第332話 キナバル島の海軍基地
イングド国が仕掛けた罠にキナバル島のクリュセ一族が落ちてしまった。マレス族の有力氏族であるクリュセ一族はキナバル島の東部に広大な土地を所有している。
その土地の海岸部分を担保にしてイングー人から金を借り、石炭取引を行っている商人に投資したのだ。共同で船を調達、石炭を購入し消費地に運んで売るという単純な商売である。クリュセ一族は、これまでに三回出資して多額の利益を得ていた。
但し、この投資にはリスクがあった。航海術や造船技術が未発達の時代における海運は危険なのだ。事故で輸送船が沈むという事はしばしば起きる事なのである。
そして、アラビー王国で購入した石炭をコンベル国へ運んでいる最中に、嵐に遭遇した輸送船が沈んだ。この失敗でやめておけば被害は少なかったのだが、クリュセ一族は一度の失敗で損した分を取り返そうと、変な欲を出してしまう。
また借金をして調達する船を増やしたクリュセ一族は、再開した事業の二回目の航海で再び嵐と遭遇してしまったのだ。
調達した船が沈んだという連絡を受けたクリュセ一族の長は、気を失うほど衝撃を受けた。だが、イングー人たちは冷徹に借金を取り立てた。
マレス族の伝統の中に血の契約というものがある。自分の血で署名した契約書は神聖なものであり、その契約を
クリュセ一族の長がイングー人と交わした契約は、血の契約だった。一族は所有する土地の中で、天然の良港となる土地をイングド国に奪われる事になる。
湊を手に入れたイングド国は、軍港として整備を始めた。その事は影舞によりホクトへ報告されたが、アマト国は動かない。
動かないというより動けなかったのだ。アマト国が知ったのは、海岸の土地がイングド国へ引き渡された後であり、資金をクリュセ一族に貸すなどして土地を渡さないようにする事ができなかった。手遅れだったのである。
大掛かりな湊の整備工事を進めるイングド国は、蒸気機関を備えた全長五十メートルクラスの巡洋艦と輸送艦を極東へ派遣した。湊を警備する必要があったからだ。
イングド国は、この湊をビクトハーバーと名付け、膨大な資金を投入して拡張整備した。商人たちもビクトハーバーを使うようになり、アマト国と中東諸国を繋ぐ中継地として発展する。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その報告を受けた俺は、上手くやられたと溜息を吐く。その溜息は、集めた評議衆たちも聞こえただろう。
「イングー人は上手く騙したようですな」
トウゴウがホシカゲの報告を聞いて、渋い顔をしている。
「ところで、クリュセ一族が手を出した商売は、本当に嵐で失敗したのか?」
俺の質問に、ホシカゲが首を傾げた。
「確かな証拠はございませんが、怪しいと思っております。その商売を主導していた商人は、逃げるようにイングド国へ帰ってしまったのです」
「なるほど、輸送船が沈んだというのも、嘘だったかもしれんな。ふむ……もう少し早く情報が入っておれば、手を打つ事ができたのだが」
それを聞いたホシカゲが、深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
「影舞のせいではない。イングー人が情報を漏らさないように、策を練ったのだろう」
「それでも情報を取ってくるのが、忍びでございます」
忍びの仕事に誇りを持っているホシカゲを見て、良い部下を持ったと思う。俺はトウゴウへ目を向けた。
「イングド国は、まだ極東の国々を植民地にしようと考えているようだな」
「そういう習性が、イングー人の血の中に染み込んでいるのでしょう」
「その習性を消すには、どうしたらいいだろう?」
「植民地が儲からない世界にする事です」
「なるほど、トウゴウは知恵者だな。しかし、そのためには時間が掛かりそうだ」
トウゴウが深く頷く。
「そうでしょうな。植民地になっている国の住民に、自由を教え、自ら戦うように指導しなければならないでしょう」
宗主国に独立戦争を仕掛け、勝たなければならない。
「キナバル島の住民を騙して手に入れた湊に、どれほどの戦力を集めるか……怖いな」
俺が厳しい顔で言うと、評議衆たちが顔を引き締めた。
「しかし、今から湊を整備するは、動きが早すぎるように感じます」
ホシカゲが感じた事を口にする。
「どういう意味だ」
「イングド国が、我が国に対抗できるような海軍力を整備するには、十年掛かると聞きました。それも無制限の資金を使ってです。それにしては湊を整備している勢いが、急すぎるのでございます」
俺も疑問を持ったが、それ以上は追求しなかった。
「さて、ユナーツの造船所で、カンザス級戦艦の十二番艦が進水したそうだ」
それを聞いた船奉行のツツイが、片手で自分の頬を軽く叩く。悩ましい事態に直面した時に出るツツイの癖だった。
「カンザス級戦艦と言えば、我が国のサナダ型戦艦に匹敵する軍艦、それを半年に三隻も完成させてしまうとは……ユナーツの国力は、凄いものですな」
ホシカゲが情報を追加する。
「ユナーツも、チュリ国のエナムの湊を拡張しているようです。本格的な海軍基地にすると思われます」
「四面楚歌とは、この事だな」
それを聞いたコウリキが反論した。
「上様、周りは敵ばかりではありません。我らには極東同盟がありますぞ」
「それはそうだが、海軍戦力だけで見ると頼りない」
評議衆はそれを認めた。同盟国の中で列強諸国と戦えるような軍艦を建造できるのは、アマト国だけなのだ。
俺は戦力強化をする事にした。そう宣言すると、評議衆が意味が分からないという顔をする。
「魚雷の性能を増強する」
「しかし、魚雷は中々命中しませんぞ」
ソウマ提督が困ったという顔をする。
「命中率・速度・射程の全てを改良する。そして、魚雷艇を大型化して、三隻が横に並んで一斉に発射すれば、一本くらいは当たるだろう」
魚雷で大型艦を沈められるようになれば、効率的な海戦ができる。俺は魚雷で戦力の逆転ができると考えたが、ユナーツもアマト国の海軍戦力を研究し、魚雷に目を付け対策を検討していた。
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