目が光り、巨人は静かに動き出した。とその瞬間、空高く跳ね上がり、旋回したと思うと、俺たちの真正面に着地した。なかなか壮大な光景だ。

 しかしバイクの速度は依然として落ちない。

 俺は恐怖を感じながら問いかける。

「これ、どうするんだよ!?」

「こうするんだ」

 そう言ってバイクは目を点滅させる。すると頭上の人型兵器の胸部のランプ、のようなものも光りだし、バイクに合わせる。そして人型兵器の胸が開く。中心にある板みたいなのを基点として開くと思うと、それがスライドして延びる。どこまで行くかと思いきや、俺たちの真ん前へ。おいおい、これってもしかして。

「さぁ行くぞ、しっかり掴まっていたまえ!」

「ちょっと待てちょっと待てちょっと待―」

 そんな俺の情けない声を無視して、バイクは速度を上げる。そして前にある板に、いやレールに前輪を押し当てると、レールの左右がタイヤを固定した。その瞬間、またもやものすごい速度で前輪が進み始めたと思うと、

「あああああああ!」

 衝撃と酔いが一気に襲ってきた感じだ。そしてガシュッ、という音とともに、俺は頭をバイクに打ち付けて、ブラックアウト。

「ん、あぁ…」

 目を覚ますと、そこには見慣れた町の、異様な光景が広がっていた。

「なんだ、これ…」

 俺が立っているのは住宅街だ。間違いない。だが、視点がおかしい。どう見ても屋根より上だ。かなり先の堤防まで一瞥できる。どういうことだ、と足元を見ると、どう見ても俺の体じゃない何かが俺の体を包んでいる。白い金属のような板、赤い差し色、体中を流れる緑色の何か。これは、どう見たって、さっきまで俺の頭上を飛んでいたあの人型兵器、スカイラブのものだ。

「聞こえるか?」

 どこからともなく声がする。均質な広がりを見せるその音は、誰かから発せられているわけではないようだ。俺の頭の中でする、という表現が正しい。

「それで正解だ」

 しゃべっていもいないのに会話が成立した。

「どういうことだ。お前、さっきのバイクか?これどうなってるんだ?何でこんなとこに立ってる。この姿は?」

「落ち着きたまえ。さきほど君を充填した。つまりその時に君の脳内ネットワークをスカイラブの電子脳内に蓄積、電送した状態で安定化。それが今の君の状態なわけだ」

「何を言ってるのかまるで分からん」

「つまり、君は今スカイラブその者ということだ」

 はい?俺が?あの人型兵器?またまたご冗談を。

「中々しぶといようだ。だったら証拠を見せてあげよう」

 瞬間、俺の体、と思われる何かが勝手に動き出す。足を折り曲げ、急速に伸ばしたかと思うと、俺は地平線を見ていた。高度何メートルかは知らないが、流市全体が見れる。あ、俺の家。とか思っていると急速に回転、どこに向かうのかと思いきやそれは一級河川、埜間のま川に一直線、そして金メダリストもびっくりの綺麗な着地を見せる。目の前の地面は吹っ飛んだがな。川が汚くなった気がする。てそんなことはどうでもいい。何で俺の体が動くんだ?あいつが動かしているのか。

「水面を見てみたまえ」

 俺は言われたとおりに顔をぐぐっと近づけて、土の入り混じった川を見る。そこには、かなり悪人顔の人型兵器がいた。間違いなくスカイラブだ。だがそれを見ているのは俺だ。これは、もう納得せざるを得ない。

「信じてもらえたかな」

「なるほどな。つまりあれか、俺の精神だけ移動したみたいなやつか」

「ある種の哲学とも解釈できる」

「俺は物心二元論を信じているタイプだ」

「それは驚きだ。現実主義者だと思っていたが?」

「だってその方が面白いだろ?」

 そう言って住宅街の方を振り向く。そこには、俺を追いかけ遂に追いついた青の人型兵器がいた。

「なぁ、あいつは人型兵器か?」

「君とは大分異なるタイプだ」

「じゃあ遠慮なくやらせていただいて問題ないんだな」

「是非、そうしたまえ」

 これでもう迷うことはない。何故とかはどうでもいい。どのような経緯であれ、俺は今あの人型兵器と並んでいる。もう見下ろされる存在じゃない。さて、どうしましょうか。と、純粋に思うんだが、俺は今まで何回喧嘩をしてきたか。そして何もないことに気づいた。

「なる様になれ、だ!」

 ひとまず走り出す。肉弾戦だ。殴らなきゃ始まらないだろう?地を駆けて、川を突っ切る。踏ん張れば踏ん張るだけ、舗装された堤防は壊れていく。が、そんなことはどうでもいい。

「おうりゃあああああああ!」

 渾身の気合とともに渾身の右ストレートを相手の顔面にぶちかます。金属同士が削れる高音が響く。すると、青い人型兵器は停止した。なんだ、これで終わりか?あっけないな、おいおいどうしたと思いきや、瞬間、俺の右腕を弾き飛ばす。上体が崩れる。その隙を狙って人型兵器は一回転、長い尻尾を俺の鳩尾にぶちかます。もれなく俺は数十メートル吹っ飛んだ。橋は全壊、俺は反動止まらず川に墜落。水しぶきが体を濡らす。

「がああああああああ!」

 痛烈な痛みを無視して俺は半身を起こすと、再度人型兵器と向き合う。しかし俺が倒れている間に走ってきていたようだ。鼻先数メートルまで近づいている。今攻撃を食らうわけにはいかない。俺はとっさにジャンプした。

 相手の頭上を飛び越え、反対側に着地する。はずだったのだが、水しぶきはおろか、地面が全く壊れない。俺は立っているはずなんだが。

 足をみると、膝あたりが展開していて、金色の金属板っぽいものから謎の高音が発生している。何だこれは?

「君を浮遊させた。微小反重力をスカイラブ全体に回している。私達が町を壊すわけにはいかないからね」

「そんな機能があるなら最初から言ってくれ」

「私が出したわけではない。それにその力はもっと便利に使えるはずだ」

 なるほどな、さっぱり分からん。だが感覚で理解できる。つまりは、自転車に乗るときと同じだ。自分がいつ乗れるようになったのか覚えている人はいるだろうか。俺は明確に覚えている。小学校四年生だ。同級生が皆乗っているのを見て俺もやりたいと思った。まぁ今はそんなことどうでもいい。重要なのは、自転車に乗れた瞬間の前後で何が違うのか、だ。ある時、ふとした瞬間、人は自転車に乗れるようになる。その感覚、記憶ってのは、体にちょっとずつ染みついていって、それがあふれ出たとき、人は成長できるのだ。詰まる所、俺はこの機能についての感覚と記憶をこの今までのジャンプで手に入れたに過ぎない。ならばもう自分の手足だ。俺はまた飛び上がる。しかし今度は大通りに逸れる。住宅街に突っ込んで、適当な家に着地する。もちろん家は壊れない。あの人型兵器は一応走っては見るものの、速度の違いで立ち尽くす。なので俺はこれを繰り返す。まるで走り幅跳びのように、家から家へと、道から道へと、どんどん飛び越えて、移動して、走って、途中で曲がって、跳びかって、急旋回して、大回転して、結果全く持って追いつけない人型兵器の後ろを簡単に取ると、大きく踏み込み、微小反重力を切って、盛大なドロップキックをかました。今度のは大きな手ごたえがあった。現に人型兵器は数十メートルぶっ飛び、高専からの坂を転がり落ちていった。民間の家を壊さなかったのはかなり優秀な方ではないだろうか。俺は反動で痛がる足を無視し対峙する。人型兵器は呻いているように見えるが、動く気力は残っていないように見えた。

「よう、気分はどうだ」

 返答はない。

「俺はお前を殺す気なんてさらさらない。ただ、止めたかっただけだ。これ以上あんなことを繰り返させないために」

 俺は思い返す。屋上での出来事を噛みしめる。

「だからもう十分だ。出て来いよ。そうして話し合おうぜ。俺も色々聞きたいことがある」

 返答はない。飽くまで沈黙を貫き通すようだ。

「なぁ、無理やり引っ張り出すにはどうすれば良い?」

 俺は解説役に聞くことにする。

「残念だが、他者が干渉することはできない。誰も他人に左右されないように」

 なんだと。そいつは面倒な機能だ。だったらここで説得を続けるしかなさそうだな。俺は一歩歩き出し、坂を下りる。すると、人型兵器は果敢にも俺に大口を開けた。そして中心から赤白い光。瞬間、俺は理解する。これってもしかして、アニメや漫画でよくある、

「ビーム兵器ぃぃぃぃぃ!?」

 知ってて良かった。俺は間一髪で空高く飛ぶとその背後を一筋の閃光が流れていく。射線上にあるのは流高専だけだが、その頭上を突っ切っていく。幸いにも被害はない。

「やりやがったな…」

 着地しながらそう思う。そうかよ。お前は徹底抗戦がお望みか。だったら分かったよ。やってやる。これ以上犠牲を増やすわけにはいかない。やらなきゃいけないときってのはあるんだ。だが俺はお前とは違う。絶対に殺さないし、殺させない。そうする覚悟はできているんだ。俺は目の前の敵と対峙する。かなり後方まで下がったが、それでも射線上だ。誰のって?あいつじゃあないさ。もう一度言おう。俺は感覚でスカイラブを理解している。だから分かる。ここからでもあいつに届く力がある。

「そうだよな!」

「まさかそこまで到達するとは。良いよ、やりたまえ。許可はもう出ている」

 俺は両手を胸の前に伸ばす。そうして人型兵器に照準を合わせる。背中のウイングが開いて、全身に流れる緑の血が、黄金に輝きだした。高音とともに俺の体が熱くなる。人型兵器は再度ビームをためだした。もう時間はない。俺は胸をパージする。そこから二枚一組のレールが飛び出し、俺の目の前に展開する。電撃が走るや否や、そこにエネルギーが蓄えられていく。そう感覚で理解する。そうしてその光は頂点に達する。俺と人型兵器が流市を照らす。

 長かったな。ここまで来るのに。大きな回り道をしちまった。でもこれは終わりじゃないんだ。始まりなんだ。

 俺はやるよ、お前の分までな。だからこれは、始まりのサインなんだ。

 動けない人型兵器は最後の力を出し切るようだ。ところどころが壊れ、果て、朽ちる。それでもなお動こうとするその意思を崩すように、こっちも全力で臨ませてもらう。

 赤白い閃光が、一直線に突っ切ってくる。

 知っていた。だから、ぶつけるんだ。

 黄色い電撃を纏って、俺は両腕を広げて、全力で発射する。

 こういう時は、叫ぶもんだろ。だから胸いっぱい、叫ばせてもらう。

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 二つの光がぶつかって、その爆発が視界を包んだ。


 結果は、分かり切っていた。青の人型兵器は顔がひしゃげ、全身が朽ちている。対して俺は無傷だ。爆発をもろに受けたというのに、打った後の反動しか体には残っていない。衝撃は町全体を覆い、倒壊はないにしろ車は吹っ飛び電柱は倒れ窓ガラスは全壊だ。

 俺は歩き出す。今度は何の邪魔もない。勇み足で近づき、話しかける。

「もう十分だろ。それともまだ続けるか?」

 静寂が場を包んだ。夕暮れの空が俺たちを照らす。爽やかな風を受けながら、俺は待つ。すると、

「いやぁ、さすがにやるもんだねぇ」

 なんだか聞いたことのあるような男にしては高い声とともに、機械の駆動音がして、青い人型兵器の口が開いた。そこから顔を出したのは、

「や、さっきぶり」

 屈託のなさすぎる笑顔でそう答えるその男は、

 身長低めのその男は、

 忘れるはずもない、というか脳に張り付いて絶対に忘れることの出来そうにないその男は、

 出席番号十番、黒鉄纏。

「………………………………………………………………………………………………」

 こういうとき、どうすればいいんだ、俺は。

「え、ちょえ、ど、え、…は?」

 思わず素っ頓狂な声が出る。

「いやはや、君が乗ってくれるにはどうしようかなって考えてさ。だったらこうするのが手っ取り早いかなって」

 意味が分からない。

「俺が、乗ると思ったのか?」

「うん」

「だって昨日大っぴらに断ったじゃないか」

「でも屋上までついてきてくれたよね」

「こいつと戦ってたじゃないか」

「演技って難しいよね。自分を隠さなくちゃいけないから」

「じゃ、これは何か。お前の人型兵器ってことか?」

「そういうこと」

「食べられたんじゃなくて」

「コックピットに搭乗したんだ。上手かったでしょ、タイミング」

 はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?

 俺は全く現実を受け入れられない。

「おいバイクもどき!」

「どうした?」

「知っていたのか、こいつが乗っているって?」

「そうだ」

「じゃあ何か。俺は、騙されていたのか?」

「…すまない」

 驚愕だ。信じられない。どういうことだ。俺の思いは、覚悟は、どうなるんだ。

「いやぁ、かっこよかったよ」

 黒鉄は陽気にジャンプして地面に降りる。

「俺は、こいつを倒したい!って」

 よし、殺そう。そうして俺も死ぬ。俺はこの忌々しき爽やか男に挑みかかる。

「まぁ待ってよ。君だってさ、すごく楽しかったろう?」

「喧嘩が楽しいのは戦闘狂か何かだ」俺はかがむのを止めない。

「乗りたかったんでしょ?これ。それにほら、周りを見てごらん?」

 そう言って俺を促す。スカイラブが、かがむのをやめ、立つ。そうして視界がブラックアウト。

「…ここは?」

 暗闇に悶えていると、バシュッという音とともに目の前から光が飛び出した。眩しさに目がくらむ。

「外を見てみたまえ」

 下半身の方から声がする。見ると俺はバイクもどきに座っている。

「…外?」

「いいから」光の方から声がする。

 訝しげながら俺は立って、光の方を目指す。そうして俺は見た。同じ道の、違った視点を。

 晴れ晴れとした太陽は頂点に達していて、町全体を青く染め上げる。光の反射が眩しいが、俺の視界は空の向こうまで広がっている。

「これは…」

「色々違ったかもしれないけどさ」そういってあいつは頬に手を添える。

「君が、守った町だよ。これが」

 そうか。そうなのか。

「だって君、人型兵器のことを語るとき、とっても楽しそうだったんだもの。彩に誘って確信したよ」

 黒鉄はニコニコとそう言う。

 俺はため息とともにその場にしゃがみ込んだ。

 今までずっと暮らしてきて、ここまでの景色を見せられたのは、いや、見られたのは、初めてだ。ずっと同じだと思っていたのにな。

 そうやって俺は思う。心から、

「この町はこんなにも、綺麗だったんだな」

 春の風が吹き抜けて、髪を乱す。この風はもう終ろうとしている。俺は深呼吸をした。

 ふと黒鉄を見ると、すでに青い人型兵器からは降りて、スカイラブの後ろへと歩き出しながら口を開く。

「じゃあこれで、部活動が始まるわけだよ」

 そういえば、俺はまだその部活動のことを全然知らない。今なら知っても良い。ここまで来たんだ。気づかせてくれたんだ。その価値はある。

「何を目的とする部活動なんだ?」

 俺はずっと聞きたかったことを聞く。

「それはねぇ、」言いながらスカイラブの後ろに回る。姿は見えない。何をするんだろうな。俺は想像をめぐらす。これを使えば、人様の役に立つことも、自分たちを楽しくすることも、何だってできる。わざわざそれを使ってすることなんだから、大層関心を買う活動なのは言うまでもないだろう。そうして黒鉄の返答を待つと、変わらず剽軽だが、この上なくはっきりと、

「この流市を、手に入れる」

「………………………………………………………………………………………………」

 俺の思考は再度完全に停止した。

 こいつは何を言っている?

 やっぱり、何というか、もう

「頭おかしいんじゃないのか?」

「そのためにはやることがあります」

 俺の感想は無視である。もう呆れに呆れて呆れることに呆れた俺は何も言わないことにする。

「まずは、仲間を増やすこと。こんな大事業だからね」

 つまり、普通の日本語訳をするとこうなる。

「部員勧誘か?」

「そうやってまずは、この流高専を手に入れる」

 俺はひとりでにかがんだスカイラブから降りると、黒鉄のもとに歩いた。一つ、言わなければいけないことがある。これは確実に、そうしておかなければいけないだろう。きっとここでの発言は今後一生付きまとうぐらいの重みを持つ。だから黒鉄、言わせてもらうぞ。

「帰る」

 そう言い俺は踵を返しいつもの下校ルートに入ろうとしたら、黒鉄は俺の左腕を掴み、

「これ、渡しておくよ」

 左手に握りしめられたそれを一瞥した俺は、黒鉄の顔は見ずに歩みを止めることなく坂を下りて行った。




エピローグ



 それからは至極簡単で平凡で日常だったさ。いつもの様に住宅街を歩き電車に乗って家に帰った俺は、先ほどまで実感していたはずの得も言われぬ興奮を胸の内に秘めながら、心配しながら出迎えた母親に今日は大変だったと至極普通に言い、ちゃんと連絡くらいよこしなさいと叱られる言葉を流しながら二階に上がり、突き当たりの自室に籠るとすぐさまベッドにインして寝ようとしたまでは良かったがそんなことはできそうもなく、結局その日は一睡もできずに貫徹をする羽目になった。気づいたら朝日が昇り、時計を見るといつも起きる時間を余裕で過ぎており、何を見ているのか認識できていない状況で朝ご飯を食べながらテレビをつけると、今日遂に大学の専門チームが調査に入るという一報を見ると、何を馬鹿なことをしているんだろうなとかまたまた思いながら食パンを頬張る。結局のところもう今までのような視点で見ることはできなくなったってわけだ。学校も臨時休校となり休日ということでベッドに再度転がり記憶の整理、などということは睡魔によって到底できず、起きたら時計は午後八時を指していた。悪質とはいえ睡眠をとれた俺はそこから元気満点なんてことはなく、家族との会話もままらないまま残り二日の休日を嫌というほど出してきた数学の課題と普段やりもしない授業の予習に費やし、胸を張りながら今日本日四月十二日月曜日。爆発的な晴天と圧倒的な蒸し暑さにより今の季節を疑いながらどうしたらこんなあくどい地面が出来るのかと揶揄しながら坂道を上る。窪みも周囲の建物もそのままだ。汗を滴らせながらなぜか遅刻気味のせいで急ぎ足という週初め最悪のスタートを切ったわけではあるが、やはり少しはいる同じく遅刻気味の同級生とはいやぁ、奇遇だねぇ、何、君も遅刻かい?いやいやもうここまで来ると帰りたいよなとかそれよりもさなんて言って、本来なら事欠くことのないそれだけで数時間は話せるような話題にはやはりついていけない。だってさ、この節々が壊れた坂道から覗く、建物の損壊を無視したような非日常の光景は、俺にとっては全く持って理解しかできない光景で、その建物の隙間から覗く、今でも健在な物体は、茶色い物体でも、神様が落とした罰でも何でもなかったんだ。最初から、俺には、

 人型兵器が降って来たんだ。落ちてきたよ、この町に。

 白い物体だ。金属の光沢に、赤い差し色。その他にも、何故か消えているが青い怪獣みたいなやつもいる。そのくせそれを使って市内征服を企もうとするやつがいるんだからこの世界は捨てたもんじゃないな。

 俺はポケットから紙を取り出す。これから始まるその活動を想像して俺は今日も溜息をつく。そこには、部活動申請届という文字の下に、仰々しくて荘厳で寡黙な文字で埋め尽くされた、どうあがいても受理されないだろう名前が書いてある。

「人型兵器戦争部」

 口に出して、俺はまた歩き出す。向かうは学校。そこにいる部長。俺の全く想像のつかない日常が、ここから始まるらしい。


 まぁなんか、悪くない。

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