第2話 絵の中に込めた想い
―――
「あのさ。」
「えっ!?」
急に僕の方を向いて、声をかけてくる。僕は慌てて彼の顔から目を逸らした。
「それ……」
「え?」
「そのスケッチブック。君、絵描くの?」
「え?あ、はい。」
「へぇ~ちょっと見せてもらってもいい?」
「え……?」
「あ、ごめん!急に言われても嫌だよな。何言ってんだろ、俺……」
「いえ!嫌じゃないです。……どーぞ。」
ぶつかった拍子に落としてしまったカバンから少しだけ覗いていたスケッチブックを取り出して、彼に渡した。彼は大事そうに受け取ると、一枚一枚ページをめくり始めた。
『へぇ~』とか、『お~、すげぇ』などと声を上げながら僕の絵を見ている彼を、少々恥ずかしくなりながら見つめた。
「すごいね、君。とても上手だし、何ていうか……キレイだね。」
「え……?」
「君の絵、キレイだね。繊細なんだけど力強くて。」
真っ直ぐな笑顔で見つめられ、僕は顔が赤くなった。
「立ち話もなんだし、どっか座ろうか。」
「はい……」
きょろきょろと辺りを見回すと丁度良く公園があったので、僕たちはそこのベンチに腰かけた。
「俺、甲斐邦宏。この近くのS商事に勤めてるしがないサラリーマン。」
「僕は加賀美圭吾。一応画家……です。」
「え、マジで?すげぇ~!」
「全然すごくないですよ。絵だけでは生活出来ないから、M大の美術講師やってます。」
「でも絵を仕事にしてんだ。すごいな。俺さ、絵ダメなんだよね。学生の時なんか、あまりにひどいから冗談で画伯なんて言われてさ。」
笑い混じりに話す彼の雰囲気に、最初は緊張して固かった僕の体は段々とほぐれていった。
「今度、先輩の個展に絵を出させてもらうんです。もし良かったら、見に来てくれませんか?」
知らずにそう言っていた。言ってしまってからはっと口を押さえる。驚いている彼の顔を見ているうちに、段々と後悔が押し寄せてきた。
「すみません!いきなり失礼ですよね。今日初めて会ったのに……」
「いや、俺で良かったら、見に行かせてもらうよ。いつ?」
「あ、再来週の日曜日です。」
「わかった。予定あけとくよ。あ、やべ!会社戻んないと。じゃあ。」
「あ……」
腕時計を見て慌てて立ち上がる彼。思わず声が出ていた。
「ん?」
「あの……アートフォーラム。」
「え?」
「この近くのアートフォーラムって所です。個展開く場所。」
「ああ。そこならわかるよ。じゃあ、再来週な。楽しみにしてる。」
「はい……」
じゃあ、と手を挙げて去って行く彼の背中を呆然と見つめた。さっきまで彼が座っていた所と僕の間には、僕のスケッチブック。僕はそっとそれを手に取った。一枚一枚ページをめくる。
彼がキレイだと言った僕の絵を、日が暮れるまで眺めていた。
――今思えば、もうすでに恋に落ちていたのだろう。彼を一目見た、その瞬間から……
だから僕は見ないふりをしたんだ。
ページをめくる彼の左手の薬指に、光っていた物を……
―――
そして個展当日の日曜日。僕はアートフォーラムの前で彼を待っていた。そもそも来るかもわからないのに、開館前から待っている自分に内心苦笑しながら。
「よぉ!加賀美くん、だっけ?」
「あ……甲斐さん。」
ポンと肩を叩かれて振り向くと、彼の姿。僕は本当に来てくれた彼にちょっとビックリして、固まってしまった。
「どうした?」
「あ、あの……あ、来てくれてありがとうございます!」
焦ってお礼を言う僕を見て、彼はふわりと微笑う。その顔に心臓が高鳴った事は、気付かないふりをした。
「俺、こういうとこ来んの初めてだから朝から緊張してさ~ちょっと早く来すぎたかな。」
「大丈夫ですよ。今開いたばかりですから。」
「そっか。じゃ早速行こうか。案内してくれるだろ?」
「もちろんです!」
僕はそう言うと、彼を連れて中へと入って行った。
「すげぇ!個展ってこんな感じなんだ。」
「僕の先輩、この世界では結構有名で。すごいなぁ~、やっぱり。」
隣で感嘆の声を上げる彼は、しきりにきょろきょろと辺りを見回している。僕も先輩の絵を眺めながら、ため息を漏らした。
「君の絵は?」
「あ、そこの……」
少し離れた所にある僕の絵に案内する。近付いていくにつれ、僕は緊張で胸が張り裂けそうになった。
「ここです。」
「……すごいな。やっぱり君の絵、キレイだ。それでいて、とても悲しい。」
僕の絵を見上げる彼の横顔を、僕はじっと見つめた。
この絵は、あの日の夜に一気に描き上げた。彼と初めて会った日、家に帰ってすぐにアトリエに籠って一心不乱に描いたのだ。
全然描けなかったこの二日間が嘘のように、アイディアが次々に浮かんできて、気付けば夜が明けていた。
「出来た……」
朝日が差し込む中、僕はキャンバスの中の世界を見た。
真っ青な空と海。沖には一艘のボートが浮かんでいる。とても平和で、穏やかな印象。
でもひとたび手前に目を移せば、砂浜にはとても寂しげな人影。その横顔は影でよく見えないけれど、その背中は憂いを帯びていた。
彼は真っ直ぐに海を見つめている。
何を考えているのか。
笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか……
それは描いた当人の僕でさえ、わからなかった。
僕はふと彼の事を思い出した。そして悟る。
この絵は、彼の事を思って描いたんだ。そしてこの人影は僕だ。
手の届かない物を見つめて佇んでいる、僕の姿だ……
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