第318話 高長官とゲンサイ

 ゲンサイが提案した酒造り禁止と兵糧三割の放出の件を協議する会議を、重臣たちを集めて開く事になった。その会議には兵部の曹尚書を始めとして、各部署の重臣たちが参加する。


「まず一年間だけ酒造りを禁止にして、原料の穀物を食糧とする案について、意見は有るか?」

 晨紀帝が重臣たちに問うと、重臣たちが難しい顔をする。


「陛下、酒造りを禁止すれば、酒の値が上がります。酒楼を営む商人たちが店を続けられなくなります」

 礼部の呉尚書が発言した。


「酒は以前に造ったものが残っているはずだ。それで我慢すれば良い。それより民が食糧がなく飢えておる時に、酒盛りしようとする者たちの気がしれん」

 晨紀帝はあまり酒を飲まないので、酒飲みの気持ちなど分からなかった。そして、皇帝が言う事は正論だ。


 この酒造り禁止の件は重臣たちも賛成した。そして、肝心の兵糧放出である。この件に関しては、曹尚書が強行に反対する。


「陛下、そんな事をすれば、軍は戦えなくなります」

「全部を放出すると言っておる訳ではない。三割だけだ」


「ですが、戦になれば臨時で兵を増やします。兵糧の備蓄に手を付けるのは危険でございます」

「だが、このまま何もしなかった場合、国に反旗を翻す者が出て来るのではないか。朕はそれを心配しておるのだ」


「その時は、軍を出して鎮圧すれば良いのです」

 ゲンサイは末席で黙って聞いていた。曹尚書の意見は本末転倒のような気がする。一度反旗を翻されて、李成省の雷王や蘇采省の成王のような者が現れたら、兵糧の三割など比較にならないほどの戦費が増えるのは確実である。


 この時のゲンサイは発言権がなかった。各部署の長だけが集まる会議だったからだ。なのに、なぜゲンサイが末席に座っているかというと、皇帝が希望したからだ。


 その皇帝がゲンサイに顔を向けた。

「周よ、何か意見は有るか?」

 晨紀帝が意見を述べよと言う。これは命令だった。


「軍の兵糧は、首都がある漢登省ばかりではなく、地方の倉庫にも備蓄しております。その地方が反旗を翻した場合、倉庫も反逆者の手に渡ってしまいます。その点はどうするのか伺いたい」


 ゲンサイが発言すると、重臣たちがガヤガヤと話し始めた。そして、出した結果が兵糧の一割だけ民に放出するというものだった。


 しかも、遠い地方に備蓄してある兵糧を、近くの地方に運んで来て放出するという。それでは遠い地方の民を見捨てると宣言したようなものだ。


 ゲンサイは反対したが聞き入れられなかった。この会議でゲンサイは重臣たちから反感を買い、射杯省の長官補佐に任命され、首都から追い出された。


 逆らっても仕方ないと考えたゲンサイは、おとなしく射杯省に向かう。

「ゲンサイ殿、少し要領が悪いのではないか?」

 助手として付いて来たヒョウゴが指摘した。


「そう言うが、いい加減な主張をすると、後で必ず責められる事になるのだぞ」

「そうかもしれんが、重臣たちとぶつからずに意見を言えなかったのか?」

「できたかもしれんが、急には思い付かなかった」


 ゲンサイは役人でも政治家でもないのだ。そういう駆け引きは苦手だった。そもそもゲンサイは忍びであり、医者なのだ。


 射杯省のルオハイに到着したゲンサイは、長官であるこう河君がくんに挨拶に行った。高長官は礼部の李尚書のコネで就任した新しい長官である。


 ゲンサイが挨拶すると、顔をしかめられた。

「ふん、周軍師と呼ばれておるようだが、調子に乗ったようだな」

「調子に乗ったつもりはなかったのですが、陛下が意見を聞きたいというので述べたのです」

「それが調子に乗っているというのだ。重臣たちの仰る通りですと言っておけば良かったのだ」


 高長官は四十代前半の太った男だった。ゲンサイに対して必要以上に対抗意識を持っているようで、何だか攻撃的だ。


 挨拶が終わり用意された部屋に行くとヒョウゴがお茶の用意をしていた。

「お疲れ様です」

「本当にお疲れ様だったよ。あの高長官という男は、私に敵意が有るようだ」


「ならば、調べてみましょう」

 ヒョウゴが調べた結果、高長官はユナーツ軍との戦いで死んだ鄭将軍の血縁だと分かった。あの戦いで鄭将軍の評価が地に落ち、ゲンサイの評価が上がったので気に入らないらしい。


「大した人物ではないという事だな」

 ゲンサイの言葉にヒョウゴが頷いた。

「それどころか、射杯省にある備蓄米を密かに売っているようです」


 役立たずの無駄飯食いだと思っていたが、盗人だったようだ。どうするか? ゲンサイは考え始める。

「始末した方が良いのではないか?」

 ヒョウゴが提案した。高長官のような人物は、ゲンサイを潰そうと動くだろうと予想しているのだ。


「しかし、私と仲の悪い長官が急に死んだら、私が疑われる」

「そこは疑われずに済む方法を考えればいい」

 その辺はゲンサイたちの得意分野だった。


「私が居ない時に、事故死というのが良いな」

「なるほど、ゲンサイ殿は射杯省の各地を視察すると言って、ルオハイを出た方がいい」


 射杯省の省都はルオハイである。ここの射杯府と呼ばれる役所で役人たちは仕事をしていた。ユナーツ軍との戦いの時には、役人は逃げていたようだ。


 ゲンサイとヒョウゴは念入りに打ち合わせをする。そして、高長官が梅光酒楼という店で宴会を開くという情報を仕入れたゲンサイたちは、高長官に視察へ行くと言って、ルオハイを出た。


 その数日後、梅光酒楼で宴会を開いた高長官たちは、店の三階を貸し切って騒ぎ始める。

「あの周軍師は、参加していないのですか?」

 役人の一人が高長官に尋ねた。

「視察に行くと言って、出掛けおった。まあ、この宴会には、声を掛けておらんからどうでも良い」


 高長官たちは大量の酒を運ばせた。その費用は地方政府の経費とするつもりのようだ。

「窓から、いい風が入ってきますぞ」

 その日は暑かったので、高長官たちは窓に近寄り薄暗くなった景色を眺めた。


 その時、屋根の上から黒く染められた手が伸びて、高長官の頭を掴むと窓から地面に放り投げる。周りの人間は高長官が足を滑らせて窓から落ちたとしか見えなかった。


「うわっ、人が落ちてきたぞ」

 頭から落ちた高長官は、死んだ。


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