第5話 梟雄の最期

その三日後の事である。あてがわれた離れで寛いでいた小碓は突然出雲建に呼び出された。先だって出雲建の部下に囲まれ色々と尋ねられた室へ赴く途中、その手下の者たちが忙しく立ち働いているのを見て、小碓はふふんと鼻を鳴らした。

どうやらいくさの時が近づいてきたらしい。軍となれば気持ちは前に向く。いつもなら厳しい警固も解かれ、注意は前方一点になる。都に上ろうとするその時に後ろから斬りつければひとたまりもあるまい、というのがもともと小碓の考えていたことである。ただ、その時はさすがに命が危ない。無事に逃げおおせることはできぬであろう。

そう考えながら室に入ってきた小碓の引き締められた唇を見て、おお、と出雲建の頬が緩んだ。頼もしいと思ったのであろう。

「小碓命、お話ししたいことがございます」

出雲建はいつもと違う下座に座っている。

「何かな?皆、大層忙しく動き回っておるようだが・・・」

小碓は臆することもなく上座に腰を下ろすと尋ねた。

「あなた様のお話を伺って都への出発を早めようと思い立ちましてな」

出雲建は、室の周りをうろうろと動き回っている手下にさっさと矢筈やはずを整えよ、剣を磨け、と怒鳴った。だが、怒鳴った後に振り向いて小碓に向けた顔は微笑んでいる。

「ほう、なぜ?」

「あなたさまがこちらへお味方してくれたこともございますが、先だっても申し上げた通り、どうやらあなたさまのお話を聞く限り姫が私のところに来るとはとうてい思えませぬ。ならばこちらから仕掛けて奪う方が良い。早々に都に攻め込みたいと存じます。都を制したならば、小碓命に帝となって頂き、私は臣連おみみらじとして誠実にお仕えするつもりでございます。但し・・・比売は私が頂く」

最後の言葉だけはこの男の本心だ、と小碓は直感した。自分に仕えるといかにも下手にでているが、この男に帝に担がれたなら、おちおち枕を高く眠れぬようになるだろう。

この男はやがて皇統の血を引く倭比売との間に子供を作り、その子を帝としようと画策するに違いあるまい。その時は、自分はお払い箱という事であろう。お払い箱の行き先は暗い穴の中に違いあるまい。

今、都へと急ごうとするのは自分を仲間に引き込んだことで戦の名目が立ったからであろう。その名目は更にこの男の味方を増やしたのだ。ならば時を置くより早く仕掛けた方がいいと計算したのに違いない。

「なるほど。なればその時は私も口添えをしよう。倭比売も私のいう事なら聞いてくださるかもしれぬ」

重々しく小碓は頷いた。さようですか、と満足げに言うと出雲建は、ところでと話を転じた。

「軍を興すにあたって私が常に欠かさずしていることがございます。小碓命にはぜひ兄として、友としてお付き合い願えませぬでしょうか」

「なんだ、それは?」

と首を傾げた小碓に向かって、

「ここに流れる肥河ひのかはの上流に湯が湧く所がございます。そこで湯を使い、身を清めるのでございます。そこは今まで私以外、誰にも使わせたことがございませぬ。そこに御子をお招きしたいと考えましてな」

出雲建はもったいぶった口調で答えた。

「ほう、湯があるのか、それは良い」

小碓は目を細めた。

「良い湯でございますよ。ぬるくもなく、かといってさほど熱くもなく。ほどよい湯加減でございます。傷はたちまち癒え、心も落ち着く、飛び切りの湯でございます」

「分かった。供をしよう」

「供などとは、おそれ多い」

出雲建は大仰に手を振ると、

「ではさっそくご支度を」

と促した。

うむ、と頷いて自分の室に戻ると小碓は雀に何事かを囁いた。一瞬、目を瞠った雀であったが、頷くと姿を消した。暫くすると雀は剣を持って現れたがそれは雀が隠し持ってきた木の剣である。それを雀は離れの近くにある大きな檜の木の上に隠してあった。

小碓は雀の手渡した太刀を佩くと出雲建と連れ立って山道を歩きだした。

その後ろを本物の剣と何やら大きな木箱を抱えた雀が密かにつけて行く。木箱は雀がこの地についてから雀がこしらえたもので、肌は白く目地もまだ新しい。


湯には小さいながら小屋がしつらえてあった。その中に湯室ゆむろがあるらしく小屋からはもうもうと煙が立っていた。

「ほう、これは立派な」

只の露天を思い描いていた小碓は呟いた。

「でございましょう?中で湯と水が混じりちょうどいい加減になっておりますよ」

出雲建は得意げに鼻をひくつかせる。太刀を置き、着物を脱いで二人は湯に入った。

湯は出雲建の言ったように程よく熱かった。小屋の中はほの暗く互いの姿はおぼろにしか映らない。

「良い湯だ」

出雲建の影に向かって小碓は声をかけた。

「さようでございましょう」

影が答えた。

時折紅葉が風に乗って湯室にすべり込み、湯のおもてにはらりと落ちるのも風情がある。どこかでブッポウソウの鳴く声がする。

「ところで、出雲建命」

湯室の中で小碓の声は良く響いた。

「はい」

と答えた出雲建の声は湯に長く浸かっていたせいか少しおぼつかなげである。

「我らは友だ。その証として剣を取り換えぬか」

「宜しいのでございますか?」

答えた出雲建の声は先ほどの眠たげな声とは打って変わり、湯室の壁に跳ね返り明瞭に響き渡った。。

「うむ、あれは帝から賜った剣、その剣で帝を討つというのも気が引けて・・・な。お前とは兄弟の契りを結んだ仲、取り換えても構わぬかと思い立った」

「さようでございますか。それはうれしゅうございます。兄弟の契り、うれしゅうございます」

出雲建の言葉に、うむ、と頷くと小碓は言葉を続けた。

「それと一つ聞きたいのだが」

「何でございます」

「汝は宮中のことを良く知っておられるようだ。誰かよしみを通じている者がおるのか?」

「なぜ、そのような事を?」

出雲建の声の調子がすっと低く変わった。

「いや・・・いざ、都に討ち入った時に呼応して貰える者がいるのか、いささか気がかりでな」

小碓はのんびりとした口調で答えた。

「正面突破だけではどうしても犠牲が大きい。だが中に味方がいればあっというまに突き崩せよう」

「たしかに・・・。ですが、それは大丈夫でございます」

そう言うと出雲建は湯に波を立てて小碓の横によるとその耳に一人の名を囁いた。

小碓はゆっくりと頷いた。

「なるほど、あの者であれば大丈夫であろう。それにしてもまた、あの者が・・・。帝を裏切るとはな」

「昔、思いをかけた女を帝が召されたので恨みをもっておりますそうで。帝も罪なことをなされる」

下品な笑いを浮かべた出雲建に、

「そうか」

小碓は大きく頷いた。

「その男に伝えてございますよ。小碓命がわれらの味方をしてくれると・・・。今頃纏向は大騒ぎでしょう」

そう言うと、出雲建はにやりと笑った。小碓の退路はないと脅しているようなものである。

「なに、構いはしない。事実だからな」

小碓の答えに出雲建は満足そうに笑った。

「では、そろそろ出ようか」

小碓が誘うと、

「そう致しましょうか・・・。少しのぼせましたな」

権威ある太刀を得ることができる喜びにうきうきとした様子で出雲建は、ざっと勢いよく湯船から出た。


「では、これを頂こう」

小碓が出雲建の剣を手にすると、出雲建も小碓の剣に手を伸ばした。緊張のためか出雲建の手が震え、剣の柄を掴み損ねて剣がゆっくりと倒れた。

カランと空しく響いたその音はしかし金の音ではない。軽い木の音である。はっとしたように出雲建が小碓を見た。

たばかったか」

憤怒の形相になった出雲建の首を、物も言わず小碓は手にした剣で斬り落とした。怒りに吼えたまま刎ねられた首が飛んで壁を揺らし、その衝撃音が木霊のように湯室に満ちた。

首の離れた出雲建の体はもんどりうって洗い場へと落ち、流れ続ける湯が体から流れる血を洗っていく。

「出雲の鋼はよく切れる。飾りこそ都の方がずっと良いが」

血の滴る剣を、目をすがめて眺めつつ、感心したように小碓は呟いた。その小碓を湯室の床の上で鬼の形相をした出雲建の首が見据えている。

「いくら良い湯とはいえ、その傷は癒せまい」

にこりと笑うと、雀、手伝え、と小碓は外に向かって叫んだ。


小碓と雀は湯を背後にして山を下りている。

「看よ」

小碓の指さす方を雀が見ると夏で水の細った肥河が見えた。そこに流れ込む一筋の細い滝が薄く赤に染まっている、湯室の湯が肥河に流れ込んでいるのであろう。あれは出雲建の血の色に違いあるまい。

「急ごう」

誰か異変に気付くものがあるやもしれぬ。

小碓の手にした箱には荒鹽あらじおに漬けた出雲建の首が入っている。重い。だが、それを苦にする様子もなく小碓たちは軽々と山を下っていく。

かぁ。

大きな松の木の上で烏が鋭い声で鳴き、首を傾げて二人の姿を見た。箱の中に入っているものは何だ、と問いかけたようである。


二人が宮に戻ったのはそれから二日後の事だった。目敏く二人の姿を見つけたものがあって、たちまち二人は兵に取り囲まれた。その中には隼の姿もあるが、素知らぬ顔で二人の様子を見ているだけである。

「小碓命、帝の勅により召し捕らえさせていただきます」

兵の先頭にいたものがひときわ大きな声を上げた。

「何のとがか?」

「叛を興すために出雲建のもとに走られた科でございます」

「そうか・・・では帝に申し開きを致そう」

そう言うと小碓は二本の剣を地面に置き、今は雀が重そうに持っている箱を同じように地面に置かせた。


帝は苛立っていた。

「許しも得ずに今までどこに行っておった。いったい何をしておったのだ?」

小碓を見るなり鋭い口調で問い詰めた帝に、

「出雲に行っておりました。そしてその箱は父上への土産」

小碓が運んできた箱を見遣ると、帝は、

「土産など・・・」

と怒りで顔を真っ赤にした。

「汝が出雲建と手を組んだという噂がある」

「その噂はどこから?」

小碓が問うと、帝は吐き捨てるように

「知らぬ、どこからともなくじゃ。汝が帝になれぬ身と考え謀反を起こしたと言っておる。出雲建と組んで都を攻めてくるとな。密かに、降伏した方が為じゃなどという者もおるらしい」

と答えた。小碓は帝の怒りに構わず平然と

「出雲建は確かに都に攻め込む考えを持ってございました。本来なら今頃は出雲を発っておったかもしれませぬ。ですが、もはやその心配はございませぬ。出雲建は決して参りませぬ。この箱の中にその証がございます」

と言い放った。

帝は小碓を見てふと首を傾げた。

着ているものこそ旅に汚れてみすぼらしくなっているが、目の前の子の体と心がそれまでと見違えるようにたくましくなっているように思えたのである。

「・・・決して?」

そう呟くと、帝は小碓が運んできた箱を見遣った。

「箱の中のものはなんだ?」

「帝の安心を齎すもの、御稜威をしろ示すもの、でございます」

「・・・・」

帝は小さく唸ると脇へ控えている兵たちに命じた。

「開けてみよ」

兵たちが五人ほど箱へ駆け寄った。中には鹽が詰めてある。その鹽を無言で掻きだしていた兵がうわ、と一斉に息をのんで手を止めた。やがて、中の一人がこわごわと中に詰められたものを重そうに持ち上げると帝の目が丸く見開かれた。

「なんと・・・」

その目に映っているのは髪を掴まれ持ち上げられた、憤怒の形相の男の首である。

「これこそ出雲建の首でございます。あやなきもの、まつろわぬ者として成敗してまいりました」

小碓は淡々と述べた。


宮中の主だった者たちが呼ばれ、宮の前にある広大な庭に集まったのはその日の午後であった。集まった者の中には帝の后八坂入日比売や妹の倭比売も混じっている。

倭比売の顔は蒼白である。小碓が帝を裏切って出雲建に付いたという噂を聞いて最も心を痛めたのは倭比売であった。

小碓が戻ってきたことは宮中じゅうに知れ渡っていた。

ほとんどの者はその裁きがあると思っていた。だが集まってみると様子が違う。裁かれるべき小碓は平然とした様子で帝と若帯日子の間に座っている。

そして、丸い座の中には見慣れぬ箱が一つ置いてある。

「さて、他でもない。皆に集まってもらったのは小碓の事である。小碓は朕に土産を持って参った」

帝の言葉に皆、目を見交わしあった。不安そうな目もあれば、好奇心に輝いている目もある。

鹿目連しかめのむらじ、その箱を開けてもらえぬか」

呼ばれたのは三十になったかならぬかの男で、宮では蔵を司る役であり近頃勢力を伸ばしている者である。いかにも誠実そうな目つきをしているがまいないを有力者に贈って勢力を伸ばしているとの噂が絶えない男であった。男は不安そうにあたりを見回したが、

「早うせぬか?」

との帝の言葉に

「仰せの通り」

のそりと座を立つと箱に近寄り手を掛けた。その途端、箱の側面が四方に崩れて中身が露になった。うわっと、鹿目は叫ぶと腰が砕けた。

中から出雲建の首が睨んでいる。

「この者こそが出雲建、汝の盟友であろう?首を抱いてやらぬか?」

立ち上がって、その様子を具に見ていた小碓の声に振り向くといやいやをするように鹿目は首を振った。

「汝の名を出雲建が告げたわ。この裏切り者め」

小碓は出雲建から奪った剣を手にすると、つかつかと鹿目に近寄った。

「私が出雲建に走ったという噂を流したのも汝だな?愚かにも私が帰ったと知っても逃げもせずに居座りおって。ばれずに済むとでも思ったか」

鹿目はおろおろと周りを見回している。

「出雲建を斬ったこの剣で、汝も成敗してやる。よく切れる剣だ。の国へと友を追って旅立つが良い」

言うなり、小碓は剣を振り上げた。

がつっ、と激しい音がして、男の首が転がった。悲鳴を上げて失神したのは后の八坂入日比売である。その傍らで倭比売が眼を瞠って目の前に繰り広げられる情景を瞬きもせず見ていた。

「鹿目連一族は置戸おきとを負わせ放逐とする。うがらを諸共に取り押さえよ」

帝の命に、いつしか一同の周りを取り囲んでいた兵が一斉に動き始めた。

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