第344話 ゲンサイの抜擢

 桾国軍が待ち構えているところに、ユナーツ軍が近付いた。ゲンサイは十字弓部隊に合図を送る。その瞬間、森に隠れていた桾国兵の弓兵が十字弓の引き金を引いた。


 千本の矢がユナーツ軍に向かって飛び、太く短い矢がユナーツ兵の身体に突き刺さった。一斉に悲鳴が上がり、ユナーツ軍が混乱する。


「待ち伏せだ!」

「反撃しろ!」

 指揮官らしい男たちが声を上げる。その男たちに向かってもう一度矢が飛んだ。小隊長・中隊長クラスの指揮官が矢に貫かれて死ぬ。


 指揮官を失ったユナーツ軍が混乱した。闇雲に単発銃を撃ち反撃するが、桾国兵の被害は少ない。ばらばらに反撃するユナーツ兵に矢が撃ち込まれ、ユナーツ兵の半数が地に倒れた。


 その時になってユナーツ軍は敗走を始める。回れ右したユナーツ兵は我先にと逃げ始めた。だが、それもゲンサイたちの予想通りだった。


 隠れていた桾国軍の槍兵が、逃げるユナーツ兵に襲い掛かったのだ。逃げられたユナーツ兵はほとんど居なかった。


 ゲンサイたちが戦場から単発銃や銃弾を回収している時、鬼影隊の趙隊長が駆け込んできた。

「周将軍、ユナーツ軍が省都から逃げるように撤退を始めました」

 林少将がゲンサイに顔を向ける。

「追撃しますか?」


 ゲンサイは少し考えてから首を振った。

「これからドタバタと追い掛けても、返り討ちに遭うだけでしょう。残念ですが、このまま逃がすしかないようです」


 林少将が溜息を吐く。

「もう少し多くの兵を任せてもらえれば、ユナーツ軍の本隊も叩く事ができたんですが」

 ゲンサイに預けられた兵は、およそ二万。伊魏省各地の治安を回復させるために一万五千を使ったので、残りの五千しか動かせる兵が居なかったのだ。


「画竜点睛を欠きますが、陛下から命じられた事は成し遂げたのです。この結果を持って、ハイシャンに戻りましょう」


 ゲンサイは伊魏省の治安回復を林少将に任せ、ユナーツ軍が伊魏省から撤退した事を報告にハイシャンへ向かった。ハイシャンに到着したゲンサイは、宮殿に入る。


 皇帝に報告に来た事を伝えると、待つように言われた。待つための部屋に入ると、兵部の陳尚書が椅子に座っていた。他の尚書たちも疲れた顔で待っている。


「お久しぶりでございます」

「おおっ、周将軍か。伊魏省での活躍を聞きましたぞ。さすが陛下の覚えめでたい将軍ですね」


 陳尚書の嫌味な言葉を聞いて、溜息を吐きたくなったが、それを我慢する。

「運が良かったのでしょう。陳尚書は忙しそうでございますね」

 陳尚書の目の下にはくまがあり、横には書類の束が積まれていた。


「陛下から経費の削減を命じられたのだよ。将軍も国庫が空だというのは聞いたはず」

「なるほど、その件ですか。大変でございますね」

 陳尚書が不機嫌そうに顔を歪める。


 陳尚書と他の尚書たちが呼ばれ、謁見の間へ向かった。待っているとゲンサイの名が呼ばれる。

「周将軍、謁見の間へどうぞ」


「ん、まだ陳尚書たちが戻って来ないようだが?」

「一緒に話を聞くそうでございます」

 報告だけして帰るつもりだったのだが、嫌な予感がする。


 謁見の間へ行くと、難しい顔をした尚書たちが顔を伏せている。

「周将軍、よくやってくれた。明るい話を久しぶりに聞いて、心が軽くなった気がする」


 どうやら国庫の件で、ずーっと揉めていたようだ。ゲンサイは簡潔に伊魏省での状況を説明して報告を終えた。戻ろうとすると、皇帝から止められる。


「国庫の件で、周将軍の意見も聞きたい。残ってくれ」

「畏まりました」

 残りたくはないのだが、皇帝に言われたら神妙な顔で承知するしかない。


「軍は、四割ほど兵が減ったにもかかわらず、元の経費の九割を要求するのは、なぜなのだ?」

 陛下の問いに陳尚書が、苦しい答弁をしている。陳尚書が言うように、経費は人件費だけではないので、兵数が四割減ったから、経費も四割減らせるという事にはならない。


 ただ一割しか減らないというのもおかしかった。守るべき領土も減っているので、経費を三割ほど減らせてもおかしくない状況なのだ。


 陳尚書が手ぬぐいを出して、噴き出る汗を拭く。

「この経費の中には武器の購入費や、硝石の購入費も入っておりますので、その分が以前よりも高くなっているのでございます」


「周将軍、桾国が買った武器や硝石の代金がどれほどか、知っておるか?」

 火縄銃や硝石の購入に関わっていたので、大体は知っていた。それを答えると晨紀帝が厳しい目を陳尚書に向けた。


「この報告書には三倍の値段が書き込まれておる。どういう事なのだ!?」

 厳しい口調で問い質す晨紀帝の言葉に、陳尚書が縮み上がった。

「そ、それは周将軍が、全部を知らないだけでございます」

「ならば、調べさせる事にする。調べが終わるまで、陳尚書は自宅で謹慎しているように」


 晨紀帝は横領を疑ったらしい。ゲンサイは少しくらいの横領はしているだろうが、それは大したものではないだろうと思っていた。


 だが、調査が進むに連れて横領犯が、どんどん捕まり始めた。その数が二十人を超えた時、晨紀帝は陳尚書を呼び出す。なぜか分からないが、ゲンサイも呼び出されて隅に立っていた。


 青白い顔の陳尚書が謁見の間に連れて来られると、項垂うなだれた様子で皇帝の前に立った。

「陳よ。調べた結果、兵部の費用のうち二割を、役人どもや将校が着服している事が分かった。そなたもその一人である。申し開きする事は有るか?」


「着服などとは違います。その金は……我が国の功労者に与えた、ほ、褒美でござい……」

 それを聞いた晨紀帝が呆れた顔をする。言った陳尚書も無理だと思ったのだろう。恐怖で震えている。


 晨紀帝は陳尚書と横領犯に打首を命じ、財産を没収した。御蔭で兵部はガタガタになり、業務が進まなくなった。そこで晨紀帝はゲンサイに兵部の尚書になるように命じた。


「そんな馬鹿な。私は医者なんだぞ」

 ゲンサイは愚痴を零したが、桾国の巨大な軍を支配する地位に就いた事に対して、ホクトの評議衆は賞賛の声を上げた。


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