想いの行き先

「君の熱烈な思いを込められたクッキーを、私が食べるなんて胸がいっぱいで死にそうになるから、遠慮するよ」

 にこり、と有無を言わせない笑顔で、可愛らしいラッピングをされたクッキーを突き返された。副音声で「受け取りたくない」「いらない」とすげなく断るのが聞こえた気がする。雨子は苦笑いしか出来なかった。

 もし雨子も友人の立場なら拒否するだろう。

 想像してしまえば、友人に再び渡す気にはなれなかった。

 それ以上は押しつけずに、そっと身をひいて、致し方なしと丁寧に結ばれたリボンをつまむ。

「食べるのかい」

「うん。きっと、吐き気がするくらい甘ったるくて重いだろうけど」

 解いて、食べてしまおうとする雨子を、友人は暫し無言で眺めていた。眉を寄せて苦々しく、苛立たしそうに制止の声をかけた。

「待ちたまえ。それ、本当に自分で食べるつもりかい?」

「そうだよ。捨てるのは勿体ないでしょう」

「私はね。雨子に幸せになってほしいのだよ、できる限り、望みを叶えてやりたい」

「友達思いだね」

「茶化すのは止めてくれ。君のそんな顔は、見たくない」

 友人が舌打ちをしてから、重く、苦いため息をついた。

 雨子は自身がどんな顔をしているのかなど分からない。

 鏡があれば認識できるだろうが、都合良くある訳もない。

 女子力もない雨子は化粧道具など持ち合わせてはいない。コンパクトミラーなど無用の長物だ。あっても自身の顔など確認もしたくない。

 しかし、想像は出来た。

 恐らく友人が口を挟みたくなる程、酷いものなのだろう。

「本当に、うまくいかないものだね。雨子には、もっと良い男がいるだろうに」

「彼はいい人だよ。特別仲良いわけでもない女子が困っていたら、迷わず助けるような人だし」

「あれが? 冗談。あんなひ弱で、他人に良いようにされるような男、雨子には似合わない」

「随分な良いようだね」

「そうだ。雨子には助けてくれるような男がいい。あの男では、雨子の方が助けなきゃいけないではないか」

「……今の話、葵日向くんの話だよね?」

「は? それ以外に誰の話をしているつもりなんだい?」

 訝しげな友人に、雨子は曖昧に笑みを作り、誤魔化す。

 あまりに、自分の知る葵日向とは、かけ離れている。

 一瞬友人の話すのは、別の誰かなのではないかと疑うほどに。どうやら二人が思い浮かべている人物は同じらしいが、どうにも信じられない。

 雨子は、葵日向に助けられていて、雨子は何も返せていないのだ。

「私、助けられてる側なんだけど」

「君の主観ではそうみたいだね。だけど、恐らく違う。たとえ今は違っても、近い将来、雨子が頑張らないといけない。雨子には、これ以上ないくらい甘やかして、包容力がある男と一緒になってほしい」

「……あなたの恋人のような?」

 目の前の友人は、雨子に特別甘い。

 まるでお姫様のように扱ってくる彼女に、雨子は苦笑いしか返せない。

 友人として大切に思ってくれるというのは、嬉しいような、こそばゆいな気持ちにさせてくれる。

 上手い返しなど雨子には思いつかずに、咄嗟に冗談を言って話を逸らす。

 友人も、己の恋人の話になれば、甘い惚気が一つや二つ、無意識にしてくれるのではないか。

 そうやって、葵日向の話題から遠ざけようとした、が。

 友人は思いっきり顔を顰めて鼻で笑った。

 嘲笑、それは雨子に向けたものではなく、恋人に対してだと、すぐに分かった。

「あんな男、葵日向より劣る。あれと雨子が付き合うとなったら、迷いなく殴っている。あれは、クズだ」

「……今の話、貴方の恋人の話よね?」

「は? それ以外に誰の話をしているつもりなんだい?」

 同じような会話をして、雨子は頷いた。

 出来るならば否定してほしかった、という気持ちは飲み込んだ。

 友として恋人に対してあまりに酷いではないのか。

 注意すべきかと悩んでいる間に友人は、ますます苛立ったように乱暴な所作で、足を組んだ。

「あんなのと付き合うなど、理由がなければ絶対に避けて通る。君も、絶対に近づくんじゃないぞ、油断していると食われる」

「ええっと、好きじゃないの?」

「好きなわけあるか。死ぬほど嫌いだ、面倒な柵がなければ、蹴り殺している。私の理想の恋人像からは、かけ離れているしね」

「よ、予想より物騒だね、なら、あなたにとっての理想、タイプって?」

「雨子」

「ええ……ありがとう」

 誤魔化されてしまったようだ。

 雨子は、友人と、こういった茶番のような、冗談を言い合うような時間が好きだ。

 彼女と話していると、少しだけ沈んでいた気分が浮上してきて、小さく笑い声をこぼした。

 雨子の様子を観察するように眺めてから、友人は悩むそぶりを見せた。

 それから苦渋の選択をしたかのように「仕方あるまい」と呟いた。

「雨子には、彼らと関わってほしくない。だけれど、もう遅いだろう。君も、彼も」

「遅い?」

「本当は黙っていようと思っていたのだけれど」

「……何」

「クッキーを渡すなら、放課後がおすすめだ。覚えているかもしれないが、雨の日ならば、琴梨お嬢様は葵日向とは帰らない。だから、ゆっくりとお礼を言えるだろう」

 強引に戻された話題に、雨子は横から、がつんと殴られたような衝撃を受けた。

 友人の言葉を理解するのに、数秒かかる。どうにか咀嚼してから、心の中で復唱してから頸を横に振った。

 琴梨の目を気にしているならば、いないときに。

 友人が雨子の思いを汲んで提案してくれたのだろうが、どうも納得できない。

 琴梨がいないときを狙うなど、とても、ずるく思えて、琴梨に罪悪感がわいてくる。

「君のことだ。琴梨お嬢様の目の前で、クッキーを渡すというのも、空気を読まない女のようで嫌だったのではないか?」

「それは、そう、なんだけど」

「二人の仲を裂く、お邪魔虫のようだ。お嬢様が傷付くのでは、と身を引いた」

「……彼女がいないうちに渡すのも、なんだか気まずいから嫌なんだけど」

「わがままな、雨子らしい考えだ。正直、クッキーを渡すぐらい、琴梨お嬢様は気にしないと思うがね。あの人は、確信しているから」

「何を確信しているの?」

「クッキーを渡されたぐらいで、葵日向がどうにかなる訳がない。という余裕があるのさ。自分から離れていくなんてありえない、とね」

「……あのさ、間違ってたらごめん、なんだけど。もしかして琴梨さんと知り合いなの? 以前から、どうもそんな気がして」

「え? そうだけれど。かなり昔からの知り合いだ。事情もある程度把握している」

 さらり、と何でもないことを言ったように友人は、あっけらかんとしていた。知らなかったのか、とでも言いたげである。

 やはり。この前のいざこざから、良好な関係が築けているとは到底思えない。何かしら因縁のようなものがあるようだと、少しの好奇心が雨子の中に芽生えた。

「そんなこと、どうでもいい。琴梨お嬢様の事情を、雨子が配慮したり、遠慮したりする必要もない」

「え、でも。せめて、琴梨さんとか彼の気持ちを知って、もし両方片思いなら、私は」

「そんなこと聞いたって無駄さ」

「でも」

「あのね、雨子」

 瞬きもせず、じっと雨子を見つめる。真剣な眼差しに声を失えば、彼女は続けた。

「琴梨お嬢様は、葵日向と恋人でも何でもないんだ。下手したら友人より、お互いのことを知らない。それだけの関係だ」

「……友人、より?」

「そうさ。家族のようで、ただの護衛のようで。その実、友人より浅い」

 ただそれだけの関係の二人に、雨子が気にする必要なんてないのだよ。

 友人は、冷たく、容赦なく。断ち切るように、言い切った。

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