あの二文字が伝えられたなら
水てっぽう
第1話
「よし!帰るか」今日の授業も終わり、そそくさと帰り支度をしていると
背後から俺を呼ぶ声が聞こえる。
「天」その優しい声色が俺を呼ぶ。
「ん?なんかあったか?コウ」
こいつはコウ。成績優秀、運動神経抜群といった非の打ち所のない奴だ。
そして俺とコウは中学からの付き合いで今は同じ漆丘高校1年2組だ。
「今日は
「ああ…そういえば…」
俺と
「ほら、行くぞ!天」コウは俺をせかしてくる。
「分かった、分かった。行くから」俺は席を立った。
散りかけている大きな桜の木がそびえ立っている場所、漆丘病院前に着くと
コウの表情は少しこわばる。
「なぁ、天 和[のぞみ]ってホントに大丈夫か?入院も昔より多くなっているし…それに…」
コウは何かを言わんとしていたが言葉に詰まった。
「それに…なんだ?」
俺は意地が悪いと思いながらも気になってしまった。
「だんだん入院する期間も長くなってる。おかしいと思わないか?」
「まぁ確かにそうだな。なら本人に聞けばいいだろ?」
コウの顔はこわばったままだった。
和の病室【杉崎】と書かれた扉をコウが二回叩く。
「どーぞー!」病室の中から弾んだ和の声が聞こえる。
扉を開けると、病衣を着てベッドに座った和が手を振っていた。
「久しぶり和。最近の調子は?」コウが普段の笑顔に戻り尋ねる。
「最近は調子いいよ、このままの状態だと退院も近いって!」
「そっか…良かった」コウは安堵のため息をしていた。
その後新しい学校の話などたわいもない話をした。「あのさ、和…」先ほどまでとは違う重々しい空気で真剣な顔をしたコウが和を見つめる。
「どうしたの?コウちゃん?」「………」しばらく病室に沈黙が流れる。
「いや…やっぱり何でもない!俺そろそろ帰るわ!」
コウは何かを和に尋ねようとしていたが顔をこちらに向けずに病室を足早に出て行った。
「また明日、コウちゃん」俺は帰り時を逃してしまい仕方なく本を読んで時間をつぶす。いつもなら和が話題を持ち掛けてくるのだが本人は思い詰めた表情をしている。「なぁ和…」「もうあの日から3年だね」和は俺の話を遮り、思い出すかのように窓から見える空を見つめている。俺は視線だけ和に向け聞き入った。
「なっちゃん、今何してるんだろ」和の声は小さく消えていった。
「あいつなら…あっちに行っても元気でやってるはずだ」
ふと俺は3年前の出来事を思い出す。
「はぁ、なんて暑さだ」
夏休み、太陽が炎々と燃えるこの暑い日に俺は何をしているかというと…祭りの手伝いをしに行くところだ。
「さっきからうるさいよ…」夏奈が横で覇気がない注意をしてくる。
彼女も俺か俺以上に暑さに弱いのだ。ロシア人の母と日本人の父を持つ銀髪のポニーテールをした容姿だけは可愛らしいハーフ。もう一度言うが容姿は完璧だがそれ以外は欠点だらけ。一つ大きなことを上げるなら単純に何もできない。
昔から親御さんは仕事でほとんど家を空けるため俺が面倒を見ているのだが今でも寝坊から始まり着替えもしない。
「なぁ夏奈こんな暑さで手伝いとかしたら俺たち倒れるぞ」
「だね、こんな状態ならいても戦力にならないし」
夏奈は俺を見ながら大きく頷く、俺はその意味を理解し頷き返す。
「な、なぁ…和[のぞみ]…俺、家の戸締りをしたか覚えてないからちょっと見てくる!」俺は先にいる和に伝える。
「あ、天!一人だけ逃げるなんて!はめたね!」
「これは俺一人の問題だからな!迷惑かけるわけにはいかねぇ先行っといてくれ!」俺は全速力でさっき歩いてきた道を走り抜ける。
そこには爽快感、開放感など幸せが満ち溢れていた。ふと後ろから異変を感じ振り返ると和が俺に勢いよく近づいてくる。ちょっと待て!なんであんな早い!?
「こらこら天だめだよ~帰っちゃ」襟元をつかまれ恐る恐る、振り返るとそこには和が悪魔のような笑い方をしていた。
祭り会場、つるぎ山の中腹付近に位置する得失寺に俺たち三人は着いた。
「ところで祭りの準備って一体何するんだ?」
「ん~と…私のパパとママのお店『おくとぱす』のお手伝いかな」と和が誇らしげに胸を張って鼻が鳴らす。和とは幼なじみだが何の店を営んでいるかは知らない。
境内は木々が生い茂り比較的涼しい、おかげで俺と夏奈は何とか持ちこたえた。 「ならとりあえず行ってみようぜ」
「そうだねそんなやる気があるんだったら天に任してみるよ」
「いや おまえも手伝うからな?なんで全部任せるみたいな言い方してる?」
「さっき私をはめたのは誰だったかなー。あー思い出せないなー」夏奈と目が合う。夏奈は口をつぐみ、俺から視線を外しそっぽ向いた。
こいつさっきの事まだ根に持ってやがる。誰がいつも面倒見てやってると思っているんだ!
「やっと…お、終わった」
あの後、結局俺にほとんど手伝いをさせあいつら二人はほかの屋台でご満悦そうにしていたな。
「お疲れー」いきなり頬に冷たさを感じ後ろを振り返るとサイダーを持った和がいた。
「おい!俺が働いているときにどこほっつき歩いてんだよ」
「あははーごめんねー」「そんな謝罪で済むか!」
「じゃあ代わりといっては何だけど今日の祭り一緒に回る?」和が冗談めかして言い放った。
「ちょっと!和それ本気なの!?」
俺たちの話し声が聞こえたのか夏奈が血相を変え、こちらに駆け寄ってきた。
「ん?どうした?」「いや…和てっきりコウくんと回ると思ってたからだよ」
「コウちゃんと?回らないよー」「ならいいけど…」
夏奈は耳が赤くなり、気恥ずかしそうに下を向いた。
太陽が沈みかけようとしている。俺はつるぎ山に登る山道の近くにいた。
「ったく 集合時間から10分も遅刻して何してんだあいつら」
結局、あの後夏奈も行くことになった。
「天~おまたせ~」山道の上から可愛らしい藍色の楓の柄の着物を着た少女が手を振っている。するとからころと下駄を鳴らし降りてくる。その少女の正体は和だった。あまりにも普段とは違う雰囲気で驚いた。
「和!何分遅刻したと思ってる!」
「ごめんねー女の子はいろいろ準備しないといけないから」
それなら集合時間をずらせばよかっただろ。喉元まで来た言葉を抑える。
「まぁ終わったことはしょうがない夏奈は?一緒じゃないのか?」
「ん?なっちゃんなら後ろに…あれ?」和は先程通ってきた道を振り返る。
「あー!いた!なっちゃんこっちだよー」 いつもは纏められた銀髪を下ろした着物姿の可憐なもう一人の少女がいた。
少女は恥ずかしそうに上目遣いで俺を見ながら近づいてくる。
「そ、天 どう?私似合ってるかな?」
あまりにも可愛く俺は少しの間見惚れていた。
「お、おう。お前にしては似合ってると思うぞ」
「なんでそんな言い方なの天―そこは『よく似合ってるぜ!夏奈』でしょー」
和は俺の背中を叩きながら茶化しくる。俺と夏奈は互いに顔を背けた。
「とりあえず止まってないで行こーよ」俺たち三人は山道を歩き出した。
しばらく祭りを楽しみ、その後メインイベントの花火の場所取りをすることになった。
「どこかいい場所知ってるか?」俺が夏奈に聞いても無駄だと思い和に聞く。
「あ、それならいい場所知ってるよ、けど…」「けど、なんだ?」
「行くのは…結構しんどいよ」和は俺たち二人を心配するように首を傾げた。
こいつ俺を舐めてるなこう見えても中学1年だから体力はある!
「はぁはぁ。この階段どれだけ上がんだよ。夏奈!大丈夫か?」
俺たちは先の見えない石段を永遠と登っていた。和はとうに先の方へ行ってしまい姿は見えない。
「ちょっと無理かも」夏奈は諦めたように石段に座り込もうとしている。
こんな場所で置いて行くと俺の良心が痛む。
「クッソ…夏奈!乗れ」俺は腰を下ろしおんぶの体勢をとった。
「ありがとうでも大丈夫?」「夏奈が重たくなかったら行ける!」
「は?女の子になんてこと言うの!?」一瞬怒気が混じった眼差しが鋭く俺を貫く。ひっ!女の子怖えー。頂上に着くと和が準備を済ませてくれていた。
「おつかれー」「本当にお疲れだよ」俺は冷たい石畳に倒れこむ。
石畳はこの暑い時期にも関わらず冷えており心地がいい。
俺が安息していると一つの光が上空に上がってゆく。
『どんっ』体に重々しい音が鳴り響く。体にまで伝わる振動に俺たち三人は聞き入る。花火は次々に打ち上げられていく。
しばらく花火に見とれていると「天、二人で話したいことがある」
夏奈が俺の耳元で囁く。
その声は凛としており花火の音など聞こえないぐらい透き通っていた。
俺は頷き、和にばれないようその場所を後にした。
夏奈はそれからどこに向かうかも伝えず「ついてきて」と俺に一言。
それきりだった。
「着いたよ」夏奈は俺へ振り返る。
「ここって…」そこは広大な野原が広がり、中心に大きな一本の大樹が生えている。「それでなんなんだ?話って」「天、覚えてる?ここ」
「当たり前だろ お前と初めて会った場所だからな」「大正解!」
夏奈は無邪気に俺たちの思い出を次々と語り始めた。
こんなことがあったねとかあれがしたかったなど。俺はそれを黙って聞き届ける。今、この空間は蛍が舞い幻想的な雰囲気に包まれている。
「天に言わないといけないことがあるの。私…」夏奈は先程の笑顔と打って変わり、真剣な表情に変わる。俺は夏奈の態度に圧倒され、何も答えられず唾をのむ。
「ごめんね、ずっと黙っていて 私、ロシアに帰ることになったの。それで最後に天に伝えたいことがあるの」彼女は俺に一歩ずつ近づいてくる。
「今までありがとう天。私は…」
俺は最後という言葉が別れを暗示しているように思えた。
「待て!夏奈、最後なんて簡単に言うな…言うなよ」
気づくと俺は夏奈の口を手で押さえている。夏奈は驚きつつも優しく俺の手をどかした。
「そっか…ごめんね天。心の準備ができていなかったのかな」
夏奈は美しい声で俺をなだめる。
その声聞きなれた、俺にとっての当たり前になっていた声を聴くと何か自分の心がざわめく。
「分かったよ。天、私はもう一度君に会いに行く。その時、あなたに思いを伝える。それまであなたは待ってくれるかな?」
夏奈と俺は相手の細部まで見える距離で話す。
「ああ、いつまでも待っといてやるよ。約束だ」拳を前に出し笑って答えた。
「ありがとう天…絶対会いに行く」
夏奈は笑いと同時に瞳から涙を流していた。それは俺が見てきた夏奈の一番綺麗な笑顔だった。
その後、和のもとに戻り花火を楽しみ、和にも夏奈はロシアに行くことを伝えた。
そして次の日、夏奈はロシアに旅立った。
それから毎年、和はアサガオをくれるようになった。
和はまだ学校に通っていない。俺はいつも通りに登校しH Rを迎える。
今日はまた和の見舞いの日だ。いつになったら学校に行けるか聞いてみるか。
そんなことを考えていると担任が扉を開け教卓に上がってきていた。
「えー今日皆に言いたいことがある。転入生がうちのクラスに来る」
クラスはいきなりの出来事に暫くざわめく。それを担任がなだめ、話を続ける。「さ、入ってきて」担任は扉の方向を見ながら扉の向こう側に声を掛ける。
教室は静寂に包まれた。だがいつまでたっても扉が開かれることがない。
本当にいるのか?転入生ってやつは。
担任は不思議そうに扉に近づきそのまま開ける。
「ちょっと呼んだら入って来てって言ったよね?」担任はあきれながら言う。
「ごめんなさい…開け方、分からなくて」トーンを変えずにおかしなことを言う。
何やってんだ?もういい時間の無駄だ。
俺は少し気になったが埒が明かないと判断し、ふて寝を始めようとした。
「さ、自己紹介お願いします」疲れた声で担任が転入生に伝える。
「かな」声の主は一言小さな声でそう答えた。俺は少し顔を上げる。
夏奈とは俺が知っている名前だ。
すぐに教卓に顔を向けたそこには正真正銘、俺の知る夏奈がいた。
机を両手で叩きながら俺は席を立ち夏奈の下へ向かう。
だが夏奈は俺と目線があったはずなのに何もアクションがない。
それどころか、さっきから表情が変わらない。
「随分と雰囲気が変わったな、夏奈」
HR中だが関係はない。3年ぶりの再会に心が躍る。俺は期待した。
夏奈が笑顔を返してくれることを。
「あなた…だれ?」表情のまま夏奈は予想外の言葉を発した。
俺は頭が真っ白になり質問をした。
「お前…夏奈だろ?」「うん」夏奈の姿をした誰かは初めて表情を変えた。
そう戸惑いだ。俺は何が起きたのか分からなくなり教室を出た。
和に会いたい、その一心で。和がいる病室の前に着くと、何やら話し声が聞こえた。俺はドアの前で耳を傾けた。
「和、何かしたいことはあるか?」声以外にすすり泣きのような声もする。
この声には聞き覚えがあった。和の両親だ。(…いったい何の話をしているんだ?)「何もないよパパとママがいてくれるだけでいい」
場の空気とは不釣り合いなぐらいの高い声が聞こえた。
だがどこかその声は震えている。
「本当にそれだけでいいのか?和、父さんに何かできることは他にないか?」
和の父親は必死に和に問う。
「パパ、ありがとう…けど私はこれで十分だよ」
和は泣いていた。声だけでわかるくらいに。俺は衝撃を受けた。
昨日…いや俺の前では必ず笑顔の和が泣いていること。そして先は長くないこと。
共に道を歩めないことに。そして俺はどうすることもできず病院を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます