第4話 出雲の梟雄

兄の大碓が三野から二人の姫を連れ戻ってきたのは夏も末の一日だった。

ちょうどその日、小碓は密かに宮中を抜け出したのであった。遂に雀にさえ勝つことはできなかったが、もう時間がない。 倭比売は兄に翻意を促されているうちに心を壊したのかだんだんと痩せ衰え、臥せる日が多くなっていた。

出雲建から請われた比売がそれをうべなわぬために戦が始まるのではないかという噂は一旦、囁かれ始めると宮中に野火のように広まって行った。噂の出所は分からぬが一旦広まってしまった噂は帝といえども鎮めることはできなかった。

噂にはあの三人の男たちが喋っていた通りの尾鰭おひれがついていた。出雲建は大国主命の生まれ変わりで、大国主命が一度は譲った国を取り戻すことに決めたのだというものである。

出雲は天皇にとっては悩ましい地である。大社を造営し、国つ神たちの御霊みたまを鎮めることによって治めているのであるが、もし反旗が翻るとしたら出雲であろうと歴代の帝は畏れてきた。

帝の御祖である迩々芸命ににぎのみことが葦原中国に降臨するにあたって交わされた国譲りの条件として、万一国が乱れたなら大国主命が再び現れ国を取り戻すという説がまことしやかに囁かれているのである。

或る者は、それは神代の伝説であり、帝が善政を敷く為の心構えを説いているに過ぎないと言ったが、伝説は意外に根強く皇統を縛っている。そのためか、出雲を懐柔しようと今や誰もが倭比売を説得しようとしていた。

このままではやがて姫は本意でなくとも出雲に下らざるを得ぬ、或いは望みを失って死んでしまうに違いない。そう思った小碓は矢も楯もたまらず身一つに剣を携えて山の中を進んでいる。


道はあってないようなものであった。細い獣道のような一筋の道を注意深く下って漸く開けた道に出た途端、小碓の前に三人の男が現れた。

「小僧、こんなところで何をしておる」

真ん中の男がにやにやと笑いながらなたを頭の上で回しながら、

「腰に剣などいて、物騒ではないか。といっても、見たところではお前の方が剣にぶら下がっているみたいだが」

と薄笑いを浮かべたまま近づいてきた。

「何者だ?出雲建の手の者か」

小碓が質すと、左側の男が、

「礼を知らぬ小僧だな。名を尋ねる前にお前が名乗るがいい。それになんだ、その出雲建とやらは」

と応えた。

どうやら出雲建とは無縁のただの山賊らしい。ならば遠慮することはあるまい。

「お前らに名乗る気はない」

小碓はそっけなく言い放った。

「くっ、小童こわっぱが」

と右側の男が、笑った。

「名乗らずともよい。黙って腰に佩いているものと着ているものを残らず置いて行け」

小碓は無言で剣に手をかけた。

「やる気か、面白い」

笑った男が凄みをきかせると剣を抜いた。その刹那せつな、小碓は剣を抜かぬままその男に飛び掛かった。がっ、というさやが骨にあたる嫌な音と共に男の腕はあらぬ方向にへし曲がった。

「ぬ?」

先ほど鉈を振り回していた男の目が鋭く光った。腕をへし折られた男は悲鳴を上げてのたうち回っている。

「少しはやるようだな。だが、それがお前の身の不運、こうなったら置いて行かねばならぬのは剣、衣だけではない。お前の命もだ」

「言うな」

言い放った小碓にじりじりと二人の男が迫る。二人とも小碓より頭二つは抜き出ている大男である。まるで大人と幼児が戦うようなものであった。

鉈を持った男が小碓に迫った。ぶんという音を立てて振り下ろされた鉈を間一髪で躱した小碓の横から別の男の剣が突き出されたが、小碓はそれを剣で振り払った。

だが、藪を背にした小碓をじりじりと男たちは追い詰めた。

その時、ぴしっと何かが唸り、突然鉈を持っていた男が地面に引き倒された。男の腕にはつたのようなものが絡まっている。

「?」

振り返ったもう一人の男の胸にがつっと骨を砕く音と共に短刀が深々と突き刺さった。その勢いに押されるように地響きを立てて男は倒れた。

「何者?」

紐を外し地面から漸く立ち上がった鉈の男が誰何すいかした時には、その背後から男の首筋に鋭い刃物が当てられている。刃は薄く男の肌に入り、そこから血が滲んでいる。

「このまま去るか、それともあの男のようにこの世から消えるか」

若い女の声だが、響きは冷酷そのものである。胸に小刀を受けたまま仰向けに倒れている男はぴくりとも動かない。

「わかった。命は取るな」

そう言うと男は鉈を捨て、腕を折られてもがき苦しんでいる男を抱えると姿を消した。

「雀・・・」

「何をしているんだ、御子。これじゃ、出雲へ着く前に命がいくらあっても足りぬ」

呆れたような口調でそう言うと、雀は地面に倒れている男の胸から小刀を抜き取り草で拭き取った。それから物も言わずに死んだ男のむくろを崖の下に投げ落とした。

ざざ、と音を立て骸は谷へ落ちていき、やがてあたりに静寂が戻った。鳴きやんでいた鳥たちがそこここで再び歌い始める。

「もう少し修行をしてからならともかく・・・と兄者が言っておったわ」

雀は小碓を責めた。それに応じることなく小碓は、

「どうして私がここに居ると分かった?」

と尋ねた。

「倭比売の噂が広まってからというもの御子の様子を日がな見張っておれと、兄者から言いつかった。寝顔も見ておるぞ。御子の寝顔は可愛い」

雀はにやりと笑うと、空を仰ぎ見た。

「可愛すぎて仕方なしにここまでついてきたわ」

「ふん」

小碓はそっぽを向くと、

「助けなどなくても三人くらいは私一人でなんとかした」

「むりむり」

馬鹿にしたように雀は手をひらひらと振る。

「ひとりやっつけたのは立派だけど、それ以上は・・・」

「言うな」

先ほど盗賊に投げかけたのと同じ言葉だが、その時のような力はない。小碓にしても雀の助けがなければたぶん命を落としたであろうことは重々承知している。

「まあ、ともかく」

雀は藪の中に入ると布に包んだ長いものを持ってきて小碓に差し出した。

「兄者から、これを預かった。そして、こう伝えろとな」

「ん?」

と、小碓はそれを手に取ると雀を見遣った。雀は目を空にむけると、口をぱくぱくさせて記憶を辿っている。

「んと・・・、なんだったっけ。そうだ、多勢に無勢の時、力の劣るものが勝るものに勝つにはよほどの知恵が必要だ。考えに考えた上で策を以って戦いなされ、・・・だって。意味、分かるか?」

と小碓に尋ねた。

「いや」

小碓は頭を振る。雀は、だよね、と頷くと再び口をぱくぱくと動かす。

「あと何だっけな・・・?帝に歯向かうものこそ却って帝の力をあらわすものを欲しがる・・・だったっけな?なんか違ってるな、そうだ、帝の御稜威みいつをあらわすもの、だった」

雀が兄から言われた正確な言葉を思い出そうと首を捻っているうちに小碓は手渡された包みを解いている。

そこに現れたのは剣であった。小碓の持つ剣とそっくりの造りであるが、妙に軽い。良く検めてみると、イチイガシでできた木刀である。

「なんだ、これは?」

持ってきた雀自身が、訳がわからぬとばかり首を捻った。

「兄者は木の剣で戦えと仰るのか?」

「いや・・・」

小碓は唇の端に微笑を浮かべた。

「この剣とお前の話で隼人の言いたいことの意味が分かった。雀、これはお主が持ってきてくれ」

「じゃあ、あたいも付いて行っていいのだな」

雀は弾むような声で答えたものの、

「だが、御子。どうやってこれで戦うつもりだ?」

と木刀に目を落とし、心配そうに問うた。

「一発、誰かの頭をお見舞いすることはできようが、そんなことをすればたちまち折れてしまうぞ?御子は何が分かったのだ。教えよ」

と首を傾げてせっついた。

その雀に向かい、

「そのうちに時が来る。その時になったら教えよう」

小碓は確信に満ちた口調で答えた。


「もうすぐ、出雲じゃ」

雀は小碓に囁いた。

「ところで、どうやって出雲建に近づくのだ?ここらあたりからは目も厳しかろう」

「堂々と入って行くのだ、名乗ってな」

あっさりと答えた小碓に

「ばかな・・・」

雀は絶句すると、急いで小碓の袖を引いた。

「そんなことをしたら、たちまち斬り殺されてしまうぞ」

「いや、そんなことはない」

小碓の自信ありげな口調に雀は首を捻った。。

「なぜだ?」

「帝を裏切って、寝返ると申し立てるのだ」

「あん?」

雀はあんぐりと口を開けた。

「どういう積りだ?まさか本気ではあるまいな?」

飛びのいて剣の柄に手をかけた雀に向かって

「本気ではない、落ち着け」

小碓はなだめるように言った。

「だが良く考えてみろ。出雲建は倭比売を名指しで貰い受けたいと言ってきたのだ。父上には三人の妹がおられるが、娘も数えられぬほどおる。なのになぜわざわざ一番年上の倭比売を名指ししたのだ?」

「ん?」

雀は構えた剣を元に戻すと、

「意味などあるのか?」

と尋ね返したが、小碓は構わず問い続けた。

「妹ならばもっと若い阿耶美都比売あざみつひめ石衝毗売いはつくびめもおられる。それならばなぜ若い比売を選ばぬ?」

「それは・・・実の妹は倭比売だけだからではないのか?」

雀は、そうに違いないと言って手を打った。だが、小碓は緩やかに首を振る。

「それもあろう。お美しい倭比売を帝は妹の中で最も手放したくない。だからこそ無理難題となる。他の姫なら問答無用で送り出したであろう。国難であるからな」

雀は小碓の言葉にぷっと頬を膨らませる。「お美しい」という言葉に反応したのである。

「ま、もしもお前のいう通り倭比売が帝の実の妹だからというのがその理由だとしても、そのようなことを出雲の者が知っておろうか?こんな辺鄙へんぴなところにいてなぜ出雲建という男は帝の弱点を知っておるのだろうか」

そう問いかけた小碓の言葉に

「あ・・・」

と、叫んで雀は口を開けた。

「では、宮人の中に通じている者がいると?」

「うむ。となれば、出雲建はその者を通じて私のことも知っておろう」

「うん、それで・・・?」

身を乗り出してきた雀から漂ってくる若い娘の体臭に小碓は思わずたじろいだ。剣や体術の試合のときは気にしないのだが、二人きりでいると妙に小恥ずかしい。その体臭は叔母の甘い香りとは違う、乾草のような良い香りである。

「然れば、私よりも血筋の良い若帯日子命が日継の御子と目されていることも知っておるに違いあるまい」

微妙な間合いで雀から体を離しながら小碓は答えた。

「そうか?」

雀は小碓の戸惑いに気づかぬようで、あごに手を当てて考え込んでいる。

「そうに違いない。そしてそんな背景を知っていれば、私が帝を裏切ると言っても不思議だとは思うまい。若帯日子が次の帝になるであろうという噂は宮中じゅうのものが知っている」

小碓は雀に目を遣った。

「ううん、そりゃそうかもしれないけどさ」

雀は迷うように目を彷徨わせている。

「危険じゃないかい?御子が人質にとられやしないかなぁ」

「人質は取って価値のあるものしか意味がない」

「御子は価値があるよ」

雀はぶんぶんと首を振る。雀の仕草ににこりと笑みを浮かべると、小碓は首を横に小さく振った。

「そう言ってくれるのはお前だけだ。寧ろ私を人質などにして脅したら卑怯な手を使ったと出雲建に反感を抱き帝の軍勢は結集するに違いない。一方で例え私がいなくなっても帝はさほどお困りにならないであろう。帝には若帯日子命をはじめとして子がたくさんおる。出雲建にしてみれば私を人質にするより、寧ろ宮の事を詳しく聞き出そうとする方がよほど役に立つ。宮人と通じているとは言え我ら皇統のものしか知らぬことはたくさんある。或いは私を表に立てることで賊軍ではないという口実にするかも知れん。だから決して殺そうとはすまい」

そう言った小碓に

「かなぁ?」

雀は不安を隠し切れないように呟いた。

「まあ、みていろ。お前は私が只一人連れ出した従者だと言え。せいぜい女とばれぬようにな」

と小碓は自信ありげに胸をたたいた。

「分かった」

男の声色で雀は答えた。

「そういう訓練はしているんだ。あの兄者でさえ、女の声色を使うことが出来る。きびが悪いし、あの図体で女の声なんて・・・使いどころなんてないと思うけどね」

雀が少女の声に戻ってそう言うと、二人共々ぷっと笑いを噴き出した。


出雲建は堂々とした構えの家に住んでいた。

一見しただけでは、帝の宮と見紛うほどの立派な造りである。

その頃の宮は一代で場所を代わる物であったからさほどの造りではないこともあるが、それにしても地方の族にしては異例ともいえる豪勢なものである。

「底つ石根いはねに宮柱ふとしり、高天原に氷木ひぎたかしると言って差し支えない邸だな。なるほど大国主命の生まれ変わりと呼ばれるには理由がある」

と呟いた小碓に、

「なんだ、それ?」

と雀が尋ねる。

雀は髪を結い直し、小碓が携えてきた着替えの衣装を借りて、男装して小碓の横についている。

「こら、男の声を出すのだ」

と命じると小碓は門を潜り、正々堂々と名乗りを上げた。その名乗りに驚いたように家の者が駆けまわる音がして、やがて家の主人らしき男が供を伴って現れた。

「小碓命・・・とお名乗りなされたと伺いました」

山野をいとわず歩いてきたためか小碓の衣は汚れ、ところどころ擦り切れている。主人らしき男はそれをじっと眺めた後、疑いの眼差しで尋ねてきた。

綾織の衣を着た、二十代後半か三十ほどの堂々とした体格の男である。蓄えた髭は良く整えられ、目尻は、様々な表情を作る男らしく薄く皺が浮いている。

「その通り」

小碓は堂々と応えた。

「帝の御子であらせられる?」

目の周りの皺が深まった。

「いかにも」

小碓は疑いの眼差しにも平然としている。その堂々とした仕草に雀も眼を剥いていた。受け答えの中味も答える声も、まるで普段のどこか子供っぽい小碓とは思えない。

「その証拠は?」

その問いに小碓が佩いていた剣に手を掛けた途端、男たちが小碓の周りを敏速に取り囲んだ。各々の手は佩いている剣の柄に掛っている。

「何もせぬ。証拠と聞かれたから見せようとしておる」

そう言うと、自らの剣を抜き、柄を向けて主人に差し出した。

「ご覧になるが良い。帝から賜った剣だ」

猶も、疑っているかのように首を傾げた主人は供の者に剣を取らせると、自らの手に取ってしげしげと剣を眺めた。

「なるほど、確かに。大層立派な飾りでございますな」

「分かってくれたか?」

という小碓の問いに、はい、と主人は柔和な顔つきになると

「しかしなぜ、私共の所へ?」

訝しそうな表情で尋ねた。

「出雲建命は帝の妹、倭比売を望んでおられると聞いた。その話が出たのは春の終わり、冬の前に答えがなければ都に攻め入るおつもりと。しかし今に至るまで帝は妹に出雲へ下るようにご命令できないでおる。戦うなら戦うでわれらを先導としてでも戦うこととなさればよいがそれもない。優柔不断もここまで来ると嫌になる。加えて、帝は我らを差置いて、若帯日子命を日継の御子とお考えのようだ。我らが母は軽んじられており、八坂之入日比売とその血筋を重く見ておる。ならば、なぜ我らは帝のために戦わねばならぬ?出雲建命は大国主命の生まれ変わりとも大国主命そのものとも聞いておる。その御方とはかれば、国をわがものともできようとさように考えたのだ」

「なるほど・・・」

出雲建は、少し考えてから重々しく頷いた。

「しかし、そのようなこと、兄者であられる大碓命ならばあり得ると聞いておりましたが、まさか小碓命がとは・・・」

「兄弟なら似たことを考える」

淡々と答えたが、男の言葉で小碓は官人の中に内通者がいることを確信した。兄が帝に抱いているそこはかとない反感を感じ取れるほど近しい人物がこの者と内通しているに違いない。

出雲建は黙然として小碓を見つめてくる。依然として小碓の真意を図っているかのようである。

「いかがか、もし気に入らないというならここは諦め、更に西に行くが」

小碓は、息を吐くと腰を動かした。気に入らぬなら出ていくぞという素振りである。

「いえいえ」

主人は目尻に笑い皺を浮かべると、手を招くように差し出した。

「どうぞ、中へ」

「では剣を返して貰えるか?」

小碓の剣は供の者の一人が持っていた。その者が否とばかりに後ろへ隠そうとすると主人がきっと睨み、

「お返ししろ」

と言い放った。その声は先ほど小碓に話しかけた時と同じ人間のものとは思えぬほど冷たく低い。

「お前ごときが私に聞きもせずに勝手な真似はするな。このお方は私の大切な客人だぞ」

男の脛を出雲建が剣で思い切り払うと男は崩れるように倒れた。男は声も立てずにもがいたが、その横面を出雲建が思い切り蹴るともがくのをやめた。背を丸めて両手で頭を隠している男を冷たい眼差しで暫く眺めた後、小碓を振り向いた出雲建は、すでに満面の笑みを浮かべている。

そして、

「さ、中へ」

と小碓を招じ入れたのである。


招き入れられたのは大きな部屋であった。そこへ出雲建の手下たちが呼び集められ、続々と入ってきた。

小碓は出雲建から様々な質問を受けた。宮の造り、宮中の動静、日ごとの行事、それらの問いに小碓は覚えている限り正確に答え、知らないことは知らないと答えた。出雲建は満足そうに答えを聞いていた。周りの者たちは身じろぎもせずに二人のやり取りを聞いている。

どんな問いにも嘘はつかない。問いの中には内通者がもたらした情報と突き合わせて小碓のいう事の真偽を確かめようとするものもあるに違いない。

嘘をつけば疑われる。

だが・・・。小碓は考えている。これだけの情報を与える以上、この男には必ず死んでもらわねばならぬ。

出雲建さえいなくなれば他の者たちは散り散りになるに違いあるまい。それは集まっている者たちの様子をみれば分かる。その者たちは聞いているふりをしているが、話の中身が頭に入っているわけでない。たとえ頭に入ったとしても使い方を知ることはない、役立たずの顔ばかりである。

「小碓命と吾はもはや兄弟のようなもの。皆も分かったな。皇の御味方がついたとなれば、吾らもはや賊軍などとは言わせぬ。これからは国を奪う戦いとなるのだ」

出雲建が最後にそう言った。手下たちは太い溜息を吐くと、胸を叩き、「応」と答えた。皆が退出していくのを満足げに見送った出雲建は小碓の隣に慎ましく控えている雀を見遣った。

「供一人で出雲までお越しになるとは勇猛果敢なお方でいらっしゃる。お若くていらっしゃるが、兄と呼ばせていただきましょう。ところで、供のお方のお名前は?」

小碓が口を開く前に、

さぎ

雀は若い男の声で答えた。鷺は雀の一族の男であるが、隼たちのように帝を直接守る者ではない。人前に姿を現すことは滅多になく、裏で謀をする役目の男である。

例え宮中の者がその名を聞いても顔と一致させることはできない。おそらくは聞いたこともなかろうとその名を出したのである。

「なるほど、隼人の方々は銘々、鳥の名を名乗ると聞いておりましたが、隼人のお方であられますか?」

その問いに雀は重々しく頷いた。

「隼人の方々は帝にのみお仕えすると聞きますが」

「その通り。だが小碓命こそ帝にふさわしいお方。次の帝となられると信じてお仕えしている」

雀は簡潔に答える。

「そう考えている隼人は他におられるのか?」

「であれば、一人では来ぬ。他の隼人は帝の命に従う事しかできぬ者たちばかりだ。強くはあるが頭は働かせられぬ。やがて小碓命こそ帝になられ、私は隼人の唯一の生き残りとなろう」

その受け答えに好まし気に頷いた出雲建に向かって、小碓は初めてこちらから尋ねた。

「出雲建命はまことに葦原色許男命あしはらしこをのみことの生まれ変わりであられるか?」

葦原色許男は大国主命の実の名である。

「はて、それは。しかし、葦原色許男命はここ出雲では国が乱れる時、『もも足らず八十珦手やそくまで』の彼方から戻って来られると伝えられております。私自身が気付かなくても、この身に命が宿っているということもありましょう」

出雲建は肯定とも否定ともとられぬような答えをした。

「ふむ」

「まあ、里人が勝手なことを言っているだけでしょうが」

そう言って目を細めると、ところで、と出雲建は尋ね返した。

「倭比売命はどのようなご様子で?倭比売命と小碓命は大層近しいと聞いておりますが、まことでしょうか?」

「それは私がまだ幼い頃の事・・・。私の実の母は先に往ったのでな。その頃叔母が母がわりとなってくれたのだ。だが私もいつまでも幼いわけではない」

「さようでございますか・・・ですが今でも時折はお話になられるのでしょうな」

出雲建は蛇のような目で小碓を見つめたままである。

「さて、あのお方は都から下るのを大層、嫌がっておられるようだったが、詳しくは話してくださらなんだ」

「実の親子のようであられるときいたこともございますが」

出雲建は尚も執拗に尋ねてくる。

「実の親子であっても子はいずれ親と離れていくもの。まして実の親子でなければ時と共に疎遠になるものだ。違いますか?」

小碓の言葉に

「なるほど」

出雲建は膝を手で叩くと、頷いた。

「私も親を捨ててここまで成り上がったのです。今は親がどこにいるのか、生きているかさえも知らぬ。案外、私の手下のものの手にかかって死んだかもしれぬ・・・だが、そんなことを気にしてはいられませぬ。産まれたら自分で道を切り開くことで精いっぱい。男というのはそうした生き物ですな」

あの時、姫が流していた涙は存外、親を親とも思わぬこの男の性情を見抜いていたからかもしれぬ・・・。先ほどの部下に対する仕打ちを考え合わせて小碓は思った。

この男、とても大国主命の生まれ変わりとは思えない。

「だが、姫はあのままでは死んでしまうかもしれぬ。よほど思い詰めておられるらしい」

小碓がそう続けると

「なるほど、ならば私が都へ駆けのぼる方が手っ取り早いようですな。そうすれば姫のお命も助けることができましょう。出雲がお嫌いということであれば別に私も出雲にとどまっている必要はございません」

出雲建は笑った。倭比売が嫌っているのは自分ではなく、この土地なのだと信じきっているようである。

「そうかも・・・知れぬな」

恐らくそんなことになれば倭比売は自ら命を絶つに違いあるまい、と思いながら小碓は肯定した。

「その時は小碓命にも軍衆いくさびとどもをお貸ししましょう。存分に暴れて下され」

勧めてくる出雲建に

「そうだな。真っ先に気に入らぬ連中を血祭りにあげようか。血を種に我らを蹴落とそうとしている者などをな」

小碓は芝居気を出して、いかにも憎々し気に答えた。

「さようになされ、これは愉快」

酒の勢いもあって出雲建の機嫌は頗る良かった。ただ、その眼は時折小碓の剣を物欲しそうに見遣る。小碓はそれに気付いていたが、何も言わずに素知らぬふりをしている。



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