あること、ないこと。うわさばなし。

 有名な二人と入れ違い。友人が茶化すように口笛を吹きつつ、雨子の隣に立った。

「びっくりしたよ。私が助けようとしたら、思わぬ救世主が現れたもんだからね。お優しいことだ」

「何で私が日直代理した理由を分かってたんだろう」

「知る機会など幾らでもあるさ。彼のお隣にいる、世間知らずのお嬢様がバトミントン部に所属しているからね。……朝練に参加する気はないようだが」

 今度は完全な嫌みだ。友人は、あの美少女が嫌いらしい。

 世間知らずのお嬢様。言葉に棘が含まれていたが、それは決して嘘ではない。清楚かつ、たおやかな女子は良家のご令嬢らしい。詳しいことは知らないが、この学園にも幾分かお金を出している有力者の娘だ。

 礼儀正しい彼女は、クラスどころか学年の垣根も越えて学園全体で人気者であり、どこかにファンクラが存在している噂が流れているぐらいだ。

 容姿に加え、優しい。少し世間知らずでも、愛嬌とされている。高嶺の花だと誰かが呟いていたのを聞いた。

 誰にも好かれており、嫌う人間など見たことがなかった雨子は友人の微かに漂わせる苛立ちを感じ取り、物珍しさから問いかけた。

「嫌いなの?」

「ふむ。そうだな。苦手だな。大事に育てられた箱入り娘で、世間知らず。仕方ないのかもしれないが、甘いところが少しね。彼女を見ていると胸焼けを起こしそうだよ」

「……いい子そうだけど」

「いい子だよ。とてもね。これ以上ないくらいに。だからこそ、苦手だ」

「その隣にいる男子も、いい人だね」

「隣? ああ。彼かい? 彼も不憫だね。同情するよ、お嬢様の我が侭に付き合わされて。……拒否しないのだから同罪なのかな?」

 付き合わされている。

 彼らの事情を雨子は全く知らない。

 ただ、お嬢様である彼女のボディーガードの役目でも負っているのか四六時中一緒にいるようだ。別れるのは男女別の授業があるときのみ。それ以外、昼食や登下校全てにおいて二人は離れない。

 そのせいなのか、彼女の恋人になりたいと思う人間は諦める。彼に惚れる女子も同様だった。

 二人の仲を裂くのは不可能。相思相愛なのだと真しやかに囁かれていた。

「……ねぇ、雨子。彼女ね、部活に所属しているのに、参加したことないんだよ。何故だと思う?」

 ふと猫のような悪戯めいた笑みを浮かべた友人が、唐突に聞いてくる。

 何故、としばらく考えてみたが明確な答えなど出てこない。雨子は分からないと首を横に振った。

 すると至極楽しそうに友人は答えた。どこか軽蔑するような響きを忍ばせて。

「怪我をすると危ないから。だから体育も全部見学さ。バトミントンも何だか面白そうだから、と入っただけらしいよ」

「それは、親に言われて、体育と見学を余儀なくされている、と?」

「ふふ、雨子は馬鹿でかわいいね。必死にフォローしている。でもね、違うよ。勿論親からも呉々も怪我しないようにと、教師に頼んでいるんでいるのだろうけれどね。彼女は確かに自分から言ったよ」

 するりと雨子の髪を撫でる。寝癖がついていると直してくれた手は優しいが、目線はあのお嬢様から動かない。何を考えているか分からない笑みだった。

「見学しているだけでは、つまらないだろう。きみも参加してみるかね? と尋ねた私に、女は心底不思議そうに『どうして? このままで楽しいわ。私はね、見ている方がすき、だって参加なんかしたら怪我しちゃうでしょう? 痛いのは嫌だもの』とね」


 自分は怪我したくない。しかし他の人はかまわない。自分はしたくないけれど、他の人がしているのは眺めていたい。そうだとでも言いたげにね。とんでもない娘だろう?


 同意を求めてくる友人に雨子は安易に頷けない。実際に自分が聞いた訳でもないのだ。

「――誤解ではなく?」

「誤解か。私が苦手意識に突き動かされて、悪い方に受け取ってしまった可能性はある。そういう自覚もしている。では雨子、きみに聞こう。この台詞を良い方に捉えると何が見えてくる? 真意は?」

「……みんなの楽しんでいる姿が、見たい。自分が入って気を遣わせてしまうのが、申し訳ない。あと、彼女が実は運動が得意ではなく、怪我をしやすくて邪魔になると思っている」

 ひねり出した憶測の答えに友人は満足そうに頷いた。

 彼女の評判を聞けば雨子の予想が、しっくりくる。だがそれも、全て想像なのだ。

 真意など彼女しか分からない。それを邪推するのは失礼だと雨子は頭を振った。

「先生が彼らに反論出来ないのは、おそらく上からお達しが来てるんだろうね。彼女の親がこの学校では重要な役目を持っているから」

「お金を出しているってやつ?」

「そうさ。だから怒れない。親に変な告げ口をされてしまえば、自分の首が飛ぶからね」

 友人は、くいっと親指で自身の首を一閃する。クビという動作に、雨子は少しではあるものの納得した。誰だって仕事を失いたくない。

 だとしても教師が生徒を説教しただけでクビになるような横暴を許すような二人とは、到底信じられなかった。だが、そこまで関わりを持っていない雨子が何を言っても説得力はない。

「……でも、まぁそのおかげで、今回は助かったから。二人には感謝しかないよ」

「そうだねぇ、気をつけなよ。お嬢様の逆鱗に触れないようにね。……既に敵愾心を抱かれてそうだけれど」

 ぼそりと呟かれた言葉に、心当たりがある雨子は、ため息をこぼした。体と心が逃げ出したいと訴えた。

 立ち去る前のご令嬢の瞳。雨子にはその気など一切ないというのに、無理矢理三角関係に巻き込まれたようで気が重い。これ以上悪い方向に進まないことを祈るばかりだ。

「彼女に嫌われたら、面倒になるのは明確だからね。何かあったら私に相談するんだよ」 

 やはり何を考えているのか読めない表情で、忠告する友人の目は、全く笑っていなかった。口元だけ歪に微笑みを象る彼女に雨子は「ありがとう」とだけ返した。


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