第313話 キョヤン平原の戦い(3)
ルオハイの町に桾国の敗残兵が雪崩込んで来た。これだけの元気が有れば反撃すれば良いのに、とゲンサイは思う。だが、指揮官が先に逃げてしまったので、仕方がないのだろう。
鬼影隊からユナーツ軍が近くまで来ている事を知らされたゲンサイは、待ち伏せしている十字弓部隊にユナーツ軍の先頭が通り過ぎたら攻撃するように命令を出した。
ユナーツ軍の指揮官であるロッキンガム将軍は、ルオハイの町が見えてくると一気に占領してしまおうと考えた。ルオハイの防御が弱そうに見えたからだ。
「行け! 敗走兵と一緒に町に入り込むのだ」
ルオハイへ続く道は、町の少し前で狭くなっている場所がある。山がせり出しているからなのだが、その箇所を先頭が通り過ぎた時、道の両脇にある深い藪から一千本の矢がユナーツ軍に降り注いだ。
ユナーツ軍はすぐに方向転換できないほど勢いづいており、その矢を肉体で受け止める事となる。混乱するユナーツ軍にまた一千本の矢が降り注ぐ。そして、ユナーツ兵がバタバタと倒れた。
ロッキンガム将軍は何が起きたか一瞬で理解する。
「しまった。待ち伏せだ。
大声で命令を叫ぶロッキンガム将軍の近くにも矢が飛んで来る。
ユナーツ軍は混乱した。勝ち戦だと勢いづいていたのに、一瞬で状況が反転し戦友がバタバタと倒れる光景を目にしたのだから仕方ない。
ロッキンガム将軍は罠だと思い退却の命令を出したが、そのまま町に突入していれば、勝利したのはユナーツ軍だっただろう。敗残兵である桾国兵は武器を投げ捨てて逃げ戻ったからである。
ユナーツ軍が退却し、町の周囲が静かになった頃、十字弓部隊に引き上げの命令が届いた。趙隊長が町に戻ると、凄まじい数の負傷兵が街に溢れていた。
ゲンサイを探して報告に行くと、ゲンサイも負傷兵の手当をしている。
「周殿、あなたが治療をしなくても」
「そう言うが、私は医者だからね」
手早く治療をしているゲンサイを見て、晨紀帝の病も治した名医である事を趙隊長は思い出した。
「帰って早々に悪いが、軍の幹部将校を探し出して、集めてくれないか。状況を知りたいのだ」
「分かりました」
趙隊長が行くと、ゲンサイは治療を切り上げ会議室へ向かった。楊軍監も一緒である。
「周殿、今回の戦いは我々が勝ったのですか、それともユナーツ軍が勝ったのでしょうか?」
「ユナーツ軍の勝ちでしょう。我々は指揮官を失っていますからね」
それを聞いた楊軍監は頷いた。ゲンサイと楊軍監が喋っている間に、幹部将校たちが会議室に集まり始める。
その顔には暗い影がある。敗戦で鄭将軍が死んだ事を重く受け止めているのだろう。特に梁参謀は今にも死にそうな顔をしている。
ゲンサイに怒鳴られて、自分がどんな失敗をしたか気付いたのだ。それが皇帝に知られれば、処刑されるかもしれないと考えているのだろう。
階級で言えば一番上になる楊軍監が会議を仕切る事になった。
「集まったようですな。それでは今回の戦いについて、報告を聞こう。誰でもいい報告してくれ」
弓隊の隊長である
騎馬隊が全滅したと聞いた時、ゲンサイは溜息を漏らす。そうなるのではないかと思っていたのだが、貴重な騎馬兵がこんなにあっさりと全滅したのを残念に思った。騎馬隊が生き残っていれば、連絡部隊として使いたいと考えていたからだ。
「敗走した原因は、何だと思う?」
楊軍監が尋ねると、劉隊長が梁参謀の方へチラリと視線を投げてから、
「鄭将軍が亡くなられて、指揮系統が止まってしまった事が原因だと思われます」
と言った。ほとんどの将校はそれを認めているようだ。
楊軍監は報告を纏め上げると、首都ハイシャンに報告に戻ると告げる。それを聞いたゲンサイは頷いた。新しい指揮官が必要なのだ。楊軍監は臨時として、ゲンサイが指揮を執るように言う。
「待ってください。私は武官ではないのですよ」
「しかし、この場で一番相応しい能力が有るのは、周殿だ。次の指揮官が決まるまで頑張ってもらうしかない」
兵たちが不安になっており、最後に指揮を執ってユナーツ軍に一撃を与えたゲンサイでないと、脱走兵が増えそうな状況だったのだ。
幹部将校たちが承諾すれば、という条件で引き受けた。反対するだろう思っていた幹部将校が、ゲンサイの指揮を受け入れると言い出した時には、ちょっとびっくりする。
楊軍監が旅立った後、ゲンサイは鬼影隊と十字弓部隊に桾国兵が捨てた武器や装備を回収させた。これは危険な任務だった。
ユナーツ軍の兵が戦場を見回っていたからだ。鬼影隊が周囲を警戒し、十字弓部隊が武器と装備を回収するという任務を続け、半分ほどの武器と装備を回収する。
その頃、首都ハイシャンに楊軍監が戻った。報告のために宮殿に向かい皇帝に謁見を申し出る。キョヤン平原の戦いに関する報告だと告げるとすぐに謁見が許された。
玉座の前に進み出た楊軍監は、うやうやしく挨拶した後に報告を始める。
「何と……鄭将軍が死んだ」
晨紀帝が驚きの声を上げる。玉座の周りで聞いていた曹尚書や将軍たちも悲痛な顔になる。
「それでルオハイは、どうなったのだ? まさかユナーツ軍に奪われたのか?」
「いえ、そうではありません。ルオハイには軍事顧問として派遣された周殿と私が居りましたので、周殿が提案された策を実行する事になったのです」
「周というのは、医英大学士の事か?」
曹尚書が晨紀帝に説明する。
「軍事にも詳しい周殿に、鄭将軍へ助言をして欲しいと頼んだのでございます」
「なるほど、それで周が宮殿に居らなんだのだな。さて、続きを聞こう」
楊軍監はユナーツ軍を十字弓部隊が待ち伏せして大打撃を与えた事を報告した。すると、久しぶりに晨紀帝が笑顔になる。
「さすが朕が見込んだ男だ。やりおる」
曹尚書は敗北を隠すために、ゲンサイの勝利を過大に持ち上げ英雄に仕立て上げた。ゲンサイの知らないところで、軍事の天才という事になり、晨紀帝はゲンサイに『軍師』の称号を与えた。
桾国において、軍師は正式な役職ではなく名誉職のようなもので、軍功のあった武官に称号として与えて功績を認めるというものだ。
ゲンサイは晨紀帝から『軍師』という称号が贈られたと聞いて、何の冗談だと思った。そして、遠いアマト国でゲンサイの話を聞いたホクト城の者たちは大笑いした。
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