第12話 波波迦の兆


「やはり、国に二人、三人と日継の御子がいるのは宜しくございませぬ。そろそろとお覚悟あそばされぬと」

隼の住む小屋の傍で小碓と若帯日子、二人の日継の御子が語り合った一年の後の事である。帝は若帯日子の母、八坂入日比売の言葉を、眉を顰めながら仕方なさそうに聞いている。

「しかし・・・あの二人は仲良くやっているではないか」

この頃御食の時、二人が親し気に語り合う事が多くなったのを見ている帝はその事に安心もし、喜んでもいた。

「いえ、今でこそ仲良くしておりましても、いずれ国が乱れる元となりましょう。それは二人だけの問題ではございませぬ。ご存じでございましょう?宮人がそれぞれ、二人の御子をかつごうとしてうごめいておることを」

それは事実である。そもそも皇后自身が若帯日子を帝にすべく動きに加担しているのだ。宮人の中には武勇の誉れ高い小碓こそ帝に相応しいと思う者もいれば、血筋から若帯日子こそ次の帝と考えている者もいる。そしてそれぞれが思惑をもって蠢めいている。

苦々しい思いがするが、いくら止めようとしても人の心はどうにもなるものではない。どちらの主張にしてもその者たちにとって、それなりの理と利があるのである。

「小碓命の武勇を褒め称える者たちもおりますが、いずれも相手の信用を裏切って成した事ではございませぬか。とても帝の広い御心に敵う者ではございませんし、次の帝に相応しいとも思えませぬ」

后の鋭い言葉に帝は呻くように答えた。

「それは・・・。小碓命はいずれの時も兵を持たずに、知略を使うしかなかったのだ」

とりわけ熊襲建の時は自分自身がそれを命じたのだと言ったが、后も一歩も引かなかった。

「ならば、兵を持たせ、正々堂々と戦わせてみれば宜しいではないですか。あづまにはまだ帝にまつろわぬ者たちが大勢おりましょう?」

「むう」

確かに后の言う通り軍を率いさせ、正々堂々の戦いで勝利を収めることが出来れば小碓のどこか策略めいた印象も消せるに違いあるまい。だが、当の小碓命は今、倭比売を失った悲しみから立ち直ったかのように落ち着き、帝の勧めるままに身の回りの世話をしていた石衝毗売を娶った。二人の間にはもうすぐ一人目の子が産まれる。

倭比売のことはもう忘れたかのように従順に振舞っており、一時はその剛直さに帝自身でさえ恐れた性格も陶冶されつつあるように見える。さすがに帝としても時を置かずに三度目の征伐に赴け、というのは憚られた。

「確かに、若帯日子はしっかりとした考えを持っている」

帝は思っている。半年ほど前、臣の建内宿祢を伴って、国家の経営に関する献策をもって帝に進言をした。畿内のみならず、地方を国に分けその境界を定め国造を置き、そこに帝の血筋を引く王を送り込む。場合によっては力のある豪族をそのまま国造にして比売を嫁がせることで帝への忠誠を誓わせる。

またそうしてできあがった新しい国の中で県を定め、県主あがたぬしは地方の豪族に任せるという方策は、増えてしまった王と、その費えを上手く処理する絶妙の方策に思えた。それでいて、地方の豪族を県主として実質の経営を任せれば、中央と地方の対立は限りなく小さくすることが出来る。やがて、それを東の国にも広げていくことができるであろう。

「小碓命にも相談の上のことでございます」

とその時言った若帯日子は母と違って小碓命を認め、共に国を経営していくつもりのようである。

帝の目にはこの二人が争うように思えない。小碓は勇、若帯日子は智で互いを補っていけばそれに越したことはない。だがそのままにしておけば、若帯日子が帝の座を小碓に譲るように思えてならぬ。私利私欲の薄い息子は母の血を少しも引いておらぬかのようである。

それ故に后は、小碓を排除したがっているのだ。東の国へ向かわせればその間に宮中を固めてしまうこともできるだろうし、小碓が途上で討たれることもあると考えているに違いない。

しかし・・・、と帝は思いを巡らせる。后の言う通りにして小碓がまたしても武勲を上げれば、それはそれで却って事態を複雑なものにしかねない。小碓は后が考えているよりずっと戦がうまい。肝も太い。

東の国を征討することも五分以上、あり得る。いくら宮中を固めるといってもすべてのものが本心から后に従うわけではなかろうし、逆に小碓が力を増して帰ってくれば今までより小碓を推す者は増すであろう。

小碓が力を増す事を、今こうやって自分を睨みつけてくる后は決して許そうとはしまい。そうすれば、軋轢は今よりも深く、大きなものになってしまう。

結局は女の浅知恵としか思えぬ。

「暫く考えさせてくれ」

吐き出すように言った言葉に八坂入日比売は身じろぎもせず帝を見つめている。その眼には優柔不断な夫を詰るような色が浮かんでいた。


ひと月の後、日を選んで神祇官かんづかさを伴った帝は、神祇官のおこした赤々と燃え盛る火を瞬きもせずに見つめていた。

波波迦ははかの樹皮が爆ぜ、ごろりと鹿の肩骨が動いた。太く灰色がかった白の骨に押しつぶされたかのようにぱっと橙の火が噴きあがる。

やがて火は衰え、残った骨の上に残った灰を丁寧に神祇官が刷毛で掃いた。骨には焼かれてできた罅が無数に広がっている。無心に神祇官は罅の語るきざしを読んでいる。やがて、ふっと小さな溜息のようなものが神祇官の薄い唇から漏れた。

「どうだ・・・」

小さく問うた帝の耳に神祇官は布斗麻邇の兆を囁いた。

「む」

帝は唸った。

「それで間違いないのか?」

「間違いございません」

神祇官はきっぱりと答えた。

「なんと、玄妙な・・・」

思わず呻くような声を上げ、帝は太い溜息を吐き出した。

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