第2話

ひたすら走った。気が付くと俺はあの野原にいた。

休もうと思い大樹たいじゅの下で腰を下ろす。

「何が何だか分かんねぇ…」

夏奈かなの姿をした誰か…いや?待て、記憶喪失かもしれないな…ショックのあまり頭が回っていなかったな。

それともう一つ問題はある。

和…。本当にそうなのか?それに今日はお見舞いの日だ。

どんな顔で会いにいけんだよ…。

様々な考えが頭を駆け回る中、緊張が解けたのか瞼が重くなっていきそのまま意識がもうろうとする。

こんな時に寝てる場合ではないと頭では分かっているのだが体は思い通りにはいかない。

何時間寝ていたのか、すでに太陽は空の頂点に位置していた。

すると大樹にもたれかかった形をしていた俺の耳元から何やら「スース―」と寝息が聞こえてくる。

視線を向けるとそこには夏奈…ではなく夏奈にそっくりの彼女がいた。

本当に夏奈ではないのか見分けがつかないぐらいに…長いまつ毛、サラサラな銀髪、それをまとめたポニーテール、豊かな胸…どこをとっても瓜二つだ。

俺は少し距離を置くと、彼女はもたれかかっていた重心を失い地面に顔をつける。

その衝撃で目を覚ました。可愛らしく両手を天高くに上げ背伸びをしているそれなのになぜか目の前にいる夏奈の姿をした彼女に張り詰めた表情を向けてしまう。

「な、なぁ…なんでここにいるんだ?まだ学校、授業中だぞ」

率直な疑問を投げつける。彼女は相変わらずの無表情で何も答えてくれない。

しばらく沈黙ちんもくが流れる。俺たちは互いを見つめ合う。

彼女が何を考え、思っているのか俺には分からない。

「あなたが…涼風 すずかぜ そら」「ん?ああ確かにそうだけど」

拍子抜けだ…質問を無視された挙句あげく、俺の名前を聞いてくる。

「そうだ、名前聞いてなかったなそっちは?」「かな…」「苗字は?」「知らない」知らない?夏奈の苗字は英美里えみりだぞ?なんで苗字を知らない?

「な、なぁ、記憶喪失とかでは…?」彼女は小さく首を横に振る。

「私は夏奈の体をもらったの」

俺は曖昧あいまいながら状況を理解し始める…。体を…か、そして俺は自然と答えを導き出した。

その答えは目の前の彼女だ。俺は目の前にいる彼女を穏やかな表情で見つめることができた。

「そうか…」この言葉だけで十分だ。

細かいところは追々として俺は俺自身が思うことを彼女に伝える。

「お前は夏奈なんかじゃない。お前はお前だ なんで夏奈の名前を語る?」

「それは、違う私の名前は『かな』それだけ」

彼女の言葉に初めて意思を感じられた。

すると銀髪の髪をなびかせ、俺を横切る。

俺は無自覚の内に後ろから駆け寄り、肩を並べた。

「この花、きれい」彼女はある花を見ている。

その花は薄い青色をしており、周りに数多くある。

「この花は?」「ワスレナグサ…」「好きなのか?これ」

「うん、好き。これの花言葉が」「花言葉が?」「

目的地に着いたのか彼女は歩みを止めた。

俺は振り返り、辺りを見渡す。俺たちは駅の改札にいる。

彼女は誰かを待っているのか動く気配もない。

「誰か待っているのか?」用件は端的たんてきに言わないといけない。

これはついさっき彼女との関わりで学んだ少ない情報の一つだ。

「うん、ここで会うって」

相変わらず答えだけを述べる。途中式など一切お構いなしだ。

まぁ今はそれでも仕方ないか、彼女は夏奈の容姿をだが本人ではない。

なら俺は平然と振る舞うべき。

俺は聞かなければならないことがまだ山ほど残っている。

彼女は無言で4つ折りにされた紙を俺に突き出してきた。

これは受け取れってことだろうな…。

俺は紙を受け取り、折られていた部分を元に戻す。

すると中には『放課後、漆丘うるしおか高校の正門で待機!!』と書かれていた。

「あのー。ここ何処か分かってる?」「ん、学校…」

ふーん。ここが学校…そうですか。ならここは違う学校ですねー。

今に思えば、初めてこの街に来た奴が分かるわけねぇな。

俺は大きく深呼吸をする。こういう輩には心頭滅却しんとうめっきゃく、仏の心が必要だ。

「この集合場所全然違うとこだぞ。朝、お前がいた場所だ。こんなのでどうやって学校に行けたんだ?」

「送ってもらった」

納得。こんな方向音痴一人で学校に行けるはずもない。

ということはこの手紙の人物こそが彼女の保護者か。

ふと横を見ると彼女は俺を見つめている。

身長が俺より低いから自然と可愛らしい…。

「なら何処どこかか案内して」

喋ると台無しだ…。けどやっぱり夏奈ではないなぜなら方向音痴などではないどちらかというと心配症でいつも地図を見ているぐらいだ。

俺はまた重ねている。違うだろ!こいつは夏奈ではない。

「ああ、案内してやるよ。はぐれないようについて来いよな」

俺は本当の目的地に歩みを進めようとした。

その時、俺の手に冷たく小さな感触がした。そこには彼女の手が俺の手を力強く握っていた。

「な、何してる!いきなり!」

一瞬何が起きたのか分からない。反射的に俺は手を振りほどいた。

「はぐれないように…天、言ったから」

首を傾げながら俺に離された手を見つめている。そういう事か本当に紛らわしいな。それにしてもこいつ…空気も読めないのか…。

「そういう意味で言ったんじゃなく…もないな…あー!もう勝手にしろ」

再び、歩き出すと手に先程と同じ感覚がやってくる。


夕日がまだ照っている時。やっと目的地、漆丘高校に着いた。

時間はさほどではないが感覚的にはとても長く感じる道のりだった。

正門に視線を向けると白を基調きちょうとした軽トラックとうっすらと人らしき影が見える。はっきりと互いを認識できる距離に近づくと向こうもこちらに気づき手を大きく振っている。

「おーい!こっちだ、こっち」「あ、静香しずか

彼女が言葉を漏らす。俺は軽く頭を下げた。すると向こうは口角を上げ俺を見た後、彼女に声を掛けた。

「お?なんだ?かな、登校初日にして早速彼氏か?やるじゃねえか」

「い、いやいや!違いますよ。俺はただ送り届けただけで…」

そこで俺はまだ手をつないでいることに気づく。

完全に忘れてたー!どうする?どう説明する?とりあえず俺は優しく彼女から手を放し、弁明をする。

「これは…えーと、あのですね」良い言い訳が全く出てこない。

「まぁいいや。私は…そだな、静香しずかさんって呼んでくれ。彼氏名前は?」

「だから!違います!もう何でもいいや…涼風 天って、じゃなくて…です」

「涼風 天…お前が?」何故か静香さんは確認を取る。

「はい」「ちょうどよかった。お前宛にあるものがある。だいたい想像はつくよな」

静香さんは一瞬俺の横を見た。想像か、まぁ完全に彼女が関係している事柄だろう。俺宛、ということは…俺のことを知っている誰か、だろうな。

俺は静香さんに向け頷く。

「よし、ならちょっと車乗れ。移動だ」

俺たち二人は車に乗り込み移動を始めた。移動中、静香さんがルームミラー越しに目を合わしてきた。

「なぁ天、夏奈の事聞いてもいいか?」

「はい、どちらでも構いませんよ」

どちらでも、とは二人の事だ。今の彼女そして俺の知る夏奈の事…。

「なら聞くが今の夏奈はどういう状況だと思う?」

「見当もつかないですね。一つ言えることは俺の知る『夏奈』ではない、という事だけです」

「それが妥当だな。だがお前には知る権利がある」

静香さんは赤信号のタイミングで俺に「受け取れ」とある封筒を渡す。

表紙には天へ、裏には夏奈より、と記述されていた。

「それはお前の知る彼女からお前に宛てた最期さいごの手紙だ」

俺は封筒の中に入っている。手紙に目を向ける。

【久しぶり、天 初めて天に手紙を送るね。まず言わなくちゃならないことがあるの。本来ならもっと早く、あの夏祭りの時に言えればよかったんだけどね。

実はね、私もうほとんど記憶がないの今はあなたの事を覚えてる…けどいつ失うかわからない。ロシアに帰ったのはその症状を治すため、だけど私にはわかるもう失った記憶は戻らないって。だから私は託すことに決めたの。同じ病院に植物状態しょくぶつじょうたいの女の子がいるの。そんなのかわいそうじゃない?意識はあるのに何もできない…そんなのあんまりだよね。

だから私は彼女に体をあげることに決めたの。成功はするかわからない…けど、絶対に成功する!そして天のいる町、私の大好きなあの町に行くね。けど私はここで交代だよ。私はあなたを覚えていたい、せめて覚えたまま人生の幕を閉じるよ。

彼女を助けてあげてね…だって彼女は生まれて一度も泣いたことも、笑ったこともないはずだよ、天が見ないとだめだよ?約束ね。彼女の名前は『かな』私とは違うよ?後の事は天とかなに任せるよ。最後に…もう一度だけ天に会いたかった、会って触れ合いたい。触れ合いたかったよ。バイバイ天。約束守れなくてごめんね。】

封筒の中には日記帳が入っていた。

俺はひとみからは涙、鼻から鼻水をこぼしながら夏奈との思い出が駆け巡る。

「一言ぐらい…言いやがれ…あのバカ」

横の『かな』は不思議そうに俺を見ている。

「かな、これは夏奈からお前にだ」

封筒に同伴された日記帳を俺は『かな』に手渡す。

そうだ俺は夏奈と照らし合わせてばかりで何もこいつ自身を見てなんかいなかった。ああ…任せろ俺がこいつの助けになってやる。

だから安心してくれ夏奈。俺の涙も止まりかけたその時軽トラックの動きが止まる。「ほら着いたぞ」静香さんは運転席から降り外に出て行った。

俺とかなも外に出ると見覚えがある家が建っている。

俺は涙で腫れた瞼をこすりながら凝視ぎょうしした。

「ここ俺の家じゃないですか!静香さん!」

「ん?言ってなかったか?かなはお前に預けるんだぞ?親御さんにも許可取ってあるから、あとよろしく。これ私の携帯番号だから。何かあったら電話しろよな」

静香さんは軽トラックに早くも乗り込もうとしている。

「静香さん!?待って!そんなの俺の許可取ってない!」

確かに助けるって言ったし面倒見る気でいたけどこういう事じゃ…。

静香さんは車に乗り込み手を振りながら車を発進させた。

いきなり二人にそれも俺の家に…気まずすぎる。

「とりあえず入るか」「うん」鍵を取り出しドアを開けた。

その後一通り家の案内が終わり俺は風呂に入った。

今日からあいつと二人か…基本、親は出張やらでほとんど帰ってこない。

すると突然、風呂場の方からいきなり大きな音が聞こえた。

確か今はかなが風呂に入っている。俺は大慌てで駆けつける。

「大丈夫か?かな!」「ここ何するの?」

そうだった、かなは生まれたての赤ん坊と同じだ…容姿は違うが。

結局その日かなの世話をしていると2時を回っていた。

次の日の朝、かなを起こし、朝ご飯を作り、着替え、歯磨き、寝ぐせ直し、諸々の世話をし、遅刻ギリギリで学校に着いた。

「はぁ、はぁ体がもたない…。かな今日覚えたことは?」

「……蛇口をひねると水が出る」「ああ…そうか」

肩を落としながら机に頭を置く。その後も授業の受け方、ノートのまとめ方、昼ご飯の購買などなどを教える。

だが憎いことにこいつ勉強はなぜか恐ろしいぐらいにできた。

それをもっと生かしてほしいな…本当に。放課後、俺とかなは病院に向かった。

かなには向かう際中、和の話をしたが死期しきが近いことは伏せておくことにした。

これは俺の口から伝えていいほど簡単な話ではない。

「おー久しぶりー。どうして先週来なかったの?」

病室に入るとせんべいを口に頬張りながら和は喋り始めた。

正直、こう面と向かって会うとどんな顔をすれば良いのか分からない。

今自分はどんな顔をしている?ちゃんと笑えているか?

「ああ…悪い、用事があってな…」

「しっかり来てよねー私ここから動いちゃだめだし」

彼女は顔の前でバツ印を作りながら言った。会話が一向に始まらない、外にはかなも待たせている。

「なぁ和、俺に何か言いたい事…ないか?」

俺は和に視線を向けることができず、窓を見つめ質問をする。

「なんにもないよーどうしたのいきなり」

即答だった。俺は予想外の出来事に反射的に和のいる場所を見た。

そこにいた和は笑顔で俺が先程まで見ていた窓に目を向けている。

そんな和には俺では動かすことのできない覚悟が見える。

「そうか」和は俺いや家族以外誰にも言わないつもりだろう。理由は気になるところだがそれを聞いてしまうと和の覚悟、気持ちを踏みにじることになる。

それだけは絶対だめだ。和が自分で決めたことに他人の俺がとやかく言える権利はない…だけど俺はどうしたらいいのか、正解が分からなかった。

「そうだ、紹介したいやつがいる。いいぞ」

俺は後ろを向く。かなはドアの隙間すきまから顔を覗かせ入ってきた。

和は驚き両手で口を覆っている。

「え?なっちゃん?」「実はな…」俺は事の経緯を和に全て話した。

「そっか…そうだったんだ。やっぱり悲しいなぁ」

和は静かに目を手で覆い上を向く。しばらく見守っていると和は俺たちを見つめた。「でもなっちゃんが選んだことだから、かなちゃんが来たことは。これで良かったんだよきっと」和はにこにこ笑いながら「よろしくー」とかなに呼び掛けた。

当の本人はというと表情変わらず「よろしく」と返していた。

俺はこの三人の空間をとても心地よく感じた。だが和の事を考えると、何をどうすればよいのかまだ答えは出ない。

この三人を誰一人、もう欠けさせたくない。

叶うはずのない願いに自分の無力さを感じた。

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