第9話 倭建の誕生

身をやつした旅姿で二人が歩いているのは日向ひむかの砂浜に沿った道であった。他に旅の者の姿はない。浜の向こうには海が広がり、行けども行けども規則正しい波音がそこから聞こえてくる。

二人は共に手に一つ包みだけを持っている。その足取りは軽い。筑紫那津つくしなつからの遥かな道のりを歩いてきた女の足取りとは到底思えない。

「そろそろ、建日別との境だよ」

小さいほうの娘がそう言うと大きい娘は黙ったまま頷いた。声の主は雀である。

船で筑紫国、なのあがた那津なつまでやってきた二人は暫くその地に留まった。那津は後に博多大津と名付けられる大きな港で、その頃から半島や大陸との交流があり、活気のある街で人も多かった。雀は始終しじゅう外に出て津の周りでそんな人々と交わっていたが、小碓はその間じっと家の中に留まっていた。

雀が外出をするのは言葉を学ぶためと、もう一つ別の目的があった。

「やっと見つかったよ」

雀が息を切らして戻ってきたのは那津に到着してから十日ほど後の事である。

雀が見つけたのは建日別から売られてきた二人の娘である。その娘たちは津の近くにある、今でいう網元のような大きな漁師の家でとして働いていた。

「熊襲建の住んでいるところの近くに住んでいたんだって。今でも母親はそこに住んでいるらしい」

「そうか・・・」

小碓は持ってきた包みにちらりと目を遣った。その包みは倭比売からの貰い物である。

小碓が自分の気持ちを抑えきれずに倭比売へ告げようとした日から、倭比売は召されても御食に姿を現さなくなった。気鬱であるとの事だった。

小碓が熊襲への出立の前々日にその倭比売を訪れたのは別れを告げるためではなく、旅立つ前に一目会いたいという気持ちが抑えられなかっただけでもない。

「これより熊襲建を討ちに参ります」

そう告げた小碓を見る倭比売の眼には微かに怯えが浮かんでいる。その怯えは小碓を懼れて生じるものではない。小碓を掻き抱き、

「行ってはなりませぬ」

と叫びそうになる自分の気持ちに対する怯えである。その気持ちが母としてなのか、別の物なのか倭比売には分明ではない。固まったまま自分を見つめてくる倭比売に小碓は微笑んだ。

「叔母さまに二つ申し上げたいことがございます」

倭比売は、それを聞いてよいものか躊躇う素振を一瞬見せたが

「申してみなさい」

と掠れた声で答えた。

「一つ目は古い衣装を二つ頂きとうございます。それと同じ大きさの旅装束、これは端女のものが宜しゅうございます。やはり二つ、頂戴したいのです」

意外な願いに、ほっとしたような表情になると、

「何に使うのです?」

と倭比売は尋ねた。小碓は微かに笑みを漏らすと、

「それは戻って参った時に・・・」

と答えた。

「良いでしょう、誰か」

姫の声に応じて仕える者が二人現れると、命に従って荷を拵え、持ってきた。その二人が下がると、

「もう一つの事でございます。熊襲建を討って戻ってきた暁には・・・」

そう前置きをして、小碓は倭比売をじっと見つめると力強く宣言した。

「私は帝の許しを得て、妻を娶ります・・・。そのお相手は私の欲する通り」

その言葉にまるで引き寄せられるように頷いてしまった倭比売であった。


日向から建日別に入った二人が手にした包みの中にはその倭比売から渡された衣装がある。古いと言っても、それはそれは美しい衣装である。それを古布でくるみ、更に油紙で包んで濡れぬようにして大切に抱えている。

「娘、どこに行く?」

男の声が聞こえたのは、建日別に入って間もなくであった。海を離れ山道に差し掛かったあたりである。あたりを見回した二人の目に、くさむらからがさごそと音を立てて出てきた二人の男の姿が映った。

一人は鋭い目つき、高い鼻梁びりょう、細い唇、体には鳥の羽のようなふさふさとした飾りをあしらった着物を着ている。妙ないで立ちであるが、もう一人の様子は更に不気味であった。目は赤く血走り、始終舌で唇を嘗め回している。細い体に黒い布を巻き付け、体を小刻みに震わせている。

どちらも背が高く、小碓と雀を見下ろすようにして近づいてくる。

男たちはにやにや笑いながら二人の前に立ち止まると手を拡げた。行き先を塞ぐようにしてから女装した小碓と雀の顔を覗き込むと、鳥の羽飾りをつけた方の男が、

「おまえたち、ここから先は熊襲建命の統らす国と知って入ってきたのか、ええ?」

と尋ねてきた。姿から想像のしにくい妙に甲高い声である。

男たちと共に空に数羽の烏が現れた。あたかも男たちの行く先々に獲物があると知っているかのようである。

「お許しくださいませ、国へ帰る急ぎの用がございます。ここを通らねばならぬのです」

雀が哀れっぽい声で許しを請うた。

羽根飾りの男はその声に、いっそう甚振いたぶる気持ちをそそられたかのように唇を歪めると

「ならぬ、まずその荷を寄越せ。そしてお前たちは俺たちの女になれ」

と強要した。

「ご容赦くださいませ。これから私共は死にかけている母のもとへ参る急ぎの者でございます」

「ならぬと言ったであろう。お前たち、いったいどこから来たのだ?」

「那津でございます」

雀は声を震わせてみせた。

「那津?」

「はい・・・」

「那津・・・ふふふ・・・那津なぁ」

黒い布を巻き付けた方の男がじろりと小碓を見遣ると顔を近づけた。声は低い。そして蛇のような視線である。ねちねちとした口調と共に発せられる息が死臭のような匂いを放ち、小碓は思わず息を止めた。

「前にここを通ろうとして首を絞めてやった男が妙なことを申していた」

「ん?そうだったか」

「そうよ、あいつの肝はうまかったぞ」

「ああ、あの男か・・・」

もう一人の男はにやりと笑う。

「愚かな奴であった、さっさと玉やら布やら置いて逃げれば許してやったのに。自分の魂まで抜き取られるとはの」

「たわごとかと思っておったが、あの男、摂津から来た女が建日別のことを聞きまわっておったと言っておった。その那津から来た女かぁ」

小碓と雀は目配せをした。男二人から逃げるのは容易であるが、そうすれば怪しい女が二人国へ入ったと漏れるに違いない。死んでもらうしかない、という目配せである。

そっと荷を地面に置くと、二人は跪いた。男たちには女が観念した姿に映ったに違いない。ひひひ、と妙な笑い声をあげ

「この女たちかの?」

と鳥飾りの男が言った。

「どうかな、可愛がってやれば吐くかもしれん。この体に聞いてみたいぞなぁ」

「だな」

男たちが近づいてきた。その刹那、跪いていた二人はばねのように跳ねあがり、袖口に隠していた小刀で男たちの頸を斬った。血潮が装束にさえかからぬ早業である。男たちは何が起きたのか分からぬように首に手を当てたが、溢れる血を見て泣き喚くような吼え声を立てた。

だが、それさえ一瞬のことである。どさりと地響きを立て崩れ落ちた男たちの姿を松の上から烏が覗き込んだ。足早にその場から立ち去っていく女二人の姿を見送ると、鴉はゆっくりと羽搏き地面に降りた。

そして倒れた男たちの目をくちばしでつついて動かないことを確かめると、かあ、と甲高い声を上げた。その声に遠くから、かあ、かあと鳴き声がかえって来る。


「どうやらここだね」

雀が囁き、小碓が頷いた。なだらかな丘に幾つかの穴が掘られ、そこを男たちが出入りしている。丘に掘られた穴は男たちの住処であろうが、その丘の脇には木造りの大きな家が、建てられたばかりなのか、真新しい木肌を見せてそびえ立っている。それが熊襲建の住む家らしい。

「ずいぶん大きな家だ」

「そうだな」

呟く小碓の声は地声である。女の声を出せないかと、道々訓練をして見たのだがどうしても思うように声が出ない。隼や雀が男と女の声を使い分けられるのは子供の頃から鍛錬しているからである。仕方なしに小碓は声を出せない女のふりをして、他人とのやり取りは雀が一切担うことにしている。

「おい、お前たち」

穴を出入りしている男たちの中の頭領らしい者が二人の行く手を遮った。

「どこに行こうとしている、どこからやってきた?」

男のせっかちな問いに、

「母が病に倒れまして、急いで山の向こうへ参ろうと」

雀が哀れっぽい声で答えた。

「ん?」

「私共は山向こうで生まれて那津へと貰われていった姉妹でございます。生みの母が死にかけておると聞いて、主人が見舞う事を許して下さったのでございます」

「ふうむ」

男は腕を組んだ。

「父と母の名を申してみよ」

「父は猪、母は椿と申しますが、父はもう死んでおります」

男は別の男を呼ぶと暫くしてから二・三度頷き、二人のもとへ戻ってきた。

「なるほど、そのような者がいるらしい。母が病と言うことならそれに免じて通してやろう」

じろじろと旅姿の女二人を見遣ると、

「せいぜい気を付けていくことだな。ここの者どもは荒っぽい。貰われていったお前たちは知らぬかもしれんが」

男は広げていた手を下ろした。

「はい、ありがとうございます」

雀が頭を下げた

「お前は妹か。姉はなぜ話さぬ?」

「姉は那津で病にかかって声が出ぬようになりましたのでございます」

「そうか、それは気の毒にな。若い盛りと言うに」

実際に気の毒そうな目をして男は姉の方を見やった。

「ところで・・・。あの宮のような立派な家はどなたが御住いになられるのですか?」

雀の問いに、

「あれか?あれは熊襲建命の新しい御住いじゃ」

男は自慢げに眉を上げて見せた。

「たいそう豪奢な御住いでございますこと」

「であろう?三日後に御室楽おむろうたげり行うことになっておる・・・。そうだ、女の手が足らぬ。もし母の具合がそれほどでもなければ来て助けになれば相応の褒美を取らすぞ。わしの名は犬牙いぬきばという。来たならその名を出すが良い」

そう言ってから、男は姉妹の装をじろじろと見て、

「ただし、そのなりではいかん。来るならば、もそっときちんとした格好で来い」

と付け加えた。

「ありがとうございます」

雀が丁寧に頭を下げ、小碓も黙ってそれに倣った。


小碓と雀は人目の届かぬ、繁みに拵えた小さな庵のようなものの中で身を潜めている。雀の一族が密かに帝の行幸に付き従う時に作る雨露を凌ぐ木の枝と草で編んだ粗末な庵であるが、どこをどう工夫するのか雨露は一切小屋の中に入り込んでこない。その庵のなかで

「いい時にやってきたね」

と囁いた雀の言葉に、小碓は頷く。

「飯炊き女として入り込むつもりだったが、それでは時間がかかる。時間がかかれば万一という事もある。しかし祝となれば人手もいる。あらためも緩いだろう。用意した着物が役立ちそうだな」

「だね」

雀は頷いた。

「できれば、それと悟られずに熊襲建のそばに近づきたい。雀、頼むぞ」

「わかった。できる限りのことはするよ。男っていうのは目新しい美しい女を傍に近づけたがるものらしい。なんとかなるんじゃない?」

「美しい・・・女か」

情けなさそうな声で自分の着ている女の旅装束に目を落とした小碓に向かって、

「なんだよ。この策を考え付いたのは御子ご自身だぞ」

と雀は口を尖らした。

「分かっている。分かっている」

と小碓は二つ返事で頷くと、

「雀、お前は子供のように見えないように気をつけよ」

と逆に注意をした。

「大丈夫だよ。あの男たちだって私たちに自分の女になれといっていたじゃないか」

あっというまに屠った日向の男たちを引き合いに出すと、

「ちゃんと化粧をすれば年の三つや四つ、簡単にごまかせられるよ」

 そう言って小さな胸を張った。

身を隠すこと三日、その日の朝早く、二人は近くに流れる小川で身を清め、灰で洗った髪に油をつけ結い直し、着物を着替えた。雀の言った通り、化粧まで施した二人が水面に映した姿は大人びた美しい女たちへと変身している。にやりと笑って頷きあい、二人は元の道筋を辿った。

突然現れた二人の美しい女を見て男たちはさざめきあっている。その男たちの一人に、

「犬牙と申されるお方に言われて参ったのでございます」

と雀が告げると、男たちの一人が急いで犬牙を呼びに行った。

不審げな顔をしてやってきた犬牙は二人の姿を見ると丁寧に

「どなたさまでございますかな?ここは熊襲建命の家、もし知らずに来たのならば早々にお帰りになった方がよろしゅうございます。荒くれ者がおりますでな」

と忠告した。どうやら女にかける言葉はいつも同じらしい。犬牙という恐ろし気な名ではあるが、この男は女が荒くれ物の手にかかって弄ばれるのを嫌っているようだ。

雀がにっこりとして、

「お忘れでございますか?筑紫より母を見舞いに参りました者たちでございます」

と答えると、犬牙はびっくりしたように、

「おお、あの旅の者たちか」

声の調子をあげると確かめるように二人の顔を覗き込んだ。

「見違えたぞ」

「はい、犬牙様に言われましたので精々身なりを整えて参ったのでございます。着ているものは主人からの貰い物、古物でございますが・・・」

「いや、これは美しい。さすが那津ともなればこのような品があるのだな。化粧も見違えるようだわ。お前たちにはかまどでも焚いて貰おうかと思っておったのだが、これならば・・・。ところで母御の具合はいかがか?」

言葉つきまで改まっている。

犬牙に連れられて二人が通されたのは膳部かしはでべであった。そこには若く美しい女たちが集まっていて、二人は隅の方で縮こまるように座った。やがて膳夫かしはてがやってくると女たちに何かを言いつけ始めたが、小碓の耳には早くて何を言っているのか良く分からない。だが、雀は時折頷いている。那津でこの地で生まれた姉妹と話しているうちに多少の言葉は覚えたようである。

その男が小碓と雀を見遣り、何かを命じた。雀はうやうやしくその命令に頷いている。

何と言ったのだ?と眼で尋ねた小碓に雀が、

「お姉さま、私共はこの家のご主人様のお側につけと、そういうことでございますよ」

優しげに囁いたのである。


祝は騒々しく始まった。

新しい家の中に入るのを許された者はその数、五十ほどで、おそらくは主だった者たちであろう。開け放たれた戸の外で土の上に座って酒盛りをする者たちはその何倍の数である。蝟集いしゅうした男たちはそれぞれの手に酒の椀と食べ物を持って勝手に酒盛りを始めていた。

その最中に家の主人らしい二人の男が現れ、残りの者たちが床や膝を叩いて騒々しく出迎えた。現れた二人はどちらとも髭面である。

片方は雲をくような大男で体格もがっちりとしているが、もう一方は、背は高いもののほっそりとした体つきである。

「あれがこの家のご主人様たちのようでございますよ」

雀は言葉の不自由な姉を労わるような口調で説明した。

「さあさ、参りましょう」

酒のなみなみと入った器を手に円座の奥手にいる主人の席へと小碓は雀に手を引かれていく。

「おお、これは美しい嬢子をとめたちだ。お前らか、那津から参った女と言うのは」

大柄の方の男が相貌を崩した。

「ええ、さようでございます。母の見舞いに参りましたのでございます」

雀は愛想よく、柏の葉に酒をつぐ。なかなか堂に入った注ぎ方であった。大柄の男の髭面はそれを見ただけでもう綻んでいる。

「母御は病とのことじゃな。様子はどうじゃ?」

「ええ、少し持ち直したようでございます。きっと熊襲建さまのおかげでございましょうよ。わたくし共がここで働かせていただけると聞いてたいそう喜んでおりました。熊襲建の御兄弟は力がたいそうおありとのことで。そのお力は帝さえ凌ぐのではないかと」

抜け目なく雀は愛想をふりまいた。

「ははは。それは良かった。ところで姉の方は口を利けぬということだの?」

痩せた方が尋ねると雀は大きく頷いた。

「那津に行ったばかりの頃に病にかかりまして、それ以来でございます」

「そうか、あそこはたびたびはやり病があると言うの。からから病が入ってくるという話じゃが・・・。ほんとうかの?」

と大柄の男は小碓をじっと見つめると、雀に向かってからかうように言った。

「お前は喋り上手じゃが、姉の方が一段と美しい。祝が終わったら一緒に来い。可愛がってやるぞ」

そう言いつつ小碓の腰に手を回してくる。

「口の利けぬ女があの時にどのような様子をするのか今から楽しみじゃ」

無礼な、と憤りの目の色に変わった小碓を雀が必死の眼で抑えた。

「お前はわしの相手をせい。お前はまだ生娘であろう?わしの好みじゃ。わしが女にしてやろうぞ」

痩せた方の男が雀に言い寄った。

「兄者が姉と、わしが妹と。それが良かろう」

はいはい、と軽くいなして男の手を躱すと、雀はにっこりと笑って酒を注ぐ。

「では、お二方はご兄弟で?熊襲建とおっしゃるのはどちらのお方でございますか」

雀の問いに、

「なんだ、それも知らぬのか」

と弟と名乗った男はしつこく雀の手を握ろうとする。雀も諦めたのか男のなすがままに手を握らせている。

「熊襲建というのは二人の名前じゃ。熊襲建の兄弟と言えば、この地で知らぬものはない」

「ですが、兄弟とおっしゃっても余り似ておられませぬ」

首を傾げた雀に、

「それは父が違うからじゃ。だが母は紛れもなく同じ」

と弟が答えた。

「母は間違えようがないからの。われら、同じ穴から出てきた兄弟じゃ」

と下品に笑った兄の方は酒に酔ったのか赤ら顔で、

「それにしても吾らが名は那津までは届いておらぬのかな?ならば、もそっと暴れねばならん・・・。よしお前らは那津に返さん。その代わりお前らのためにわれらが那津に赴き、那津をわれらのものにしようぞ。さすればお前らは今までお前らをこき使ってきた者たちの主になれるのじゃ。存分に甚振ってやるが良い。面白いぞ」

そう言うと、割れるような声で

「おい、酒をもっと持ってこい」

と怒鳴った。


円座の真ん中では踊りが始まっている。男たちが手を揚げ、手を下ろしながら腰をくねくねとさせる妙な踊りもあれば、女たちと陽気に手を叩きながら踊る姿もある。

外の男たちの半分は酔ってしまったのか勝手に横になって寝入っており、残りの半分が踊りに合わせて手を叩く。数が半分に減ってもその音で家がとよむようである。。雀も一緒になって手を叩き、小碓にも手を叩くように頻りに目で合図をしてくる。仕方なく小碓は拍子を合わせている。

酒や料理が尽きることのないように次々と運ばれてきた。そのうちに外から一人の男が慌てたように兄弟の席に駆け寄ってくると小声で二人に話しかけた。

「なんだと?」

兄の方が顔を顰めた。

「鷹とくちなわの二人が殺された?」

はい、と頷いた男の目には新参者の小碓と雀の姿も入らないようであった。

「ここのところ日向との国境へ出向いておったのですが戻ってこないので探しに行かせたところ、骸がみつかったとのことでございます。犬や烏に食い散らかされたようで人相は分からなかったのですが、着ているものでほぼ間違いなかろうと」

「ならばさっそくその頃あのあたりを通った者たちを片端から調べろ」

弟が怒鳴った。

「鷹にしろくちなわにしろ、あれほどの者たちを二人とも殺すなど容易くできるものではない。何者か、怪しいものが入ってきたに相違あるまい」

「は」

去って行った男をちらりと見遣ると兄はちっと唾を吐いて小碓を抱き寄せた。小碓はしかたなくしなだれかかるようにその体に寄りかかったが、手が内腿へと伸びてきた。慌てて身を捩った小碓に、

「お前の腿は固いの。男のように固い」

と耳元で囁いた。その息が熱く、酒の匂いがする。

「姉は踊り子でございますゆえ」

雀が慌てて助け船を出した。本当の姉妹が那津で単なる煮炊き女として使われていることなど誰も知らぬ。

「そうか、そうか。ではお前たちも踊ってみよ」

兄は手を打つと皆を鎮まらせた。

「これから那津からやってきた女たちが踊る。但し、この女たちはわしら兄弟の持ち物だ。決して手を出してはならんぞ」

吼えると、

「さ、踊れ」

と二人を円座に送り出した。

「それでは、勇ましいお席でございますから、久米歌くめうたを・・・」

そう言いながら雀は小碓に目配せをする。いかにもそれで宜しいですね、と演目の同意を取る目配せのようであったが、小碓は一瞬にしてその意を汲んだ。

「なんじゃ、その久米歌とやらは?」

と弟の方が尋ねた。席の周りの者たちも一様に首を傾げている。

「由来は良く存じ上げませんが、勇ましい歌でございます。このようなお席では良く歌うのでございますよ」

雀が答えると、ふうむと兄が頷いた。

「それでよい、踊ってみろ」


忍坂おさか大室屋おほむろやに 人、さわに来入り居り・・・」

雀の声は美しく良く通る。隼人は平時、俳優人として仕えているので踊りもうまい。小碓も見様見真似をしているうちに、隼が正式に教え込んでくれたので踊りのうまさは雀に引けを取らない。二人の舞い踊る美しい姿に男たちは見惚れている。

「みつみつし 久米の子らが 頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち 撃ちてしやまむ」

と歌ったところで小碓が手を振り被ると、雀はそれを避けるように逃げ回る。それを見て男たちが一斉に笑った。

「みつみつし 久米の子らが 頭椎い 石椎もち 今撃たばらし」

と雀が歌い終えたその瞬間であった。二人の女は飛ぶように熊襲建の兄に駆け寄るなりその首と胴を斬った。首から血飛沫が上がり煙幕のように皆の視界を遮った。

熊襲建の兄はうめき声をあげる間もなく横倒しになった。その眼は驚愕から醒めぬままに一点を見据えている。

「うわっ」

一気に酔いが醒めた弟が転げるようにして逃げ出し、他の男たちも一斉に立ち上がったが、時すでに遅く部屋の隅に追い詰められた弟の尻に小碓の小刀は突き刺さっている。

「やめろ、皆の者、動くな」

弟の声に男たちは身じろぎもできない。雀も小刀を構えたまま、残りの男たちに対峙たいじしている。 

「お前・・・いやあなた様もそのままに・・・。お尋ねしたいことがございます」

と雀に向かって尋ねた弟に、

「なんだ?」

と小碓が促した。口の利けない筈の女の声を聞いて弟は目を瞠った。

「男・・・の方でございましたか?」

「そうだ」

目の前の男の兄にさんざん尻や腰を触られ嬲られた屈辱が小碓を冷たい声にさせている。

「僅か二人で我が熊襲建の家に乗り込み、機略で兄を討つとは・・・あなた様方はいったい何者なのでございます?」

「私か?私は纏向の日代ひしろの宮におられ、この大八嶋を治めておられる大帯日子淤斯呂和気命の子、小碓、またの名は倭男具那やまとをぐなである。お前たち熊襲建の兄弟が従わず、礼無き者であるから討てとの命によって参ったのだ」

「ああ・・・」

弟は呻き声を上げた。

「では、出雲建を滅ぼしたというのはあなた様でございますか?」

「そのとおり、お前の体に刺さっているこの小刀はその出雲建を滅ぼした時に得たものだ」

小碓の答えを聞いて男のあらがう力がふっと消えた。

「それでは、致し方ございませぬ。出雲建が死んでこの方、西に我ら熊襲建を除いて勇猛の名を馳せた者はございませぬ。しかし、あの出雲建、そして我が熊襲建兄弟を討ち取るとはこの国には思いもつかぬ勇猛なお方がおられる・・・もはや、命を惜しむつもりはございませぬ。ただ、一つ願い事を聞いていただけませぬか」

男は観念した口調で懇願した。

「事と次第によってだ」

小碓が答えると男は迸るような声で続けた。

「我らが名、『建』をぜひ御子に奉りたい、と存じます。さすれば、ここにおる者たちもあなた様の命に聊かも抗いませぬでございましょう。また我らが名も、あなた様に滅ぼされても尚あなた様の勇猛さと共に残るでございましょう。この者たちはみなあなた様に差し上げます。命は助けてやってくださいまし」

「・・・」

小碓は周囲の者たちを見回した。皆、もはや観念したかのように床に手をつき畏まっている。やがて小碓は、

「ならば、我は倭建やまとたけと名乗ろう」

と呟くように答えた。倭は倭比売の名を一字、貰い受けたものである。それを聞くと弟熊襲建は感極まったかのように叫んだ。

「ああ、嬉しゅうございます。死ぬならばあなたのような畏れ知らずの者の手にかかって死にたいもの・・・。皆、良いか?これからは倭建命に付き従うのだ」

弟熊襲建の叫ぶ声にその場にいた者たちが再び、頭を地面に擦りつけた。その刹那小碓は剣を深く突くと男の体を切り裂いた。

「許せ、お前にだけは死んでもらわねばならぬ」

血潮が迸り、前に座っていた者たち幾人かの体に降り注いだが、誰一人動こうとはしなかった。



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